ドイツ通信第153号 コロナ流行の中でドイツはどう変わるのか
- 2020年 4月 29日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。すっかりご無沙汰してしまいましたが、私たちは元気にしています。
この二か月間は、息の詰まる思いで過ごしてきました。私たち二人は、「リスク・グループ」(60-70歳代で持病あり)に属していますから、連日、ニュースで報じられるコロナ感染の統計と状況を知らされるにつけ、行動範囲が狭められ、活動的にも精神的にも内堀が狭められてくる感じがしていました。そこで内向化しないようにと、細心の注意を払いながら、外に出て、他人とは接することができませんが、自然と人間社会の中に入り、孤立しないよう意識的につとめてきました。
今から思うと早いもので、既に、一ヶ月半が過ぎていきました。
3月に、全ドイツで「外出制限令」が発布され、社会的コンタクトを最小限にし、人と人の対人距離を1.5m(最低限)-2m(ベター)取るよう呼びかけられ、外出中も、この点が一度として頭から離れたことはありません。その分、他者に対しての関係で、何と表現していいのでしょうか、相手を、そして相手の存在を重んじるというような作風が自ずとできていたように思えます。
今までの「オレが、オレが」のエゴの強いドイツ社会とは一味違った新しい社会を体験することになります。
そんなことも含め、これから書くことは単に私の極めて個人的な体験と感想にすぎませんが、コロナウイルスに襲われたドイツ社会の、特に私が住んでいる町(カッセル)の人たちの一断面を書いてみます。それと同時に、いろいろな問題点も浮かび上がってきているようにも思います。それらが、今後、コロナウイルス後の新しい社会、そして経済を再建するときの重要な論点になってくるようにも思われるのです。
今週の月曜日(4月20日)から「外出制限令」が少し緩和され、床面積800平方メートル以下の店舗が営業を再開してもよいことになり、ドイツは平常化に向けた一歩を踏み始めたことになります。また来週の月曜日(4月27日)からは学校も再開されます。現在、その賛否と適切な対策をめぐって政治議論が活発になってきているところです。
そんな影響ですしょうか、状況は何も変わっていないのですが、やっと一息つけるような気持になって、これを書き始めました。市民の間に風穴があいた感じがするのでしょう。
今ここで、この間の経過を振り返ることは、それがどこに向かうのかという未知数な要素を含みながらも、これから各人の、そして少なくとも私個人の自覚認識と状況判断への道筋をつけてくれる一助になるだろうと考えています。
私は、毎週火曜日にICEで30分行ったところにあるフルダという町で仕事をしています。1月の末になると、ヨーロッパでのコロナ感染が頻繁に報じられてくるようになってきました。ちょうどカーニヴァルを迎える時期に当たっています。カーニヴァルとコロナ感染ですから、それが催行されるのかどうか注目していましたが、伝統的なドイツ国民の文化行事をキャンセルすることはできずなかったのでしょう、例年通り人の密集し密接する姿がTVで報じられていました。
この時点で、ドイツはコロナ感染を他人事のように軽視していた節が伺えます。結果は、ドイツのコロナ感染のホットスポットの一つになります。
他方で、オーストリアからドイツのスキー客が帰路につき始めます。彼(女)らは、何の検査もなくフリーで、公共機関を利用して他の一般客と同席・混同して(密室)移動していきます。これが、ドイツの二つ目のホットスポットになったことは間違いないでしょう。
スキーといえば、私は生涯で一度でいいからヨーロッパのパウダー・スノーの上で滑ってみたいという夢を持っていましたから、ここ数年はその念願がかない、ドイツの大学時代の友人と一緒にオーストリアのインスブルックにクリスマス休みを兼ねて1月に行っていました。今年は、宿泊予約が遅れて行けず仕舞いでしたが、結果的に感染の難を逃れたことになり安堵しています。
火曜日になると、公共機関を使った移動に不安が募ってきました。また、連れ合いも、同時期に体の定期検査で病院に電車を使っていかなければなりません。電車の移動中と病院で、と考えると内心は平静でいられなかったものです。
この、〈いつ、どこで、どうして〉がわからないところに神経をすり減らし、不安のストレスがたまる要因になります。
私たちにできることは、手洗いを欠かさず、マスク代わりにマフラーで鼻と口を覆うことでした。この時点でマスクは手に入らない状況になっていて、薬局で手に入らなければ、建築・鉄鋼関係の店に行けばと考えたのですが、同じことを思いつく人たちはどこにでもいるものです。私が考えた時は、もう遅すぎました。病院、診療所にもマスクが不足していると、連日、ニュースで報じられていました。連れ合いの同僚も、同じような現状を伝えてきます。どうなるのか、どうすればいいのか。
