ドイツ通信159号 新型コロナ感染のなかでドイツはどう変わるのか(7)
- 2020年 9月 12日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
夏休みが終わり、再び学校が始まりました。朝7時30分頃になると、子どもたちが声を上げて自転車で家の前を通り抜けていきます。6ヵ月近く見られなかった光景です。日常生活にリズムが戻ってきそうです。
しかし、夏休みの旅行はコロナ感染を再び広げ始めました。学校、仕事場での不安がつのります。
ここで、ロックダウン期間中の各自の過ごし方が、現実対応への問題点を提供することになります。
その一つとして、子どもたちは両親とともに、またとない貴重な時間を過ごす機会が持てましたが、その共通する時間に家族と何をしてきたのかということが、学校再開にあたって逆に問いただされることになります。
別の面からこの問題を見れば、経済分野のほとんどが大幅なマイナスを記録しているのに対して、この半年間で売り上げを数倍伸ばしているのが、任天堂等のコンピューター・ゲーム産業です。
私たちは、ほぼ毎日、公園、森に出かけ自然を楽しみ、それまで知らなかった自分の住む町の新しい発見をして、感激していました。その時、一つ気になっていたのは、散歩する成人、年配者の姿をほほえましく眺めながら、子どもたち、少年たちの姿をほとんど見かけなかったことです。「どうしてなのかな」といつも考えていました。
今にしてわかることは、コンピューター・ゲームに時間を取られていたのでしょう。両親はHomeofficeと家事で、子どもの傍にいながら時間は拘束されています。〈共通の時間〉とは何だろうか、どういう意味があるのかと考えさせられます。
こうして半年が過ぎ、再び授業です。新しい周辺環境と対人規制のなかで、はたして子供たちが集中して勉強ができるのかどうか、学校側と共に両親の最大のテーマになります。さらに、感染対策への不信感も抜きがたいです。
9月1日から、私のコースも始まりました。そういう本人も久しぶりの再スタートですから、「どう進めればいいのか」、「コロナ対策は十分か」とかなり緊張しました。いつもの通り教務主任(歴史学者)と元気な再会を喜び、これまで会えなかった分のありったけの話題を話しまくり、そしてテーマが〈学校教育〉になったとき、「子どもの教育、特に低学年の子どもには、絶対に先生が必要だ」と彼はいいます。ロックダウンで学校が閉鎖されたことへの批判点だと、私は理解しています。
現在、感染の2波が語られる状況で、教育(経済)の再ロックダウンは避けたいという彼なりの責任への自覚だと思われます。
これを経済の面から見れば、今一つのトレンドとなってきているHomeofficeの両面を再考するいい機会になるのではないかと思われるのです。経済性(コスト)、有効性というの正の半面、プライベートな家族と子ども教育への過重負担という負の面も見逃されてはならないでしょう。現在の議論は、〈正の面〉が強調されすぎているように思われ気になります。
この点で学校側に目を移せば、Homeschoolingの重要性は語られますが、技術面が先行した議論になっていて、子どもたちに必要な社会・教育環境とIT-インフラをめぐる整備には、まだまだ煮詰められなければならない課題が山積されているように思えてなりません。それには教師の再研修、およびコンピュータを買えない家族の経済問題も含まれるわけですから、通常受業からオンライン授業への即座の転換には、高いハードルがあります。
私自身のスポーツや学校の経験からいえば、子ども、生徒たちに完成品入りの包みを、「これですよ」といって手渡すのではなく、彼(女)たちを連れて一緒に社会・教育環境を整えていくことの方が重要ではないかと考えています。
難民および移民子弟に関していえば、6ヵ月間家から出る機会も少なく、家族内では母語を話していたことは容易に推測できるところで、何の準備もなしに再び学校が始まれば、言葉(ドイツ語)の遅れが心配されています。授業での遅れとコミュニケーションの停滞は避けられなくなります。
こうした中での、学校再開となりました。しかし子供たちは、友人に会えて元気にしているようです。その意味でも、再ロックダウンは避けられなければならないでしょう。
