ドイツ通信第150号 この間の2カ月(2)「シュタージー」と「ナチ」の匂い
- 2020年 1月 16日
- 評論・紹介・意見
- T・K生シュタージナチ
2019年11月9日。
11月9日という日付は、ドイツ統一の記念日であり、また、ナチ支配下でのポグロム・「クリスタル・ナハト」が引き起こされた日であることを、知ったかぶりをしてここに改めて記す必要もないと思いますが、この2つの歴史的事実が、今のドイツを見聞するとき、今の自分とどう関係しているのかを考えさせられる、いいきっかけになりました。
まとまりないですが、日常で経験したことを整理しながら、以下に書いていきます。
「どの時代に生活しているのか!」
これが、まず、ライプツィヒ空港のパス・コントロールで感じたことです。
時間は前後します。クリスマス休みを利用して、12月23日から30日までアラブ首長連邦国(略称エミレーツ)に行っていました。今回は、東海岸のフジャイラというところに宿を取りました。まわりには、モスクとスーパーが一軒あるだけの人里離れた、その意味で静かな場所です。南に行けばオマーンの国境があり、北に少し車を走らせれば、オマーンの飛び領地の国境に行き当たります。
昨年でしたか、この半島の先端に位置するホルムス海峡で、確かイギリスの石油タンカーが襲撃された事件が起き、イラン?アメリカ紛争の火種になりました。結果は、襲撃を仕掛けたのが誰かは、ウヤムヤにされていたような記憶があります。この海峡が、もし何らかのきっかけで封鎖されれば、アラブ―中東―欧米の石油輸送の根幹をなすことから、世界の経済関係は崩壊しかねません。そこで戦争を避けるためには、この地域の軍事的政治的な安定が絶対的に必要になります。
私たちの興味は、もう一つ別のところにありました。「タンカー襲撃」事件を前後して、アラブ世界に微妙な動きが始まりつつあると伝えられてくる情報です。それを確認する必要がありました。
オマーンにはすでに過去20年間に4回近く(正確にわかりません)入り、地下資源発掘に始まる60年代からの急速な近代化と、しかし、「オマーン主義化」と表現されるベド族としての生活と文化を忘れないためのテクノロジーと伝統、そして自然の調和を目指した社会発展の現状を見てきました。
彼らの言葉を概略すれば、〈ベド族の自分たちがどこから来て、どこに向かうのかを、各自が、そして国家が、次の世代のために現時点で考えなければならない〉ということになります。すなわち、アラブ世界といえど一枚岩ではないということです。
とりわけ、オマーンはベド族としてのアイデンティティを模索しているということができるでしょう。これが、イスラム教といえど部外者に攻撃的、威圧的ではない印象を与え、強圧的なサウジのアラブ指導から離れてオマーンが独自路線をとる一番の重要な背景だろうと考えています。そうした国は、これまで少数でした。
しかしここにきて、サウジ離れが進んできているように思われてなりません。何よりも石油、ガスの地下埋蔵量の限界を見越した、国家の生き残りをかけた戦略に方向を転換してきていることがうかがえることです。以前に書いたアブ・ダビの「ルーブル博物館」開設と所謂「宗教対話」、それを受けて2月のローマ法王のエミレーツ訪問もその一つに挙げられるでしょう。世界に開かれた、文化的なエミレーツのイメージをキャンぺーンしたいのです。その実態がどういうものであるのかは別にして。
また、この間のイエメン戦争では、サウジと共同戦線を取りながらも、エミレーツは南イエメンに独自の経済利害を確保するための路線を展開しようとしています。
そのためにはペルシャ湾を挟んだイランとの緊張緩和がぜひとも必要になり、他方、カタールとオマーンに対してエミレーツはサウジと同様に強権的な圧力、制裁を強めていきます。イランの影響を食い止め、あるいはこう言っていいかと思いますが、イランを孤立させながら、しかしイランとの戦争は避け、エミレーツの開放イメージに磨きをかけようというわけです。
エミレーツの最北にある半島の先端は、オマーンの飛び領地です。ここが、実は、イランとの密貿易の中心地になっています。朝、イラン側から子ヤギが船一杯運び込まれてきて、夕方、今度は電気製品を船一杯積み込んで戻っていきます。イラン制裁を強調するエミレーツにとっては、オマーンは、同じくイランと通商、交易を続けるカタールとともに、〈アラブの裏切者〉ということになります。
イランとの軍事紛争、戦争を射程に入れながら、エミレーツは別に独自の港を作り非常時に備えているのが見て取れました。
海岸から、海の彼方にいくつものタンカーがコンボイを組みながら、ゆっくりゆっくりホルムス海峡に向けて進んでいく姿を毎日見ていました。
その直後、米帝トランプによるイランのトップ軍事司令官虐殺のニュースが入ってきました。私たちがこれまで見聞してきた中東、アラブ、そしてイランの町々と人びとが目に浮かび、トランプの戦争宣言とテロ襲撃の引き起こす波紋を、現在思い浮かべています。
