行政エリートと教育現場のゆきちがいについて
- 2020年 9月 28日
- 評論・紹介・意見
- 『これからの日本、これからの教育』官僚教師教育阿部治平
――八ヶ岳山麓から(324)――
前川喜平・寺脇研の『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書 2017)という本を読んだ(対談なので以下「対談集」という)。
前川氏は文部科学省OBへの再就職斡旋問題で文科省次官を引責辞職し、その後加計学園問題をめぐって「(獣医学部の新設は、安倍)総理のご意向だ」とする文書は文科省内に存在する。あったものをなかったとすることはできない、と勇気ある証言をした人である。
寺脇氏は前川氏の文部省の先輩で、いわゆる「ゆとり教育」推進の立役者である。支持と批判の渦巻く「ゆとり教育」を提唱し実践した結果、文科省から追い出されるような形で退職し、いま大学の先生として教育問題についてさかんに発言し続けている人で、エリート官僚とすれば異色の人物である。
私は1965年から1999年まで高校の教員だったから、ご両所が進めた教育政策を幾分かは実践したことになろう。「対談集」では森友・加計問題や高級官僚と政治家の関係などが論じられ、ずいぶん学校現場とはかけ離れた議論をしているものだと思ったが、印象に残ったのは、「ゆとり教育」と「偏差値教育の追放」を巡る部分である。
「ゆとり教育」は1980年代に登場した。簡単にいうと教科内容を精選し、授業時間を削減するというものだった。寺脇氏らの「つめこみ」だけでは子供たちの生きる力には結びつかないという理念にもとづいて、小中学校高校で教える内容を減らし、児童生徒が自由に考え活動する時間を設け、暗記の苦痛から解放しようとしたのである。
「ゆとり教育」が提唱されたのは、それまでの「つめこみ教育」が大量の「落ちこぼれ」を出した、その反省からである。高校で同僚だった友人はこういった。
「当時は生徒の問題行動(非行)が続出したために、夜中でも土・日でもおかまいなく家庭訪問をし、警察へ行って頭を下げたり、生徒をもらい下げたりで忙しかった。高校で、こうした非行に走る低学力の生徒たちが小中学校で積み残してきた基礎学力を取り戻すことなど望むべくもなかった。あらためて小学校の段階からカリキュラムを精査し、授業時間を削減することは妥当なことだと思った」
だが、「ゆとり教育」は10年前後しか続かなかった。なぜか。
教科書会社がつくった教師用指導書「虎の巻」と教科書とに頼って授業を展開するのに慣れたものにとっては、教材を作りながら授業をやるのは、よほどの能力と時間的「ゆとり」がないと難しかったからだ。
我々現場の教員は、教科精選の結果生まれた「ゆとりの時間」を持て余すことが多かった。趣旨説明は不十分、予算も施設設備もないなか、「好きなようにやれ!」と言われても、どう授業をやったらよいか困ったのである。同僚の一人は毎週「ゆとりの時間」に郷土料理教室をやって、かなり多額のポケットマネーを持ち出した。「ゆとり」もなにも、部活動で腹をすかした生徒が殺到したからだ。
寺脇氏は「ゆとり教育」の反対勢力は三つあったという。一つは学校とは、ひたすら知識を詰め込む場であって、学ぶ側の主体性などどうでもよいという守旧派。第二は新自由主義者で、学校と子供を競争にさらしその中でナンバーワンが生まれなければ意味がないというもの。第三は教員組合などの主張で、「ゆとり教育」を入れたら学力格差が拡大するばかりだという平等主義である。
私は「ゆとり教育」支持派だったが、第三の平等主義に同調した。当時、「これからは塾や予備校が繁盛する」「親の経済力が今まで以上に成績に反映するようになる」などと、同僚間で議論したことをおぼえている。
日本の学校は、上と下がすぼんでまんなかが膨れた紡錘型の格差構造である。高校では東京大学合格者を出す進学校を頂点とし、大学では東大を頂点とする。「ゆとり教育」のカリキュラムによって授業が早く終わり土曜が休日となれば、親は子供を少しでもましな学校に進学させるために塾や予備校に通わせる。だから寺脇氏らの思惑と現場は違い、「ゆとり教育」が子供の生活に「ゆとり」を生むことははじめからあり得なかったのである。
いまも親が貧しいものはハナから弱者だが、さらに受験技術を教えてもらえる塾・予備校のない田舎の高校生は、授業時間が減った分、大学受験においては以前に増して不利な立場に置かれた。30数年前、東京大学の丸山昇先生は私に「近頃は地方の秀才をあまり見かけなくなりました」といった。同じ趣旨を京都大学の佐和隆光名誉教授も著書の中で発言しているが、これは当然の結果だった。