もう一つのテーマは、生活スタイルの変化を感じさせることです。いい例が、食生活です。食事時になれば、とにかく簡単に手に入るもので済ましていた習慣から、〈食すること〉の意味を問い、意識的な栄養摂取に転換しつつあることです。それは、高級なものを食べて満足するということではなく、各自の経済条件に合った、しかし健全な食生活という意味です。ロックダウンの中で始まった各家庭の菜園造りから始まり、そしてまた、材料から料理の仕方まで考え抜いた食事療法です。考える時間が必要です。それによって各自は自分に帰り、そして他人をよく知るようになるでしょう。以前には、時間に追われて欠けていた思考方法です。
〈いつもの通り〉というのは一種の熟練ですが、同時にまた(退屈な)慣れにもなります。それを破壊したのがコロナ禍でしょうか。そこで人はどう考えるかということでしょう。
そこに不安を感じるか、あるいは自分のそれまでの生活を振り返り、現在とこれからの存在意義を考え直してみるか、世界はこの分岐路に立たされているように思われます。
「世界は」などと大風呂敷を広げるわけではないですが、コロナ感染が世界を席巻している現状では、そのことを各国の各自に問いかけているはずです。国境を越えたところでの、人間存在の本質的な議論であるように思います。
他方で、ロックダウン中の著しい経済成長を成し遂げた産業が、各家庭への食料の直配会社だというニュースに接すれば、どこにでも単純な解決策のあることに驚かされます。買い物への不安のある、さらに一人住まいの年配者、病者への生活資料あるいは食事の配達は、コロナ感染では不可避な援助活動であるのは言うまでもないですが、若い、そして一般家庭に属する人たちの直配サーヴィスへの依存は、私には考えられないことです。料理もできないのかといいたくなりますが、ここに見られるのは、コロナ前―中―後も何の変化も認められないことです。むしろ解決策は極端に単純化されているといえるでしょう。
いずれにしろ、ここで社会が二極化し、一方で新しい価値観を目指そうとすれば、他方でより以上の単純化が極められていることです。以前にも確かに二つの要素が密接し、議論され、相互対立してきたのは事実で、しかし、その受け皿が社会にありました。社会は機能していました。それを〈ドイツの民主主義の強さ〉と表現されてきました。ところがコロナ禍の中で、対極に分岐してしまっているところに、現在の政治的な危険性が認められます。
一言でいえば、社会が切り裂かれて真ん中に深い亀裂が生じているのです。これを象徴しているのが、2020年5月10日、11日に公然と登場してきた、組織された〈反コロナ規制〉集会とデモ
でした。
それを見て、「危ない!」と思ったのは、単に政治的な傾向だけではなく、各個人に暴力的な脅迫。威嚇を予兆させるからです。当日がそうでした。集会周辺を、マスクを着用して通り抜けようとした市民に、集会参加者が詰め寄り、マスク着用を難詰したと伝えられていました。
同じような個人攻撃は、ベルリンの移動中の電車の中でも報じられていました。一人の女性が、マスクをしない年配夫婦に注意したところ、これみよがしの挑発するような対応に出会ったというのです。
ドイツだけに限りません。フランスでは、現在、再度、コロナ規制が強化されてきているところ、市民の信頼感を失くしつつあるマクロン政権への反発、挑発も含めて、マスクなしにパン屋に買い物に行って注意され、そこで大きな混乱が起きているかとおもえば、年配者たちは、承知のうえで訪問してくる家族、孫たちと抱擁し、キスしあっているとも伝えられています。これが、当然、ホットスポットの一つになっています。
厳しい全面的な外出制限を布いたフランスが、ロックダウンを段階的に緩和したのは、5月中旬のことです。それ以降、ドイツと比べてはるかに急速な規制緩和に向かいました。
以上の過程を数字的に見れば、全面的な禁止率を100%として、ドイツの場合は規制率65%から54%、フランスの場合は88%から43%への緩和だといわれています。
フランス市民にとってみればロックダウン中の、何もない、できないゼロの状態から、突然、すべてのことが可能であるような錯覚が生じてきたとしても当然です。ここにある精神心理学的な後遺症と衝撃が、その落差の大きさとともに、現実への無関心と冷淡、ニヒリズムを生み出している原因だと思われます。
「コロナは存在しない!」という発想も、同じようなところに根を持っているのではないかと考えますが。
