コロナウイルス予防への私見
- 2020年 4月 15日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員合澤 清
何に対してもそうではあるが、特に科学技術、とりわけ医学的な世界では専門知識所有者にほとんどを依存する(その方の指示通りに動く)のはごく当たり前のように思われる。特に医療では、一歩間違えば生命に関わりかねないのであるから、ことさら慎重になるのは当然である。
しかし、自分の生命にかかわることであるが故にまた医療関係者(担当医)やその対応の仕方に対して、こちら側も臆病なほど神経質にならざるを得ない。
治療者に対しては全く失礼な話かもしれないが、「この医者の指示は本当に正しいのだろうか」、「他の病院にあたった方がよいのではないのか」、「別の判断、処置の仕方も在りうるのではないのか」、あるいはまた「何日か指示通りにやってみたが、一向に良くなっているようには思えない」との不平・不満・不安が強く働く時がある。
そこには医者と患者との信頼関係が大いに作用しているに違いない。主治医をもつことの大切さが言われる所以であろう。実際にドイツでは、患者とその主治医といった関係が高いことが、今回のコロナでの死亡率が低い大きな要因になっているといわれている。
また、今日のような情報社会では、正しい情報か否かはともかくも、無数にいろんな情報が飛び交っている。
当然ながら、いつ罹患者になるかわからない危険性をもつわれわれとしては、そういう情報にも大いに神経をとがらせざるを得ない。こういう場面では、素人とはいえ、ある種の選択と判断が真剣に問われることになる。
「素人判断では危険だ」。成程ごもっとも。しかし、今までだって専門医の見立ての誤り(誤診)もまま指摘されてきていたのではなかったろうか、しかも今回の場合は「新型」コロナウイルスといわれる新手の難物である。専門家も手を焼いて、その対応に苦慮しているようだ。ワクチン製作に2年半はかかるとも言われる。生命をあずける側としても、その種の報道(知り合いの意見や忠告なども含めて)におのずと神経過敏になると共に、自分の判断・意見なども大いに述べたいという気持ちが働くのはやむをえないことと思う。
「絵筆をもてるからといって、その人が絵描きである」とは勿論いえない。しかしまた、「消化器官に関する確かな知識がなければ食事もできない」わけではない。その食べ物が自分の胃腸の具合、体調にふさわしいかどうか、われわれは日常的には自己判断だけで十分やってきているのではないだろうか。
専門家の知識とわれわれの日常経験から得られる知識とは、完全に隔絶しているのではなく、どこかでつながっているはずである。そうだからこそ、事故で腕を骨折しているのに、風邪薬を処方されると怒るはずだ。
以下の考え方が『素人考えだ』と笑われることを覚悟の上で、今回のコロナ問題に「私見」をあえて述べさせていただこうと思う。
何をしたいのかが見えてこない政府・専門家会議の対応
政府の対応が「後手後手になっている」のではないかと前からいわれている。
こちらは専らラジオと新聞からのニュースではあるが、このところ安倍首相と小池都知事の「声」はいやでも毎日聞かされる。あとは、加藤厚労相とか西村経済再生相や尾身という専門家委員会のトップなどだ。確実に声だけで誰が喋っているかわかるようになった。それほど頻繁だ。
しかし、その内容は毎日判で押したような内容でしかない。「罹患者が今日は何人出ました」「パンデミックが起きています」「医療設備、関連器具、医療物資が不足しています」「このままでは医療崩壊が起きます」「不要不急の外出はしないでください」「三密は避けてください」…云々。この事が間違っているというのではない。
しかしこんなこと、政治家や専門家委員会のトップが報告しなければいけない内容なのだろうか。政治家にはもっと他に自分たちがやるべきこと、やらねばならないことがあるだろうし、そういう方針を提起し、報告してくれなければ国民は困惑するばかりだ。いたずらに「危機感」ばかり煽られて右往左往動揺するのがオチではないか。
無方針、一体何をやろうとしているのだろうか、よくわからない。
だからというわけでもあるまいが、「安倍首相には別の狙いがあって、あえてこんな混乱を作り出しているのではないのか」という「余計な」憶測を呼ぶことになる。
この際、患者の生命を救うことが何よりも急務であり、そのための施設整備、器具、物資の調達、そしてそのための「予防」措置を図り、これ以上の罹患者を出さないようにすること、これらのことを国家の総力、地方自治体の全面協力でやり遂げることが政治のやるべき基本であろう。このことに対しては、特別に「疫学専門知識」が必要というわけではないはずだ。
PCR検査の実施がいまだに不十分なままで、このことが初動の対応に決定的な遅れを出し、そのせいでこういう大騒動を引き起こしているという指摘はこれまでも何十回となく繰り返されてきた。日本が今日までこの検査を施したという回数は、ドイツやイタリア(15件/1000人中)に対して1件/2000人中だという。2月18日から4月7日までで、PCR検査を受けた人はわずかに約9万4300である。
オリンピックが延期になった今頃になって、急に罹患者数が跳ね上がってきていること、このことは明らかにPCR検査の受診件数と関係しているとしか言いようがない。
PCR検査用の器具は手軽に調達可能で、一般の町医者にいつでも協力要請できると言われている。
「もっと重症化しないと検査しません」というまことに奇妙な保健所の受け答え、こういうことを言わせている厚生労働省や安倍内閣の責任は誠に重大である。
また、隔離施設が不足しているため、空きのあるホテルなどに交渉していると小池知事は自慢げに自分の功績を吹聴しているが、「オリンピック村」という17000人収容可能といわれる施設がすでにあるはずだ。なぜ、最優先でこれを使おうとしないのか、不思議である。
PCR検査の実施を極力遅らせたうえでの対症療法、その結果は、当然起きて来ることが予想できる「医療設備、関連器具、医療物資の不足」あるいは「医療従事者の不足」につながる、こんなことは特別の医学的知識が無くても、ましてや遺伝学や免疫学の知識が無くても容易に解り得ることではないだろうか。
韓国では、総選挙を目前にひかえて文大統領の人気が上がっている(およそ55%の支持率)。コロナ蔓延をおさえたということがその要因の一つだと言われている(数週間前のデータだが、罹患者数10284人、死亡者186人)。PCR検査の実施件数は日本よりはるかに多いという。
中国の武漢では、急遽大型の収容設備を作り、患者を重・軽症者に仕分け誌、そこに全国から4万人を超える医療関係者を呼び集め(看護師は、髪の毛をバリカン刈りにして感染予防をしたうえで)治療に当たったため、かなりの程度克服したと言われる。
シカゴ大学教授(統計学)の山口一男氏は、日本は統計的な誤魔化しをやっているのではないか、という。患者数も死亡者数も少なすぎる。一般の肺炎で亡くなる人が年間で11万人を超えている、恐らくそこに隠れているのではないかと指摘している。ここにも先ほど触れた、オリンピック後に初めて検査をし始めるということ(政治屋のエゴ)が影響している。
上昌広(元東大医学部教授)や倉持仁医師らは、当初から検査を早めに実施して、陽性の人をより分け、しかるべき施設に分離して治療すれば、政府がいうような医療器具の不足なども起きないと警告していた。
この初動を(政治的理由から)間違った結果が、日本とアメリカとイギリスであると、東大医学部教授の児玉龍彦がユーチューブで指摘している。今からでもできることがある。そのためには政府関係者や専門家のいない専門家会議のメンバー、特にその責任者は即刻交替させるべきではないか。このことを国民的な運動にしたいと強く要望する次第である。
2020年4月15日 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9651:200415〕
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