数年、十数年前から現場で働く人たちから伝えられていたドイツ厚生・保健制度の闇の現状に、この時点で光が当てられたことになります。
2月の中旬から末になると、いつも私が使っているICEに空席が見え始めました。このままいけば、今年は4月初旬から始まるイースター休みの2週間前か、遅くとも1週間前からは学校が休校に入るだろうと、友人たちと予想しあっていたところです。イースター休みを前倒しに延長して感染経路を絶つ必要がありました。すでに、精神的かつ時間的な限界は感じられていたように思われます。
ヘッセン州では「3月16日月曜日から教育施設と学校が閉鎖される」という緊急メールが、何の前触れなしに週末に飛び込んできました。この速報で、正直なところ安心したものです。
同時に食料、生活必需品以外の店舗、会社、企業等が営業・操業停止に入り、製造関係以外の仕事は、「Homeoffice」に転換されていきます。
この前後してメディア、市民の間では「首相メルケルはどこにいるのか」と語られ始めます。政府の総合的な対策が伝えられることがなかったからです。それを受けた3月18日水曜日のメルケルの市民向けTV・アピールでした。
概要は、
容易ならぬ事態を迎え、気持ちを据えて事に当たらなければならない。そのために社会的コンタクトを最小限にし、対人距離を1.5m(最低限)―2m(ベター)取ることを義務付け、各人が他者に対して配慮し、特に、感染危険度の最も高い分野、例えば医療、介護、輸送、販売等の分野に携わる人たちに感謝の言葉を伝えることでした。私たちもTVの前に釘付けになり、政府が判断するこの一瞬を待っていました。
アピールの背後にあったメルケルの葛藤は、ドイツが、それはメルケル自身ですが、イタリア、フランスのような「外出禁止令」を出したくないという最後の決断です。市民の憲法で保障された〈自由〉を尊重しながら、他方で、しかし、「外出制限」をしなければならない緊急事態への市民の同意を求めるものでした。
したがってドイツ各市民に、言葉として表現されていませんが、また一言もそうした用語は使用されていませんが、行間をよくよく聞きとれば、〈各自が社会への自己責任が取れなくなったときは、「外出禁止令」を発布せざるをえなくなる〉という意を含んだ表現となっています。少なくとも私はそう理解しています。
そして、ドイツ市民は、真摯にそれを受け止めたと判断できます。
この時期になると連日イタリア、スペインからの映像が流されてきます。コロナ感染の勢いは止まりません。〈このままでは、ドイツもイタリアのようになる〉という一種の恐怖感が広がり始めます。それに対応したメルケルのTV・アピールと市民の反応だったでしょう。
学校が休校に入ったことから私は、先ず、庭仕事を始めました。普段できなかったことで、これを幸いにと思い、一週間かけて垣根を切り、古木を掘り起こし、芝生を刈り、草を引き、花の手入れをして、同じように庭仕事をしている隣人と会話しながら、「今年は、きれいな花が咲くよ」と自慢していました。
ある日、家の前の通りで見知らずの年配女性が、「あなた、日焼けしているわね。スキーに行ったの」と話しかけてきます。彼女の質問の意味は理解できました。そこで、「いや、いや、庭仕事の日焼けですよ」と答えたら、「それは健康でいいですね」と笑顔を見せて去っていきました。
全体の状況がわかりませんから、買い物以外はできるだけ家にとどまり、日常生活を維持するようにつとめました。頭の中は「コロナを避けて」で一杯ですから、社会的なコンタクトが不足していくのがわかります。それが、また、精神的なプレッシャーになってきます。
こう書けば、「それができない人たちは?」という当然の質問が返されてくるでしょう。それはその通りで、2DK、3DKアパートの4―5人家族の人たちの生活が頭をよぎります。想像でしかありませんが、そうした人たちとは、公園で出会うことになりました。
ここでの問題は、一言で表現すれば、厚生、保健、公衆衛生面での社会格差の問題を浮き彫りにしたということです。
そしてメルケルの決断を促した要素に、こうした人たちへの配慮があったことは間違いのないところだと考えています。
学校、幼稚園が閉鎖された直後から、家の前の通りでは、それまでは珍しかった子どもたちの声が聞かれます。子どもたちが歓声を上げて遊びまわる周りで、両親たちは歓談しています。新しい家族の引っ越しがあっても自己紹介する人たちが少なくなったこの頃です。せいぜい、「こんにちは」くらいの簡単な挨拶で済ましてきました。40歳前後の若い夫婦です。子どもたちを介して両親の交流が始まります。静かというか、どこかよそよそしい感じのした地域が、突然、活気を帯びてきます。
