美しい言葉で飾られた共産党大会だったが
- 2020年 1月 29日
- 評論・紹介・意見
- 共産党阿部治平
――八ヶ岳山麓から(304)――
1月15日から18日まで日本共産党の28回大会があった。
この間「しんぶん赤旗」は、「大志と決意」とか「笑いと感動」といった言葉でいっぱいだった。だが今大会は、現行の「2004年綱領」の中国・ベトナム・キューバを「社会主義をめざす新しい探求が開始された国」と規定した部分を削除し、それに関連する文言を訂正するという、なかなか硬い課題が中心であった。
すでに昨年11月に志位委員長から綱領改定案が示されたとき、私は、遅すぎたけれども共産党が中国に対する認識を改めたのは大いに結構としたが、このたび赤旗の大会記事を見ると、あらためて注文したいことが出てきた。
私は、自民党のリベラル・立憲民主党およびそこから左ならどの政党でも支持するといういいかげんな人間だが、わが村には反自民党政党は共産党しかないからこの党を応援している。そういう立場で、以下気になるところから順不同で申し上げる。
志位氏の報告によると、全党討論の中で、中国について「社会主義をめざす国」とみなす根拠がなくなったというのであれば、いったいどういう経済体制とみているのかという質問が出たそうだ。もっともな質問である。
志位氏、答えて曰く、
「どんな経済体制をとるかは、その国の自主的権利に属する問題であり、基本的に内政問題だということを指摘しなければなりません。個々の研究者・個人がその見解を述べることはもちろん自由ですが、政党として特定の判断を表明すれば、内政問題への干渉になりうる問題となります。……日本共産党として、内部的には研究を行っていますが、現時点で、経済体制についての判断・評価を公にするという態度はとりません」
まず、研究者や個人が何を言っても自由だが、政党が公にいえば内政干渉になりうるというのはどういう理屈なのかわからない。
志位氏のいう「個々の研究者・個人」が党員をさすとき、あの人は「中国は封建制に逆戻りした国家だ」といい、この人は「資本主義経済体制だ」といっても、それでよいということになる。これは日本共産党がかたくなに守っている民主集中制とは矛盾するのではないか。
それに共産党も、現に他国の経済体制をうんぬんしている。トランプ米大統領の世界戦略などの分析を通してアメリカの経済体制などを論じ、「アメリカ以外の独占資本主義国には侵略性はないのか」などというときには、米欧日諸国の経済体制について「特定の判断」を示しているではないか。志位氏だってこれを内政干渉とは言わないだろう。
では共産党が中国について、かりに「世界最大の専制国家」と判断したら、なぜ内政干渉を問われるのか。中国は特別扱いなのか?
共産党の最高権威者不破哲三氏は2009年4月訪中したとき、彼は、「中共指導部はレーニンのいう経済の『かん制高地(「かん」は目へんに敢・軍事的に有利な高地のいみ。具体的には土地・銀行・エネルギー・通信・交通など重要分野)』を握っている。今後ともそれらを握って放さず、機敏に対応していってほしい」といっている(『激動の世界はどこに向かうか』新日本出版社2009)。
不破氏は意識していないが、客観的には当時(今も)中国で行われた市場化・国有資本民営化論争の一方の側の国有資本維持論に肩入れをしている。これなど志位流内政干渉論からすれば、干渉そのものである。
中国は経済の成長とともに帝国主義的膨張を遂げたが、これは政治経済体制に由来する問題である。志位氏はこれを中国指導部が傲慢になって生まれた過ちだというが、傲慢なるものがなぜ生れたのか、やはりここは経済体制が議論されるところだろう。
私の考えでは、たとえば「一帯一路」構想は、国内市場が貧弱のため生産設備が相対的に過剰にいたった問題を解消するためである。また今回米中貿易交渉がなぜとりあえずの妥結を見たか、それは中国の経済体制が輸出依存型であり、貿易交渉が長期化すればますます不利になるから中国が譲歩したものである。経済体制がわからなければ外交も軍事もそれなりの説明はできないことがわかる。
