メデイアの中の「知識人」たち~清水幾太郎を通して考える(1)
- 2020年 8月 19日
- 評論・紹介・意見
- メディア内野光子清水幾太郎
1963年の春、学習院大学の門を初めてくぐった。キャンパスは緑豊かで、木造の古色蒼然とした図書館(1909年築、現在資料館)、ネオ・ゴシック調の理学部研究棟(1927年築、現在学習院さくらアカデミー)、本部前の1960年竣工からまもないピラミッド校舎(前川国男設計、2008年解体)、西門に近い、山手線沿いの林の中には池(血洗いの池)もあった。さらに東の奥には、馬場も厩舎もプールもあった。私が勤務することになった法学系の共同研究室は、これも1960年にできた北一号館の二階にあった。政経学部と文学部の研究棟で、学部の図書館はその1階にあった。共同研究室の同僚は四人、私以外は学習院卒業の女性三人、大学院卒業の男性が一人で、主な仕事は、電話の取次ぎ、複写、昼食の注文、三時のお茶出し、先生方の郵便物の仕分け、図書の貸借、資料の整理や校正の手伝いなどであった。男性は名実ともに憲法専攻の「助手」であったが、さぞかし騒々しい環境であったろう。二年目には、メンバーの入れ替わりもあって、女子大卒の方も入ってきた。いまでは考えられないのだが、学科長以外の先生方の研究室には電話がなく、その取次がけっこう忙しかった。
二年目には、政経学部は法学部と経済学部に分かれた。一年目の私は、新しくも楽しい世界に思えたが、職業としての選択は間違っていたと後悔し、転職を考えなければならなかった。だが、ここでの二年間、大学や先生方の実態の一端を知ったのも事実で、いま思えば貴重な体験であった。
曲がりなりにも、大学時代、安保闘争を経験してきた者には、政治学科の清水幾太郎教授(1907~1988)の存在は大きかった。安保闘争時には「請願デモ」のオピニオンリーダーとして、たびたび新聞や雑誌にも登場する人として、活動的な研究者の印象が強かった。ほかの先生方もそうなのだが、女子学生との関係とは違い、私たち卒業したばかりの女子をどう使っていいのかの戸惑いもあったかもしれない。ぶらりと立ち寄ったり、電話が済んだ後だったり、他愛ないおしゃべりをするというリラックスできる場になっていたようにも思う。
当時の政経学部の法学関係には、商法の豊崎光衛、東北大学退官後、すでに来られていた民法の中川善之助、我妻泰門下の遠藤浩先生らがいらした。国連本部勤めから帰国したばかりの国際法の波多野里望、政治学関係では、講義やゼミ以外は、あまり姿は見せなかった岡義武、賑やかなクリスチャンでもある政治学の飯坂良明、アメリカ政治史の本橋正、行動科学という分野で、大がかりなコンピュータを利用していた田中靖政、プリンストン大学から戻った国際政治の武者小路公秀らの先生方がいらした。田中、武者小路両先生は、清水チルドレンであったのだろう。法学部独立に備えて教授陣をそろえていたさなかだった。先生方も同僚たちも、なかなか個性的な人たちで、池袋の商店街育ちの私には、戸惑うことも多かった。さまざまなエピソードの中で、清水教授にまつわる些細なことが、どこか、気になるというか、思い出すことが多い。
当時もいまも、清水教授の執筆を系統的に読んでいたわけでもない。ただ最近、あの頃の清水教授は、どんな活動や発言をされていたのも併せて知りたくなったのである。新しい評伝の広告につられて、とりあえずつぎの二冊を読んでみた。伝記類を好んで読むようになったら年老いた証拠だと言われたこともある。
①竹内洋『清水幾太郎の派遣と忘却―メディアと知識人』 中央公論新社 2018年2月 (2012年の単行書の文庫化)
②庄司武史『清水幾太郎―経験、この人間的なるもの』(日本評伝選)ミネルヴァ書房 2020年4月
清水幾太郎の著作は多いが、関係文献も限りなく多いのをあらためて知った。身近な人の回想的なものもあるかもしれないが、ここでは、たった2年間ながら、研究室の雑務を引き受けていたうちの一人として、見聞きしたことを記しておこうと思った。
