10月31日・(オンライン)世界資本主義フォーラム・矢沢国光「資本主義国家の成立(2)」のご案内
- 2020年 10月 11日
- スタディルーム
- 世界資本主義フォーラム矢沢国光
- 主催 世界資本主義フォーラム
- 日時 2020年10月31日(土) 午後1時30分~4時30分
- ZOOMによるオンライン方式で実施します。
- 報告 矢沢国光
- コメンテーター 小林襄治(元専修大学教授、金融史)
- テーマ 資本主義国家の成立(2)――ドイツ帝国と第一次大戦
- 商人は国家の保護下にあり、「国籍のない商業」というものはない。
- 資本主義をどうとらえるか不明だ
- 「国民経済」の定義が不明確
- 主権国家、国民国家、資本主義国家の関係が不明確
- 第一次大戦と第二次大戦を一続きの戦争と見る理由は何か?第二次大戦と世界恐慌の関係をどう見るか
- 中央銀行・銀行券・国民経済・資本主義国家の関係が不明確
- パックス・ブリタニカにおけるアメリカの役割が欠落している
- 中心国と諸国民経済の間の国際的な金融・貿易・サプライチェイン関係
- 各国国民経済内部の資本循環
- 上の二つ(国際経済と国内経済)の結合環
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- 参考文献
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- 2020年11月21日(土) 13時30分~17時
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- 2021年1月 会場未定
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参加方法
(1)どなたも参加できます。参加費500円(あと払い)
(2)前日(10月30日)までに
■氏名
■オンライン参加する際のメール・アドレスを書いて、矢沢 yazawa@msg.biglobe.ne.jp 宛に、メールをください。
※参加申し込まれた方に、参考資料・報告予稿を送信します。早めに申し込んでください。
(3)10月31日 午前10時頃までに「ミーティングへの招待」のURL[ネット上のアドレスを示す文字列]を送信します。それをクリックして「ミーティングに参加する」をクリックすれば、自動的につながります。
(4)ZOOM接続が初めての方は、事前に接続予行することをおすすめします。矢沢まで、連絡ください。接続予行の日時をお知らせします。
【主旨】
[1]政治経済学の目的は、(1)世界資本主義の生成・発展、没落の不可逆的な過程を描き、(2)現段階[なぜ最終段階かも含めて]の世界資本主義の経済的政治的困難を明らかにし、(3)脱資本主義・脱主権国家(=社会主義)に向けてのさまざまな取り組み・諸闘争の意味を確定することにあると考える。
[2]その目的に向けて、昨2019年5月18日のフォーラム・矢沢国光「戦争・国家・資本主義 その1資本主義国家の成立――世界資本主義論の再構築のために」では、以下の構想を述べた。[矢沢国光「2019年5月18日世界資本主義フォーラム・矢沢報告資料『暫定・資本主義像』」]
(1)世界商業と国家――国籍のない世界商業から国家に取り込まれた世界商業へ
13世紀に北イタリアから始まり17世紀オランダで最盛期を迎えた「国籍のない」世界商業(商人資本・金貸し資本)が、イギリス、フランス等の国家に取り込まれた。
国家[海軍、財政、資本の内外循環]に取り込まれたイギリスの世界商業は、イギリスを世界の工場・世界の貿易センター・世界の金融センターへと押し上げ、2つの三角貿易による「商業革命」(川北稔)(1640-1740年)が、都市の所得・消費拡大をとおして、(第一次)産業革命をもたらした。
(2)イギリスにおける国家と資本主義経済の結合――「財政=軍事国家」というシステム
シュンペーターは、領主が(外敵という)「共同の困難」を指摘し、等族がこれを承認したその瞬間、私的領域に対する公的領域――「国家」――が生まれた、という。近代国家では、「共同の困難」に対処する方法は徴税だ。それゆえシュンペーターは、近代国家はすべからく租税国家だという。
フランス革命前のフランス(ルイ14世~ルイ16世)は、租税国家ではあったが、国王の「家産」と国家財政が分離していなかった。そのため、国王の戦争支出は、国王の借金で賄われ、借金の返済のための増税策(三部会の招集)がブルジョアの反乱を招いて、王政が崩壊した(1789年仏革命)。
