忘れられたビキニ被災事件 -福島原発事故報道に欠けている視点-
- 2011年 6月 1日
- 時代をみる
- ビキニ被災事件原発事故報道岩垂 弘
東京電力の福島第一原子力発電所の事故から間もなく3カ月。この間の事故に関するマスメディアの報道を見ていて痛感することの一つは、かつて世界と日本を震撼させた「ビキニ被災事件」に言及した報道がないことである。このビキニ被災事件こそ、地球規模の核による海洋汚染であった。この事実が今回の福島第一原発の事故直後からマスメディアによって報道されていたら、事故による核汚染水が海に放出されて韓国やロシアから抗議されるという世界的失態を演じなくてもすんだろうし、北茨城沖でコウナゴが放射性物質で汚染され、漁獲中止になることもなかったろうに、と思えてならない。
ビキニ被災事件は、いまから57年前の1954年3月1日未明に起きた。当時、ソ連との間で核軍拡競争を繰り広げていた米国が太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った。これは、広島に投下された原爆の1000倍の威力をもつ巨大な水爆実験だった。
この実験により珊瑚礁の岩石が粉々になって天高く舞い上がり、放射能を帯びた白い灰となって周辺の海や島々に落下した。米国が指定した危険区域の外、ビキニ環礁から東北へ160キロの海上で操業中だった静岡県焼津港所属のまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が空から降ってきた白い灰を浴び、急性放射能症になった。その1人、無線長の久保山愛吉さんは半年後の同年9月に死亡。福竜丸の他にも1000隻以上の漁船が被災したとの指摘があるが、その実態は明かでない。さらに、ビキニ環礁周辺の島々の住民も空から降ってきた白い灰を浴び、長期にわたって健康面の傷害で苦しむようになる。
これが、ビキニ被災事件である。
事件は、こうした直接的な被害だけで終わらなかった。漁船から日本の港に水揚げされたマグロは放射能に汚染されているとして廃棄された。その量は457トンにのぼった。刺身にすると250万人分といわれた。魚屋の店頭や寿司屋からマグロが消え、「原爆マグロ」に日本中がパニック状態に陥った。他の魚についても価格が長い間にわたって暴落し、水産業や飲食業に大打撃を与えた。70歳以上の人なら、当時の日本人を襲った衝撃を記憶しているはずだ。
こうした騒ぎの中で、家庭の台所を預かっていた、東京・杉並区の主婦たちが、放射能禍への恐怖心から「原水爆反対」の署名運動を興す。これが瞬く間に全国に広がり、ついに署名が3200万を超し、こうした国民的な盛り上がりを背景に翌55年8月に広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催された。いわば、ビキニ被災事件こそ、世界的規模の反核運動を生むきっかけとなった世界史的出来事であり、核による海洋汚染の恐ろしさを世界に知らしめた大事件だったのだ。
この時、遠洋漁業の前途を心配する世論を背景に、日本政府はビキニ環礁周辺の海域の放射能汚染を調査するための科学調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」(農林省下関水産講習所の練習船)を水爆実験直後の54年5月15日から現地に派遣した。世界最初の核実験による環境影響調査だった。乗船者は科学者、船員、漁業関係者、報道関係者ら総勢72人。
俊鶻丸は魚類その他の生物及び海水、大気、海水の放射能の測定、海流、気象などの観測に従事し、ビキニ環礁を取り巻く海域で魚類試料の採取を行い、7月4日、帰国した。
調査の結果、太平洋の海水の放射能汚染は予想以上に大きかった。魚は大型、小型の別なく放射能に汚染され、筋肉に比べて内臓の汚染がけたちがいに大きく、肝臓、腎臓、脾臓などの順で放射性物質の濃縮がみられた。大型の動物プランクトンのなかには、強い放射能をもつものがあった。
さらに、ビキニ環礁の西方1500キロから2000キロも離れたところでも海水放射能とプランクトン放射能が検出され、放射性物質が太平洋の北赤道海流に乗って西に向かっていることが明らかになった。
俊鶻丸調査顧問団の1人だった三宅泰雄・気象研究所室長(その後、東京教育大教授)が、こう書き残している。
「海洋に廃棄物をすてても、水がたくさんあるから、すぐうすめられてしまう、と人々はかんがえがちだ。しかし、その考えはまちがいである。海洋では、水平の方向にも、密度のちがう異質の水が、たがいにモザイクのようにならんでいる。その境は不連続面でしきられていて、水は交換できない。そのモザイクのなかを、海流がまるで大河の水のようにながれているところもある。海洋では水は、水平の方向にも、かんたんにはまじりあわないのである」(『死の灰と闘う科学者』、岩波新書、1972年刊)
俊鶻丸による調査は、水爆実験による海の放射能汚染、魚類への放射能汚染が地球的規模に及んでいたこと、海水の放射能汚染は希釈されることなく、海流によって広範囲に拡散するはないことを明らかにしたのだった。こうした歴史的経験が電力会社、政府、学会、マスメディアにちゃんと継承されていたら、そして、このことが多くの国民共通の常識となっていたら、今回の福島第一原子力発電所の事故で汚染水が海中に投棄されるなんてことはなかったと思われる。
つまり、日本国民にとって広島・長崎に次ぐ「第3の核被害」ともいうべきビキニ被災事件は国民の間ですっかり忘れ去られていたのである。半世紀前の国民的経験を忘却してしまうなんて日本国民はなんて健忘症なんだろう、と思わずにはいられない。
それにしても、メディアまで健忘症になってしまったら救いようがない。メディアに担わされている役割の一つは、市民が健忘症に陥らないために、現実に起こっている事実とともに過去の歴史的事実をも絶えず市民に伝えてゆくことにあると思うからだ。
ビキニ被災事件についても、当時のメディア、とくに新聞は積極的に報道した。現役の新聞記者諸君には、ぜひ当時の新聞をひもといてもらいたいものだ。
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