福山市の医療機関でYさんが受けた差別に対する医師の再謝罪文は「差別」を完全にスルーした
- 2020年 9月 13日
- 評論・紹介・意見
- 「ピースフィロソフィー」
福山市HPの「人権」ページ。(9月12日にアクセス) |
この投稿は、以下の投稿の続報です。まだの人は以下を読んでください。
7月29日 福山市が市民に提供する無料風疹抗体検査を受けた福山市民のYさんが担当医師から受けた差別
8月6日 福山市の無料風疹抗体検査で医師から差別を受けたYさんからの経過報告
8月25日 福山市の医療機関で差別を受けたYさんに対する医師の「謝罪」と市の対応についてYさんからの報告
上の8月25日の投稿と、7人の人たちのコメントを読めば、最初の医師からのYさんへの謝罪文と、それに対する市役所の「人権」担当者の対応は、二次加害に等しいことは明白であろう。それを受けた医師は、さらなる謝罪文を、今度は封書で市に託してきた。Yさんが市から受け取ったのは9月5日である。Yさんは医師が今度こそ率直に差別したことを認め、誠実に謝罪するのかと思ったら、期待は裏切られた。プライバシーを確保した上でその二度目の「謝罪文」をここに紹介する。
(名前)様へ
9月2日に福山市職員の方がおいでになり、8月19日にYさんにお渡しした手紙に対するYさんのお気持ちを詳しく伺いました。それを聞いて、私の手紙は対応の説明に終始しており、Yさんのお気持ちに沿っていなかったことに気づき、深く反省している次第です。誠に申し訳ありませんでした。
改めて、自らの言動を振り返ってみて、私の認識の甘さ、発言の重大さを理解し、自責の念に駆られております。さらに、そのことがYさんの心を傷つけ、Yさんを苦しめてしまったことを心より申し訳なく思っております。
今後は同じ過ちを二度と起こすことのないように、正しい認識を持って、より一層、患者さんの気持ちに寄り添った診療を行ってゆきますので、どうぞご容赦下さいますようお願い申し上げます。
2020年9月2日
(医療機関名と医師の署名)
以下がこの手紙に対するYさんの所感である。
前回のメールを受けた後、市職員には、医師には以下のように伝えて欲しいと言った。「謝罪は受け入れられない。謝罪の気持ちの大きさは問題ではない。受け入れられなかった理由を知りたければブログを見てほしい。その上で、過ちに気づいたら、謝罪を受け入れる用意がある」と。
その後もらった今回の手紙には、「対応の説明に終始」していること、私を傷つけてしまったことへの謝罪が記されている。頑として差別をしたことを認めないのに、あくまで傷つけたことへの謝罪を繰り返したり、「ご容赦ください」と言うのは、私を責めているようにさえ感じる。率直に言うと、加害者の被害者化ではないか。
Yさんの「頑として差別をしたことを認めない」という言葉に、この医師の再謝罪文の問題の根本がある。
私も、この手紙を見せてもらっての最初の感想は、「差別を完全にスルーしている」ということだ。自分の対応が「Yさんの気持ちに沿っていなかった」、「Yさんの心を傷つけた」、「Yさんを苦しめてしまった」と、個人間の感情に問題を還元し、これが客観的な差別であったということを否定しているのである。これは、差別だけでなく、セクハラ、パワハラ、DVの加害者が取る常とう手段でもある。ハラスメントや暴力を振るったということに目をつぶり、「自分があなたを傷つけてしまったのでそのことに謝る」と言うことでハラスメントや暴力を結果的に否定するのである。一見、平謝りに謝っているように見えるから周囲にも「この人はこんなに謝っているんだから」という印象を与えてしまうかもしれない。そうなると「こんなに謝っているのに許してくれない」と、被害者に矛先が向いてしまいかねない。実際この医師自身がそのように思っている可能性がある。Yさんが上で「加害者の被害者化」と言っているのはこの点だ。どんなに謝ったって、自分が犯した過ちが何なのかを言うことができず、それを言わないことによって否定しているのではその謝罪に何の意味もない。
私がこの医師に聞くとしたら、今後は起こさないとしている「同じ過ち」とは何なのか、「正しい認識」とは何を指すのかを聞きたい。もし差別を認めているのなら、「同じ過ち」というのは差別のことである。「正しい認識」というのは「差別をしない」認識のことである。しかしこの医師の文面からは、「同じ過ちをしない」とは患者の「心」に「沿わ」ず、「傷つけ」、「苦しめて」しまわないことであり、「正しい認識」とは、「患者の気持ちに寄り添った診療」ということなのだろう。この医師はすでに自分が普段から患者に「寄り添って」いるという自負があるから、「より一層」という但し書きまでつけている。「こんなに寄り添おうとしている自分が、それでも気持ちに沿いきれずに傷つけてしまったので、より一層患者の気持ちに寄り添う」と言っているのである。はっきり言って、キモイ。「心」とか「気持ち」の次元に踏み込むことによってこの医師はYさんの内面に不必要に入り込んでいるとも思う。だからキモイのだ。
この医師さんに言いたいが、差別をしたことを認めさえすれば、謝罪は一回でいいし、「気持ち」とか「心」とか、「苦しめてしまった」とか、キモイことを言う必要はないのである。「心」とか「気持ち」とか、そういう次元ではなく、ただ普通に、フェアに、差別せずに、他の人と同じように扱えばいいだけの話なのである。
差別したことを認めてください。そうでなければあなたはまた差別をやります。差別を否定すること自体が差別なのです。それでは再発防止にはなりません。今後、あなたの医療機関にも、他の医療機関にも、福山市に対しても、ひいては日本社会全体に対しても、これがいい教訓になるように、差別したことを認めて、この問題に一つの区切りをつけてください。
乗松聡子(@PeacePhilosophy)
初出:「ピースフィロソフィー」2020.9.11より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.com/2020/09/y.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10106:200913〕
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