前川氏も寺脇氏も、「ゆとり教育」を実施する際に、それが塾・予備校通いの増加という作用を生み出し、社会的には親の経済力による成績格差の増大を生むということに考えが及ばなかったようだ。
もうひとつの私の関心事、「偏差値教育の追放」とは次のようなものだ。
1992年に埼玉県教育長竹内克好氏は、中学校長らに対して「業者テスト」を基準にした進路指導をやめるべしと発言した。これを受けて当時の文部大臣鳩山邦夫氏は、業者テストによる偏差値輪切りを「公教育において、あってはならない」ことだと発言した。その結果94年度高校入試から、全国の中学に対し業者テストの偏差値を進路指導に使ってはならないという指導が行われた。
業者テストの結果を利用できないとなると、中学の教師は、素手で高校選びの指導しなければならない。結果は子供も親も、確かなことを言えない中学を見限り、塾や予備校を頼るようになった。いきおい、彼らは学校の授業よりも塾・予備校のほうを重視することになる。
友人によると、その後校長会によって実施される地域共通テストが登場し、その結果から偏差値を算出することを県教委も認めざるを得なくなった。その偏差値をもって、私立高校の「相談会」に行くと、高校側は業者テストの偏差値と同様の扱いをして入学の内定を出すようになったということだ。
「ゆとり教育」は結局、保守派とメディア、さらに教員組合からも叩かれて、10年ほどで悪評の中に沈没した。国際的な学習到達度調査の結果、日本の子供の学力が低下していると判断された、いわゆる「2003年ショック」が決定的であった。だが、ほんとうに学力が低下したかどうかは、教委も政党も研究者も、だれも実証してはいない。
前述のように、「ゆとり教育」は世間の非難を浴びる前に挫折していた。主には我々教員に「ゆとり教育」に対応する能力がなかったからである。別な言い方をすれば「つめこみ教育」のほうが楽だったからだ。
現在も教師たちは、過酷な労働条件の下で疲れ、学習について行けない子供や、いじめにあっている子供、自殺など「生きる力」を喪失してしまっている子供に十分向き合う余裕がないと言われる。教職志望者が減少するのもやむを得ない。
一方、「教えて考えさせる授業」が提唱されている。教師の説明・理解確認・理解深化・自己評価という4段階で授業を進めるというものである。提唱されてかなりの時間がたつが、どの程度受け入れられ実践されているだろうか。
飛躍するようだが、ここには教員の労働条件の問題と並んで、資質・力量の問題が存在する。私は教員の資質・力量を抜本的に向上させなければ、どのような優れた提案も実践はできないと考える。日本全体の教員の能力が教育先進国なみになってはじめて、児童生徒の学習成績も国際的比較に耐えられるようになり、個性ある独創的発想をする子供が生まれる。
そのためには、公立私立を問わず学校教員の知的能力を修士課程修了程度にたかめ、給与を大幅に引き上げ、完全な休暇を保証し、在職研修を形だけのものから実のあるものにする必要がある。かりにフィンランドに倣うなら、教師の社会的地位の評価を医師・弁護士に次ぐ程度に高めることを目標にすべきであろう。こうしてはじめて高い資質を持った教員志望者を増加させることができる。
「ゆとり教育」の失敗も「偏差値教育追放」の失敗も、どこか似たところがある。くりかえすけれども私見では、「ゆとり教育」が空回りしたのは、教員の資質と力量を向上させる課題を見過ごしたためである。その教育政策はいずれも、理想論の表層を掬っただけで終わっている、という点だ。実際寺脇氏は、この「対談集」の中で、偏差値教育をなくすことの意義については語っているが、今日までこれがなくならない理由についてはあまり語っていない。
今日の教育の閉塞状況を打破するために、前川氏や寺脇氏など教育界に影響力を持つ人たちには、あらためて具体的かつ現実的な提案をしてもらいたいと思う。これは元高校教員の、切なる願いである。(この稿はかつての同僚4人の協力による。反論を期待したい)
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〔opinion10143:200928〕
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