ホメーロス作品に魅せられて―読後感(Ⅰ)
- 2020年 11月 8日
- カルチャー
- 合澤 清
ホメーロスとその作品について
ホメーロス(あるいはホメロス)の正確な生没年は現代でもまだ不明であり、諸説があるという。ただ、彼の真作だと言われている古典文学の大作『イーリアス』と『オデュッセイア』から推測してみて、またトロイエー(トロイ)戦争が紀元前1159年頃といわれていることから、それより後に生まれ育ったとしても、少なくともホメーロスの作品が世に出たのは、今から3000年以上前だということになる。
ホメーロスは盲目の吟遊詩人で、ギリシアや小アジアの各地を転々しながらこの物語を語って歩いたと伝えられているが、この膨大な分量の物語は、語るにしても一晩や二晩で完結する程度のものではない。当時にあって、どのような環境下で、どのようにしてこの物語が語られたのであろうか、非常に興味深い。私の勝手な想像でしかないが、恐らくは、これらの物語中にも出てくるような、各地の王侯や豪族の大邸宅に長逗留しながら、その宴席で何日もかけて語られつづけたものではなかろうか。大道に立って、民衆を前にして語るには長すぎるし、スピーカーのない時代にコロセウムのような広い会場で大衆を前にして語るには無理があるからだ。
それにしても質量共に圧倒されるこの作品を前にして、ホメーロスは実在しなかったという説や、実際には一人で語ったのではなくて、複数名の人たちの作品が合わさったものにちがいなかろう、といった憶測が飛び交うのも無理からぬことである。
1874年にドイツ人のシュリーマンがミュケナイを発掘するまでは、『イーリアス』の舞台となったトロイエー戦争すら、単なる伝説上のものとみなされていたほどであるからだ。
今日では、パピルスに残されたギリシア文字(パピルス文書)や、当時制作された青銅器などの発見、解読から、この時代、またホメーロスの時代についての研究などもだんだんに明らかになってきたようである。因みに、紙の発明は紀元8世紀ごろの中国といわれているが、パピルスは、紀元前30世紀ごろにはすでに存在していたという。
いずれにせよ、この辺の領域は考古学や歴史学プロパーの問題であり、到底素人の手におえるものではない。そこで多少とも話に正確性を期するために、ここでは専門家のご意見などをご紹介してお茶を濁したいと思う。
太田秀通氏によれば、次のようである。
「ホメロスの叙事詩を分析するにあたってまず注意されなければならないことは、そのテーマの属する時代(ミュケナイ時代末期)と、それがほぼ現在われわれが手にしうる形になった時代(ほぼ前8世紀)とは、400年以上もの隔たりがあり、吟遊詩人による伝承過程でこの長い時間の間にいろいろ変化させられている、ということである。…ホメロスの叙事詩は、吟遊詩人によって、王や貴族の館で、貴族層を聞き手として伝承されるか、あるいは後には、例えば汎イオニア祭のような祭典の出し物として、広く平民を含めた民衆を聞き手として伝承された。何れの場合も聞き手が自由に詩人の巧拙を批判しうる立場にあったということが、ホメロスの叙事詩のすばらしさを生み出す重要な条件であったことは確かである。」
『イーリアス』のストーリー構成
先の太田秀通氏のご指摘を参照しながらこの物語を追考すれば、なるほどとうなずける。
『イーリアス』のみならず『オデュッセイア』もそうだが、部分的に平仄が合わない点はある。しかし、ストーリー全体の展開は完璧な整合性を持っている。
まず、神々と登場人物との関係が、実に緻密に考案されて出来上がっているのに驚かされる。どう考えても、最初からこれほど正確な相互の対応関係を計算し尽くして物語が構想されたとは考え難い。
有名な話であるが、トロイエー戦争の誘因となったのは、トロイア方の王子パリス(アレクサンドロス)がギリシア方の王女ヘレネ―(ヘレン=すでに人妻である)に横恋慕した挙句、彼女を略奪したことにあるという。しかしこの条りにいたる前段の話が用意されている。
それはこれもまた数多くの西洋絵画の題材にされた有名な神話「パリスの審判」に絡んで物語られる。
ゼウスの妃ヘーレー(ヘラ)とアテーネー(アテナ、あるいはミネルヴァ)女神と美神アプロディーテー(アフロディテあるいはヴィーナス)とが美を競った際にパリスが審判を命じられる。その結果として彼はアプロディーテーにその勝利を与える。そしてその褒美として世界一の美女を約束されるのである。ここからアプロディーテーと他の二女神との嫉妬がらみのいがみ合いが起きる。アプロディーテーは当然パリス(トロイア方)へ肩入れするが、ヘーレーとアテーネーは逆にギリシア方にまわる。双方にそのシンパの神々が付き従い、神々の間の対立が起きるわけだ。ゼウスについては後で触れるが、彼は微妙な立場に立つ。
そのパリスがほれ込んだのがスパルテー(スパルタ)の王妃で類なき美女のヘレネーである。彼はヘレネーの夫であるメネラーオスの留守の間に、彼女と財宝を強奪して帰国する。それらの返還をめぐって起きたのがこの10年間にわたる戦争(ギリシア軍によるトロイエー包囲)というわけである。