租税国家は、近代国家ではあるが、資本主義の国家ではない。資本主義国家では、国王の王室財政とは別に「国家の財政」が成立し、「財政国家」となる。
財政国家の始まりは、1688年イギリス名誉革命で、国王から財政権力を奪ったイングランド地主議会の「財政=軍事国家」(ジョン・ブリュワ)である。「財政=軍事国家」のイギリスこそ、資本主義と国家が結合した最初の資本主義国家といえる。
イギリスは、こうした「財政=軍事国家」のシステムによって、戦時に膨張した軍事支出を議会政府の保証する公債で賄い、公債をその後の平時の租税によって償還するという仕組みを確立した。また、戦争に伴う海軍の増強により、イギリスの海上覇権は「七つの海」に及び、海上覇権に支えられた世界商業がイギリスの財政を潤し、さらなる海軍建設を賄うという「好循環」が生まれた。
「財政=軍事国家」の成立はまた、世界商業と綿工業を基軸とする国内産業が結合して、イギリスに「産業資本」が成立する基礎となった。
イギリスは、「財政=軍事国家」という財政的基盤の上に、18世紀の4つの「世界戦争」(スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、アメリカ独立戦争)を経て、最強の海洋国家となった。
(3)最強国フランス王国の崩壊
イギリスと対称的に、17世紀ヨーロッパの最強国であったフランス王政は、ルイ14世のヨーロッパ覇権をめざす過激な戦争政策が挫折し、「財政=軍事国家」への転換をみることなく崩壊した。
しかし、フランスは、大革命と徴兵制の国民軍による革命防衛戦争を通して、史上初の「国民国家」になった。仏革命を乗っ取ったナポレオンは、強力な「国民軍」を指揮してヨーロッパ制覇をめざしたが、資本主義的金融機構の形成が遅れ、「財政=軍事国家」に転換することなく、反仏連合軍に敗退した。
(4)第一次大戦と戦争の意味の変化――「総力戦」
オーストリアとセルビアの対立が、三国同盟と三国協商の世界戦争(第一次世界大戦)へと発展した。17-19世紀的戦争[戦争により双方の力関係が明らかになれば、講和]のつもりで開始した世界大戦は、予期に反して長期化し、「総力戦」になった。戦争の性格が「(外交の)合法的な手段としての戦争」を超えて「総力戦」になってしまったのだ。
なぜか?
第一に、国家が「国民国家」となり、国民を戦争に総動員するようになったこと。
第二に、国家が資本主義と結合して「資本主義国家」となり、資本主義の工業生産力を戦争体制に総動員するようになったこと。
こうした二つの要因によって、資本主義国家の戦争は、「国民」と「資本主義生産力」を総動員する「総力戦」になった。
それとともに、戦争は資本主義国家間の対立を「講和条約」によって解決するための手段ではなく、対立国の存在そのものを否定する「絶滅戦争」となった。
(5)第一次大戦から第二次大戦へ
第一次大戦の「総力戦」としての中途半端性が、第一次大戦の延長としての第二次大戦への突入をもたらした。中途半端性とは、
第一に、ドイツの国家権力が、皇帝退位と敗戦により議会多数派に転がり込んだ形で社民党を中心とするワイマール政権へ移行した。ワイマール派[もともと「城内平和」で、戦争に賛成していた]による軍部の打倒・解体という過程がなかった。反戦・反軍部の社民党左派(共産党)は、ワイマール派によって、圧殺された。そのため、軍部が生き残り、「匕首伝説」によってナチスとともに復活する余地を残した。
第二に、戦争の意味の変化を認識せず、17-19世紀的戦争観で戦後処理をしたこと――ドイツに対して過大な賠償金請求をする反面、ドイツ軍事国家の解体を求めず、弱小国家の犠牲による領土の再配分。
そのけっか、イタリアのファシズム、ドイツ・オーストリアのナチス、日本の軍部が独裁政権を樹立。
また、ロシアは、兵士と国民の反戦からツァーの退陣(ロシア帝国の崩壊)、ケレンスキー政権を経てボリシェビキ政権へ。スターリン独裁政権のソ連は、資本主義の工業生産力を農村の飢餓輸出と中央集権的計画経済により導入し[第二次大戦突入後はアメリカの支援も受けて]、ナチスドイツに対抗しうる軍事力を形成した。
第一次大戦の敗戦国ロシアの軍事大国ソ連としての復活もまた、第二次大戦が第一次大戦の延長であることを示している。
