純粋北一輝(後編)
- 2020年 8月 31日
- 評論・紹介・意見
- 北一輝
第六章 インターメッツォ 幕間劇『大魔王観音北一輝』
劇団佐渡自由舞台劇公演『大魔王観音北一輝』台本読み合せ
於:劇団佐渡自由舞台アトリエ
出席者:演出家 男優M 女優F その他コロス役俳優数名
◇プロローグ◇ コロスの合唱
ポカン ポカン アンポンタンポカン
アンポンタンポカンはアンポンタン
アンポンタンポカンAは大魔王観音を非難してこう言った
我々はあなたを許さない 戦後民主主義の名において糾弾する
あなたはファシストであり軍国主義者だ(拍手)
アンポンタンポカンBは大魔王観音を非難してこう言った
我々はあなたを許さない 国体護持が肝心だ 偽天皇崇拝は許さない
あなたの正体は社会主義者であり自由主義者なのだ(拍手)
それを聞いて疑問に思った花子さん
アンポンタンポカンAさんBさんにこう訊ねます
ええ? そうなんだ。大魔王観音北一輝さんて社会主義者でファシストなの?
さらに自由主義者で軍国主義者でもあるのですか?
社会主義者で同時にファシストであり、軍国主義者であって同時に自由主義者
そんなのって生物学的にありなの? わたし理解できないんですけど
アンポンタンポカンAとBは顔を見交わして何にも答えられない
ポカン ポカン アンポンタンポカン
アンポンタンポカンはアンポンタン
アンポンタンポカンからいわれなき非難を受けし大魔王観音とはそも何者か
しかして その人の名は? その人の名は誰でせう?
その人の名は 佐渡に生まれし北輝次郎
後の北一輝のことでありました
それでは 大魔王観音北一輝のお芝居、開幕でございます
演出家登場
演出家:北一輝の文章は音読してこそその威力が感得できる。音読する際には、声の強弱、音程の調整、さらには声音の選択にも気をつけて、能うる限りの表現読みを試みなければならない。北一輝の肉声を復元できるかどうか。もし復元できなければ、北一輝の文章の理解はあり得ないのである。まず、そのような前提条件を踏まえた上で、以下の文言は引用されてせれているのだということを、まえおきとして述べておきたい。さて、「ヨッフェ君に訓(おし)ふる公開状」は、次のように始まっている。
「敬重すべきヨッフェ君。君は今露西亜の承認と其れに附帯せる外交的折衝の為に日本に来た。病躯を担架に横へて敵国に乗り込む信念と勇気だけに於て已に君の歴史に悲壮なる幾頁を加えて居る」
まずは意外なまでに丁重な言辞を連ねて相手を讃えている。この文体の持つニュアンス。呼びかける相手と自分の立ち位置、その関係性を読み取った上で、これらの言葉たちが発する複雑微妙なメッセージを最大限解読してみなければならない。
男優M:ええ? めんどくさいな。なぜそこまでしなければならないのです。べつに難しいこと言っていないじゃない。ヨッフェ氏は主な用件として革命露西亜の承認を求めるために病体をおして日本にやってきた。その勇気と信念は評価します。あなたの人生の歴史に新たな一頁を付け加える偉業でしょう。私はそんな貴方を尊敬しますよ。そう言いたいわけでしょう? すごくまともじゃないですか北一輝さん、なんか問題ありますか?
