テント日誌8月6日
- 2020年 8月 9日
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- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
月例祈祷会「死者の裁き」もあって賑やかな日だ 7月31日(金)
手首の骨折のため暫くお休みしていたMaさんが今日から復帰とのことのmailが朝一で入る。久しぶりに賑やかになりそうだ。
今日で7月は終わりだがまだ梅雨は開けそうにない。経産省正門前で座り込みのグッズのセットをしていた頃は、空はどんよりしていて今にも降りそうな気配であった。そんな中、1時半ごろにはJKS47のメンバーがやってきて「今日も宜しくお願いします。」と言って大きな荷物を置いていった。いつものように多額のカンパもいただいた。3時からの月例会には時間があるので、どこかで涼んでくるようだ。日本祈祷僧団による月例会だ。
暫くして、年配の女性が声を掛けてきた。マスクをしていたので最初は分からなかったが、マスクを外すとOさんの事をよく知った方で、テントのあったころよく顔を見せていた方の様だった。2人の間で話が弾んでいた。その頃になると、雲がすっかり晴れパラソルの下でないと皮膚が焼かれるほどになった。
あんなに雨ばかりで閉口していたが夏の強い日差しを浴びると梅雨空がなつかしくなる。だいぶ蒸し暑くなってきた。我ながら勝手なものだと思った。
3時過少し前には後半のKさんがやって来る。Hoさんが暫くお休みなので後半はKさんが一人だけだ。しかし、経産省抗議行動があるので座り込みの人数は潤沢だ。3時ぴたりJKS47の月例会が始まった。黒装束の僧たちが鐘や太鼓を打ち鳴らし力強く念仏を唱える。腐敗した安倍政権の悪業を糾弾し、必ずや安倍を打ち倒すと力強く宣言する。最後にテントを代表して乱鬼龍さんがまとめの挨拶をした。祈祷僧団から褒められ、これからもテントひろばは反原発の旗を高く掲げていくことや乱さん主催している、青空テント句会の紹介も忘れずに、宜しくと締めくくった。
4時を回ったところで文科省前での金曜行動に参加するつもりで移動したが、無償化連絡会の長谷川さんを中心に環ができていて深刻な話をしていた。新型コロナウイルスの感染拡大のなかで金曜行動に参加していた人に感染者が出た場合、朝鮮学校にも多大な迷惑をかけるので暫くの間お休みにしようという提案だった。みんな納得して解散し、また経産省前に戻り座り込みに復帰した。 (S・S)
Mさんの歌声に挟まれた経産省抗議行動 7月31日(金)
雨を心配しながら経産省に到着、天気予報に反し珍しい日差しでビーチパラソルがありがたい程。月例祈祷会を聞きながら、久しぶりにテントニュースを通行人に配布、まずまずの受取り。戦後75年、75年前の真実を若い人たちにどう伝えるか、それが元気に生き残っている我々の重要な課題だ。
5時からMさんのギターと歌声で抗議行動を開始。Tさんが日本原電の敦賀原発でデータ加工、Jヴィレッジの高濃度汚染土問題、早野龍五・宮崎真の2論文を英国学術誌が撤回の話。原子力マフィア達が真実を隠す情けない操作を続けている。原子力推進行政のみならず、新型コロナ対策でも大失敗を続ける経産官僚を責めるアピールが続く。毎週車で立ち寄ってカンパしてくださる方や、神田かおり門下の「憲法寄席」創作集団Tさんからも力強いメッセージ。新型コロナ対策では、保坂展人世田谷区長のPCR検査拡充に期待。六ヶ所再処理止めろ・トリチウム等放射能汚染水を海に流すな!等のコールの後、「真実は沈まない」を歌って抗議行動を締めくくった。
Oさんの応援とともに、テント若手のMさんと一緒に片付けた後、首相官邸「裏」でも「安倍はやめろ」と訴えた。 (K.M)
小雀のけなげな所業を見ていた 8月1日(土)
久々に青空を見た。今までと違い経産省に向かう途中で風は吹いていた。いつもの場所、かつての第二テントの入り口あたりに座って空を見上げるとびっくりするほど大きな白い雲が日光を反射して眩しかった。空が「夏だぁ!」と叫んでいた。
〇今日の点描
今日も雀は忙しい。植え込みに生えた雑草の細長い葉を何枚もちぎって
は咥えて慌ただしく飛び去って行った。巣の材料にするのだろう。ヒナから少し成長したくらいの小さい子がオヒシバというイネ科の雑草を下から幾度も引張っては実を落とし地面をついばんでいた。雑草嫌いの人ならば当然のごとく無造作に引き抜いてしまう植物に雀は生かされている。
人間って本当に傲慢。 (O・O)
暑さとともにやってくる8月の日々の思い 8月2日(日)