第二次大戦は、第一次大戦による「戦争の性格の変化」、つまり「自国に有利な講和条約のための戦争」から「相手国の絶滅による自国の生き残りのための戦争」という戦争の性格の変化においてなお残る中途半端性をなくし、徹底するものとなった。
核兵器の開発と広島・長崎への投下は、こうした「絶滅戦争」という第二次大戦の性格を端的に示している。
[3]こうした問題提起に対して、[参照:矢沢国光「2019年5月18日世界資本主義フォーラム事後報告」]コメンテーター伊藤誠先生からは、「宇野『経済政策論』についてもやや手薄であった資本主義国家の「財政=軍事国家」としての成立、発展の一面を補うものとなっている。」という積極的な評価をいただいた。同時に、伊藤先生から、「…『資本論』の経済学にもとづき、その資本主義市場経済の原理的考察にもとづき、資本主義の世界史的生成、発展、終焉の現実的過程を体系的に考察する試みであることが、より一貫して明確にされることが望ましいのではないか。どのような意味で、マルクス経済学による財政学、国家論を再構築しようとしているのかが、十分読みとれず、むしろ戦争=軍事国家としての近代国家の生成、発展史論一般として読まれるおそれもなくはない。」として、以下の5点についての問題点が指摘された:
(1)世界商業と資本主義の生成(産業革命)の関係。(毛織物をキー産業とする本国―新大陸―アジア―本国の三角貿易が綿工業での産業革命を準備したことを見落としている、など)。
(2)近代国家が絶対王政としてはじまり、いわゆる資本の原始的蓄積を貨幣的資産の蓄積と農民からの耕地の収奪との二面で推進する役割を担っていた歴史的意義と必然性とを軽視している。
(3)17-19世紀ヨーロッパ諸国間戦争の意味(17-18世紀の戦争に関して、世界商業の形成と資本の原始的蓄積をすすめる、イギリスに典型的な重商主義的戦争の世界史的意義が見落とされている)。
(4)自由主義段階(自由貿易、戦争国家としての役割の縮小)と帝国主義段階(海外投資の権益を国家主義的に擁護する帝国主義政策)の、資本主義国家の役割の変化が不明確。
(5)第一次大戦の意義(ロシア革命とソ連型社会主義の誕生)と第二次大戦の独自の意義(社会主義への対抗)が見落とされている。
参加者からも、
等、さまざまな疑問、批判が出された。
[4]今回のフォーラム「資本主義国家の成立(2)」では、以上のような、伊藤誠先生およびフォーラム参加諸氏からの貴重な指摘・批判を踏まえて、「第一次大戦はなぜ起きたか」に焦点を当てることによって、資本主義と国家の結合としての「資本主義国家」の構造・性格を明らかにし、〈19世紀パックス・ブリタニカ―その破綻としての両大戦―パックス・アメリカーナ―その動揺としてのグローバル金融資本主義―脱資本主義・脱主権国家〉という資本主義の段階論的認識につなげたい。以下は、今回提起することの一部である。
(1)なぜ第一次大戦になったのか、世界資本主義論として、掘り下げる。セルビアと墺洪帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)の部分的な戦争が、なぜ4年に及ぶ(第二次大戦も含めれば、中断を挟んで30年に及ぶ)世界大戦になったか。その鍵を握るのは、パックス・ブリタニカ体制に対する後発資本主義・ドイツ帝国成立過程そのものにあったのではないか。
ドイツ帝国の成立の遠因は、フランス革命にまでさかのぼる。フランス革命は、フランス絶対王政を打倒したブルジョア革命であったが、打倒したのは、それだけではない。フランス革命とその延長としてのナポレオン戦争は、西欧・中欧・東欧の全大陸ヨーロッパの「旧体制」――ハプスブルグ帝国、オスマン帝国、そしてナポレオン帝政自体を含む「帝国」国家体制――を崩壊または衰退させた。
旧体制の崩壊・衰退後(1848年ヨーロッパ革命後)に出現したのは、19世紀後半のドイツ帝国、フランス第二共和制・第二帝政、イタリア等の資本主義国家である。
19世紀後半から第一次大戦に至る国際政治は、英仏独露の4列強の抗争であったが、その動力となったのが、先に述べた「旧体制」の動揺・崩壊の中から誕生したドイツ帝国であった。ドイツ帝国の比類なき軍事国家化とそれを支える経済圏(国民経済)の必要性が、ドイツ帝国指導部に「東方への国家領域の拡大、西方への安全保障確保」のための戦争に突進させた(*)。ロシアとの開戦、中立国ベルギーの突破とフランスへの進撃。ドイツ帝国のヨーロッパ制覇を座視できぬイギリスとアメリカの参戦は、その結果である。