演出家:問題あるから私はさきほどの前置きを述べたのです。北一輝の文章は安易な読みは許されない。文面の表面的な意味内容とその底に流れる感情が真逆の場合だってある。いつも複雑微妙なニュアンスを孕んでいる。それが北一輝という異能の天才の書く文章の特徴です。我々はこのことをまずもって認識しておかなければならないのです。
そこでまず私は、この「ヨッフェ君に訓ふる公開状」を芝居の台本とみなし、北一輝役の役者に、北の台詞を語るに際しての演出ノートのようなものを提示してみよう。いいかい、北一輝役の俳優である貴方。貴方が演じる配役の対象は天才なんです。いいですか、天才なんですよ。そんじょそこらに転がっている政治家や学者の器ではない。滑舌が上手なアナウンサーのように語ればよいというだけじゃありません。まずはこうしてみましょうか。君はさきほど北の言辞の表面的な理解を述べた。あっ、気を悪くしないで。君の理解はある意味正しかったんだから。で、今度は逆に君の解釈が完全に間違ったという前提で朗読し直してみる。つまり、言葉の意味と真逆の理解を与えるような、「声の強弱、音程の調整、さらには声音の選択にも気をつけて、能うる限りの表現読み」を試みてほしい。できるよね、君はプロなんだから。
もっとも、プロでなくとも、恋する男女が言葉を使って、その意味と真逆のメッセージを発信するというのは、しょっちゅうやっていることだ。「あなたのこと、だいっきらい」と、女の子がテーブルの前の男の子を睨みつけていえば、これはあなたのことが凄く好きだというメーッセージを、渾身の思いを込めて伝えようとしていることは、通りすがりの通行人にだって分かるはず。言葉の使用とはとてもデリケートなゲームです。
さて、北一輝が、テーブルの前にいるヨッフェ君に、その軽蔑心を伝えようとしたら、どういえばいいい? そう、誉めればいい。丁重に誉めれば軽蔑の意は、本人には伝わらずとも、通りすがりの通行人には伝わる。通りすがりの通行人とは、この芝居の観客です。「ヨッフェ君に訓ふる公開状」の読者です。いいかな? わかった? OK。ではやってみよう。用意、スタート!
俳優M:敬重すべきヨッフェ君。君は今露西亜の承認と其れに附帯せる外交的折衝の為に日本に来た。病躯を担架に横へて敵国に乗り込む信念と勇気だけに於て已に君の歴史に悲壮なる幾頁を加えて居る。
演出家:OK,OK。パーフェクト! ヨッフェへの軽蔑心が完璧に伝わってくる。さすがプロだ。みなおしたよ。君なら北一輝役を完璧にこなせる。僕は確信した。あっ、皮肉ではないからね。通りすがりの通行人として、この芝居の観客として、演出家として、正直に感想を述べております。では、信頼関係も築けたようなので、台本の読み合わせ、先へ進みます。途中を跳ばして、「ヨッフェ君に訓ふる公開状」の最後の部分を読んでみようか。北は公開状の最後をこう締め括っています。
「明らかにヨッフェ君に告ぐ。苟(いやしく)も睾丸を股間に垂れている者は出来ない相談はサラリと見切りを附けることである。山紫水明の養痾(ようあ=病気療養のこと。引用者註)。これ君のためにする日本の礼遇である。若し君の病、及びレニン君の病が医学の範囲を超出した者であることに気附くならば、是れ革命幾十年の血涙辛酸と其の勲功に依りて神の手が君の為に天国の門を開かんとする者である。(改行)御回答は必ずしも待つにあらず又待たざるにも非ず。(改行)大正十二年五月九日 北一輝」
女優F:あちゃあ、北さん、厳しいなあ。要求は一蹴。付け加えて言うには、レーニンもヨッフェ氏も病気であり、しかもその容体はまったく医学の手に負えないものである。これは今までのあなた方の功績大により天国に召されることなのだから喜びなさい。ヨッフェに対する死刑判決ですね、これは。おまけにこの公開状に対する回答は出してもいいし出さなくともいい、好きにしなさい、だって。もう言いたい放題だな。北さん、さすがです。よっ、大魔王観音!って声かけちゃおうかな。
演出家:北一輝の文体に慣れてきたようですね。その調子で台本全文通しての読み合せに入りましょう。北一輝を小劇場の舞台に現前させる。これはいままでどの劇団もやったことのない新機軸の実験です。では気合を入れて通し読みの稽古、始めましょう。よろしいですか?
俳優M:頑張ります! その前に全員で合言葉を唱えましょう。
イェ・クリック! イェ・クラック! イェ・クリック! イェ・クラック!
全員:イェ・クリック! イェ・クラック!
劇団佐渡自由舞台、演劇公演勝利!
