二つのファシズム体制が成立するまで ―後期高齢者の安倍政権評価―
- 2020年 9月 11日
- 時代をみる
- アベファシズム半澤健市
「朝日新聞」世論調査によると「第二次安倍内閣の成果」を70%の人が肯定的に評価した。自民党の支持率は40%であった。自民以外の政党支持率はいずれも2~3%に過ぎない。それに続くメディアの調査でも、更に自民圧勝の傾向が続いている。
《似ている二つのファシズム体制成立》
「第二次安倍内閣の7年8ヶ月」は、大正時代末から日本陸軍・関東軍の陰謀による満州事変の開始までの過程に類似している。私はそう感じている。この期間にファシズム体制が完成に向かったと思うからである。
フアシズムとは、国民が立法を基盤にして司法・行政三権の国政を遂行するシステム(立憲主義)を、「逆転」させられることである。自らの正当性をタテに、権力が国民を一つの言動に包み込むシステムである。具体的には、1931(昭和6年)年9月18日の満州事変までの5年間にそれは起こった。軍部は、テロとクーデタという暴力を行使して、独裁的権力を獲得した。
正当性を担保したのは昭和天皇であった。1932(昭和7)年1月の勅語で、天皇は満州侵略に正当性を与えた。中国への軍事進出に反対する者は「国賊・非国民」の構図が成立したのである。労働組合もメディアも挙げて戦争賛美に変わっていった。国民が「満州事変」を謀略と知ったのは戦後である。
《安倍第二次内閣が同じ道とはどういうことか》
「第二次安倍内閣の7年8ヶ月」で、ファシズム体制が完成に向かったとはどういうことか。行政が立法・司法の権能を奪いとり、安倍の妄想が現実になったことである。彼は何を正当性の根拠にしたのか。国政選挙における自公政権の圧勝である。安倍の脳内にある「民主主義」は政策を立法する議員数が決まるところで終わる。手段の目的化であり、しかも争点を隠して選挙をやった。
しかし軍部のような暴力装置を使わないのに何故に目的が達成できたのか。
官僚行政からの政治の自立性を取り戻すといって「内閣人事局」をつくり好みの人間を据えた。公認候補者の任命権を幹事長に集中した。人事局が選んだ官邸官僚が首相の意を汲んで計画し実行した。人事権が、如何にエリート官僚と、党員を変えたかは、安倍内閣の7年8ヶ月に我々が眼前に見た通りである。暴力装置は銃剣とは限らないのである。
《自覚なき「愚民化と大本営発表」の出口はあるか》
この間、大衆は愚民化しメディアは「大本営発表」の伝声管と化した。最大の問題は大衆にその自覚がないことである。
60年代に企業人となった私の世代の多くに、いま、共通する意識は徹底したニヒリズムである。「後は野となれ山となれ」「我が亡き後に洪水よ来たれ」の精神である。ウソと隠蔽が国民の倫理観と政治の公共性を奪い去った。この知的退廃が安倍政権の成果の核心である。同じことは「民主主義」の祖国アメリカ合衆国にも出現している。
出口はまだ暗い。「人間、負けると分かっている戦いを戦わねばならぬことがある」という。75年に一度の危機には一人一人が自立する。これしか脱出の道はない。平凡な結論で私の安倍政権評価第一弾は終わりである。(2020/09/07)
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