菅内閣不信任決議騒動は、企業国家日本の崩壊のはじまり
- 2011年 6月 6日
- 評論・紹介・意見
- 広原盛明政党・財界・マスメディア日本崩壊震災復興
~関西から(14)~
私は、この間「私たちは東日本大震災にいかに向き合うか」というテーマでブログを書いてきた。同時に、その視点を「企業国家日本の崩壊のはじまり」にセットしていた。なぜ東日本大震災と企業国家日本の崩壊が結びつくのか。
理由は簡単だ。「未曾有の国難」といわれる東日本大震災の復旧復興は、いま日本を制圧している企業国家体制のもとではとうてい解決不可能だと思うからだ。その根拠として挙げたのは、日本財界の恐るべき利益至上主義と非社会的体質、その許容範囲でしか政策判断のできない民主・自民など政権政党、そして財界・政府と一体化したマスメディアの存在などである。
今回の菅内閣不信任決議をめぐっての大方の世論は、「東日本大震災という空前の国難に対しては与野党一致(超党派)で当たらなければならないにもかかわらず、政局騒動などとは以ての外」というものだ。だが、基本政策がほとんど変わらない民主党と自民党・公明党との間でなぜ「政局騒動」が生じるのか、私には不思議でならない。
菅内閣不信任決議を提出した自民・公明など野党は、「菅内閣では東日本大震災に対応できない」「菅内閣では国難を打開できない」ことをその理由に挙げている。民主党内でも、国会開会の直前まで不信任決議に同調していた小沢・鳩山派は、同様の理由を挙げていた。事実、不信任決議案が上程された6月2日の国会討論を聞いていると、論争の焦点は政策の違いなどでも何でもなく、もっぱら菅内閣の“政治手法”をめぐって交わされていた。もっといえば、菅直人という「個人」の言動をめぐって、それが「気に食わない」「気に入らない」とかいった低レベルの論戦だったのである。
この点で象徴的だったのは、自民党の谷垣総裁、大島副総裁の発言だろう。大島氏は、「菅さんが首相を降りれば直ぐにでも超党派で新しい政治集団を作ることができる」といい、谷垣氏は、事前の野党党首会談で共産党の志位委員長に不信任決議後の政権構想を聞かれたとき、「確たる展望はない」と答えたのだという。要するに自民党首脳は、「菅さえ降ろせば、後は何とでもなる」と考えていたということだ。
このことの意味する事態は重大だ。それは民主・自民2大政党間にはもはや政策の垣根はなく、執行部の人事構成を若干変更すれば、いつでも国会運営を正常化できるといった空気が当然視されていることを意味する。民主・自民両党間にはいわば事実上の大連立政権が成立しており、そのなかでの主導権争い(権力闘争)が「政局騒動」としてあらわれているだけのことなのだ。
菅首相のもとで東日本大震災の復旧復興対策が遅れに遅れ、10万人を上回る被災者が依然として避難所で非人間的な生活を強いられているのはなぜか。東電や原子力安全・保安院が原発事故の収束に手間取り、いまだに事態解決の見通しがまったく立たないのはなぜか。それは、民主党政権が行政運営に稚拙であり、官僚を使いこなすことができないという理由から(だけ)ではない。根本的な原因は、菅政権が被災者の生活再建を第一義に位置づけ、原発事故による被害者賠償をただちに実施するという政策を掲げられず、またエネルギー政策を根本的に転換できず、これに必要な政策実現や予算措置を講じることができないからだ。
このことは自民党とて寸分も変わらない。いやそれ以上だろう。これまで被災者の住宅再建に対しては一貫して公費投入を拒否し、二重ローン問題の解消には何の手筈もとらず、他方では「安全神話」を吹聴して原発政策をひたすら推進してきたのが自民党政権だった。自民党が菅政権のもとでの仮設住宅建設や瓦礫撤去の遅れは批判しても、被災者の生活再建政策の不十分さや原発中心のエネルギー政策を批判しない(できない)のは、基本政策を共有する「同じ穴のムジナ」だからだ。
東日本大震災における被災者の最大の不幸は、多くの国民が与野党さえ一致すれば被災者対策が前進すると誤解していることだ。だから、今回のような「政局騒動」が起これば、国民は国会が被災者をそっちのけして権力争いをしていると勘違いし、「そんな場合か」と憤りの声を上げるのである。表面的にはそうかもしれない。しかし本当のところは、民主・自民両党の政策が一致しているからこそ被災者対策が前進しないのである。だから不信任決議が可決されて自民党政権に交代しても、民主党政権と抜本的に異なる被災者救済策が打ち出されるかと言えば、そんなことはあり得ないという他はない。
企業主義国家体制のもとでは、民主党も自民党も財界の嫌がる政策は何ひとつ掲げることが出来ない。連合など労働組合も同様だ。原発政策ひとつをとってみても、電力企業や原発メーカーの大企業労組は、財界以上に原発推進に積極的だった。だから、民主党政権は「新成長戦略」の中核に原発輸出政策を掲げたのだ。研究分野における強力な「原子力ムラ」の存在も、財界に従属している学会や学者集団の存在なくしてあり得ない。反原発を主張する研究者が、この数十年にわたってマスメディアから一切排除されてきた(されている)のもそのあらわれだ。
今回の菅内閣不信任決議騒動は、ひとまず菅首相の「辞任予定発言」によって一応収束した。鳩山氏と菅氏との間で交わされた条件には、復興基本法の成立、第2次補正予算案の編成見通しなどがあげられている。これらの条件は、復興基本法が自民党案の丸呑みであるように、いずれもが民主・自民大連立政権の当面の政策シナリオだといってよい。菅首相の後釜に誰が座るのかわからないが、財界に従属した政策が継続されることだけはまず間違いないといえるだろう。
だが、東日本大震災の復旧復興問題は簡単には解決しない。阪神淡路大震災の後遺症が15年経っても未だに消えないように、それとは「ケタ違い」の東日本大震災の傷跡は、21世紀全般にわたる長期的な国民的課題にならざるを得ないからだ。なにしろ原発事故に至っては「これからが始まり」なのであり、今後どのような事態が展開するか、だれも予測できないからである。
私は冒頭に、企業国家日本は東日本大震災の復旧復興問題を解決することができないといった。その理由は、この未曽有の国難に対して企業利益の一部も吐き出そうとしないような財界やそれに従属する大連立政権は、そう遠くない将来に国民から棄てられ、企業国家体制は崩壊せざるを得ないからだ。
1990年代に新自由主義経済体制が始まってから20年を経過した段階で、2大政党制が機能不全に陥り、保守大連立政権が成立した。経済構造の変化が政治構造の変化を呼び起こすまで20年もかかったのである。そして次の20年は、政治の変化が社会の変化を呼び起こす歴史的時間となるだろう。保守大連立政権が東日本大震災問題を解決できないことが明らかになるなかで、企業国家体制を止揚する新しい政治運動、社会運動が浮上するのである。
すでにその予兆はあらわれている。国民の間に定着したボランティア運動はその社会的土壌を耕しているし、急速に広がりつつある反原発運動は、「国のかたち」と「国民のライフスタイル」を変革する政治的契機となるだろう。その意味では、菅政権不信任決議騒動など「小さな小さなコップの中の嵐」にすぎないのである。
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