私は非常識な少数派ではない ―後期高齢者の安倍政権評価―(3)
- 2020年 9月 21日
- 時代をみる
- アベファシズム半澤健市
《ファシズム体制下の「権力の維持」》
ファシズム体制下では「権力の維持」自体が目的化する。次はその実例だ。
安倍晋三の母方の祖父岸信介は、「満州国」を経営し、東条内閣の閣僚として戦時経済の兵站を支え、戦後は東京裁判のA級戦犯容疑者となった。しかし東条ら7名に絞首刑が執行された翌日に釈放され、政界に復帰した。私(半澤)は、1950年代中頃、岸信介の講演を聴いたことがある。記憶が正しければ、総合雑誌「改造」が主催したもので、会場は日比谷公会堂だった。なぜかもう一人の弁士は作家伊藤整であった。記憶に強く残るのは岸が「私は近く総理になる」と言ったことである。政治家がそういうのは珍しくはなかろう。しかし当時大学生だった私は、今でも岸の自信満々の演説を記憶している。
ある「特異な時代」は、ある「特異な人物」を調達するのであろう。
ファシズム体制にあっては「敵か味方か」だけが正否のモノサシとなり、システム維持が権力の目標となる。「9/11」後の米国の「愛国法」も「敵か味方か」を国内外に迫った。2020年9月15日、菅政権は安倍晋三の実弟・岸信夫氏をを防衛大臣に抜擢した。ファシズム体制下では、国家全体が壮大な「私物」となるのである。
《私の「フアシズム体制」論は非常識でも少数派でもない》
読者は、私が執拗に安倍政権を「フアシズム体制」と書くのをみて、「非常識な少数派」だとみていると思う。ここで、そうではないことを二人の例で示す。
政治学者白井聡(しらい・さとし)、立憲民主党衆院議員中村喜四郎(なかむら・きしろう)の両氏である。私のような退職企業人と違い現役の著名人である。
■白井 聡氏
8月28日に白井氏は「朝日新聞」SNS版「論座」に安倍政権論を書いた。1日で2000件の反応があり、今も深く静かに続いている。「永続敗戦論」、「菊と星条旗」の明快・単純な「対米従属論」でセンセーションを巻き起こした白井氏は、「論座」のエッセイにこう書いている。
■安倍政権の7年余りとは、何であったか。それは日本史上の汚点である。この長期政権が執り行なってきた経済政策・社会政策・外交政策等についての総括的分析は、それぞれの専門家にひとまず譲りたい。本稿で私(白井)は、第二次安倍政権が2012年12月に発足し現在に至るまで続いたその間にずっと感じ続けてきた、自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感とその理由について書きたいと思う。こんな政権が成立してしまったこと、そしてよりによってそれが日本の憲政史上最長の政権になってしまったこと、この事実が喚起する恥辱と悲しみの感覚である。(中略)
数知れない隣人たちが安倍政権を支持しているという事実、私からすれば、単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷(ていおんやけど)のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意を持って暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた。
■中村喜四郎氏
BS-TBSの「報道1930」は中村喜四郎氏のユニークな言動を詳報した。
https://www.bs-tbs.co.jp/houdou1930/archives/index.html
9月15日放送分のハイライトを是非見て頂きたい。
《先ずは一部でも読んで頂きたい》
上記二つのサイトの内容を是非読んで頂きたい。この二人の日本観に私は完全に共感する。白井氏への読者の反応は同感が多い一方、政治学者はいつ「詩人」になったのかという批判も多くあった。それも含めて白井氏への反応もまことに興味深い。
後期高齢者の安倍政権評価(3)はこれで終わりである。(2020/09/17)
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