弁護士らを一斉摘発 ―くり返される「大一統」の呪縛
- 2020年 1月 22日
- 評論・紹介・意見
- 中国阿部治平
――八ヶ岳山麓から(303)――
中国各地で昨年12月下旬以降、人権派弁護士や活動家ら10人以上が公安当局に摘発されていたことがわかった。去る6日の『信濃毎日新聞』に載った共同電によると、拘束者の大半は同月開かれた国政を議論する集会に参加していた人たちで、拘束された弁護士らは12月13日に福建省アモイ(厦門)で開かれた集会に参加し、国内外の政治情勢について議論したのだという。中国当局はその集会を政権の転覆をはかる行為とみなし、同26日ごろから摘発に乗り出し、北京や福建、山東、浙江各省などで少なくとも13人を拘束した。
習近平政権は実に神経質に言論弾圧をおこなっている。
改革開放以後の胡耀邦・趙紫陽政権はもちろん、江沢民・胡錦涛政権と比較してもその程度は目立っている。国民党の蒋介石専制時代には茶館などに「国事を論ずる勿れ」という張り紙があったというが、習近平政権下の中国はそれとよく似た状況にある。
もちろん、上記の集会では香港民主化運動を議論したのだろうが、「全てを領導する」という習近平の方針には抵触するとしても、それを議論するくらいで一党支配の体制が揺らぐわけではない。
にもかかわらずこのたびの言論人逮捕は、2015年の人権派弁護士らの弾圧に次ぐ大量逮捕である。もちろん弾圧の直接の目的は、香港での抗議デモが本土に波及することを警戒したものだ。
なぜこうも神経質なのか。
中国史上ですぐ思いつくのは、明朝(1368~1644)の第三代皇帝永楽帝(在位1402~24)である。明朝の創始者は朱元璋すなわち洪武帝である。2代目として即位したのは早世した洪武帝の長男の子すなわち孫の建文帝である。このとき北平(北京)を守っていたのは洪武帝の4男燕王であったが、洪武帝の死後建文帝が燕王のとりつぶしを謀ったものだから、燕王が反撃して建文帝を亡き者にし、代わって皇帝になった。「靖難の役」である。
ところが漢民族国家には「大一統」の伝統がある。「大一統」は、天命を受けて国家の正統な統一支配を継承することを意味する。だから皇位に昇った燕王すなわち永楽帝は、儒教的秩序からすれば「皇位簒奪者」であった。
正統性の危ない王朝がやることは、政敵追放と正統性の神話づくり、業績をあげつらうことである。「簒奪者」の汚名弱点をそそぐために、彼は異様な執念を燃やした。建文帝の治政が存在しなかったことにし、苛烈な異論弾圧をつづけるとともに、モンゴル元朝の都であった北平に大宮殿を構築して南京から遷都し、宦官を起用したスパイ機関「東廠」による統制体制を敷いた。
その一方で、華夷秩序の頂点に立つべく冊封体制の構築に努力した。北元(モンゴル)や安南(ベトナム)への遠征をやり、鄭和の大航海によって南海諸国に朝貢を強制した。これもまた洪武帝の正統の後継者が自分であることを示すためだった。李氏朝鮮がすすんで明朝の冊封を受けいれ、日本からは足利義満が朝貢したのは幸いというべきであった。
清朝(1644~1912)も負けてはいなかった。
清朝は満州民族が建てた国家である。中国本土を征服したものの、漢民族の「中華思想」「大一統」の理念からすれば、清朝は「夷狄」の建てた国家である。「夷狄」のままでは漢民族を精神的に屈服させ、抵抗を抑えることはできない。
この難問を解決するために、清朝の歴代皇帝は、みずからが「中華思想」の体現者であり、儒学の伝統の継承者であり、よって正統な支配者であるとした。思想上の大冒険である。
そのため、漢民族知識人を動員して『古今図書集成』、『四庫全書』などを編纂させ、これを懐柔した。一方で、薙髪令(ちはつれい)を発して満洲民族の髪形である「辮髪」を強制し、「文字の獄」「禁書」をおこなって、満洲をはじめモンゴルなどの北方民族に対する漢民族の蔑視・誹謗を厳しく処罰した。この立役者として思い浮かぶのは雍正帝である。
