マスクの冬
- 2020年 12月 11日
- 時代をみる
- ホームレス笠井和明
本当であれば、この夏場に東京オリンピックが開催され、観光客も東京に押し寄せ、なんだかんだと人混みだらけとなる東京であったが、思わぬ「コロナ禍」の中、「緊急事態宣言」「入国制限」「営業自粛」「外出自粛」となり、今年前半はとても静かな東京と相成った。
夏になってもそれは収まらず、「第2波」の危惧が語られる中、かつて多くの仲間がそこで生きていた新宿中央公園のポケットパークを中心とする北側の芝生広場には「スターバックス」などの商業施設が作られ、「おしゃれ」な広場がひっそりとオープンしていた(お隣りの渋谷区で宮下公園もまた、この秋、何とも今風の公園にリニューアルした)のを皮肉っぽくながめていたのは私たちだけだろうか?
かつて、この「ポケットパーク」は、1998年の西口地下火災以降、毎週の炊き出し、そして越年越冬の拠点として利用させてもらったのであるが、再開発のため近隣に大きなマンションが建ち、そこから迷惑と云う苦情の中、新たな場所を模索していた頃の面影は今はもうない。恐らく、ここにおっちゃん達のブルーテントや炊き出しの列が並ぶと云う光景が再現されることはないであろう。それだけ管理された近代的な公園になろうとしている。
公園全域を見回しても、今やそこにはおっちゃん達が生きて来た「証」を見いだすのは困難である。
が、公園のふもとの道路を歩けば、都庁下周辺にかけ、50名ばかりの生活の跡が目に入る。色々な対策の結果、公園集中型から、目立たぬその周辺に分散、拡散し、全体として良く把握できないようにいつの間にかなってしまった。
都内の都市公園でのテント生活者は、対策化、高齢化のため数少なくなっている。今や数えるほどで、東京全体で云うなら、その生活形態は県境の河川敷が中心となっている。こと新宿においては皆無で、道路などでの半固定層と、駅周辺に塒を探す移動層がほとんどで、その数は私たちが夜間歩けば、100名近い仲間と出くわすこととなる。この数字はここ数年ほとんど変わらず、活動現場では出会えない仲間も含め、全域で150~200名が新宿区のキャパシティのようである。公式発表では今年の1月の「概数調査」は、新宿区は106名となっているが、そこら辺の誤差は昼間と夜間の時間帯の違いで解釈可能である。ことさら大声をあげることでもなかろう。
一口でホームレスやら路上生活者と云うが、その実情は地域においても、生活形態においても、今やかなりの差異がある。もはやあまりひとまとめにして対策やらを打つ時ではないようである。「自立支援」なり「生活保護」なり、手法はほとんど変わっていないが、そこにつながることは、今は少ない。
週明けの朝、私たちは必ず新宿福祉事務所に顔を出すのであるが、新規相談のブースはいつも空いている。
「緊急事態宣言」の時だけは流石に役所は混雑をしていたが、それはネットカフェが、都によりほぼ強制的に閉鎖されたことによる「救済措置」がとられたことで、そうなっただけであり、そこにおっちゃん達の姿はなく、若い男女の姿がとりわけ目立った。
こちらも生活困窮者と一口で云うが、色々と立場や環境によって、かなりの差異があるようで、実態が見えにくいだけに、普段は「補足」はされない。けれど、こう云う非常事態時に、新宿の街の中から出されたその姿を拝見し、何人かと話しが出来たのは、貴重な体験であった。
まあ、普通に好感のもてる若者達である。勿論家庭の事情は複雑である。普通の家庭に育ち、普通に大学を出て、普通の会社に就職しと、そんな世間が理想とすべき若者は、当然ながら、ここにはいない。様々な人生のハンデやハードルの中、必死に、良いか悪いかではない様々な職業に就き、それでも友人や恋人と共に必死に生きている、そんな若者達である。
福祉事務所のワーカーもそう云う子相手で大変である。世代が違うと共通項を見いだすだけでも時間がかかる。お互い理解しないまま、事務的に書類をこなしている、若いワーカーも立場や出自の違いは明確(今どき中高卒の役人はいない)で、なかなか「ため口」も出来ない。面接に疲れたのか、仕舞いには書類を書いて、郵送してくれとそんな感じ。まあ、それも仕方なし。
コロナ禍の生活困窮者は、とりあえず職場と住居を、無理やりでも維持していく。そうしないと、社会不安が増長しかねない。住所を失いそうな人々には、そうさせないために施策を打つ。他方、既に住所を失っている人々には、特別何もしないのであるが…。
