労働者が企業の主人公に 労働者協同組合法が国会で成立
- 2020年 12月 7日
- 時代をみる
- 労働労働者協同組合法岩垂 弘
労働者協同組合法が12月4日、参院本会議で可決、成立した。労働者自身が出資、経営し、働く事業体を協同組合の一形態として認めようという法律だ。日本の歴史に初めて登場する新しい労働形態、新しい協同組合の形態で、まさに日本社会にとって画期的な出来事である。労働者の中で1970年代に芽生えた、働く者の主体性の確立を目指す運動が、41年目にしてようやく実を結んだと言ってよい。
労働者自身が出資、運営し、働く事業体
成立した労働者協同組合法の第1条には、こう書かれている。
「この法律は、各人が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就労する機会が必ずしも十分に確保されていない現状等を踏まえ、組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ、及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織に関し、設立、管理その他必要な事項を定めること等により、多様な就労の機会を創出することを促進するとともに、当該組織を通じて地域における多様な需要に応じた事業が行われることを促進し、もって持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とする」
この条文のみそは、労働者協同組合を「組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ、及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織」としている点だろう。ここに、この新しい協同組合の性格が端的に規定されている。
きっかけは政府の失対事業打ち切り
こういった性格をもつ協同組合をつくろうという運動の誕生は1970年代に遡る。
きっかけは、71年に政府が、それまで政府の直轄事業で行ってきた失業対策事業への新規就労を禁止したことだった。いわば、失対事業の事実上の打ち切りである。
このため、失対事業からあぶれた失業者を前にして、失対労働者の労働組合であった全日本自由労働組合(全日自労)は、自治体の事業を請け負うための「中高年・雇用福祉事業団」を自らつくり、失業者を吸収するという方式を考え出した。職を失った失対労働者が自ら雇用の確保に乗り出したのだった。自治体の事業を請け負うばかりでなく、自ら事業を創出することにも力を注いだ。
全国各地でこうした事業団がつくられ、1979年には「中高年・雇用福祉事業団全国協議会」が結成される。それが、86年には「中高年・雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会」に改称する。この名称変えからも分かるように、事業団は自らを協同組合と規定したわけである。協同組合は、株式会社のような営利企業ではない。非営利団体である。そして、組合員は「1人1票」、つまり平等である。
92年には世界の協同組合組織である国際協同組合同盟(ICA)への加盟を認められる。それを受けて、中高年・雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会は93年、「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会」と改称する。
ところが、労働者協同組合関係者の悩みは、労働者協同組合に関する法律がないことだった。だから、組合を設立しても人格のない社団、すなわち任意団体に留まる。これでは、事業を展開したくても社会的な信用を得られない。官公庁との契約では不利な立場におかれるし、「協同組合」と名乗っても任意団体では軽減税率の対象からも外される。
このため、1980年代半ばから、日本労協連やワーカーズコレクティブ関係者によって、労働者協同組合法制化運動が続けられてきた。運動側の働きかけによって、国会内で「協同組合振興研究議員連盟」が発足、今年春の通常国会に超党派の議員立法として労働者協同組合法案が提出され、臨時国会中の12月4日、ついに参院本会議で可決されたという次第だ。
私は新聞記者現役時代にこの運動に関心をもち、1979年9月に熱海市で開かれた中高年・雇用福祉事業団全国協議会の結成総会を取材し、その記事を朝日新聞に書いた。その後、1994年1月5日付朝日新聞の「主張・解説」欄に「労働者協同組合法の制定を」という記事を書いた。「労働者協同組合法」という文字が日本の新聞に登場したのはこれが初めてではなかったか、と思う。
それだけに、参院本会議での労協法採決のニュースを特別の感慨をもって受け止めた。
根底に“賃金奴隷”からの解放指向
これまで、この運動の取材を続けてきて、私は「この運動は、労働者による自己解放のための闘いではないか」と思うようになった。
産業革命以来の人類の歴史は大まかに言って、2つの階級による闘いの歴史だったと私は思っている。2つの階級とは資本家階級と労働者階級だ。産業発展を支える企業を所有し、運営するのは資本家階級であり、その資本家階級に雇われて働くのが労働者階級である。別な言い方をするならば、企業の主人公は資本家であり、その主人公に使役させられるのが労働者という構図である。かつては労働者を指して“賃金奴隷”という言い方もあった。
労働者階級はそうした地位に甘んじていたわけでは決してない。そこで、“賃金奴隷”から自己を解放して企業の、ひいては国家の「主人公」になろうと、団結してさまざまな闘いを繰り広げてきた。その代表的なものが社会主義・共産主義運動と言っていいだろう。一言でいえば、革命を起こし労働者を主人公とする国家を樹立することで自らを解放しようとしたのだった。そうした運動がどんな軌跡をたどってきたかは、ここでは触れない。
その一方で、それとは別のやり方で企業や地域の主人公になろうという運動に向かった労働者たちが海の向こうにはいた。労働者自身が出資、経営し、働くという協同組合をつくり、運営するというやり方で、自分たちの念願を果たそうというわけだ。自らの手による自己解放と、労働者を主体とする自治の確立。これらの労働者たちが目指したものは、そうした第3のコースだったのではないか。
世界的に著名なものとしては、1844年12年に英国・ロッチデールでスタートした「ロッチデール公正先駆者組合」、1956年にスペイン北部のモンドラゴンで産声をあげた工業協同組合などがある。この2つは、世界の協同組合関係者にとって聖地である。
それらに比べれば、日本でのスタートはかなり後発だが、労働者協同組合法の制定によって新たな第一歩を踏み出したと言える。
ちなみに日本労協連によると、同労協連加盟団体は28、それら団体の2019年度総事業高は351億円、就労者は16、140人、事業内容は介護、子育て、清掃だという。
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