「鐘の鳴る丘」世代が古関裕而をたどってみると~朝ドラ「エール」は戦時歌謡をどう描くのっか(4)誰にでもエールを送る人は
- 2020年 6月 6日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子古関裕而
私の育った家は、スポーツとはほぼ無縁だったといっていい。観戦したり、ラジオやテレビを視聴したりする習慣はほとんどなかった。休業日もなく、両親や長兄は店で働いていたし、スポーツは別世界のことに思えた。1964年の東京五輪の際も、およそどの種目も勝敗はどうでもよかったし、日の丸が掲げられるのを見るのも好きではなかった。私たちの世代は、小中高校の行事で国旗掲揚や君が代斉唱はなかったし、「道徳」の時間もなかった時代の教育を受けている。日の丸も君が代も、好きではないというより、いまでは嫌悪感を覚える。もし、スポーツでの勝負や記録を競うなら、チームや選手個人が単位であって、なぜ国を挙げて戦わねばならないのか。大きい国もあるし小さい国もある。日の丸を背負うとか、いい色のメダルを目指すとかいう選手のコメントを聞いていると、二位ではダメなの?と問いたくなり、健全なスポーツ精神とがなかなか結びつかない。チームに外国人はいるし、海外で指導を受けたり練習したりする選手も多いし、選手の出自も多様となった現代、スポーツにとって<国>はどれほど意味があるのだろうか。
だから、私は、今回の東京五輪招致には反対であったし、ほかにやることが先にあるだろう、という思いだった。原発事故被害が懸念される中、安倍首相は、IOCのプレゼンで<アンダーコントロール>されているとウソを述べたことに始まり、新国立競技場の設計コンペの予算オーバーでのやり直し、入選エンブレム盗作疑惑によるやり直し、幹部の招致汚職疑惑などJOCの不祥事が続き、いくつかのスポーツ団体での暴力事件やパワハラ疑惑なども問題となった。いずれも、中途半端な収束が続いた。そして、今回の新型コロナウイルス感染拡大による「2020年東京オリンピック」の一年延期である。首相がいう「新型コロナウイルスに打ち勝った証として」の開催も、もはや不可能なのではないか。
前置きが長くなったが、古関裕而は、いわば作曲家としてクローズアップされた、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」(住治男作詞 1931年)に始まり、戦前・戦後を通して、スポーツ音楽、校歌、社歌など、選手、児童・生徒・学生、働く人たちを応援する作曲を数多く手掛けている。NHKの「エール」という題名も、ここに由来するのだろう。ここでは、スポーツ音楽に限ってたどってみよう。「日米野球行進曲」(久米正雄作詞 読売新聞社主催日米野球開催に際して米チーム歓迎の曲/コロンビア合唱団)に続き、主なものをあげてみる。この表の作成が、案外厄介で、⑤⑥の「作曲一覧」で、不明なものは、他の情報で補った個所もある。解説はあっても発表年やレコード発売年月の記述がないもの、歌い手、演奏者が不明なものもある。間違いがあればご教示いただきたい。
スポーツ関連の楽曲は数多いが、上記の表で見るように、早稲田大学のと慶應義塾大学の応援歌を共に引き受け、巨人ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズの応援歌を共に引き受けている点で、依頼があれば拒まず、といった姿勢である。大学の応援歌は、他にも明治大学、中央大学、東京農業大学、名城大学などがある。校歌・社歌はじめ団体歌も自衛隊、日本赤十字社、仏教、新興宗教に至るまで、さまざまなのである。誰にでも、どこへでも、エールを送る人は、「いい人」なのだろうか。
今回の作業のさなかに注文をしておいた次の本が手に入った。
⑦辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』 文芸春秋 2020年3月
この著者の本は、初めてなのだが、少し前に、ネット上で見つけたいくつかのエッセイなどは、時期を得た、鋭い指摘と知見には関心を寄せていた。かなりマニアックなほどの資料探索は、若い人には珍しいとも思っていた。とくに、1964年の東京オリンピックについては、改めていろいろ知ることが多かった。そんなこともあって、この本では、古関裕而とスポーツ音楽をどうとらえているかには深い関心を寄せていたのだが、一冊を通読しての感想は、ずいぶんとマイルドな書きぶりになっていると、まず感じた。
<参考>辻田真佐憲執筆
<ジセダイ総研>
2016年08月23日 更新
オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか
2016年07月21日 更新
多くの国民が無関心だった? 1964年のオリンピックはこんなにもダメだった
なお、Wezzyというwebマガジンのインタビュー〈2020年5月9日〉では、「『エール』では「軍歌の覇王」としてのエピソードをどのように描くと思われますか」については、古関にとって重要な「軍歌だけでなく、彼はアジア太平洋戦争下には、その日の戦果をすぐ歌にして放送する「ニュース歌謡」というジャンルの作曲も手がけています。そういった歌はNHKラジオで放送されていました。つまり、古関の軍歌にはNHKも深く関わっているわけですよね。ドラマで戦争とNHKの関係を全スルーというのは、やはり難しいと思います」とも、語っている。また、「メディアや芸術家が国策に丸乗りした結果、社会になにがもたらされるかということについて歴史には学ぶべき例がたくさんあるわけですが、古関の過去もそのひとつだ」とし、「生活のために日々のお金は稼がなくてはならないわけですけどそのなかで政治とどう距離を保っていくか。そのバランス感覚の問題ですよね。身につまされる話です」とも。
また、本書の末尾で、古関が「流行歌のヒットメーカーになり、軍歌の覇王になり、そして大衆音楽のよろず屋となった」要素として、二つのねじれをあげている。一つは若い時からのクラシック願望による「芸術志向と商業主義のねじれ」であり、一つは「ノンポリゆえにかえってどんな政治的音楽でも自由自在に作れるというねじれ」であったとする。前者が多様な楽曲を生んだ要素となり得たかもしれないが、後者の「自由自在」とは、何なのだろう。私が言い換えるとすれば、表現する者の「無節操」「無責任」の極みにも取れてしまう。
⑦の著者も、⑥刑部『古関裕而』と同様、古関の遺族、古関裕而記念館、日本コロムビアからの資料提供を受けている。とくに遺族への取材や遺族から資料提供を受けている場合は、のちの書きぶりに大きな影響を与えるのはたしかで、それだけでも、客観性において、一つの限界があるように思うからだ。さらに、レコード業界などにも切り込んだデータや記述がある一方で、事実を羅列するのではなく、「物語性」も加味したというのでは、歴史、評伝もののドラマや、ドキュメンタリーにさえ、物語性を入れ込むNHKの手法にも与することになりはしないか。歴史を語るのには、物語性より、事実と資料による明快さが優先されるべきだろう。
次回は、古関裕而及び新著2冊の著者と天皇制にかかわる部分に言及してみたい。(続く)
上段は『川田正子・孝子愛唱曲全集』(海沼実撰曲、白眉社 1948年8月)には、41曲が収録されているが、「とんがり帽子」はない。下段は『日本童謡唱歌百曲集改訂版』(加藤省吾編 新興楽譜出版社 1950年11月)には、童謡80曲、文部省唱歌20曲が収められているが、ここにも1947年7月に始まった「鐘の鳴る丘」主題曲の「とんがり帽子」はなかった。前回記事の、歌謡曲集に収められていたということは、「童謡」としては認められていなかったようだ。その辺に何かの事情があったのだろうか。
初出:「内野光子のブログ」2020.6.4より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/06/post-9bc404.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9817:200606〕
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