パトリス・マニグリエ氏の論考と私たち 冷戦終結後の30年を振り返る
- 2020年 5月 2日
- 時代をみる
- 村上良太
フランスの哲学者、パトリス・マニグリエ氏の新型コロナウイルスに対処する暮らしから私たちが発見した「公益」について、その試論を翻訳したばかりです。フランス語のBien commune、英語のcommon goodは日本で公益と訳せるのではないか、と思います。これは英国のベンサムとか、ミルが使ったいわゆる功利主義哲学の用語の1つです。外出自粛はみんなの健康のために一人一人が行うのであり、大衆の「健康」という公益に貢献したら、たとえ、それが「外出しない」「仕事をしない」という普通ならネガティブな「行動」であったとしても、そのことでそこで形成された利益の再分配に与って当然である、という考えです。マニグリエ氏は「空気」はこの際、公益に含めず、あくまでみんなが努力して(行動しない努力も含めて)得られ、蓄積されたものに公益を限定しています。
マニグリエ氏の試論は、新自由主義の時代を転換するヒントが外出を控える、という行動の中に、同時にまた、医療関係者や食料品店の人々のように仕事の継続を余儀なくされる人々の行動の中に見出せるとしています。それらは極端に異なるベクトルだけれども、健康という公益に貢献している意味では同じである、と。
マニグリエ氏の試論を訳しながら、頭に浮かんだのは日本の1990年代以後の、つまりは冷戦後の30年間、あるいは平成の30年間と言ってもよいのですが、その期間に公益という考え方がフランスでも日本でも、おそらくアメリカでも急速に失われていった事実です。
日本の場合は、記憶をたどると、バブル経済崩壊後に若い人々が就職しづらい、という形で最も厳しいつけを負わされたことに象徴されるように、負の状況のしわ寄せ、負の分配が偏っていたことが現代の政治にもつながっているように思われます。日本国憲法は素晴らしいといくら年配の世代が思ったとしても、学校を出てもまともに就職すらできず、生活もままならないような経験をした人々の目からすると、憲法に本当に価値があるのか、と疑問に思った人が出てもおかしくないように思えます。実際には憲法によって守られていたのだとしても、感覚的には逆に受け取られることもありうるような気がします。ある時は、50代以上の高い給料を得ていたおじさん世代がリストラを余儀なくされ(ずっと年功序列が普通だったのですが、90年代におじさんへのバッシングが非常に強まりました)、ある時は、女性や若者が正規雇用にありつくチャンスすらなく派遣社員や非正規雇用の立場を一生押し付けられ・・・というように負のつけは分断的に押し付けられていきました。毎年3万人もの人々が自殺していました。予備軍を入れるともっと多いはずです。人は孤独で分断されている・・・公益という概念を粉砕するにはこれ以上、効果的な政策はなかったはずです。1990年代に経済政策の失敗のつけが分断的に様々な人々に押し付けられたために、「公益」というものが存在するとは思えなくなってしまいました。そして、その萌芽は1980年代のバブル経済の際にすでにくっきりと出ていたのです。
ソ連の存在していた1980年代までは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉があったものですが、今日は死語になってすらいます。ソ連の強制収容所の存在や、生産性の低迷や検閲の実態などに対する嫌悪感から、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉も忘れ去られてしまいました。しかし、それが今、ソ連とは異なった形で、新型コロナウイルスという感染症への対策の中から、その集団の努力の中から、再浮上しているかのようです。私がパトリス・マニグリエ氏に出会ったのはパリの共和国広場で、2016年の春に行われた「立ち上がる夜」という討論集会の時でしたが、マニグリエ氏はこの運動の最大の成果は「私たちは一人ではない」あるいは「私たちは勝てる」という感受性の涵養だったとのちに、私に話してくれました。「勝てる」というのは組織に特段属さないような人々の集まりでも、一見微力ながら、それでも力を持っている、ということを話し合いやふれあいの中で実感したということです。
慧眼のマニグリエ氏は、フランス政府やエスタブリッシュメントメントは新型コロナウイルスで人々が感受した「公益」の存在を可能な限り速やかに記憶から抹消させるべく最大限の努力をするだろうと述べてもいます。日本の場合で考えてみると、安倍首相の言動が常にちぐはぐしているのは、日本のため、みんなのため、と言いながら実際には一部の人だけが得をしたり、美味しいことにありついている実態でしょう。そして、そのことが皮肉にも「公益」などこの日本には存在しない、という冷笑主義の感受性の増長に貢献しているのです。
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〔eye4715:200502〕
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