第24回女性文化賞に「木の葉のように焼かれて」受賞 広島で1964年以来毎年発行されてきた被爆体験記。
- 2020年 11月 28日
- 評論・紹介・意見
- 坂井定雄女性文化賞核
親しい友人(先輩)の米田佐代子さんから、上記のように、彼女が中心になって毎年表彰している同賞が決まったと知らせがあった。米田さんは女性史研究者、NPO法人平塚らいてうの会会長、らいてうの家館長。
女性文化賞は、1997年に高良留美子さん(故高良とみ氏の娘さん)が個人で創設。毎年2016年まで20回にわったって、「文化の創造を通して志を発信している女性の文化創造者をはげまし、支え、また、これまでのお仕事に感謝すること」を目的として、賞金50万円、記念品として竹内美穂子さんによるリトグラフ1点を贈呈してきた。2017年からは、高良さんの「志を継ぐ方を選ぶ方」として、米田佐代子さんが後を継いでいる。
これまで、リベラル21で紹介したことはなかったと思うが、今回、2017年に国連総会で採択された核兵器禁止条約が、今年、批准国が50ヵ国に達し、来年1月に発効することになったこと(日本政府は批准していない)、「64年以来ほぼ毎年発行されてきた被爆体験集」が選ばれたことから、米田さんの詳しい説明を改めていただき、以下に紹介します。
第24回女性文化賞は、「『木の葉のように焼かれて』編集委員会」に決まりました。
『木の葉のように焼かれて』は、広島で1964年以来半世紀余り、ほぼ毎年継続的に発行されてきた被爆体験集です。2020年現在54集まで出ています。1962年に全国的な女性団体である新日本婦人の会が誕生、翌年広島支部が結成されたとき「広島にふさわしい活動をしたい」と被爆体験集を出したのが始まりでした。冊子の題名は、会員の一人で自らも被爆し、妹を失った名越操さんの手記にある「みんな、木の葉のように焼かれて、消えて行った」という文章からとりました。編集に当たったのは名越さんを含めた会員で、「仕事を終えた後に被爆者に会いに行き、涙を流しながら聞き書きをしたこともあった」と言います。
第一集は「新日本婦人の会広島支部」として刊行され、第二集から五集までは県本部と共編、第六集以降は県本部が発行者になりましたが、編集委員会が独自に作られ、長く続けた方や新しい参加者などの協力で続いてきました。現在は県内の各支部から編集委員が参加しています。「はじめは一回だけと思っていたが、読者からの反響が大きく、続けることになった」そうです。しかし「被爆証言はたくさんある」「同じような体験記が続くので出す意味があるか」という声もあり、編集委員であった名越さんの幼い息子さんが被爆二世として白血病で亡くなるという衝撃もあって、発行できなかった年もありました。しかし、読者の声や被爆体験を持たない若い世代との交流に励まされ、半世紀を超えて2020年54集を刊行することができました。この間1978年にはベトナム戦争に抗議して焼身自殺した「アリス・ハーズ夫人記念平和基金」を授与されています。この息の長い活動は、新婦人という組織の支えがあったからですが、自発的に編集委員を引き受け、原稿依頼から聞き書き、調査などに取り組んできた方がたの献身的な働きなしにこれほど長く継続してこなかったと思われます。若い世代に引き継がれ、これからも続いて行くことが期待されます。
21世紀に入って核兵器廃絶運動が世界に広がり、2017年には国連で核兵器禁止条約採択、2020年には批准国が50か国に達して来年1月に発効することになりました。核兵器の製造・保有・使用はもとより、研究・実験・威嚇に至るまですべて禁止を明記したこの条約の成立に、唯一の戦争被爆国である日本の被爆者の訴えが大きな力になったことは国際的に認められています。その訴えを世に出すため、女性の手で発信し続けてきた『木の葉のように焼かれて』の編集委員の方がたの努力を多とし、今は亡き方がたも含めて過去・現在(そして未来の)編集委員会のみなさんに第24回女性文化賞を贈呈するしだいです。
(了)
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〔opinion10321:201128〕
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