梅雨が明けたら猛暑日だ。と、言ってぶつくさいうけれど、やはり夏は暑い方がいい。コロナ禍で夏休みの短くなった子供たちのことを思う。孫たちは今年もサマーキャンプに出掛けたようだが、存分に楽しんできてほしと思う。帰省をとやかく言う声があるが、お盆休み帰り、父母たちに会い、孫を遊ばせてもらう楽しみを簡単に奪うな、といいたい。老人たちはコロナに感染すれば重症化する度合いが大きい。だから、感染を怖れていることはあるが、むやみに恐れているわけではない。たとえ孫から感染することがあっても、それを恐れてはいない。お盆で孫たちにあう老人たちの喜びを思いやれ、といいたい。
政府や権力は本格的なPCR検査と医療体制をすべきだし、そのことをどういう理由かやれないで、効果の不明な「自粛」の要請などすべきことではない。コロナ対策にていての政府等の対応については何やっているのだ、と言いたいことばかりだ。いいだせばきりがないのでやめる。僕は世田谷区の住民だが動き出した保坂区長に期待したい。
「猛暑日」なんて言葉もなかった遠い昔、母の心配をよそに、家を抜けけだし,小川に魚取りに出掛けた。日照りで水の少なくなった田の用水で捕ってきた魚を信仰深い母親は逃がせという。生き物の命はというわけだ。母親の哀願に負けて魚を逃がしたときのあの気持ちがよみがえる。魚取りに飽きれば、蝉取りか、泳ぎに出かけるそんな夏の日々が自然に浮かんでくる。経産省前から日比谷公園に足を延ばした時だ、いつも、蝉の声におどろく夏の日比谷公園だが、今年は心なしか声は小さい。もちろん、人出もほとんどない。片隅にベンチで座っているペアーを見るが、何かうら寂しい、やはり公園は人が居なくてはと思う。
僕らはここに「座りこんで」多くの時間が経った。いつも夏にはいろいろのことがある。その最大のものは「戦争についての儀礼」というか、それを記念する行事があることだ。今年はどうなるのだろうか。この行事の核心にあるのは、「あんな戦争や嫌だ」という国民(地域住民や市民)的な戦争体験を思い起こし、その事を追確認することである。この行事は「戦争での死者」の声を聞きとることも含めた人々声を忘れないで記憶に留めておくことである。だが、日本の政府の担当者、いうなら権力にあるものはそれに反するというか、無視したい所業を演じて来た。彼等とて、人々の「あんな戦争は嫌だ」という体験と声を無視できないから、行事では「戦争は致しません。平和を望みます」という。でも、こんな表面の余所行きの言葉とは別に戦争の準備をする。それはいつも、「憲法の改正」をという動きとしてあり、自衛隊の軍隊化の推進としてある。これはいつの間にか、「敵基地を先制攻撃できる体制を」という議論にまでなっている。安倍の言う「憲法への自衛隊の明記」の実質はこれだという事なのだろう。
コロナ禍の中で恒例の行事は縮小されるのだろうが、これ幸いと「戦争の反省」が忘れられるのが心配だ。政府や権力者が本気で戦争のことを考える、反省的に考えることはない。それは承知のことだ。機会あれば「あんな戦争や嫌だ」という戦争についての人々の声は無きものにしたいという政府や権力者の意向に逆らって、僕らはその記憶を新たにしなければならない。忘却されていく歴史を、掘り起し再生し保存することをやり続けなければならない。確かに戦争についての考えを深めることは簡単ではない、懲りない面々は戦争を当たり前のこととして準備する。その国家、その動向を目のあたりにして、非戦とか反戦という事を考え、対応力のある論理を提起することは難しいことだ。これは何度でも戦争観を壊しては立て直す作業としてあり、手ごたえのある考えを導き出すのは容易ではない。戦争についての本は自然にたまる。自分としては随分と読んだつもりだ。明らかになった事はすくなく、わからないという思いは増す一方である。
僕の戦争の記憶は幼児体験しかなく、これは戦争体験と呼べるようなものではない。しかし、僕らは、戦後史の中で「戦争体験」を追体験し、戦争について考えてきた。政府や権力者のというか、あるいは時代のというか、戦争の経験を忘れようとする動きに、僕らは抗ってきた、戦争についての考察を深め、見識を磨かなければならない。
夏の日々にはこんなことが待っている。街路樹もいつの間にか茂り、小さいが蝉の声も聞こえる、ここ経産省前で、「今日も暑いね」という挨拶を交わし座り込んでいる。僕らは座り込みながら戦争について考えを深めることが課せられている。(三上治)
梅雨があければ猛暑日がやってくる 8月3日(月)
午前中から太陽が燦々と降り注ぎ30度を軽く超えていた。途中のコンビニで氷水を買って経産省前へ向かった。座り込み準備を始めて間もなく担当のOさんとHさんが来られたので、短時間の内に準備を終える事ができた。早速、反原発CDを掛けて道行く人々にアピールした。