もう一年以上も見なくなっていたTVの定時ニュースを再び見始めることになりますが、新聞も含めメディアから伝えられるドイツ政府-EUの基調は、イラン、イラク、そして中東が、〈エスカレーションをためらうように〉という呼びかけで、アメリカに対する批判がまったくないことです。トランプのテロ襲撃、国際法違反を不問にした政治論議は、新たな軍事紛争と戦争拡大への無能を示すことになっています。
その一方で、イランに広がる追悼儀式と報復への叫びを、あたかも〈これがイスラムの真の姿だ〉とばかりに、これでもか、これでもかと反イスラム、イスラム憎悪を扇動していきます。
民主主義を語るこの西側諸国の戦争回避論にある根本的な問題は、「善・悪」二元論に絡めとられていることです。民主主義が善で、イスラムは悪、だから〈善〉を実現するために〈悪〉を制裁、制覇するという考え方は、ブッシュの「悪の枢軸」論に典型的に示されているでしょう。
9.11ニューヨーク・テロの際に犠牲者を追悼して、確か学校でも黙祷が行われました。アメリカ市民がテロの意味を考え、そしてその衝撃に耐え、そこから立ち上がろうとしている市民の姿がTVの映像で紹介されていました。しかし、そのそばで黙祷をしたくないという一人の少女へのインタヴューが行われていました。彼女は、パレスチナ出身です。
〈私たちの国では、何百、何千人もの人たちが、毎日、アメリカ軍の支援の下で命を落としている。だから、黙祷はしたくない〉
以上、私の記憶によるもので、正確な引用ではないことをお断りしておきます。しかし、内容的には大きな間違いはないように思います。
決して9.11テロに賛同するものではありません。また、アメリカ市民の犠牲者の痛みを無視するものでもありません。この日テロを受けた市民の苦しみは共有できます。
それ故に、どうするのかというのが9.11テロ以降の私の問題意識でした。この少女も、〈報復〉を願っていないことは、明らかです。しかし、自分たちが受けるテロへの怒りと憎しみが、彼女を捉えているのでしょう。親しい友達と親族、知人を亡くした経験があるのかもしれません。
彼女はパレスチナ出身のアメリカ市民です。その同じアメリカ市民がテロで命を失くしています。アメリカ社会の中に「善・悪」が共存している現状がここに認められます。
ブッシュは、アルカイダとイラン―イラクに悪の枢軸の根絶を求め、軍事攻撃と戦争を仕掛けました。それは返す刀で国内のムスリム市民への憎悪と排除、時として生命の剥奪さえをも意味します。国家の国際関係と同時に国内の市民・社会関係も、こうして2つに分裂しました。この分裂したアメリカを縫合する役割を負わされたのがオバマだったといえるでしょうか。オバマの評価は、この点でなされるべきでしょう。
この時、ビン・ラーデンの虐殺と今回のイラン軍事司令官の虐殺の間にどんな違いがあるのだろうか。そんなことを考えてしまいますが、ここでは問題提起だけにしておきます。
イラン、パレスチナに目を向ければ、そこにはまた宗教も含めた別の論理、思考が働いているのが認識されます。これが世界の多様性ということであれば、同じく対立の要因にもなります。一つの宗教、一つの世界観で他の宗教、世界を断罪し、排除しようとすることが不可能なことは明らかになるはずです。それをすれば、戦争になることは必然です。
では、それへの対抗軸は何か?
これまで西側諸国で語られてきた「民主主義」概念への価値判断を、根から転換することだろうと考えています。民主主義を「善・悪」論によるのではなく、「善と悪」が共存・併存するところに民主主義が始まるという捉え方です。そう考えたとき、私は気軽になれ、肩の荷が下りました。それをまた、アラブ諸国、イラン、中東で気づかされました。
極めて簡単な事実です。一人の人間として、私の中に、はたして〈善〉だけが自覚され、〈悪〉は存在しないといえる人がいるとすれば、それはトランプ以外にはないでしょう。普通、その善と悪が自己内部で対立するがゆえに悩むのでしょう。そこから自省と自重が一人ひとりを規制することによって、他者への尊敬のある関係性が成り立つのだろうと思います。そこで、真摯な議論が成り立つはずです。実に、ここに、民主主義が存在するというのが、現在の出口のない国際関係を見るときの私の視点です。
同じことはまた国家関係についてもいえるはずです。
ドイツ―EUの「民主主義」観が、トランプから一歩も抜き出ていないことが、今回、まざまざと見せつけました。その兆候は既に「アラブの春」、そして対IS戦で明らかになっていましたが、今回はそれを決定的にしたように思われます。
トランプは己のテロ襲撃、虐殺行為によって一つの重要な質問に答えなければならないでしょう。
今回のテロ襲撃が、イランのテロ主義に対するアメリカ・民主主義の防衛行動だというのであれば、イランで、そしてイラクで闘われてきた民主化運動は、それによって窒息させられてしまいました。トランプのいう民主主義とは何か?
それに対するわれわれの民主主義とは?