第七章 北一輝の人間像
北一輝が人と接する態度については、村上一郎の報告が参考になる。文中の村田晴彦とは北一輝の弟北玲吉の盟友であり当時武蔵野美術大学の理事をしていた人物である。
「彼(北一輝―引用者註)は当時、どんな無名の一青年にも学生にもけっして「××君」とはいわず「××さん」と呼びかけ、言辞いんぎんであったが、ひとたび道にはずれたことをいったりしたりすると、法華経を郎続する時と同じ朗々たる大声で一括し、いかなる右翼壮士をもちぢみ上がらせたとこれも村田晴彦に聴いた。」(村上一郎『北一輝論』1970年)
北一輝の対機説法の様子を伝えていて興味深い。北は驕り昂った人間に対しては厳しく、無名の人や女性に対して実に親切丁寧な姿勢で臨んだ。その厳しい対応をした場合の実例を引用する。『国体論』の中で東大法学部教授有賀長雄に対して筆誅を加える北の舌鋒は凄まじい。
《「有賀博士は『国法学』で言う。「主権の作用は幕府に委任されたが、主権の本体は万世一系の天皇にあった。」と。主権の本体と作用が分離でき、作用を幕府に委任したと言う有賀博士よ! 主権の本体である天皇が外交権の本体として鎖国、攘夷を命じているのに、その作用を委任された幕府が開港条約を結んだということは、本体と作用が相互に他を打ち消す自由があるという条件付きの委任契約だったのか! 主権の本体として理論上兵馬の大権を持っていた天皇は、兵馬の大権の作用というものを北条義時に委任し、その作用によって本体を攻撃することを契約したというのか! 主権とは、その本体を作用である自己の主権で圧倒して行使されるものなのか! 我々が日本中世史をヨーロッパの中世史になぞらえ、それによっての天皇を「神道のローマ法王」と、将軍を「鎌倉の神聖ローマ皇帝」と名付けたのは、このためなのだ。」》(樋口慎也現代語訳『国体論及び純正社会主義』第十三章
WEBアドレス:http://kokutairon.web.fc2.com/index.html)
なおこの部分の引用はWEB上で公開されている樋口慎也氏の現代語訳から採った。樋口慎也氏は難解で知られる北一輝の『国体論』を詳細な註釈付きで全文現代語訳しネット上に無償で公開した。誰でもアクセスすれば北一輝が読めるのである。北一輝の漢文口調の文章は北の思想に挑戦しようとする多くの読者に大きな障壁となって立ち塞がっている感がある。現代語訳を公開することによって北一輝の思想遺産を現代に開いた氏の努力は学術の公開に貢献するところ大であり多大の評価を与えられて然るべきと私は考えている。氏の同書に施した膨大な註釈も『国体論』の理解に資すところ大である。
北一輝を理解するのにもっとも難き点は彼の法華経信仰にある。これに関しては私も正直言って良く分からない。ただ北を理解すること深かった人達の言葉に真摯に耳を傾けることが大事だと思う。その一人、『日本改造法案』を精読することによって倉田百三の得た直観は次の如きであった。
「氏の性格の最奥所が絶対的宗教感情であることは明白である。人間の性格の型には此の絶対的感情の強きものと然らざるものがある。」(倉田百三「日本改造法案大綱を読む その思想の雰囲気について」1934年)
北一輝の法華経信仰に関してはやはり北の盟友大川周明の述べるところが最も詳しい。次に引用する手紙は、大川が五・一五事件に連座して市ケ谷に収容されて居た時、北一輝から獄中の大川に宛てたもので、日附は昭和八年十月七日である。
「 大川君 吾兄に書簡するのは幾年振か。兄が市ケ谷に往きしより、特にこの半年ほどは、日に幾度となく君のことばかり考へられる。何度かせめて手紙でも差上げようかと考へては思返して来た。此頃の秋には、小生自身も身に覚えのある獄窓の独坐瞑想、時々は暗然として独り君を想つて居る。この胸に満つる涙は、神仏の憐れみ給ふものであらう。
断じて忘れない、君が上海に迎へに来たこと、肥前の唐津で二夜同じ夢を見られたことなど、かかる場合にこそ絶対の安心が大切ですぞ。小生殺されずに世に一分役立ち申すならば、その寸功に賞でて吾兄を迎へに往くこと、吾兄の上海に於ける如くなるべき日あるを信じて居る。禍福は総て長年月の後に回顧ずれば却て顛倒するものである。今の百千の苦労は小生深く了承して居る。而も小生の此の念願は神仏の意に叶ふべしと信ずる。法廷にて他の被告が如何に君を是非善悪するとも、眼中に置くなし。是と非とは簡単明瞭にて足る。万言尽きず、只此心と兄の心との感応道交を知りて、兄のために日夜の祈りを精進するばかりです。 経前にて」
