NHK会長5人連続財界人、みずほ銀から前田晃伸氏 - 不祥事多発したNHK歴代会長を採点する -
- 2019年 12月 28日
- 評論・紹介・意見
- NHK隅井孝雄
NHKの次期会長にみずほファイナンシャルグループの元会長前田晃伸氏が選任された。村上会長の続投も一時うわさされていた。しかし「クローズアップ現代」の保険不正販売追及番組に対する郵政グループの介入、干渉問題が大きく広がったことから、官邸の意向で急遽前田氏に白羽の矢が立ったとみられる。前田新会長は2020年1月25日に就任する。任期は3年間だが、2期務める可能性もある。
▼財界から天下り続く、陰で安倍首相、菅官房長官が糸?
前田氏の会長就任で、財界出身者の会長は2008年以降五人連続となる。就任に先立って記者会見した前田氏は「放送機関から政権がチェックされるのは当たり前、きちっとした距離を保つ」と発言した(12/10)。しかし会見の席上、記者から問われ、安倍首相を取り巻く財界人グループ「四季の会」のメンバーであることを認めた。「四季の会」葛西敬之(JR東海副社長)、古森重隆(フジフィルム会長)の二人が中心メンバーだとして知られる存在で、安倍首相のブレインとして、政策助言にあたっていることで知られている。
NHKの会長、専務理事、経営委員など主要人事の決定の際は、必ず葛西、古森両氏が動く。2005年会長福地茂雄氏は四季の会メンバー、2008年会長の松本正之氏は葛西氏の部下、2014年会長籾井勝人会長も「四季の会」が推挙だった。古森氏自身も2007年6月から2008年12月までNHK経営委員長を務めた。
このような状態の下で、果たして「権力との距離」を保てるかどうかだ。大手各紙の報道を見る限り、上田会長の退任、前田次期会長の選任は安倍首相と菅官房長官が影響力を行使、「四季の会」が選任したとみていいだろう。
▼歴代会長―財界7, 官僚4、記者4、NHK出身6、
NHKの初代会長の岩原謙二(1926年~36年)氏の前職は三井物産常務だった。
2代会長の小森七郎(1936年~43年)は郵政官僚が据えられた。ラジオ放送の威力がまし、政府がNHKを傘下に収めるためだった。その流れを汲んで第二次大戦末期(1943年~45年)には下村宏(情報局総裁)がNHKをがっちり握り、戦争遂行の番組一色になった。
戦後一時期、郵政官僚である大橋八郎が会長の座に就いたが、まもなく戦後民主化の流れで放送委員会が誕生した。委員は岩波茂雄、馬場恒吾、宮本百合子、荒畑寒村、加藤静枝、土方與志、大村英之助ら、戦後文化人の結集体だったが、彼らが選んだ会長は高野岩三郎(1946)、統計学者であった。社会運動家としても、人格識見共に傑出した人物であり、戦後のNHK再出発を率いた。
そののち、古垣鐵郎(朝日、1949)、野村秀雄(朝日、1958)、阿部真之助(東京日日、1960)、前田義徳(朝日、後NHK報道局長、1964 )ジャーナリスト出身者が続いた。間に実業家永田(1956)が入るが・・・。この間にNHKは公共的存在であり、ジャーナリズムと文化、娯楽の重要な機関であるとの認識を、市民の間に培ったと言えよう。9年という長期政権であった前田には後半権威主義的な傾向が見られた。
▼田中角栄側近不祥事後、一時期、内部昇格続く
ところが1957年、田中角栄が郵政大臣となったことがNHKの方向を二転、三転させた。田中は放送行政に辣腕を振るい34社に及ぶテレビの大量免許を行うとともに、この免許で田中の右腕だった小野吉郎事務次官をNHKの専務理事として天下りさせ、興隆中のテレビ事業を掌中に収めた。小野は副会長を経て1973年NHK会長に昇格した。ところがロッキード事件で逮捕された田中を保釈中に小野会長が見舞い、世論の批判を浴びた、受信料不払いが激減ことから辞任を余儀なくされた。
小野退陣の後、NHKの復活を任されたのは、「朝ドラ」の生みの親として知られる演出家坂本朝一であった(1976)、初の生え抜きとして、坂本は職員の受けもよく2期6年、引き継いだ川原正人会長(1982)は報道局長から専務理事経験者で、同じく2期6年を務めた。この12年がNHKのもっとも安定した時期であったといえよう。
しかし1988年政権与党(自民)の画策の結果、三井物産の元会長であった池田芳蔵が送り込まれた。しかし高齢(77歳)の池田は、今でいう認知症で、言語不明瞭。国会答弁もままならず、7カ月でNHKを去った。
後任は再びNHK内部から、報道局長経験者の島桂二が起用されたが(1989)、強引な人柄が反感を買い、不祥事も手伝って途中退任、大河ドラマなどのプロデユーサーであり、人望もあった川口幹夫が就任(1991年)、ハイビジョン、国際放送などを推進、多チャンネル時代の波を乗り切り、久しぶりに2期6年の任期を全うする会長とし、大型で見ごたえのある番組作りに貢献した。
▼海老沢後半、視聴者批判激化し、財界人起用の連鎖
川口の後会長職を継いだのは副会長の海老沢勝二であった(1997)。海老沢は政治部記者出身だが、早くから管理職として階段を昇り、専務理事、副会長、そして会長に上り詰めた。しかし、早くから政権への迎合姿勢が顕著で、2001年にはETV特集「戦争をどう裁くか」の慰安婦問題で、政府の意向を受けて大幅な番組改変が行われた。その後2004年には紅白歌合戦のプロデユーサーによる不正支出が週刊誌に暴露され、海老沢体制に視聴者の批判が集中、受信料不払いが急増した。国会に喚問された海老沢が、テレビ中継を行わなかったことも重なり、視聴者の批判が増大、2005年1月、辞職に至った。辞職に際し、顧問に就任したこと、多額の退職金が用意されていることも伝えられ、視聴者のNHKへの批判は増大の一途をたどった。
海老沢後のリリーフとし2008年1月以降は「四季の会」の取り仕切りで財界人に委ねられた。福地茂雄(アサヒビール、2008)、松本正之(JR東海、2011)、籾井勝人(三井物産、2014)、上田良一(三菱商事、2017)、前田晃伸(みずほファイナンシャル、2020)と続く。
NHKには絶えて久しく、見識あり、放送文化を預かる人物を会長職に見ることが無い。政府、財界との癒着を断ち切り、公共放送文化を育成することに十分な理解を持ち、文化的にも造詣の深い物を見出すことができる環境を作ることが必要ではないか。
写真、新会長、前田晃伸氏の就任を報じる「NHKニュース7」(12/9/2019)
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