大晦日、元号批判書き納め。
- 2019年 12月 31日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制文化澤藤統一郎
2019年が本日で終る。今年は、天皇交替の歳で、新元号が制定された。日本の民主主義の底の浅さが露呈した不愉快な歳。いつもは筋を通している「日刊ゲンダイ」が、この暮れに中西進のインタビュー記事を掲載した。なんとも、筋の通らないふにゃふにゃの代物。歳の終わりを、そのインタビュー記事批判で締めくくりたい。(いか、赤字が日刊ゲンダイのインタビュアー、青字が中西回答。黒字が私見である)
考案者・中西進氏「令和とは自分を律して生きていくこと」
この表題からして荒唐無稽だ。「令和とは自分を律して生きていくこと」という文章自体がなりたたない。この一文の「令和」は、元号としての「令和」でも、時代としての「令和」でもない。漢字2字からなる熟語としての「令和」の意味を「自分を律して生きていくこと」だといいたいのだ。しかし、言うまでもなく、言葉とは社会的な存在である。勝手に言葉を作り、勝手にその意味を決めるなどは、権力者と言えどもなし得ることではない。この人、そんな不遜なことが自分だからできると思い上がっている様子で不愉快きわまりない。
今年の世相を表す「今年の漢字」に「令」が選ばれた。新元号「令和」はまもなく元年が終わろうとしているが、国をリードするべき政権への不信感は募り、国民生活も青息吐息で先行きは不透明だ。これから私たちは、新時代「令和」をどう生きていったらいいのか。「令和」の考案者で万葉集研究の第一人者、国文学者の中西進氏を訪ねてみた。
「これから私たちは、新時代「令和」をどう生きていったらいいのか。」が、恥ずかしくて、読むに耐えない。天皇が交替したから「新時代」、元号が変われば生き方も変わる、という発想は皇国史観に毒された臣民のものの考え方。奴隷の言葉と言ってもよい。主権者の発想ではなく、自由人の言葉ではありえない。わけても、ジャーナリストの矜持をもつ者が決してくちにすべき言葉ではない。
――令和元年は、どのような年だったでしょうか。
いい年だったと思います。とかく惰性的だった生活から、一挙に節目ができたんですから、これほどすごいことはないでしょう。平成の陛下が辞めるとおっしゃったことは、私たちを活性化する大きな出来事でした。みな、「はっ」としたはずです。目が覚めたような感じがしたんじゃないでしょうか。
これが、はたして学問をする人の言葉だろうか。この押しつけがましさには、開いた口がふさがらない。「平成の陛下」へのおもねりは勝手だが、「みな、『はっ』としたはず」などと、他人も同様と思い込んではにらない。天皇の交替で「一挙に節目ができた」と、あなたが思っても、私はそうは思わない。「目が覚めたような感じがしたんじゃないでしょうか」は,いささかなりとも主権者意識をもっている多くの国民に失礼極まる。
――確かに大きな変化でした。
インタビュアがこれではダメだ。まったく突っ込みになっていない。だいいち「変化」ってなんだ。なにがどう変化したのか。
僕はね、退位を示唆されてすぐに思ったんですが、日本国憲法を読んだことのある人なら、これほどに天皇陛下がリーダーシップをもって時代を動かすことができるとは誰も思わなかったと思います。憲法では退位を定めていないのに、肉体的な理由で、自ら天皇の地位を降りられたわけでしょう。上皇は徹底的な戦争否定論者でしたから、余計お疲れだったのかもしれませんが。ともあれ見事な新時代の誕生です。国政が変わったというより、文化の様式としての元号が変わったんです。だから大騒ぎになった。文化がいかに人間にとって大事なのかが分かったと思いますね。
「日本国憲法を読んだことのある人なら、これほどに天皇陛下がリーダーシップをもって時代を動かすことができるとは誰も思わなかったと思います。」は、概ねそのとおり。もう少し正確には、「日本国憲法を大切に思う人なら、これほどに天皇がその矩を超えたリーダーシップをもって、明確に違憲の提言をすることがあろうとは誰も思わなかったと思います。」と言うべきなのだ。
「文化の様式としての元号」とは、訳が分からんような表現だが、必ずしも分からなくもない。元号を小道具とした、タチの悪い天皇制賛美論を、「文化の様式」と言っているのだ。
――元号は文化でもあるんですね。
