「3・11原発事故で日本は致命傷を負った」
- 2020年 3月 11日
- 評論・紹介・意見
- 3・11原発小倉史郎東日本大震災
2011年3月11日に東京電力福島第一原発が事故を起こしてから、今月の11日で丸9年になる。しかし、同事故は未だに終息していない。しかも、いつ終息するかの見通しも立っていない。環境に撒き散らされた放射性物質によって、人々の「被ばく」という被害は時間の経過に伴い、今も増え続けているからだ。
国際放射線防護委員会(ICRP)も被ばくによる被害はどんなに低レベルの放射線による被ばくでも被ばく量に比例する被害があることを認めている。すなわち、「被ばく」には「これ以下なら安全」という数値はない。
福島県ではその面積の約7割が森林山岳地帯であり、その地域は除染の対象外になっている。したがって、居住地域を除染しても風雨によって森林山岳地帯に残る放射性物質が居住地域に拡散して来る。
強制的避難地域が除染によって、1年間の被ばく量が「20mSv」未満になったから帰還してよいと政府が決定しても、浜通り地方では戻ってきたのは元の住民の1割前後であり、かつ、そのほとんどが高齢者で若い人々はほとんど戻ってこない。これでは、地域の人口は減る一方である。高齢者が寿命で亡くなるのに、この地域で赤ん坊を産む人々が減るのだから、他の地域に比べて人口が加速度的に減ることになる。すなわち、この地域の人口はゆっくりとゼロに近づくだろう。
この原発事故によって、日本は福島県に限らず、放射能汚染によって広大な肥沃の土地を失ったと言えるだろう。放射能汚染の程度に濃淡があるが、その濃淡は連続的に変化するから、その失われた土地の範囲を一本の境界線によって示すことは不可能だ。
原発の内部では、汚染区域から放射性物質が区域外に広がらないように、その境界に設けたチェックポイントで、作業員が外に出る際は、汚染区域内で使った作業衣、マスク、手袋、靴など身に着けていた衣服・装備を全て区域外用のものと取り替えている。
しかし、福島県をはじめとして、周辺の県の汚染区域でそのような放射能汚染拡大を防ぐ対策はまったく行われていない。要するに、汚染濃度の高い区域から汚染濃度の低い地域の間で着替えもせずに行き来しているか、汚染濃度の高い地域から汚染濃度の低い地域への放射性物質の拡散が進んでいる。自動車も電車も福島県と県外とをなんのチェックもせずに出入りしている。人の衣服やタイヤに付着して放射性物質がどんどん福島県外に拡散してゆくだろう。自動車のエンジンの吸気フィルターには放射性物質が大量に溜まったまま、最後は廃棄物としてそのまま捨てられるのだろう。さらに、放射能で汚染された廃棄物や土壌を再利用して、放射能汚染物の保管量を減らそうとしているが、これも放射能汚染範囲を広げる結果になるだろう。放射能汚染物に対してこんな扱い方をしていれば、いずれ、日本中が低レベル放射能汚染地域になってしまうだろう。
その結果、先祖代々引き継いできた故郷のきれいな生活環境は今後どう変わってしまうだろうか? たしかにそれは「ただちに目に見える」形で現れてはこないだろう。しかし、数十年、数百年、あるいは数千年というタイムスパンで展望すれば、日本の国土がゆっくりと人が安心して暮らせなくなる方向へ向かわざるをえない。
汚染した地域に残るお墓にお参りする人がいなくなる。神社やお寺を中心にしたお祭りや芸能など伝統文化は継承する人がいなくなり、伝統文化はやがて廃れてしまうだろう。
もっと恐るべきことは、日本中に広がった低レベル放射能汚染環境の中で、若い男女が結婚して妊娠した場合、昔なら「おめでた」として親類縁者から祝ってもらえたが、今後は両親の「内部被ばく」による影響で先天的障碍を持った赤ん坊が生まれはしないかという「心配の種」になってしまうことだ。その心配から出産前の胎児に対する精密診断の要望が増え、出産前の胎児という命の選別につながるかもしれない。
現にベトナムでは、ベトナム戦争末期に米軍が散布した枯葉剤による先天的障害児が多数生まれて、出産前の胎児の検査が行われ、障碍の程度によって出産するか否かを選択する場合も出ている。日本は枯葉剤の代わりに放射能汚染によって同様の運命を背負ってしまった。
3・11福島原発事故は日本がいずれそのような恐ろしい状況になる可能性をつくり出してしまった。しかも、その可能性をなくす手段を、私たちは持っていない。どんなにお金や時間をかけても原発事故が起きる前のきれいな国土に戻ることはないのだ。なにしろ、半減期が千年とか万年というオーダーの放射性物質が環境に撒き散らされてしまったのだから。3・11原発事故を「致命傷」と呼んでもあながち的外れではないだろう。どうすれば良いのだろうか? それには、日本に今生きている私たち一人ひとりが「致命傷」を直視し、考えるしかない。その答えは多分一つだけではないだろう。(了)
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〔opinion9527:200311〕
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