子どもと両親が、一日中時間をともにする機会も少なかったはずです。子どもたちの喜びようは、事の外だったでしょう。
家族―子ども―仕事の関係が大きく変わりました。時間が古い時代に戻ったようです。
家族と子どもの共通時間が増えた一方で、両親はHomeofficeをこなさなければなりません。それは他方で、「自由な時間」を失うことを意味してきます。ここでの軋轢が、精神的なストレスの元になり、時間が経てばたつほど、家庭内にギクシャクしたものが積もりつもっていきます。
その後、無症状の子どもたちの感染が両親を介して拡大していく危険性が指摘され、約1週間ほど続いた子どもたちの〈ストリート・フェスト〉は終わりを告げました。子どもは子どもの交流を必要とします。それが不可能になった時、家庭内の問題が一挙に噴き出してきます。
議論されているのは、孤立―孤独―家庭内暴力に関してです。この用語を繰り返しながら、今では、単族家族で屋外に出て路上で時間を過ごす姿を、私は垣根越しに見つめています。
元々の古い近隣者には年配者が多く、私もその内の一人ですが、歳の割には元気にしていますから、「何か必要なことがあれば、いつでも声をかけてください」と励ましあっています。年配者が介護者に付き添われ、また杖をついて一人で散歩している姿を見れば、子どもたちの遊ぶ姿とは違った、安らぎを感じるのです。
何故なら、〈社会的コンタクトを最小限に〉というアピールには、一般的な社会の人間関係と同時に、世代の問題を含んでいるからです。
若い人たちの新型ウイルスに対する抵抗力の高いことは証明されているところですが、それに反して〈リスク・グループ〉に属する60歳以上の祖父母の感染率は高いですから、例えば、キリスト教のイースターには孫たちが祖父母を訪問することは禁止されました。祖父母にとってみれば、キリストの復活祭を家族、親戚と共に祝えないという孤立し、孤独な時間を過ごさなければなりません。また、屋外での感染率も高くなりますから、アパート、施設に家族、親族から完全に〈隔離〉された状態に置かれます。
この問題が極端に出てくるのは、生産過程の再操業をめぐる議論です。経済は完全に停止しました。政府から財政援助が出されるといいますが、再生産、再営業なしに経済は破産していきます。そこで、若い人たちを経済活動に導入し、彼らの免疫率を高め、他方で、〈リスク・グループ〉を完全に隔離してしまうという一つの意見です。生産活動の再開にとって、年配者が足手まといにされてしまっているのです。これは私の単なる議論解釈ではなく、公然と語られている真剣な意見の一つです。
まわりの若い夫婦からも聞かれます。
私はこれを聞いた時に、「えっ?!」と驚きながら、すぐにナチ時代の「安楽死」法案を思い浮かべていました。私の強引な歴史的類推であるのかもしれませんが、そこに共通する論理は、間違いなく、〈経済―生産活動に役立たない社会グループは「隔離」する〉という考えです。
「そこまでドイツはナチの思想に取り込まれてしまっているのか!」とは連れ合いの言葉ですが、同感です。
3月に入りコロナ感染が猛威を振るい出し、一瞬先が読めなくなってきた頃、政治家からは状況を説明しながら〈生きるか 死ぬか〉という表現が使われ始めました。実際に、そうした切羽詰まった状況下にドイツも置かれていました。
その時問われているのは、年代を越えて、病者も健常者もともに生活できる社会・経済制度をどうつくり上げるかという〈個人の生存権〉の実現であるはずです。
〈個人〉と表現しますが、それは〈他者〉の意味を含む概念であると私は理解しています。「社会的距離を取る」とは、それ故に単に自分を守るということではなく、それとともに他者をも守るという内容も含意しているはずです。
新型ウイルスに襲われた社会生活のなかで、はたしてそれが実現できるのかどうかが決定的な意味を持ってくるだろうと思われます。
利益追求の究極の果てに世界の厚生・保健制度が崩壊してしまったことは、今回のコロナ流行で証明されました。それに対抗できる新しい方向性と武器とは共生・共存を可能にする社会制度をつくり上げることでしょう。
そういう意味では、リセットした現在の社会のなかで〈来た道〉を再考することに大きな意義が見つけられるだろうと思うのです。
今回は、周辺状況の描写に終始しました。「その時、あんたは何をしていたのか」と問われそうですから、次回にこの点に触れて書いてみます。
皆さん、どうぞ情報に振り回されることなく、他者を守りながらコロナ流行との闘争に勝利していきましょう。それが私たちの生きる道だと思います。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9696:200429〕
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