大川周明による北一輝書簡の解説は以下のごとくである。
「手紙で私を迎へに往くといふのは、第一審で私に対する求刑は懲役十五年であつたから北君は私が容易に娑婆に出されぬものと思ひ、其迄に屹度革新を断行する。其時に自分が監獄に私を迎へに来るといふのである。而も『小生殺されずに』の一句は、身を殺して仁を成さんとする志士仁人としての北君の平素の覚悟を淡々と示し、また『寸功に賞でて云々』は、革新還動への貢献に対する一切の報賞を私の釈放と棒引にしようといふのであるから、私がその友情に感激するのは当然であるが、それにも勝りて私は北君の無私の心事に心打たれる。
一死を覚悟の前で、己れのためには如何なる報賞をも求めぬ北君を、恰も権力にあこがれる革命業者の範瞬に入る人間のやうに論じている人もあるが、左様な人はこの手紙を読んで北君の霊前にその増もない邪推を詑びるがよい。常に塵や泥にまみれて居りながら、その本質は微塵も汚されることのない北君の水晶のやうな魂を看得しなければ、表面的に現れた北君の言行を如何に丹念に分析し、解剖し、整理して見たところで、決して北君の真面目を把握することが出来ないであらう。」(大川周明『北一輝君を憶ふ』1953年)。
「北君は大輝君への遺言にある如く、大輝君誕生の年、すなわち大正三年に霊感によつて法華経に帰依し爾来一貫して法華経行者を以て自ら任じ、『支那革命外史』もまた誦持三昧の間に成つたものであるが、この上海仮寓時代に法華経信仰は益々深くなつた。そして大正八年夏に至り、法華経読誦の間に霊感あり、日本の第三革命に備へるため、国家改造の具体案を起稿するに至つたのである。」(同『北一輝君を憶ふ』)
大川周明は北一輝に対し次のような最終的な評価を与えている。この評価は大川周明の波乱多き人生の総決算の趣があり重いものである。
「私は多種多様の人々と接触して、無限の生命に連つて生きて居る人と然らざる人との間に、藏然たる区別があることを知つた。北君は法華経を通じて常に無限の生命に連つて居た。それだからこそ人々は北君の精神のうちに、測り難い力の潜在を感じ、偉大なる期待をその潜める力にかけたのである。」(同『北一輝君を憶ふ』)
第八章 歴史の天使の呼び出し
彼を義とせねばならない。彼はぼくをまったく白痴みたいにし
たもんだ。もし彼がもっと長生きしていたら、どんなことでも
やってのけただろうに! 彼こそはぼくの知っている最高の
催眠術の大家だ! ロートレアモン『マルドロールの歌』
北一輝による国体論打破の目論見は最終的に挫折した。北一輝の挫折は日本の挫折でもあった。大日本帝国の崩壊(=敗戦)もその淵源を探るならば最終的には北一輝の挫折に辿りつく。
「(吾人は今故郷なる順徳帝の陵に至る毎に詩人の断腸を思ふて涙流る)。」(北一輝『国体論』第十三章)
これは北一輝が佐渡の純粋パトリオットであること、そしてそれゆえに北が日本近代に於ける革命的ナショナリズムの思想家でありえた秘密を物語る一文であると私は考えている。この一文こそはみずからも詩人でもあり革命家でもあった北一輝が、流罪になった帝王に同感して乱臣賊子を撃つ決意をし、『国体論及び純正社会主義』を執筆させる根本動機を物語るものである。北の国体論批判の主旋律として流れるものがこの一文の中には潜んでいる。楠正成以来日本の歴史上に現れたもっとも過激な尊王論者としての北一輝の面影はまさにこの一文の中にあると断言しておこう。
