「菅民主党か、谷垣自民党か」なのか?
- 2011年 5月 30日
- 時代をみる
- 安東次郎
金子勝氏のツイッターを見ると、金子氏は菅内閣に対する「不信任」に反対であるようだ。http://chikyuza.net/archives/10161
金子氏は「投票にも行けない被災者無視の不信任・総選挙で一体何をしたいのか?・・・自らの過去を暴かれないため、自民、東電、経産省の旧体制のど真ん中を生き残らせるため?」と言われるのだ。
しかし、まず「総選挙で一体何をしたいのか?」とは、「不信任案」提出者ではなく、菅政権――「非常時だから退陣などはあり得ない」と言っていたのに、いまや「不信任なら解散」という――に向けていうべき台詞だ。
後半の(自民党が内閣不信任案」を提出するのは)「旧体制のど真ん中を生き残らせるため」だという点は、たしかにその通り。
しかし自民党の思惑とは関係なく、菅内閣を「終わらせたい」と思っている人たちは少なくない。その人たちは、「旧体制を生き残らせる」ことなど望んではいない。ただ菅内閣の行状がどうにも許せないだけだ。
原発事故の対応を見ても、菅内閣がやったことは、まずは「情報の隠蔽」であり、つぎに食品・水の「汚染基準の緩和」、そして最後には学童の「被曝基準を緩める」ということだった。
『スピーディ』の情報は「官邸」に独占され、高濃度の放射性物質で汚染されている「現地」には何の情報も与えられなかった。「風評被害」なる言葉とともに通常の「国際基準」をはるかに超えた野菜などの摂取が『奨励』された――『地産地消』の名のもと、「給食」にそうした野菜が使われさえした。学童の被曝基準は「20ミリシーベルト」とされたから、子供たちの被曝は――子供たちだけではないが――明らかに癌の発生を想定しなければならない水準に達している。(食品の摂取などによる被曝をも考慮すれば、リスクはさらに高い。)
もちろん菅内閣がやらなかったこともある。たとえば、政府は汚染水回収の対策を講じることはなかった。爆発した原発に海水を注入した時点で、いずれ水が溢れることはあきらかだったが、無策の末、大量の汚染水が海洋に投棄された。
「真水の確保」は米国から「強く要請」されるまで行わなかった。
情報を隠蔽したり、基準を緩和したりして、人々を被曝させることは、控えめにいっても「犯罪」である。汚染水を海洋に投棄することも、もちろん「犯罪」である。
ふつうの人の感覚からすれば、犯罪を行う者たちが自分たちの政府であるのは堪えられない。「犯罪を止めてもらいたい」だけでなく、「犯罪者には辞めてもらいたい」のだ。
ところが、金子氏の感覚は違う。氏の問題の立て方は、けっきょく『民主党か、自民党か』というものになっているようだ。
しかし『民主党か、自民党か』という問題設定は、はたして妥当だろうか?
人びとが感じているのは、いまや「民主党」はあまりに「自民党」に似たものになっている、ということだ。
たとえば、菅・谷垣のどちらも、財務省をはじめとする官僚たちにとってOKの政治家ではないのか?
どちらも『まず増税』、それも『まず消費税増税』の政治家だ。確かに日本の財政にはサスティナビリティがない。しかし「大震災」の直後に『増税』というのは、「経済政策のセオリー」からしてもおかしいだろう。
さらにいえば、菅・谷垣のどちらも、米国にとってOKの政治家ではないのか?
沖縄の声を無視するだけでなく、米国議会から「辺野古移設」への疑問が出されても、なお「辺野古移設に努める」と言う声しか聞こえぬこの国の「民主党・自民党」とは何なのだろうか?
原発問題に戻れば、自民党主流が原発推進派であるのは確かだろうが、しからば菅民主党は?
海江田大臣は、原発事故直後から『原発輸出』を積極的に行う旨発言したし、永年、原発を推進してきた与謝野大臣は、事故が起きても謝罪することを拒否した。こういうのが菅内閣の大臣たちだ。
菅首相自身は、たしかに浜岡原発の停止を指示したものの、他の原発の運転については、事実上何ら問題にしていない。「浜岡」についても津波対策ができたら再開するというのが、方針だ。これでは『菅内閣が脱原発にカジを切っている』(金子氏がそう言っているわけではない―念のため)とは、とても言えない。
少し脱線するが、福島1号機が破壊されたのは、津波到達によってではなく、「地震そのもの」によってであることは、いまや明らかだ。「冷却水の配管が破断した」との推測もなされているhttp://chikyuza.net/archives/10139 。だから、「津波による破壊」を前提にしての『原発の安全対策』なるものはそもそも砂上の楼閣である。
さらに、今回「浜岡」が止められたのは、以前から「浜岡」は特別に危険であるといわれていたからだ。約150年周期で起きてきた「東海地震」の震源地中央に作られた原発なのだから、それは当然だ。しかし福島の事故で明らかになったのは、「浜岡」以外の原発も決して安全ではない、ということだ。それを「浜岡」だけ止めて、他の原発については「知らんフリ」をしている。それは「浜岡」だけを『スケープゴート』にして原発推進を続けるということではないのか?
実際毎日新聞は「G8で日本が「脱原発」に転じたとの見方を払拭(ふっしょく)」と報道しているが、これは根拠のない話か。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110521-00000004-maip-pol
繰り返しになるが、金子氏は(自民党が内閣不信任案を提出するのは)「旧体制のど真ん中を生き残らせるため」という。しかし「菅民主党か、谷垣自民党か」という問題設定こそが「旧体制を生き残らせる」のだ。
そうした設定は、日本の政治を「旧体制派の二大政党」の枠に閉じ込めてしまう。日本の政治をそんな風に閉じ込めてしまうと、「より悪い党の復帰を阻止する」ためには、「情報を隠蔽し、子供たちに被曝をもたらすような政府でも認めるしかない」ということになる。そういう人たちは、いまの世での「人身御供」さえ受け入れているわけだ。
どちらかをひいき目でみるのでなければ、「菅民主党と谷垣自民党」の闘争は「旧体制」内の争いである。しかし似たもの同士が争うときこそが、第三者が『利』を得る機会だろう。
だからむしろ「死者をして死者を葬らしめよ」というべきではないか。そう思わないものは、きっと『死者』の仲間なのだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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