本論から長々と脱線してしまいましたが、このエミレーツ行きのライプツィヒ空港での出来事が、「どの時代に生活しているのか!?」と、思わず考えさせられる羽目になりました。怒りも含めて。
これまで使った空港は、交通の便からどうしても西ドイツ側になりました。今回は、ライプツィヒからのフライトが安上がりになったことから、初めて東ドイツ側の空港を利用しました。
反面、ドイツ統一30年後にどうなっているのか、との興味もありました。私たちの偏見かもしれませんが、空港施設の構造には大きな変化は見られず、古い建物の上に新しく張りぼてをしているような感じで、建物内部のどこかすさんだ雰囲気は、「DDR時代と同じではないか」と、分裂ドイツ時代に国境を越えてライプツィヒを経験している連れ合いは言います。
手荷物安全検査の際に、40歳代の女性係官が英語で話しかけてきますが、それを無視して私はドイツ語で強気に対応していました。それに気づいた彼女も途中でようやくのことドイツ語に切り替えたものです。
外国人とみればすぐに英語で話しかけてくるこうしたケースは、ベルリンの展示場でも経験しており、東ドイツで頻繁に出会います。
連れ合いと怒り半分、嘲笑半分でこうした経緯を振り返りながら、もし次回に同じ場面に接したときの対応を2人で思案してみました。
連れ合いの案―「あんたは、今までドイツ語を話す外国人と話したことがないのか!」
私の案―「あんたの英語は理解できないから、ドイツ語で話してくれ!」
その後、パス・コントロールです。パス(ポート)を手渡して、係官が顔の識別をするまではいつもの通りです。が、そこから奇妙な対応が始まります。
30歳前後と思える若い女性係官が、私の顔とパスを見比べながら、シゲシゲと無言で、何回も目線をパスと私の顔に移動させてきます。
私はすぐに意味がわかりました。不安がらせ、怯えあがらせ、私の対応を観察しているのです。秘密警察、取り調べの常とう手段です。それがわかっていますから、私は目線を、何事もないように冷静に彼女の顔に向けていました。今度は、彼女が何か言わなければなりません。
「失くしたパスは、戻ってきたか?」。これは事実です。私は数年前に、フランクフルトでパスと現金を盗まれ、現在所持するパスは、新しく発行されたもので、これまでいろいろな空港で使い、ドイツ出入国していますが、この件に関して一度として問われたことはありません。
そこで、私が「それが新しいパスだ」とだけ言い返し、パス・コントロールを通り抜けました。とにかく、不愉快でした。
むしろ、これまでは逆の経験をしています。
初めてドイツ旅券で出国したとき、パス・コントロールで私が係官に、「ドイツのパスで初めて旅行をするよ」と言ったら、まだ手垢のついていない真っ新の私のパスを手に取って、両手でパスを揉み始めました。パスに年季を入れてくれたことになります。「ちょっと待ってよ」という私に、係官は笑顔で「良い旅行を」と言ってくれました。クリスマス、新年ともなれば、係官と祝日・祭日の挨拶を交わしています。
この時は、私だけではなかったです。別の窓口で連れ合いも同じ質問を受けています。しかし、彼女はパスを盗まれた経験はありませんから、私に関する質問を彼女も受けたことになります。
ライプツィヒでの事態は、それ故にその意味を考えさせられることになりました。外国人への対応に特別なものがあります。それは、人の外観で物事を判断してくることです。外国人とみれば、すでに何か別の存在、あるいは疑わしいという偏見と予断です。加えてドイツ人の同行者にも猜疑がかけられてきます。
他の旅行者も同じ対応をさせられているのかと思い、パス・コントロールの傍で搭乗を待つような素振りをして何気なく様子を観察していましたが、誰一人として質問を受けた人はいなかったです。
直後に顔を見合わせた私たちは、「なんだ、これは!」と、偶然に同じ言葉を吐いたほどです。次に出てきた言葉が、「シュタージー」と「ナチ」でした。「ここも、まだ過去に取りつかれている」と、連れ合いがいいます。
現在のAfd勢力のこの地域での伸長を鑑みれば、この2人も、もしや……と、余計なことを考えてしまうのですが。
「お前の思い過ごしだよ」「東ドイツへの予断だよ」と言われかねないです。それはそれで一つの判断で、私がここでことを荒立てて反論する意思は毛頭ありません。
上記の事実は、単に私たち個人の経験を書き連ねたものにすぎません。その意味で経験、体験の記録というものは、一つの足掛かりにしかすぎないでしょう。しかし、問題は、その中に何が見抜けられるのかということでしょう。それによって、物事の本質的な判断できるのではないかと考えています。また、そこに豊富な、そして多彩な議論の泉(オアシス)が発見できるように思われます。
戦争、政治弾圧、虐殺、差別、脅迫、抑圧の歴史を実際に体験してきた人たちから語られる言葉の背後に感じられるのは、人は事実関係の中に「匂いを嗅ぐことができる」ということです。
一例をあげます。外国人への対応で、差別・偏見への「匂いを嗅ぐ」ことによって、相手の対応を判断していくのです。これが、パス・コントロールで、私の言いたかったことです。「シュタージー」と「ナチ」の匂いがしたものです。
次回、続いてこの問題にふれてみます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9359:200116〕
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