北一輝が打倒しようとしたもの、それは大日本帝国の崩壊を必然ならしめる国体論の幻であった。国体論の最大のイデオローグは穂積八束であった。北の穂積批判は、プロシアの国体論者ヘーゲルを批判したマルクスの立ち位置に類推が可能である。ヘーゲルの法哲学はプロシア公認の国家哲学として君臨したが、同様に穂積の国家哲学は支配層の精神構造を深部に於いて支えるものとして在った。穂積の影響力は往時においては圧倒的であったが、現在ではその事情が見えにくくなっている。しかし北の穂積に対する批判は、北の著書の発禁処分によって外形的には北の敗北に終わった。公共空間での論争は行われなかったため、穂積の不戦勝、北の不戦敗で終わった。これは日本にとって大きな不幸であったというべきであろう。穂積八束の法哲学は日本の敗戦によってはじめて息の根を止められた。学問の自由、思想表現の自由の圧殺が日本を滅ぼした。北の論述を読むと、穂積の学説は完膚なきまでに破砕されており、学説として生き残る余地はないかの印象が生まれる。けれども北の著書が発禁にならず、北による穂積批判の中身が当時の公共空間に公開されていたならば必ず穂積は応戦し、その論戦は北の一方的勝利には終わらず伯仲の論戦になったかもしれない。北一輝に対抗できるだけの体系性を備えたものが穂積の国家学説には備わっていたからである。これは現在からは見えにくい構造である。公共空間の論争がもしなされていたならば、その両者の論戦を比較考慮して、誰しも自らの判断を得ることが可能であった。日露戦争後の日本の針路について日本国民はより妥当な見解を持つチャンスを獲得できただろう。北の著書の発禁処分はそのチャンスをつぶした。それによって穂積の学説も北の思想も日本近代の歴史の中で闇から闇に葬られクズ箱の中に投げ捨てられたのであった。
しかし、歴史の天使はクズ箱の中の書類を見逃さないし、行われたはずの架空の論戦をも凝視するのである。北の天才の発見が必然であると同様に北の最大の論敵穂積八束の再評価は必要である。これが歴史の天使がなす仕事というものなのだ。北の最大の論敵であった穂積八束を軽視してよいはずがない。穂積を軽蔑するのは間違いである。あえて言おう。歴史の天使は軽蔑された人間にこそ敬意を払うのだ。歴史の天使は闇を透視し、そこに視えない論戦を見ようとする、クズ箱を漁って正史で扱われている資料よりも重要な書類を探し出して人々に示す。なるほどその書類はしみだらけだし破れた部分もあり散乱した原稿はどう繋がるのかも定かではない。しかし歴史の天使は諦めない。凝視し続ける。歴史の天使がそのメシア的使命を断念することはあり得ないのだ。穂積八束に関して言えばその再評価はすでに始まっている。坂井大輔による再評価の一端を引用しておく。
「八束の憲法論においては、天皇は、①法的意味の国体に基礎づけられた主権者(憲法制定者)、②政体における統治権の総覧者、③憲法成文上の大権の親裁者、という3つの段階で登場する。大権親裁者としての天皇は、他の国家機関(国会・裁判所)と並び立ち、別々の職責を担っている。しかし天皇は、同時に統治権の総覧者でもあるため、国会や裁判所の職務は、すべて天皇の意思と見なされることとなる。そして、主権者である天皇は、憲法の規定に従って自らの意思を国家意思とすると共に、場合によっては憲法の規定そのものの改正をも行ないうる存在であった。」(穂積八束の「公法学」(2) 坂井大輔 一橋法学第12巻第2号 2013年 7月)
歴史は過去の期待を呼び覚ます。過去の期待に応じる形で未来を到来させるのはメシア的な力が加担した時であり歴史の天使がその働きを示した時である。いついかなる事由により歴史の天使は人間の努力に加担するのか。それは予測不可能な偶発的な事件である。小さなそして大きな奇跡の積み重ねに等しい。ここまで説明抜きで歴史の天使について語ってきた。歴史の天使の実態について明らかにするのは全世界史の秘密を解明するに等しい難事である。可能な限り理解しやすい方法で解き明かすのが妥当であろう。だからこそベンヤミンも一枚の絵を指し示し、その絵を解釈することによって、歴史の天使の概念を説明したのであった。
第九章 純粋北一輝のデッサン
いよいよ純粋北一輝の像を描く時が来た。北一輝が探し求めそして社会に与えようとしたもの、その正体は「客観的規範(ノルム)」であった。そして空気の支配の打破が北一輝に於ける革命の開始であった。
《「空気の支配(ルール・オヴ・ザ・ニーマ)は、特殊日本的支配である。日本の社会構造に根ざす。その一つの、重大なる社会学的構成は、客観的規範(ノルム)の欠如である。何が良くて、何が悪いか。それは、客観的に決定されるのではない。その時々の状況が醸し出す空気(ニーマ)によって決定される。」》〉(小室直樹『信長 近代日本の曙と資本主義の精神』2010年)》