「救済、救済」と云うのが、今のトレンドで、困窮者のみならず、観光業界やら飲食業界、業界団体やら事業主への「救済」も含め、コロナ禍は、そんな上から視点の「救済」がいつの間にやら跋扈するようになった。
それが都にせよ、国にせよ、そう云う政治的な判断でもある。野党やマスコミが喜ぶ極端な事態の進行より、遅々とした進行の方を選ぶ。そんな経験は既にしているので、学習はされている。
生活保護制度も物事を隠ぺいさせる、そう云う側面をもっているので、これら生活困窮者対策等の延命措置策が切れたとしても、そこで「はい終わり」とはならず、今度は生活保護の窓口が混雑するだけである(たいがい、窓口は一緒であるが)。
そうなると、集団でそれらを組織してどうのうこうのや政治的局面でと云うより、地道にこつこつと、彼、彼女らの生活を支え、信頼関係を作り、次に進むきっかけを作れるかどうか。そんなことが問われているのであろう。
所詮は役所の「制度」は「制度」でしかなく、縛りがつきものである。それに反発し、自由をもとめ、そこからこぼれる人々は一定数居る。若者であれば尚更である。所謂「制度の挟間」みたいなものは、バブル崩壊後の社会に比べれば、これまた社会が経験し学習したこともあり、だいぶマシにはなったようで、そこからボロボロとこぼれると云うことはない。今はボロボロではなく、じわりじわりであり、そして、こぼれる先は路上だけではない。そこも含め見いだしていかないことには、社会から相対的に見棄てられた路上生活者だけが、ポツンと孤立してしまうことになりかねない。
まあ、この先どうなるのかは分からないが、あの元気な彼、彼女らの姿を、しょぼくれた路上で見るようなことがないよう、唯々祈るだけであるが、そんな希望はやはり虚しく、巡回、パトロールの中でそんな仲間が、目につくようになったのはこの夏頃からである。
どうしても地方から流れて来ると云う構造は何があっても変わらないのか、外出自粛などが解かれると同時に、人々は新宿に足を向ける。
他方、路上生活者でも、暴力団員でも定額給付金が貰える云うのは、この春から夏、路上においても大きなニュースで、そのための条件を色々と調べ、住所が置いてあればそれでよしとなったので、住民票の移動が始まった。役所の対応は色々あったものの、申請した仲間は問題なく貰えた。もちろん、住民票の移動を諦め、面倒臭く思う仲間も大勢居たので、そんな仲間には情報提供のみ。一緒に役所に同行してくださるボランティアも居り、ちょいと複雑な仲間は一緒に同行。時には窓口で喧嘩をして、多少の不備は押し通して来た。
誰がもらって、誰がもらっていないか、なんて野暮なことは言わないし、知らない。それが仲間内の不文律のようになっていたので、我々も、我々が関わった20数名の仲間のことしか知らないし、またその詳しいことも口外などしない。
実際これで助かった仲間の話は色々と聞いた。借金の返済にあてたり、ひそかに帰郷する費用に使ったり、ひそかにおいしいものを食べたり、等々。いつも貰ってばかりの生活なので、消費する喜びを久しぶりに味わい、少しは「社会復帰」(?)の役には立ったのかも知れない。
他方、貰わなかった仲間は、淡々といつもの生活。雑仕事の増減はあったものの、とりわけ新宿暮らしには変化なし。歌舞伎町の客足が途絶え、「しけもく」が拾えなくなり、外国人観光客が減り、「賽銭」が少なくなったりしても、花見やら花火大会が自粛でアルミ缶が集まらなくとも、そこはじっと我慢。
食うこと、寝ることだけはは止められないので、仲間を頼ったり、あちこち動き回ったりと、新宿を離れる仲間も見受けられたが、きっと新しい場所で、今も上手くやっているのであろう。
その意味では頼もしいし、それは、与えられたと云うか、そこしかないと云うか、そう云う条件の中で、不満を持っても内に秘め、それでもしっかりと生きて行く。ある意味、生活が出来てしまっており、よほどのことがない限り、それを変えようとはしないし、よほどのことを積極的、計画的にたぐり寄せようとも思わない、良い意味での「諦観」と云うものを持っているようである。
コロナに関しては、結構よほどの事であると思うのであるが、だからと云ってどうすることも出来ないのであるから、とにかく予防するのみである。
この春のマスク不足から、所謂「アベノマスク」の配布。余分なマスクの福祉施設等への寄付。そんな流れがあり、私たち末端もその恩恵にあずかることが出来たこともあり、本当に大量のマスクを路上に配布することが出来た。布マスクのみならず、100人程度の仲間に50枚入りのサージカルマスクを一度に提供するなんて荒技もしているので、枚数でいったら2万枚を優に越すマスクが新宿の路上には出回ったことになる。