元号の伝統は、世界広しといえど現存しているのは日本だけです。みんな、西暦のほうが便利だということになり、やめてしまいました。確かに西暦はキリストの誕生から年数を数えて、機械的に数を重ねることができます。便利だけど、どこか無機質ではないですか? 片や元号は、統治の出発からの年数で「一世一元」ですから、天皇の代が替われば足し算できなくなり、年数を数えるうえでは不便です。それでも元号を使うのはなぜか。ある時代に対する美的な感覚のようなものではないでしょうか。
元号の不便は自明である。そのことについては、この人も認めているようだ。だから日常生活やビジネスにおける不便に耐えかねて、古代王政の遺物である「元号の伝統」は世界から姿を消したのだ。ところが、日本だけは、国民に不便を強いてもなお、元号を残し、かつ事実上その使用を強制するのはなぜか。この人は、その辻褄合わせを「文化」や「ある時代に対する美的な感覚のようなもの」で説明しようとしているのだが、いかにも自信がない。説得力に欠けるというほかはない。
元号は文化ではないか、と僕は思うんですね。その元号に、私たちはさまざまな希望を込めてきたわけです。公明に治める「明治」、昭らかな平和であれ、と願いを込めた「昭和」というふうに、いい元号をつけるのは、ひとつの期待感でした。ですから元号はある種の倫理コードの役割もあるんです。
ここには、多少のホンネが透けて見える。元号に、「私たちはさまざまな希望を込めてきた」のだという。これはウソであり、誤魔化しでもある。ウソの根源はこの人の言う「私たち」にある。元号の制定は、国民投票で決められたものではない。国会の審議も経ていない。いかなる意味でも、元号は国民の意思を反映したものではない。そもそも、本当に元号が必要なのかすら、しっかりとした議論がない。「私たち」の僭称は慎んでいただきたい。
この人のいう「私たち」は、おそらく「日本国の日本人」という意味なのであろう。日本における日本人とは、昭和までは「神なる天皇を中心とする國体における臣民」であった。臣民に元号策定の権限などあるべくもない。神なる天皇が時を支配し、元号の制定によって時代を改めるという、荒唐無稽の呪術的権威によって、改元は天皇の行為だった。
では、その後の2例の元号(平成・令和)の制定には、国民が関与したか。戦前と同様、政権は関与したが、主権者国民が関与したわけではない。憲法が変わり、国体観念もなくなったはずが、そうなっていないのだ。元号制定の経過は意図的に曖昧にされ、戦前と戦後が、太い一本の心棒でつながっている。その実質は天皇制ナショナリズムである。そういえば角が立つから、この人は「文化」と言っている。この「文化」は「国体」と何の変わりもない。
■宰相は「十七条の憲法」の尊重を
――国書を典拠とする初めての元号となった「令和」に込められた思いを改めて教えてください。
「令和」の2文字は、万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文、「初春の令月にして 気淑く風和ぎ」から取られました。令の原義は「善」。秩序というものを持った美しさという意味があります。もっと噛み砕いて言えば、自律性を持った美しさ、ですね。「令は命令に通じるからけしからん」と言うのは、「いい命令」を考えていないのですね。「詩経」や「礼記」などの注釈には「令は善なり」と定義があるのです。
一方、「和」はこれまで248種類作られてきた元号の中で今回を含め20回使われることになります。「和」の根源は、聖徳太子が定めた日本の最初の憲法「十七条の憲法」の第1条、「和を以て貴しと為す」にあります。聖徳太子という人は、徹底的に平和を教えた人。「平凡な人であることが平和の原点ですよ、自分が利口だと思うから争いが起こる」と604年に発言しているのですから、すごいことです。
この人の言っていることは、独善であり牽強付会というしかない。えっ? 「令」とは「秩序をもった美しさ」ですと。「善い命令を考えよ」ですって。これは、完全に支配者の発想である。一糸乱れぬ軍隊の行進の美しさ。上命下達の官僚組織の美しさ。国民すべての思想と行動に目を光らせ不服従を許さぬ統制の美しさ。そんなものが、「私たちが元号に込めた希望」だというのか。批判あってしかるべきではないか。
――日本はその前年まで新羅と泥沼の戦争をしていました。
第2次世界大戦が終わった翌年に今の憲法ができたように、十七条の憲法も泥沼の戦争の次の年に作られました。ですから、非常に切実な願いが込められているんです。源実朝や藤原頼長ら代々の宰相たちはその聖徳太子が作った「十七条の憲法」を、尊重しようとしてきました。ぜひ今の宰相も「十七条の憲法」を尊重してもらいたいと願っています。