それではなぜ、このスパルテーとトロイエーの間の戦争に全ギリシア軍が加担するようになったのか。これにはさらに次のような前話がある。
実は、このヘレネーは、ゼウスとスパルテー王の妃レーデーとの間の子で絶世の美女であり、その婿選びに大変難儀する。それゆえ、誰を選んでも恨まず、もしヘレネーの上に何か起きたらこの場に居合わせた王侯たちがこぞってそれを助けるとの誓約が交わされ、その上でスパルテーのメネラーオスが婿に決まる。そのことがトロイエー包囲に全ギリシア軍が出撃した理由である。
ことほど左様に、すべてが完璧に計算されつくしている。これ程完成された筋立てを、一人の語り部が、例え何十年かかけたにせよ構想することは不可能事ではないだろうか。しかもそれが広く人口に膾炙し、神話に関連付けられて定着するようになるには相当の長年月、幾世紀かを経るほどの時間の経過が必要になって来るのではないだろうか。気の遠くなるほどの時間をかけて人々の間で語り継がれ推敲された挙句に、こういう見事に完成された芸術作品ができたのだと考えられるのではないだろうか。
先の太田秀通氏のご指摘は十分にうなづけるのである。
さて『イーリアス』に関して、全体の大きな筋立ては、ギリシア軍の総大将アガメムノーン(彼はスパルテーの王でメネラーオスの兄である)とギリシア軍の武将で不死身をもって知られるアキレウス(アキレス)の間のいがみ合いから始まり、アキレウスが戦いを放棄し、戦場を引き上げ、自分たちの軍船にとじこもること、その結果トロイエー軍に押しまくられたギリシア軍が、再びアキレウスに戦線復帰を頼みこみ、苦労して口説き落とし(実際には親友の戦死によってやっと翻意するのであるが)、戦線復帰させる。アキレウスは、親友の戦死への悲しみと怒りから、その戦意を増幅させ、まさに鬼神のような働きを見せ、戦局を逆転させるというまでの話である。
もちろんこの話の後段は広く知られているように、不死身のアキレウスは、体に残るただ一つの弱点である足の腱(踝)をパリスの放った矢によって射抜かれてあえなく戦場に散る運命にあるのだが、『イーリアス』の物語はそれをわずかに暗示するにすぎない。
この物語全体の壮大なシンフォニーを作り出しているもう一つのファクターは、トロイエー軍中にあって、まことに魅力的な武将(総指揮官)であるヘクトール(彼はパリスの兄)である。彼こそアキレウスと並ぶもう一人の英雄で傑物である。実は、このヘクトールの活躍がこの物語全体の基調ではないかと思われるほどに彼の存在感は大きい。彼こそが、アキレウスの最大の好敵手であり、二人の一騎打ちがこの物語のハイライトである。
アキレウスによって打ち倒されたヘクトールの死骸が、アキレウスの戦車に繋がれたまま戦場を引きずられて行く様子は、誠に哀れさを誘う。
このような主役の活躍に合わせて、双方の多くの英雄豪傑たち、更にはゼウス大神をはじめとする神々の実に「人間的な」やりとりが複雑にかつユーモラスに交錯する。
両軍の合戦のリアリティな描写は、まるで錦絵を観るごとく(特に土佐の絵金こと弘瀬金蔵のおどろおどろしい迫力を彷彿させる)実に生々しく実在感に富んでいる。
まるで「平治物語」「源平盛衰記」さらには「平家物語」の世界にもつながる感がある。あるいは司馬遷の『史記』にみられる「項羽と劉邦」の物語に影響を与えたか、また『三国志演義』への伝播を考えてもよいのではないかと、あらぬ想像までしてしまう。
翻訳本について
話がずれるが、私の手元の本は筑摩書房版・世界文学大系1の「ホメーロス」1969年版である。中身は、「オデュッセイア」(高津春繁訳)と「イーリアス」(呉茂一訳)よりなる。この年代の本らしく、三段組みで483ページある大部のものだ。読み終わるのに一カ月ぐらいは覚悟した方がよいだろう。
しかし、読了後の満足感は計り知れない。
最近の翻訳については全く知らないが、この本は決して読みやすい本ではない。しかし、司馬遷の『史記』がそうであるように、人類史に残る有数の古典的名作のひとつとして、是非繙読されることをお勧めしたいと念ずる。
この本の順序では、最初に「オデュッセイア」が来て、次に「イーリアス」という順になっている。しかし、時間的な経過を考えれば、「イーリアス」が先で、その延長線上に「オデュッセイア」が来るはずである。オデュッセイアの苦難は、彼がトロイエー戦争からの凱旋帰国の途上で起きた事件だからだ。
「イーリアス」の面白さ、また「オデュッセイア」にまつわる伝説など、もう少し細かくは次回に触れたいと考えている。
2020.11.8記す
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0942:201108〕
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