タリバンで最も尊敬されているムラー・バラダールが対米和平交渉の首席に
- 2019年 2月 15日
- 評論・紹介・意見
- タリバン坂井定雄
ラシッド記者が内戦解決への期待を込めて米紙に寄稿
反政府武装勢力タリバンと、政府軍・米軍(現在約1万4千人)の戦闘が続くアフガニスタン内戦が、和平に進展する見込みが大きくなってきた。国際的な責任、条約、協定を一方的に破棄して、目先の自国利益を主張し続ける米トランプ政権は、現在アフガニスタンに駐留し、アフガン国土の4割以上を事実上支配しているタリバンと戦い続ける全米軍の早期撤退を表明しており、カタールの首都ドーハで、タリバンと交渉を開始している。1月29日には、米特使のカリルザード交渉代表の中間報告をアフガニスタンの米大使館が発表、全米軍の撤退、タリバン側はアフガニスタンにIS(イスラム国)や旧アルカイダ系のテロ組織の存在を許さない、などで合意したことを明らかにした。
しかし、米軍撤退と停戦実施の時期やガニ大統領、アフガニスタン政府との協議の進め方はじめ、アフガニスタンの和平を確かに実現するためには、タリバンと米国が取り決めなければならないことは多い。その今、タリバンが、和平交渉に積極的で、タリバン内部で最も尊敬されているムラー・バラダール(ムラーはイスラム教の指導者の敬称)をカタールでの対米和平交渉の首席として派遣することを発表した。タリバンの交渉への熱意を示している。
一方の米国の交渉団代表は、アフガン内戦には当初から関わっている、アフガニスタン生まれのカリルザード元国連大使で、この上ないアフガン通。バラダールの参加で、カタールでの米・タリバン交渉は、双方とも、最適な顔ぶれになり、交渉の実質的な進展の体制が整うといえるだろう。
本欄で何回も紹介したが、アフガン紛争の国際的報道を、1994年のタリバン登場以来、現地と隣接のパキスタンから続けてきたジャーナリスト、アハメド・ラシッド。最近では、ニューヨーク・タイムズ(2019 JAN 28)にムラー・バラダール登場への期待を詳しく書いている。ご本人が、同紙への寄稿全文を転送してくれたので、以下邦訳して紹介しよう――
アハメド・ラシッド(ラホール・パキスタン)
タリバンは1月31日、ムラー・アブドル・ガニ・バラダールを、カタールで行われている米国との和平交渉の首席に任命した。彼は、1993年、ムラー・モハンマド・オマルとともにタリバン運動を創始した人。
バラダールは、タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダに次ぐナンバー2の指導者。ドーハでの米国の和平交渉代表ザルマイ・ハリルザード元国連大使らとの和平交渉に参加するため、間もなくドーハに向かうとみられる。
バダラールはタリバン・メンバーたちから、カリスマ的な軍事指導者として、またイスラム信仰の深い人物として敬われてきた。さらには1990年代半ばのアフガンの内戦と軍閥支配を終らせたタリバン運動の起源を、今なお堅持する指導者として、尊敬されている。
彼はまた、戦争の無益さと浪費を経験した最初のタリバン運動幹部で、2009年にアフガン政府のハミッド・カルザイ大統領、間接的には米軍やNATO軍と秘密会談を行った。しかし、当時はタリバンの支援者だったパキスタンが2010年2月、カラチでバラダールを逮捕し、09年以来の交渉を終らせ、交渉者を暴露した。彼の逮捕によって、パキスタン政府はタリバンとアフガニスタン政府に対して、パキスタンのアフガン政策に反する政治的行動を行わないよう、無慈悲なメッセージを送ったのである。バラダールの逮捕はカブールとイスラマバードの間に激しい敵意を生み、バラダールを創設者の一人として敬うタリバンのパキスタンに対する憎しみが深まった。
米国とカタールからの圧力を受け、パキスタンは、8年半にわたる拘束後の昨年10月、バラダールを釈放した。彼は医療のため、パキスタンにとどまり続けた。以後、バラダールはタリバンのパキスタンとの交渉役の主役となったが、それはパキスタンの和平交渉への姿勢、和平を求めるタリバン指導部へのパキスタン軍部の反感が明らかに変化したことを示している、との希望を生んだ。
パキスタンはこの地域で孤立していた。アフガン戦争を終らせることを望んでいなかったからだ。さらに、パキスタンの聖戦主義グループが野合しているパキスタン・タリバン(訳注:アフガニスタンのタリバンとは別組織)が、パキスタン内で目標をテロ攻撃し、アフガニスタン領内に逃げ込む行動が、イスラマバード(注:パキスタンの首都)の政策を変化させた。現在進行中の米国とタリバンの交渉では、タリバンはアフガニスタン領内に国外からテロ・グループが逃げ込む安全な場所を、決して許さないことが、明確に合意されている。
イスラマバードの西側外交筋は、パキスタン軍が米国のカリルザード交渉代表を妨げるどころか支援していると評価している。和平交渉へのパキスタンの支持が、この地域にどのような戦略的な変化をもたらすものかどうかは、即断できないが、パキスタン軍部はカシミールをめぐる領土紛争の解決に向け、協議を再開することを、インド軍部、民間指導者たちと合意している。
カリルザード代表への支持とは別に、タリバン内でのバラダールへの支持が、平和へのチャンスを強めている。私は1990年代の遅く、タリバンがカブールを支配したのちにバラダールと会う機会があった。彼はアフガニスタン・ヘラート州の知事で、タリバン政権が崩壊した2001年には国防省次官だった。
バラダールは社会的問題には穏健で、西側諸国と近隣諸国との友好関係維持を主張した。しかし、タリバン内でオサマ・ビンラディンの影響が強いタカ派が、西側の援助機関に退去を強要した。アフガニスタンが厳しい飢饉と経済危機になったとき、バラダールはアフガニスタンが孤立し、すべての援助が打ち切られることに反対した。彼は自分の国が西側からの財政的援助に依存していることを認識していた。
彼は1996年、最高指導者ムラー・オマルがビンラディンに聖域を与えることに反対したが、カブールのタリバン政権崩壊後、カンダハルに拠点を構えたオマルの側近であり続けた。
タリバンのすべてに忠誠だった彼の歴史によって、バラダールが平和へのステップを進めるときには、タリバン指導部の誰も反対できないだろう。
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