「十七条の憲法」は、保守派の大好きアイテムなのだ。自民党の改憲草案にも、産経の改憲案にも、「和をもって貴しとなす」が出て来る。なぜ、保守派が「和」が好きなのか。この「和」は、上命下服の秩序が保たれている状態を意味するからなのだ。けっして、同等者の連帯や団結を意味するものではない。「十七条の憲法」の第1条には「逆らうことなきを旨とせよ」と書いてある。下級が上級を忖度して、もの言わぬことが「和」なのである。この「和」は、民主主義とも国民主権とも無縁な支配者の求める秩序に過ぎない。こんなものを今の政治に求めてはならない。
それぞれがこのような意味を持つ元号「令和」は、自律性を持った美しさによって「国家」を築いていくという意味です。具体的に言うと、どんなに車が来なくても赤信号では道を渡らない。目の前に1000円が落ちていて誰も見ていなくてもポケットに入れない。それが自分を律するということ。
考案者は、新しい令和の時代をそう生きるべきではないか、という思いを込めたんだと思いますよ(笑い)。
何とも馬鹿馬鹿しい。ここで、「自律性」が唐突に出てくる。しかし、「令和」の「令」も「和」も、権力者の支配の秩序以外の何ものでもなく、言わば強いられた「他律」であって「自律性」が出てくる余地はない。言語とは飽くまで社会的存在なのだから、勝手な解釈での意味づけは慎んでもらわねばならない。
新自由主義のもと弛緩した現代人
――平成の時代は自分を律することなく、自由気ままでいることをよしとする風潮だったかもしれません。
戦争が続いた昭和を経験したことで、「平らになる」平成を望んだわけですが、平凡に平らじゃ困る。そろそろ奮い立たなきゃいけません。アクティブな信号が必要になっていたんじゃないでしょうか。
信号がずっと青(OK)だと、何をしようと平気でしょう。新自由主義によって、経済や効率化が優先されるようにもなりました。“役に立たない”文化とは相いれません。多くを考えなくても生きていけるのは平和だとも言えるけど、人間の心が弛緩してしまいます。経済のことも、教育のことも、よくよく考えなければいけないことは、山積していると思いますね。
この人の頭の中は、ごちゃごちゃで未整理のままなのだ。こんな人が,「そろそろ奮い立たなきゃいけません。アクティブな信号が必要になっていたんじゃないでしょうか」という思いつきで考案した元号が「令和」だというのだ。繰り返すが、天皇制に対する信仰者でも、馬鹿馬鹿しくならないか。
「新自由主義によって、経済や効率化が優先されるようにもなりました」ですって? 本当に新自由主義のなんたるかがお分かりなんでしょうか。新自由主義と対峙するものとして、「文化(=元号)」を考えているようだが、浅薄きわまりない。
■文化は最大の福祉
――文化の衰退は国の衰退と同義語かもしれません。
「文学で飢えた子を救えるか」という言葉がありますが、確かに肉体は養えません。けれど、心は養えます。文化とは最大の福祉です。福祉というのは生活が豊かになることではなく、心が豊かになることを言います。心の貧乏にならないために、自らを見つめ律する。「令和」らしい生き方をしていきたいものですね。
こういう言説は、眉に唾を付けて聞かなければならない。「福祉というのは生活が豊かになることではなく、心が豊かになることを言います。」は、暴言というほかはない。「福祉というのは、まず生活を豊かにすることだが、それだけでは足りず、心が豊かになることまでを考えなければなりません」と言うことなら分かる。しかし、どうもこの人は本気で、「文化によって、心を豊かにすることが、生活を豊かにすることに先行する」「最大の福祉とは、経済的に生活や医療・教育を成り立たせることではなく、文化(=元号)的環境を整えることにある」と考えているようだ。いかにも、今日の日本の支配層の考えそうなことではないか。
安倍政権の改憲策動と、天皇制と元号の批判で、2019年は暮れていく。歳が改まったところで、なにかが急に変わるわけではない。
明日からも、当ブログは政権と天皇制の批判を続ける。
(2019年12月31日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.12.31より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14064
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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