くらしを見つめる会つーしん
- 2020年 11月 10日
- 交流の広場
- 村山起久子
NO.211 2020年10月発行の一部 発行係 村山・アマノ
「アメリカが攻めてくる?」
1968年。70年の日米安保条約改定を前にして、安保反対運動が広がっている時期だったと思う。小学校6年生の私は、政治のことはよくわからなかったが、クラスの友人の中には政治的にませている子もいた。「安保条約は続けるべきだと思う。やめたらソ連が攻めてくる。日本がソ連に支配されるのは嫌だ」友人はそう言った。私はどう答えたらいいか、わからなかった。その日の夜、父に聞いてみたら、父の意見はこうだった。「安保条約は続けておいたほうがいいと思う」そしてその理由が意外だった。「ソ連も攻めてくるかもしれないが、もし安保をやめたらアメリカが攻めてくるかもしれないから」、そう言った。私はそのときは、その意味がよくわからなかったが、いま少しわかる気がする。何となく、中国やロシア(旧ソ連)は「敵」で、アメリカは日本を守ってくれる、という思い込みがあるが、何故か「日本防衛義務」などと言われる安保条約第5条には、「武力攻撃の際は両国の憲法に従って…」と書かれているだけで、日本を守るとは明記されていない。 太平洋戦争の戦勝国アメリカは日本の各都市を空襲で焼きはらい、原爆まで投下した国だが、敗戦後は強圧的ではなく柔軟な形で日本を懐柔支配し、敗戦を終戦と言い替えて、1952年のサンフランシスコ条約で日本が独立したあとも続けている支配を見えにくくしてきた。だから、いちばん親しみを感じる国はアメリカ、などというアンケート結果が出たりもする。だが、基地を日本に置くという自国の利益が達成出来ないとなれば、一転して日本に牙をむき、強圧的支配に乗り出すのではないか。父は、そういうことを言いたかったのだろうと思う。 1928年生まれの父は、1945年の春、大阪外大の前身である大阪外事専門学校に入学し英語を学んだが、大阪の香里園の火薬庫に勤労動員にかり出され、やがては戦争に行く覚悟をしている中で敗戦を迎え、敗戦直後は、アメリカの進駐軍の応急の通訳をしたという。その中で、日本軍とは全く違う、米軍における勤務時間外のおおらかな上下関係や、鬼畜米英の歌詞の入った歌をピアノ伴奏で歌った際に、笑って聞いてくれるユーモアにも触れ、また軍人と一緒にジープに乗って出掛けたりもしたという。こうしたアメリカ人に対する好意的な体験も踏まえた上で、相対的な視点に立ってアメリカという国への警戒心も忘れてはいけないといいたかったのだと思う。 2003年のイラク戦争の際には「アメリカが怖いから、他の国々はみんな黙って従ってるだけなんだろう」と言っていた。2008年、あと余命数日かというとき、ベッドで涙を流していた。「戦争で亡くなった人が気の毒で、思い出していた」という。 私はいま、ほんの少しだけだが、戦争反対のデモに参加したり、ビラ配りや署名の呼び掛けをしたりすることがある。街の人達の関心や反応は、生活に追われているせいか今ひとつではあるが、戦中派と言われる人々の思いをつなぎながら、自分の思いを訴えていきたい。(参考図書として、白井聡さんの「マンガ版:永続敗戦論」や孫崎享さんの本を参考にしました。) 木村一郎
♪こんな本いかが?
『赤松小三郎ともう一つの明治維新』 関良基著 作品社
多くの人は明治維新によって近代化がもたらされたと思っているが、近代化の基礎は江戸時代にできており、徳川は開国も進め極めてリベラルだった。当時、普通選挙による議会制民主主義、立憲主義、人民平等、個性尊重など現憲法に通じる憲法構想を徳川などに建白していた赤松小三郎。小三郎はじめ、武力討幕を止めようとした優れた人材が(長州や薩摩、水戸の)尊攘過激派によって暗殺され、民主的な社会への流れが変わった。さらに、生麦事件、外国船無差別砲撃などのテロ行為がもたらした薩英・下関戦争敗北等によって、関税率が引き下げられ、日本は海外と対等な貿易もできなくなった。尊攘過激派の無法行為がなければ、日本の歴史は豊かで平和的なものに変わっていただろう。本著を読んで、明治期に取り入れられたとされる「近代化」とは富国強兵や男尊女卑、排外主義といった「封建化」だったのだと改めて思う。戦後の歴史を再考し、今を考える上でも、明治維新について問い直さなければ!!!
編集後記
子どもの幸福度をはかるユニセフによる調査で、日本は38か国中20位で、身体の分野は1位になる一方、精神的な幸福度は37位でした。子どもの権利がないがしろにされている日本社会の生きにくさを表している結果だと思います。経済格差は開き子どもの7人に1人が貧困(この先進国日本で、食事を満足に食べられない子がいる!)。世界的に見ても異様に厳しい校則で自由や考える力を奪われ、自分が何かをしても社会は変えられないという無力感。ここ10年ほどは、学校の校則や縛りが一層強くなっているとのこと。未来に希望を持てず、強い者に従って何とか現状維持をという若者は、現政府を支持するか無関心。腐敗した独裁政治には都合が良いでしょう。いや、自民党が政権維持のために「考えさせない従わせる教育」を進めてきたのかもしれません。大切な大切な「教育」が、一部のおとなの思惑で変えられ、今の社会の基礎を作っている。子どもたちの幸福度が低い社会の未来が明るいはずがありません。
くらしを見つめる会を始めたころ、「極右がとんでもないことを言っている」と思っていたことが、今、あれもこれも現実のものになってしまっています。法が無視され、公文書が改竄され、差別的言動が大手を振っていても意見を言わず、黙っているおとなたち・・によって、今の日本は壊されつつあります。「子どもたち」の未来を考えた時、このまま「仕方がない」とあきらめていていいのか。マスメディアが忖度報道をするとか、政権によって様々、表現の自由が侵害されつつあるとはいえ、今はまだ、モノを言う自由があります。後世に悔いを残さないよう、一つ一つモノ申していかなければと思います。 (きくこ)
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