前掲、竹内洋の文庫版の「あとがき」で「清水は生涯にわたってメディアに出ずっぱりだった。現代史的関心からみれば、清水を忘れられた思想家とみるよりも、メディア知識人の原型とみることによって腑に落ちることの方が多くなる。このあたりを探ることは、いま新聞雑誌やテレビ、ネットで活躍するメディア知識人を考えることにつながる」と指摘していることに、思い当たるいくつかがあったのである。
私が在職していた1963年4月から65年3月まで、上記二著の略年譜では、空欄だったり、1・2行の記述だったりする。1960年安保闘争の前後の新聞・雑誌・講演などでの発言や行動にはおびただしいものがあった。過激といわれる安保阻止運動を展開する全学連主流派を支持、共産党へのいら立ち、拒否反応を示していたが、その詳細は知らないままだったが、その挫折感は深いものがあったらしい。その立ち直りというか、転換も早かった印象がある。私には、テキストの分析などはできないが、とりあえず、当時どんな著作を残していたのだろうか。①の巻末の著作目録と1960~65年の著作を国立国会図書館の著者名検索によるリストから、主な雑誌論文と単著を拾ってみた。記事末尾をご覧いただきたい。なお、1959年3月には岩波新書『論文の書き方』を出版していて、ロングセラーにもなっている。(太字は単行本)
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・安保反対運動の現状―-憲法問題研究会における報告
世界 1960年1月
・大衆社会論の勝利–安保改定阻止闘争の中で
思想 1960年4月
・いまこそ国会へ―請願のすすめ―特集・沈黙は許されるか–条約批准と日中関係 世界 1960年5 月
・最悪の事態に立って 請願行動をどう評価するか/”憤り”を組織せよ 4・26統一行動の反省 週刊読書人 1960年5月23日
・批判を思想的に深く―ともに手を取り進むために
週刊読書人1960年7月25日
・安保戦争の「不幸な主役」―安保闘争はなぜ挫折したか,私小説風の総括
中央公論 1960年9月
・サルトルたちと学生たち―故樺美智子に捧げる
思想 1960年9月
・ 安保闘争一年後の思想–政治のなかの知識人
中央公論 1961年7月
・歴史とは何か1~6 (E・H・カー著)
世界 1961年11月~62年4月
歴史とは何か (岩波新書) 岩波書店 1962年
・神話を超えるもの–参院選開票をききながら
月刊社会党 1962年8月
・理論と実践 経験のスケッチ上・下
思想 1962年10月11月
・平和運動の国籍
中央公論 1962年10月
・EECとフランス共産党
世界 1962年12月
現代を生きる三つの知恵 (青春新書) 青春出版社 1962 年
・中国の核武装と日本–焦点にたつ中国
中央公論 1963年3月
・ 野党の思想的条件
中央公論 1963年9月
・私たちのサルトル
文学 1963年3月
・模索と抽象上・下
思想 1963年5月・6月
・無思想の時代
中央公論 1963年7月
・新しい歴史観への出発
中央公論 1963年12月
現代の経験 現代思潮社 1963年
ヨーロッパ文明史 (文庫クセジュ) クロード・デルマス 著, 訳 白水社 1963年
新しい社会 第16刷改版 (岩波新書) E.H.カー 著, 訳 岩波書店 1963年
・”沈滞“克服のための課題―学生運動の特殊性
東京大学新聞 1963年11月13日
・言葉言葉 読むこと1~5 サルトル著、訳
世界 1964年3月~7月
新しい経済 (岩波新書) J.ティンベルヘン 著, 訳 岩波書店 1964年
・ビュロクラシー上・下
思想 1965年6月・7月
精神の離陸 (現代人叢書) 竹内書店 1965 年
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初出:「内野光子のブログ」2020.8.18より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10039:200819〕
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