そこで、志位氏の「内部的には研究を行っていますが、現時点で、経済体制についての判断・評価を公にするという態度はとりません」という発言は、まるでかつてのソ連のノーメンクラトゥーラや現在中国の「精英」など、知識・情報を独占して民衆を支配するエリート層の思想に通じる発言である。中国の政治経済体制と外交・軍事などの関係を党中央が明らかにしなかったら、末端共産党員は自党の対中国政策の由来するところを我々に説明できないだろう。
ここからは私の憶測だが、こういう理屈をいうのは、「社会主義をめざす新しい探求が開始された国」という定義を取り下げたものの、いまもって党中央に統一した対中国認識が形成されていないからだと思う。
そもそも2004年綱領で中国などを「社会主義をめざす国」という定義をしたのが間違いである。すでに1992年から中国の経済政策は、マルクス経済学者ではなく、新自由主義の流れをくむ新制度経済学者の提言によっていた。ソ連の崩壊とともに中国でも過去の計画経済が停滞と後退を招いたことから、マルクス経済学は誰の目にも無力とみられていた中国が社会主義に進むはずがないのである。
それに98年からは、赤旗中国特派員が北京に滞在していたのだから、中国経済の実情、特権階層の横暴と腐敗、民衆の無権利状態を伝えていたはずである(それにしては、去年10月まで赤旗には中国の記事が少なかった)。
2004年綱領の誤った定義が生まれた直接の原因は、当時トップの不破氏などが、中国における民主主義実現の課題を無視していたこと、日中両党の関係改善のとき、江沢民領導部が天安門事件の血の弾圧者であったことを忘れて、マルクス・レーニン主義者だと錯覚したことによるものだと思う。そのため中国領導部に遠慮して、「社会主義をめざす国」などというどっちつかずの妥協的な定義が生まれたのである。
今回の綱領改定に際しては、2004年の綱領が間違いだったといえばそれなりに筋が通るが、不破氏をはじめ当時の責任者を批判することは、党内事情からできないものだから、詭弁を重ねた志位報告になったのであろう。(つづく)
綱領問題から外れるが、共産党にひとこと言っておきたいことがある。
党大会の10日前、日産前会長ゴーン被告逃亡に関する1月6日記者会見での志位発言は、以下のようなものであった(赤旗1月7日)。
(志位委員長は)「あれだけの重大犯罪の容疑者に対して、一定の保釈金を払えば保釈するという甘い対応をした結果だということだと思います。こうしたことが、あいまいなまま許されたら、日本はもう、法治国家の体をなさなくなる大問題です」と強調。「検察の責任、法務省の責任、そして政府の責任は極めて重いと考えています。裁判所の判断の問題も問われてくるでしょう……」と語りました。
この記事を読んで、あまりのひどさにあちこちに不満をいったら、さるひとがすでに9日に訂正記事が出たと教えてくれた。それは以下の通り。
……志位氏から「ゴーン被告の保釈自体を批判したかのような発言をおこなったという記事となっていますが、発言は政府の対応の問題点を述べたものであり、保釈そのものを批判する発言は行っていません。ただ、人質司法と批判されている現在の司法制度の改善を求める党の立場を明確に述べておらず、誤解を受ける曖昧さを残しています。したがって、発言のこの部分を撤回します」との表明がありました(赤旗1月9日)。
「綸言汗のごとし」という。7日付記事の内容は、明らかに「(人質司法に基づいて)保釈はすべきではなかった」というものだ。だが、9日訂正記事では、志位氏は「保釈自体を批判しなかった」のに、(記者がそう書いたので)7日付記事のような内容になったと弁解している。記事を書いたものに責任を押し付けるのは、安倍内閣が失政・スキャンダルを官僚のせいにするのと同じだ。
赤旗にも編集長がおり、校閲部があり、共産党にも法規対策者がいるはずじゃないか。小さな記事で訂正しても共産党全体の法律・司法に対する考えがかくのごときものであるという印象はまぬがれない。やはり志位氏は、党大会で謝罪と自己批判をすべきではなかったか。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion9401:200129〕
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