安倍晋三の「政治判断」とは、「無責任な素人判断」ということである。
- 2020年 3月 4日
- 評論・紹介・意見
- 安倍政権澤藤統一郎
昨日(3月2日)の参院予算委員会審議。福山哲郎委員の質問に答えて、安倍晋三は、こう言っている。
「学校への臨時休業の要請については直接専門家の意見を伺ったものではありませんが、現在の国内における感染拡大の状況についての専門家の知見によれば、これから1、2週間が急速な拡大に進むか終息できるかの瀬戸際となるとの見解が既に示されており、大人のみならず子供たちへの感染事例も各地で発生し、判断に時間を掛けるいとまがない中において、私の責任において判断をさせていただいた、こういうことでございます。」
要約すれば、「学校への臨時休業の要請については直接専門家の意見を伺ったものではありません。私の責任において判断をさせていただいた」というのだ。これを、彼自身は「政治判断」というが、何のことはない「素人判断」に過ぎないということだ。それも、杜撰極まる無責任なチグハグ判断。
この文脈での「私の責任において判断をさせていただいた」は、極めて傲慢な響きをもつ。この判断に至った具体的な根拠も理由も語られていないからだ。次のような思い上がりが透けて見える。
「専門家は、これから1、2週間が瀬戸際というだけで、具体策には言及していない。あとは、すべて私の政治判断。果たして、全国一斉休校が必要であるのか、どの程度有効な対策であるのか、他にもっと有効な策はないのか。メリットだけでなくデメリットはどの程度のものになるのか。その判断の具体的な根拠も理由も私は語ることができない。全国一斉休校策は、飽くまでど素人である私の感覚的な判断で具体的な裏打ちはなく、理由の説明はできない」
「私の素人判断は、確かに具体的な根拠なく、国民の多くに迷惑をかけるものだ。それでも、最後は良い結果に行き着くものとして受け入れていただきたい。仮に、私の判断が裏目に出たとしても、ほかならぬ私が責任をもつと言っているのだから」
昔、学生時代にこんなことがあった。当時、大学生協運営のトップは学生だった。生協労働者との団体交渉の当事者ともなっていた。私自身は、そのような立場に立ったことはないが、労使双方から団交の成り行きなどのビラを受け取っていた。
何の問題についてであったかは記憶にないが、大学生協トップの学生が、労組の代表者に、「その件については、私が責任をもつ」と発言したのだ。これに、労組側が反発した。「この問題に、あなたが責任を取りようがないではないか。あなたが責任を引き受けることはできない」「軽々に責任をもつなどと言うべきではない」。
まことにそのとおりであって、妙に記憶に生々しい。安倍晋三も同様である。自分に責任のとれぬことを発言すべきではない。安倍晋三が引責辞任したところで、あるいは安倍が全財産を抛ったとしても、この混乱の責任を取りようがないではないか。
それにだ。これまで口先だけは責任を認めると言いながら実際に責任を取ったことはなく、丁寧に説明すると言いながらこれを実行したことのない男の言うことではないか。誰が納得できようか。
(2020年3月3日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.3.3より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14403
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://chikyuza.net/
〔opinion9504:200304〕
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