社会とともに人間関係が裂かれ、「コロナ規制反対派」からの挑発、扇動が、日常茶飯事化していく傾向を示しています。これが、実は、私が家を出て日常の用を足し、電車で移動して、別の町で仕事をするときの最大の不安になっています。
それを象徴するのが、8月1日(土)と29日(土)に開かれたベルリン〈6月17日通り〉での〈アンチ・コロナ集会〉でした。
下の写真は、29日の極右グループが国会議事堂に突入しようとして警察官に阻止され、気勢を上げているところです。日刊新聞「Frankfurter Rundschau」紙2020年9月1日付の一面に掲載された写真です。
8月1日には2万人の結集があり、対人距離とマスクを拒否していたことから警察が介入し、デモ、集会は解散させられました。2万人という数字に驚かされ、さらに集会主催者は、29日にはそれを上回る―10万人と前触れの集会とデモを計画していました。この「10万人」という数字は、もちろんプロパガンダ用の大言壮語でしかありませんが、簡単に無視できない結集力を持っていることは事実ですから、その成り行きが心配でした。
憲法擁護局の情報によれば、今年4月末以降、90以上の〈反コロナ〉集会が開かれ、極右派の影響を示していると報じています。
この夏の期間には、またフランクフルト等の都市部で、20歳前後の青年たちの夜間パーティーが町の中心広場で開かれ、規制しようとする警察官との騒然とした状況が繰り広げられ、社会の流れには騒乱、混乱、暴力が前面に出てくるようになっていました。コロナとの直接な関係性は軽率には指摘しかねますが、しかし、社会と市民意識の底辺部に何かが澱のようになって堆積しているのかが伺われます。爆発するのは、時間の問題ではないかと恐れていました。
そして8月29日、「6月17日通り」――東西ドイツを結ぶ基幹道路で、戦勝記念塔からブランデンブルグ門にまっすぐ伸びる通り――は、集会参加者で埋め尽くされました。警察発表で3万8千人といいます。前回と同じく対人距離もマスクも拒否しています。
この集会日直前に、ベルリン市は集会禁止の決定を出しますが、集会主催者が上級行政裁判所に決定不服訴訟を起こし、それが認められたのが集会一日前の金曜日でした。
市の集会禁止理由は、
1.市民の「基本的権利」―集会、発言の自由は、当然保障されなければならない。
2.しかし、コロナ感染の中で、「公衆衛生規則」による市民の生命を守るために「基本権」が制限されることは、憲法に違反しない。
3.集会参加者は、しかし「公衆衛生規則」を破ることが予想される。
これに対して、上級行政裁判所の決定は、
1.と2.を承認しながら、3.で、「具体的な事例」に欠けるという判断で、市の禁止令を覆します。
法律の専門知識のない私の理解ですから誤解があるかもしれませんが、要点を以上のように整理できるかと思います。
事前の情報によれば、この集会に3000-4000人のネオナチ、極右派グループの参加することが予想され、さらに極右派グループの中核部分は「国会突入」を公然と呼びかけていました。
新聞の写真にも見られるように、黒―白―赤の三色旗、ドイツ帝国国旗を翻しているのがその部分になります。
集会とデモは、「公衆衛生規則」違反によって午後に解散させられますが、人波はブランデンブルグ門に向かいます。それに対抗するために国会正前に布陣を取っていた警備部隊が、建物の側面に部隊を移動した隙をついて、午後7時頃、300-400人といわれるネオナチ、極右派、AfD青年部のメンバーが警備用柵を飛び越えて国会正面入り口に向かいます。手薄になっている警備ですが、数人の警察官がその流れをどうにか押しとどめました。
戦後ドイツ民主主義の国会議事堂に、こうしてカイザー時代の〈帝国国旗〉が翻りました。
決して、突然に起きた自然発生的な行動ではありません。周到に計画された組織的行動だと私は理解しています。それ故に、社会への衝撃には大きいものがありました。問題は、それをどう理解するのかということでしょう。
「民主主義の破壊」、「恥ずべき行為」であることは言を待ちません。しかし、その意味が問われなければならないのです。
以下、考えられるいくつかのポイントを、私なりに整理してみます。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10104:200912〕
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