12時半過ぎにはオートバイのHさんが来られた。暫く来られなかったので・急に暑くなったのでテントはどうなっているか心配で早めに来たとのこと。早々と6人の座り込み!(月)にとってはかなりの珍事である。
2時少し前に毎月3日恒例の・アベ政治を許さない❗集会に参加した練馬のOさんが寄ってくれて、正清さんのお連れ合いだった故大竹さんの偲ぶ会について知らせてくれました。大竹さんの死因は大動脈瘤破裂で病院に運び込まれた時には医者も手の施しようがなかったとのこと。息子さんは来年の大竹さんの誕生日の4月にお別れ会を盛大にやりたいとのこと。練馬を初め交際範囲が広かったので息子さんの願いは叶えられるでしょう。私に報告したあと、余りにも暑いのでカンパして帰られた。
3時半過ぎにはタクシー運転手のSさんが仕事中にも拘わらず冷たいお茶とカンパを持って寄ってくれました。お茶は皆で美味しく頂きました。その後もそれぞれの理由で立ち寄られたかたがありトータルすると14人程が寄ってくれました。それに反して経産省前を通る人は少なかった。暑すぎるので外に出てまで昼食を買い求めに行かなかったのでしょう。因みに、気温は着いた時は34度、撤収するときは32度。(保)
緊急事態の権力乱用はどうなっている 8月4日(火)
梅雨が明けて太陽がまぶしい。昼の経産省に向かう途中、一瀬事務所、むさん事務所に昨日印刷したテントニュースを届ける。むさん事務所で「月刊靖国・天皇制問題情報センター通信」を一部頂き、真昼の経産省前のパラソルの下で読んだ。
横田耕一(憲法学者)による「緊急事態の権力乱用を私たちはそしできるか」という文章では、緊急事態宣言後にも「アラート」などと称して行われている外出自粛要請(新型インフルエンザ等対策特別措置法の第45条に規定する感染を防止するための協力要請等による)が、政府見解では宣言事態とは関係なしに行えるとされており、「要請」が実質的に命令として機能した日本では法を超えた権限を知事等に与えることになる、と指摘されていた。すなわち、要請の法的な責任の所在をあいまいなものとしているため、要請の結果生じる賠償、補償の責任主体を不明確にしているという。筆者は権限の濫用を防止するうえでの課題は大きいと結んでいる。夕方、水道橋の梨の木舎でお茶を飲んだ。そこにテントの長老Sさんがやってきて、店主と一緒にいろいろな話をした。(EO)
「暑いから気を付けて」と声に元気をもらって 8月5日(水)
今日は早番のTさんがピースアクションインヒロシマに行かれたので座り込み準備に時間がかかってしまった。しかし座り込みに来る人が来る前に終われたので一安心。
早速、反原発CDを掛けて道行く人々にアピール。CDを掛けて間もなく、地下鉄の方から歩いてきた女性が、暑いから気を付けて!・と声をかけてくれた。私は・氷水を持ってきているから大丈夫です・と返事を返した。座り込みを始めて間もなくだったので元気を貰いました。
午後1時に横浜のKさんが到着された。何時もより早い到着なので聞いてみたら、きょう規制庁抗議は休みで、何時も座り込み者が少ないのを気に掛けておれたので早めに来てくれたのです。有難い❗感謝です。その10分後には常連である埼玉のOさんが来られましたので、近くのビルのトイレに行って水道水で手と顔を洗って綺麗にしてきました。
帰ってきたらKさんが何時ものように火を吐くような経産省批判をして通りかかる人たちの耳目を引いていた。また勝さんが早めに来られていた。Tさんから連絡を受けて早めに来られたのかと思ったのですがそうではなく、何時も座り込み者が少ないので自主的に来られたのでした。レジェンドSさんは何時もより遅く2時半過ぎに来られた、腰が痛くてやっと到着したという表情。後で勝さんが重い荷物についてアドバイスしていた。そのあと今日の第二原電と東電抗議に参加される方が来られて座られ4時過ぎにそちらに行かれた。その後は何もなく時間が来たので撤収しました。(保)
コロナの影響か、空気が綺麗になった気がする 8月6日(木)
今日は75年目の原爆の日
照りつける太陽のもと準備をしていると、Yさんが「日本政府に核兵器禁止条約の締結国になるように求めた広島市長のスピーチ良かったね」と言う。
残念ながらヨーカンさんも私も聞きそこなったので新聞に掲載されるのを楽しみにする。広島市長のスピーチに比べ安倍は相変わらずありきたりのことしか言わなかったようだけど。
カンカン照りだったが、時折涼しい風が吹いて助かった。
一時過ぎたんぽぽ舎のボランティアのOさんレジェンド斉藤さんが来てくれた。
コロナで経済活動が鈍ったせいか空気が綺麗になった気がする。
