ゲテモノの書物を頼りに選挙を戦う?(続)
- 2020年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
件の著書に係る疑惑(?)の続編です。 とにかくこの石井氏の著書には、各所に出没される匿名の人物が喋る関西風の言葉に違和感が尽きません。 この度は、またまた18頁の要所に出て来られる「くだんの縁戚の男性」のお話になる「着の身着のまま、下駄ばきで船に乗ったと聞いてますわ」との文です。
関西では、「○○と」との表現はあまりしません。 私等が話す場合には、この箇所は、「着の身着のまんま、下駄ばきで船に乗ったんや言うて聞いてますわ」となります。 即ち、語感が厳しい表現を嫌うのです。 「船に乗ったと」、「車に乗ったと」等との表現は関東の方が話される表現と言えます。
勿論のことに、今日では、官公庁や企業の職場や百貨店等の売場等では標準語を使います。 しかしながら、家庭内の日常生活では大阪弁等を使います。 即ち、一種の言語の切替・使用をしている訳です。 従って、当該の著書中で関西の言葉を使われている限りは、統一されないと如何にも不自然なのです。
さて、次は、またまた要所に出没される「小池家の縁戚の男性」になる珍妙な関西風の言葉です。 「勇二郎さんは、とにかく成功している人がいると、接近していくんですわ。 万事が、そうやった。 東京に越後友之助さんという遠縁がいたので、そこに押しかけて書生にしてもらい、学校に通ったんです。」(22頁)
此処でも語感がキツイので関東風になってしまっています。 「勇二郎さんは、とにかく成功してる人がいたら」と「と」を抜きます。 加えて、「東京に越後友之助さんいう遠縁がいたんで」と此処でも「と」抜きしなければ関西風になりませんし、「いたんで」としなければ関東の言葉使いになります。 更に、「学校に通ったんです」は、「学校に通いよったんです」とします。 つまり、表現を間接的にするのが関西風なのです。
総じて、要所に出没される証人が実在を疑われるような言葉使いをされるのがこの著書の特徴(?)であり、結論的に著書の記述全体の信憑性に疑いを禁じ得ないのです。
著者は、小池氏のアラビア語に疑念を抱かれているようですが、私は、著書にある証人の言葉使いに疑念を抱いています。 関西の言葉使いと引用表現を使われている限りは、証人の発言そのものを記載されているのであろうと思われるのですが、当該引用句内の表現そのものが不自然なのは如何なものでしょうか。
ともあれ、小池都知事は、再出馬表明をされました。 会見場では、石井氏の著書に啓発(?)されたのか、学歴に関する質問も無所属の記者から出ました。 しかしながら、思想信条を同じくしない者が冷静に観察した処では、小池氏の当該批判満載の著書に対する小池氏の対応は「黙殺」、と思われました。 質問者に笑いさえ浮かべ回答される姿を拝見しながら、批判や敵対さえも自身の血肉に切り替える強面の戦士のようでありました。
小池百合子、恐るべし。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9834:200613〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。