カイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約
- 2019年 8月 15日
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- ブルマン!だよね
ポツダム宣言受諾により、日本は連合国に無条件降伏し、太平洋・東アジア戦争は終結したが、そのポツダム宣言の8項に次のような文言がある。
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
主権領域についての規定はともかくとして、ここに一言触れているだけであるカイロ宣言とはいったい何なのか。
対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
以下がその全文和訳。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ。 各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ
なかなか強烈な意思表明の文言だが、まず日本の侵略行為のクロックスタートを1914年すなわち第一次世界大戦勃発時点に置いていることに留意されたい。これは第一世界大戦をもって国際紛争の軍事的解決を認めないのちのパリ不戦条約につながる流れの起点として認めるという、日本も加わっていた国際的合意をまず抑えているのである。逆にそれ以前は、植民地帝国主義の盟主英国はもちろん、米国もメキシコやスペインと軍事的衝突を重ね、国境線を変更してきた経緯があり、どこかで線引きしないと日本の侵略行為を咎められないからなのだ。
しこうして、満州は論外としてなぜ台湾および澎湖島が清国人より盗取したとされるのだろうか。台湾は日清戦争の結果、清国との下関条約締結によって1895年に割譲されたのであって、1914年以前の国際的に横行した戦争―条約に基づく領有であるから、「盗取」云々は全く当たらないはずだ。だからこそ「盗取」といわば言いがかり的な理屈をつけて、中華民国への返還を正当化せざるを得なかったのだ。当時蒋介石率いる国民党政府は、日本軍のビルマ制圧によっていわゆる「援蒋ルート」を断たれて窮地にあり、日本と講和に傾きかけていたから、米・英としてはそれを何としても阻止したかったので、蒋介石への約束手形としてこの文言を入れざるを得なかったというわけなのだ。
続いての「朝鮮人の奴隷状態」云々のくだりは、どう読めるだろうか。なぜに当事者のいないところで朝鮮人をここで持ち出したのか。カイロに集まった三国首脳の人道主義から出たものだろうか。そんなことを信じるのは国際政治のリアリズムを知らない者だけだ。これもやはり蒋介石への懐柔策で、中国にとっても朝鮮半島が地政学的に枢要点であるあることは誰でも承知している事柄で、ここに日本の勢力が残っては蒋介石としても戦争が何らかの形で決着を見たところで、枕を高くして眠れないことは言うまでもない。米・英にとって朝鮮人が奴隷状態のかどうかなど何の関心もあろうはずがない。ただそのような表現を使わない限り、やはり1910年という1914年以前の日付のある日韓併合を否定することは出来なかったのだ。
カイロ宣言とは第二次世界大戦真っただ中という世界情勢を背景に生み出された、米英中間の政治的駆け引きの産物に他ならない。
がいずれにせよ、ポツダム宣言受諾を通じてカイロ宣言も受け入れてしまったのが、日本の選択なのだ。
とんで、1952年(昭和27年)に連合国との間でサンフランシスコ講和条約が締結された時、韓国は戦勝国としての署名に加わりたいと再三米英に申し入れたが、最終的には日本の属領であり、日本と戦闘するような軍事力も有していないことをもって、拒否されている。ここがヨーロッパのフランスやポーランドと事情の著しく異なる点で、確かに李承晩率いる朝鮮臨時政府があったが、当事者能力は全く認められていない。
このサンフランシスコ講和条約で連合国は大戦を通じる日本による損害に対しての賠償権を一切放棄している。これはこの条約に参加しなかった中国や、インド、インドネシアとの戦後条約で基本的に引き継がれている賠償に関する基本規定となったのだ。やはりこの条約に参加しなかったソ連とはその後のロシアに至るまで、サンフランシスコ講和条約に相当する平和条約はいまだに締結されていないのは誰でも知っている通り。ちなみにサンフランシスコ講和条約では、千島列島の日本の領有権は放棄されているのだが、そこに南千島が含まれているかが紛争の種となっているわけだ。それと領有権の放棄された千島列島がどこに帰属するかも規定されていない。第2次世界大戦の結果としてロシア(ソ連)に帰属したのだという彼らの言い分は、クリミアを軍事力で併合するような国らしい言い分だろう。
ここまで見てきて、判るのは韓国のいわば宙づりされた、戦勝国でもなければ敗戦国でもない、微妙な立ち位置なのだ。日韓基本条約はその意味でカイロ宣言でいわれた「奴隷状態」にあった国との条約締結ということで、むしろ連合国とのサンフランシスコ講和条約よりも割り切れない面を抱えざるを得なくなってしまい、付則たる日韓請求権協定にもそれは及んでしまったのだろう。
現今の日韓の「葛藤」に分け入るのはここでは控えるが、「奴隷状態」と認められながら、一方で戦勝国には入れられなかった、なにかそこにこう言ってはなんだが韓国側のフラストレーションの根源があるように思えてならないのだ。戦勝国であれば、単に息高々に勝利宣言して「スッキリ」だったに違いない。ただ戦勝国に認められていたら、賠償請求権も放棄せざるを得なかっただろうから、歴史とは一筋縄ではいかないものとはいえるだろう。
最後にもうひとこと言わせていただければ、極東軍事裁判も法理に照らせば、まったくの無法処分に過ぎない。簡単に言えば事後法の遡及適用によるものにほかならず、「勝者による敗者の裁き」以外の何物でもない。しかしそれをもって東京裁判史観などと声高にその「偏向」を言い立てるのは国際政治の酷薄さを知ろうとしない、空虚なイデオロギーにとらわれたものの所作だろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8903:190815〕
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