胡錦涛政権の末期に、ライバルである重慶党書記薄熙来が摘発された。次いで中共中央政治局常務委員でエネルギー資源を支配し治安機関も抑えていた周永康が摘発され、上海閥の軍のトップ徐才厚や郭伯雄、共青団上がりの令計劃などがやり玉に挙がった。いずれも習近平総書記の権威を貶める恐れがあったからである。さらに省や部(日本の中央省庁)幹部200人余を捕まえた。2016年末までにこのキャンペーンの中で摘発された人数は100万人を優に超えた。
習近平にだって、胡耀邦や趙紫陽のように民主主義を展望する道はあった。だが敢えてそれを選択しなかった。彼がやったのは、「政治腐敗」反対を口実にした政敵の粛清と業績づくり、中華民族主義の宣揚、あきれるほどの権力の集中である。
2013年3月第12期全人代第1回会議の閉会式において、習近平は国家主席就任演説で、「中華民族の偉大なる復興」「中国の夢」を語った。さらに国内の過剰生産の解決策として「一帯一路」構想を打ち出し、南シナ海・東シナ海の領有を宣言し、南シナ海には軍事施設を構築した。これを国際司法裁判所が不法としたのを「紙くず」と一蹴した。
2017年10月の中共第9回大会では、「党政軍民学、東西南北中、党が全てを領導する」と中共の統制強化を強調し、また党規約に毛沢東思想、鄧小平理論に並べて、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」を加えさせた。
2018年3月の全人代は、憲法を改定して国家主席と副主席の任期を2期10年とする制限を撤廃し、終身制への道を開き、さらに治安・ネット・経済改革・法治・などの分野に指導グループを設け、自分がそのすべての主任を兼務した。
70年間も一党独裁がつづく国家。軍事費を上回る治安関係予算をもって国民を抑えつける国家。このような国家は20世紀のソ連を除けば、中国・北朝鮮くらいのものである。
中国における中共の天下は、「一人一票」の普通選挙などで中国国民から信託されたものではない。国共内戦に勝利して国民党からもぎ取ったものである。
中共はこれまで、1945年まで続いた抗日戦争の唯一の担い手だったことを自身の正統性の根拠にしてきた。ところが最近、中国内でも国民党が抗日戦争の主役だったことが少しずつ明らかにされるようになり、中共による国家支配の正統性の是非が論じられるようになった。中共はこれを歴史ニヒリズムとして弾圧しているが、明清両朝に通じる支配の正統性の弱みがあからさまになりつつあるのである。
思えばわが高校教師時代、生徒たちは中国史を「同じことの繰り返し」といって、私にアメリカ南北戦争時の軍歌「リパブリック讃歌(オタマジャクシはカエルの子)」のメロディで王朝交代史の暗唱をしてみせた。それは「殷・周・秦・漢・三国・晋/南北朝・隋・唐・五代/宋・元・明・清・中華民国/中華人民共和国」というものであった。
漢民族国家の統治システムである『大一統』が、王朝交代を経ながらも繰り返されたことについての有力な学説は、すでに1979年に金観涛・劉青峰夫妻によって提起された(この簡約版日本語訳は『中国社会の超安定システム』研文出版1987)。ジャーナリストの山本英也氏はこれを「『ミニチュア国家』というべき家父長制が、社会の基本単位である家族、あるいはもう少し広げて、村落内の男系血族で構成される習俗単位で維持されていたためである」と要約している(『習近平と永楽帝』新潮新書 2017)。もちろん家父長制が直接に「繰り返し」に結び付くものではないが。
いま習近平は、毛沢東の正統な後継者としてその権威と専制支配を受け継ぐべく、悪戦苦闘中である。それを実現するもっとも確実な手は、彼のいう「中国の夢」を実現すること、すなわち台湾の武力制圧である。だがいまのところどんなに軍備を拡張しても先は見えない。
その焦燥感が思想取締りに現れているのである。
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〔opinion9373:200122〕
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