珍しくトンボが姿を見せた。そしてミンミンゼミと尾長の声がやかましい。
2時過ぎYさんのところに堀口さんから電話があり、来週の金曜頃には復帰できそうとの嬉しい話が聞けた。久しぶりだったので座り込みの人達がかわるがわるに話しつい長電話になってしまった。
2時半ごろ太陽が背中の方から当たるようになるというのでYさんがパラソルの向きを変えてくれた。いつも細かい気づかいをしてくれて感謝です。
その後勝爺も顔を出し、遅番の人も現れたので私は帰路につく(I・K)
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原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その30
宮崎・早野論文を英学術誌が撤回、宮崎氏の博士号取消し
~甲状腺検査では福島県立医大が県民健康調査の検討委員会を飛ばして世界へ発信~ 2020年8月7日 木村雅英
宮崎・早野論文の不正については何度も書いてきた(前回も)。やっと英学術誌が論文の不正を認め、2つの論文を撤回した。次は東京新聞7月30日の記事。
<同意なく被ばくデータ使用の論文2本を撤回 早野東大名誉教授ら執筆
東京大大学院の早野龍五名誉教授(物理学)らが、東京電力福島第一原発事故後に集められた福島県伊達市民の個人被ばく線量データを、同意がないまま分析した論文2本について、掲載した英学術誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」が28日付で撤回したことが分かった。学術誌はホームページに「倫理的に不適切なデータが使われたことを確認した。著者も撤回に同意し、全ての調査に従った」と理由を公表した。>
なお、次のことを確認しておく。
★<東大と福島県立医大の調査委は昨年7月、「倫理指針に対する重大な不適合はなかった」と結論付けた> =>日本の大学のレベル低下!
★それでも<福島県立医大は(7月)31日、宮崎氏の博士号の学位取消し>
★同意なく被ばくデータを使用したばかりでなく多くの統計的誤りが指摘されている
★原子力規制委員会の放射線審議会が宮崎・早野論文を参照したまま誤った「被ばく状況」確認決定をした(「原子力規制委員会は再稼働推進委員会!その195、http://www.jca.apc.org/~kimum/NRAno195.html)
宮崎真氏の博士号学位を取り消しはしたが、福島県立医大は、こればかりでなく世界に誤った放射線被曝情報を発信している。例えば平沼百合さん(米国在住医師)の<甲状腺検査の集計外症例について:英語論文と鈴木眞一氏の手術データ>(岩波科学7月号、計17ページ)が興味深い。横谷進氏ほか福島県立医大の共著者が英語機関誌”Fukushima Journal of Medical Science”に出した「福島県民健康調査の甲状腺検査プログラムでは検出されなかったが福島県立医科大学付属病院で診断された甲状腺がん症例の調査」なる「横谷論文」を詳細に分析して、一貫性のないデータ、一貫性のない報告と多くの矛盾を指摘するとともに、次を訴えている。
★「県民健康調査」検討委員会を飛ばして世界へ発信
検討委員会で報告されていない甲状腺検査データがどんどんと国内外の学会や英語論文として発表されている
★置き去りの臨床データ
臨床データについて、県民健康調査で限定的にしか報告されず、評価部会でまったく情報が更新されていない。
★甲状腺検査結果の公式英訳の中断
検討委員会で報告されている甲状腺検査の結果の公式英訳は、第33回検討委員会(2018年12月27日)で止まっている。
福島県立医科大学が、誤った情報発信をして、世界への被曝影響隠しをしていることが良く分かる。
8月14日(金)経産省前抗議集会
時間:17時~18時 主催:テントひろば
安倍政治を許さない!首相官邸前抗議行動(第18回)
日時:8月17日(月) 18時~19時
呼びかけ「安倍政治に物申す会」(乾喜美子・片岡洋子・木村雅英)
8月19日(水) 関西電力ブラックマネー糾弾
場所:関西電力東京支社前(内幸町2-1-6日比谷パークフロントビル)
17時~17時45分 再稼働阻止全国ネットワーク
8月19日(水)総がかり行動(国会議員会館前行動)
場所:衆院第二議員会館前 18時30分~19時15分
8月25日(火) 月例祈祷会「死者の裁き」
時間:15時~16時 場所:経産省前ひろば JKS47士
8月30日(日) 脱原発青空川柳句会
時間;正午~15時 経産省前ひろば 選者;乱鬼龍
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