大坂なおみの衝撃 Black Lives Matter
- 2020年 9月 24日
- 評論・紹介・意見
- 人種差別大坂なおみ小原 紘差別
韓国通信NO648
大坂なおみ選手がテニス全米オープンで2度目の優勝を果たした。プロスポーツにあまり関心がない私だが、朗報を聞いて思わず快哉を叫んだ。
試合中にまたもや起きた警察官による殺害事件。抗議のために棄権を表明したが撤回、彼女は怒りと執念を燃やし続けた。
一試合ごと殺害された7人の黒人の名前をマスクに書き込んで登場した彼女の姿に胸が熱くなった。
「私はアスリートである前に黒人女性」「自分の信念は譲らない」「抗議は人権の問題」と答え、インタビューの最後に「黒人差別の問題をあなたはどう考えるか」と世界に問いかけた。
黒人の殺害が相次ぎ、全米、全世界で抗議運動が繰り広げられている。抗議運動を「反米運動」「左翼闘争」と決めつける大統領。戦後75年たっても無条件に米軍基地を提供、高額武器の大量購入、内政、外交にわたってアメリカの言いなりになってきた日本。日本人として「アメリカとの向き合い方」が問われている。
大坂なおみの抗議は、自分が置かれている黒人差別に向けられていたが、「人権問題」と言い切った時、普遍的な問題に意識が向かっているのを確信した。彼女と人権侵害に苦しむ人たちとの境界線はなくなり、思想、信条、宗教、国籍、性別、年齢、肌の色の違いによる差別に苦しむ人たちとの壁がなくなっていた。
日本にも山のように差別がある。22歳の彼女が世界の舞台で差別と闘う姿から、大いに励まされ勇気をもらったに違いない。「あなたはどうするのか」と問われ、闘わなければ、努力しなければ何も変わらないことを彼女から学んだはずだ。
<差別に苦しむ人たちのために>
大坂選手は一人間として黒人の生きる権利を主張して大会に臨んだ。彼女たちの「Black Lives Matter」という主張は、虐げられ差別されている多くの人たちから「Human Lives Matter」(人間は誰も生きる権利がある)と受け止められた。彼女はその期待を裏切ることなく必死に戦い抜いた。
新型コロナは世界中のあらゆる差別を可視化した。
非人間的な貧困と格差社会の実態、富を独占する富裕層と無能な政治家たちの存在が白日の下にさらされた。このまま「黙って死を待つ」わけにはいかない人は無数にいる。大坂選手はその人たちのために戦ったように見えた。力を尽くすことの大切さ、闘うことの素晴らしさを教えてくれた。
<アスリートも芸能人も人間だ>
60年安保闘争の時分、「社会主義になると野球がやれなくなる」と語ったのは読売ジャイアンツの長島茂雄選手だった。以降、スポーツ選手は保守の「看板」になった。運動選手は何も考えない人の代名詞となった。話をするのを仕事にしている俳優や芸能人は「どうでもいいこと」以外しゃべらなくなった。冷や飯を食うことを恐れて人権(人間)を語らず沈黙した。勇気をだして政治を語ると激しいバッシングを受ける日本社会。譲れない「人権」を語った大坂なおみがまぶしく見えた。
<9月3日 我孫子>
命を奪い、奪われるのが戦争。今年93歳になる仙台の叔母が近くの女性たちの集まりに呼ばれて、戦争中の体験談を話した。戦争末期、学業を半ばにして動員された栃木県の中島飛行機で戦闘機づくりに従事した苦労話を語り、「二度と戦争はしてはいけない」と締めくくった。
「戦争をしてはいけない」と語る老人が少なくなった。そのかわり、過去を忘れさせようとする人、忘れたがる人たちが急増中だ。敗戦を終戦と言い募る人たち、日本の侵略と加害を自虐史観と決めつけ非難する人たち。
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災のドサクサに、流言飛語によって数千人もの朝鮮人が官憲、自警団員によって殺された。デマが内務省から伝えられると関東各地で未曽有の犠牲者が生まれた。正確な死者すらわからない虐殺事件は軍隊が出動して鎮静化したが、国が引き起こした世界に例のない虐殺事件に変わりはない。トカゲのシッポ切りのようにわずかな人たちが処罰を受けただけだ。
今年も東京都墨田区横網町で開かれた慰霊祭に小池東京都知事は追悼文を送らなかった。
たかが追悼文と思うかもしれない。都知事の対応に合わせるかのように、虐殺事件は「デッチあげ」と主張する者まで現れた。アメリカの黒人殺害とは比較にならない規模、それも国をあげての人種差別虐殺事件だが、政府も東京都も真相解明はおろか反省も謝罪もしていない。追悼文さえ送らないのは明らかな虐殺隠しと言われても仕方がない。
9月3日、千葉県の我孫子駅前の八坂神社で慰霊祭を行った。知る人がほとんどいない虐殺事件<我孫子事件>の現場。境内で3人の朝鮮人が自警団によって撲殺された。
あらためて『千葉県史』と『我孫子市史』を読みなおした。今年は地元農民が書き残した日記『増田実日記』を読み、一市民が見た「不逞朝鮮人」の襲撃に怯える住民たちの姿を知った。
4年前に『市史』を読んで事件を知った。以来ささやかな慰霊を続け、今年で3回目になる。千葉県では船橋を始め、判明しているだけで、12か所で80数名が殺された(千葉県史105p)。
「あったことを無かったことにする」社会の風潮のなか、「あったことはあった」と、97年前の事実を多くの人に知ってもらいたい。
1914年から我孫子の手賀沼湖畔に住み、李朝陶器・工芸品から朝鮮人の心を知り、日本による文化侵略、植民地政策に反対し続けた柳宗悦を誇りに思う我孫子市民ならわかってもらえそうな気がする。
去年は有志3名、今年は2名が参加し、花と線香を手向けただけの慰霊祭だった。もっと多くの人に知らせる努力をしたい。来年も慰霊祭を続けよう。
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〔opinion10135:200924〕
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