*フリードリヒ・リストは『経済学の国民的体系』(1841)の中で、「オランダとデンマークのドイツ国民国家への統合」を当然のこととして述べている:「ドイツ国民は関税同盟によってはじめてその国民国家の最も重要な属性の一つを獲得したのである。とはいえこの措置は、オランダとデンマークとを包括してラインの河口からポーランドの国境にいたる全海岸地方にまで拡大されないかぎり、完全なるのとはみなされない。この結合の当然の結果として、右の両国はドイツ連邦へ、したがってドイツの国民国家へ加入することとなり、これによって同時にドイツの国民国家は、現在はまだ持っていないもの、すなわち漁業と海軍、海上貿易と植民地を獲得するであろう。いずれにしろこの両小国は、その起源とそのすべての特質とからいってドイツの国民国家に属している。…ベルギーは、隣のもっと大きい国民と連盟を結ぶという方法によってのみ、領土と人口との不足に伴う欠陥をなおすことができる。」(p230)
(2)資本主義国家の特質
こうして、第一次大戦は、フランス革命以前の「帝国」列強間の戦争と違って、資本主義列強(主権国家)間の戦争であり、そのことが、「総力戦」「世界戦争」という両大戦の性格を規定していると思われる。資本主義列強間の戦争は、資本主義以前の大国間戦争とどう違うのか。それを明らかにするために、19世紀後半に成立した資本主義諸国家の、国家と資本主義の結合の意味を、「国民経済」「主権国家」「国民国家」といったキーワードをもとに考察したい。
あわせて、第一次大戦が「帝国体制の崩壊」を舞台に起きたことと関連して、「帝国」と「主権国家」の違いを考える。
留意すべきは、「国家」概念をめぐる論議は、あくまで個別の資本主義国家の歴史過程に即して、個別的具体的に考察すべきで、抽象論に陥らぬことである。
(3)「国民経済」は、中心(基軸)国イギリスの自由貿易主義に対する後発資本主義国ドイツのあるべき経済政策を主張したリストの名前とともに経済史に登場する。イギリスにとっては世界経済がイギリス経済であり、「国民経済」という観念は生じない。イギリス世界経済に対する後発資本主義国において初めて「国民経済」が登場する。
「国民経済」は、資本主義主権国家の経済であり、国境・国際収支・(中央銀行信用による)自国通貨によって規定される。「国民経済」は、「貨幣収支体」の一つであり、資本の運動法則の発現単位でもある。
「国民経済」の導入によって、世界資本主義を
として分析することが可能になる。
(4)資本主義をどう見るか。資本主義国家は、国民経済の内部に国家財政を抱え込む。資本主義国家の成立時においては、いずれの国でも、戦費の支出と軍事費が財政の大半を占めていた。国家が国民国家となり、戦争が「(国民を総動員する)総力戦」になることによって、「福祉」支出が軍事費と並んで財政に大きな比率を占める。国民経済に占める財政の比率が大きくなっても、日本のようにある程度の生産力を持つ国民経済は、耐えられる。むしろ「消費不足」の解消のために、財政の拡大が必要にもなる。財政が、資本に代わって、国民経済を回転させるとも考えられる。福祉の拡張が、脱資本主義につながる。
他方で、第一次大戦以降の歴史が示しているように、資本主義の「主権国民国家」の無制約の「国益」追求は、人類を世界戦争に導く。世界戦争から逃れるためには、主権国家システムから抜け出るしかない。
ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃』 名古屋大学出版会 2003
川北稔・木畑洋一編「イギリスの歴史」有斐閣2000
フリードリッヒ・リスト『経済の国民的体系』(小林昇訳岩波1970)
国際銀行史研究会編『金融の世界史』悠書館2012
ポール・ケネディ『決定版大国の興亡』(上・下)草思社1993
フリッツ・フィッシャー『世界強国への道 Ⅰ』
矢沢国光「2019年5月18日世界資本主義フォーラム事後報告」
矢沢国光「2019年5月18日世界資本主義フォーラム・矢沢報告資料『暫定・資本主義像』」
■11月以降のフォーラムの予定
会場 文京区湯島活動センター(〒113-0034 東京都文京区本郷7丁目1−2
電話: 03-3813-6554)
矢吹晋「習近平政権の今後」
小沢健二「世界資本主義と農業問題」(仮題)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1140:201011〕
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