しかし空気の支配の打破そしてそれによる新たなるノルムの確定などということは、聖人か天才だけが成し得る所業であって、能才や模擬的意識によって左右できることではない。江戸時代に荻生徂徠は儒教の聖典に「聖人の作為」という理念を発見し近代の萌芽をかたちづくる思想家となった。続いて明治維新には福沢諭吉が現われ『文明論の概略』を書いて文明開化の原理を開示した。これらの達成を踏まえた上で北一輝が日露戦争後における日本近代のありうべき道義的国家の構想を説いたのである。丸山真男は徂徠と福沢の評価はおこなったが、北一輝の思想的水位を測るまでの資質・能力は持ち合わせていなかった。佐渡の天才と帝大の能才では器が違う。天才と能才の違いに関しては1907年発行の夏目漱石『文学論』第五篇第一章「一代に於る集合的F」に詳しく論じられている。奇しくも漱石の『文学論』の序文は北の『国体論』刊行の年に書かれている。ザインとゾレルンが一致しないのは社会の常態である。この隔離したザインとゾレルンを一致させようとする懸命の努力が北一輝の革命家としての理論と実践の内実に在った。社会の根本規範の刷新こそ彼の信じる真の革命であった。
国体論の打破(『国体論及び純正社会主義』、中国革命への支援(『支那革命外史』、国内の改造(『日本改造法案大綱』)等々、北一輝が鋭意努力したことは一言で言って日本に蔓延する悪しき空気の支配(ルール・オヴ・ザ・ニーマ)の打破であった。北一輝の英雄的な努力は完全な失敗に終わったけれども、日本の後続する世代に思想遺産を残すことには北一輝は成功したのだ。英雄の生涯を北一輝はまっとうした。北一輝の思想は人類の一般意志に通じる透明性を持っていたと私は考える。純粋北一輝のデッサンを私はこのようなものとして描きたいと思った。私の意図は伝わったのだろうか。因みに人類の一般意志とはドニ・ディドロが初めて提起した概念である
「もしわれわれが正・不正の性質を決定する権利を個人から奪うとすれば、われわれはこの大問題をどこにもちこむのであろうか。いったいどこに。人類の前にである。その問題を決定できるのは人類のみである。なぜなら人類の抱く唯一の情念は、万人の幸福であるからである。個別意志は信をおきがたい。それは善良であることも、邪悪であることもありうるが、一般意志はつねに善良である。それは過去に誤ったこともなく、将来も誤ることはないであろう。」(井上幸治訳ドニ・ディドロ「自然法」『デイドロ著作集第三巻』1989年法政大学出版局)
人類の一般意志を体現するような人生を生き抜くこと。それが北一輝の個別意志の念慮であった。そのような意味に於いて北一輝を革命家と呼ぶことができるのである。北一輝においてはその個別意志とディドロ云うところの人類の一般意志は一致していた。微塵の狂いもなく合致していた。なぜそのようなことが可能になったのか。北の法華経読誦の勤行の日々を侮ってはならない。、北の法華経信仰は宮澤賢治のそれに匹敵する。もしかすると勝っていたのかもしれない。ここで純粋北一輝の概念を構築するにあたってのもう一つの基軸を導入したい。ベンヤミンの「歴史の天使」の概念である。
《「新しい天使」と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれており 、天使は、かれが凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのようにも見える。かれの目は大きく見ひらかれていて、口はひらき、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。かれは顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただカタストローフのみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃墟の上に廃墟を積みかさねて、それをかれの鼻っさきへつきつけてくるのだ。たぶんかれはそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せあつめて組みたてたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでゆく。その一方ではかれの眼前の廃墟の山が天に届くばかりに高くなる。僕らが進歩と呼ぶのは〈この〉強風なのだ。(ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』野村修訳)》
クレーの描く歴史の天使と、北一輝の逮捕時の中国服をまとった肖像写真を並べて見比べてみよう。この二つの画像(絵と写真)は実に良く似ている。この絵と写真を掛け合あせ、ミックスして再構成すれば私が考える純粋北一輝の像は出来上がる。そのようにして描かれた一枚のデッサン画を想像してみてほしい。画家でない私は言葉でデッサンを描くことしかできないが、可能ならば色彩のある絵を見たいものだ。それは本職の画家もしくはデザイナーの仕事ということになるだろう。誰かほんとうに純粋北一輝の絵を描いてくれないものだろうか。私が描いたのは色彩を欠いた言葉だけのデッサンに過ぎない。ゴッホの色彩は勿論素晴らしいが、彼のデッサンにも捨てがたい魅力があるのだから、今はただ純粋北一輝のデッサンだけでも描き得たことに私は満足しようと思う。
第十章 北一輝の覚醒
明治維新以後の日本に現れた最高の天才が北一輝であったのに対し、フランス革命以降フランスに現れた最大の天才はロートレアモンである。ロートレアモンはフランス語文化圏の辺境である南米の都市モンテビデオで生まれ育った。カリブ海マルティニック島の詩人にして政治家でもあったエメ・セゼールはロートレアモンの天才をこのように語っている。
「私は、いつの日か、すべての用意が揃い、すべての典拠が綿密に調べられ、作品の成立事情がすべて明らかにされ、『マルドロールの歌』に史的唯物論解釈を与えることが可能になるものと信じている。この荒ぶる叙事詩のあまりにも顧みられなかった一形態――一ハ六五年頃のもっとも鋭利な眼差しが見逃すはずがなかった――の峻烈な告発という側面を明るみに出すような解釈である。
もちろんその前に、作品を曇らせる神秘主義的・形而上的註釈を刈り取っておかねばならない。無視されてきた詩節の重要性を蘇らせねばならない。たとえば、とりわけ奇怪なシラミの鉱脈の詩節の中に、金と資本蓄積の邪悪な権力に対する告発以外のものを見出すことは受け入れがたいことであろう。あのみごとな乗合馬車の挿話に本来の位置を取り戻さなければならない。そしてそこにあるものをそのままのかたちで見ることに同意しなければならない。つまり、快適に腰かけた特権者たちが新参者に席を空けるために詰めることを拒むような社会の、ほとんど寓意性のない描写として。」(エメ・セゼール『植民地主義論』砂野幸稔訳)
ロートレアモンと北一輝は近代国民国家の時代において人間が覚醒するとは何かを根底的に思考した天才だった。二人は人類に愛国心を超える道=光の道を歩む方法を教えた。
《「眼をさませ、マルドロールよ! おまえの脳脊髄組織にのしかかっていた磁性の魔力は霧散する」。彼は命令されたように眼をさます。すると神々しい形が、腕を組んで空中に姿を消していくのが見える。彼はもうふたたび眠ろうとはしない。》(栗田勇訳ロートレアモン『マルドロールの歌』第五の歌・最終詩節)
北一輝は愚人島の土偶に催眠術をかけられて幻覚を見続ける日本国民のために戦った。幻覚打破の努力への報復として北一輝は土偶を掲げる勢力によって催眠術にかけられ八十年の長きに渡って眠り続けている。しかし北一輝は死んではいない。北一輝は生きている。彼は幽閉され催眠術をかけられたがただ眠っているだけである。これが北一輝の生きた時代とその後の日本が歩んだ歴史についての私なりの総括である。だが眠りの時代はもうすぐ終わる。日本国民はさらに進化を遂げた北一輝の聲を聴くことになるだろう。事態はロートレアモンが予言した通りの顛末を歩んで進む。それはほとんど私の確信といってよい。
《「眼をさませ、北一輝よ! おまえの脳脊髄組織にのしかかっていた磁性の魔力は霧散する」。彼は命令されたように眼をさます。すると神々しい形が、腕を組んで空中に姿を消していくのが見える。彼はもうふたたび眠ろうとはしない。》
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10072:200831〕
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