そんなこともあり、マスク生活と云う新しい日常に慣れるのには新宿の仲間達は、そんなに苦はなく、移行した。屋外の「密」はそんなには気にせず、とにかくマスク着用だけは、かなり神経質に伝えたりしていたので、感染予防にはなっているのかも知れない。
月に一度、巡回を同行してくれる医療班の方々も協力してもらい、石鹸の配布もそうであるが、うがい、手洗い、マスク着用の徹底の呼びかけと実践。そして、体調不良の仲間の早期発見と、市販薬の提供、早期通院への手助けが、今年は通年的に注意深くされている。医療従事者の方々は職場でも大変であると思われるのに、路上の仲間にまで心を使ってもらい、本当に感謝しかない。
まあ、それでもマスクをしないで喋り出すおっちゃんなども時にはいるのであるが、合えばその都度、「マスク、マスク」。と、それが会話の導入部となり、注意喚起にもなる。ただ「怖いね」ではなく、どうやって身を守るのか、その意識だけはかなり向上したと思われる。
おかげで、路上から結核の話は今も結構あるのであるが、コロナに感染したと云う話は、路上からも役所からも聞かない。衛生的な環境は宜しくはないのであるが、そこからの発症がないと云うことは、まあ、(今のところであるが)ちょいと胸を撫で下ろしているところでもある。
こう云う感染症と云うのは、保健衛生の専門家でもないし、また、医療従事者が常時居るわけでもないので、いざ、そう云う事態になったら対応が大変でもある。
危機監視のマニュアルと云うものは路上には当然ながらない。そもそも路上生活を認めないと云う立場の東京都から指導やアドバイスも当然ながらない。マスクも住所がないので役所からは直接貰えない。
役所の直接的な呼びかけの回路は「巡回相談」があるのであるが、こと、このコロナに関してはほとんど機能していないようである。マスク一枚も配れないような「巡回相談」では、どないしょうもない。
炊き出しなども、保健所が認めているわけではないので、これまた、どうしたら良いのかの話もない。民間は各団体と各人に対策はお任せしますと云うことのようである。
そうなると、情報源がどうなるかによって、対応も変わる。対応できなく炊き出しを止めてしまう団体もあるが、こんな状況の中で、それを非難などは出来ない。
そんな感じで、なかなか「いままで通り」の生活が困難になることもある。寝場所も、居場所も、食う場所も。
そう云う仲間は色々と動き出す。動く先は誰に言われなくとも判りきっている。知りあいの伝手を辿ってと云うのが普通であるが、その伝手が切れた時は福祉事務所。そこまでならなければ福祉事務所には行かない。どうにかなると思うし、実際、どうにかなって来た。今回が特別であるとは思わない。
それでも、夏場から秋にかけ、人の移動は目に見えるようにもなった。古い仲間は一人欠け、二人欠け、そこに、何処ぞかから流れ着いた見知らぬ仲間や、新しい仲間が加わる。全体としての数は同じであっても、中味が変わっていく。
歌舞伎町の飲食街が、「夜の町」キャンペーンなど、風評被害のようなものも加わり、軒並み営業停止にまでなり、そこに勤めていた従業員も首を切られ生活が立ち行かなくなり、どこへ行けば良いのか分からないから、とりあえず新宿の福祉事務所に駆け込むなんて云うケースが多くなり、こちらもまた深刻になりつつあったが、それも大きな波ではなく、聞いてみると、辛うじて解雇を免れたと云う従業員もいるようである。
そんな中、外出自粛もなんだか解け、営業自粛もこれまた解け、GO TOだ何だとかで新宿の街並みも普段と変わらぬ(外国人観光客が居ないだけ)ようになりつつあったが、冬が来るぞと、気温が下がりはじめた頃、「第三派」であり、現在進行中の波は、これまた大変そうでもある。
「まいったな 2020」と云う大きな看板が渋谷にはあるが、なんとも世相を言い表している。これからどうにかなるのか、ワクチンが出来ても、それが効くのか、安全なのか、それこそ国民全員に提供できるのか、山ほどの心配が山積みの中、まいったなは、2021年にまで引き継がれることとなりそうである。
しかし、そうは言っても、どうにかなるさと考えるしかない。
今まで上から目線でしか見ていなかった社会が、おっちゃん等の逞しさに学ぶ時なのかも知れない。彼、彼女らは「困った、困った」とは言わない。「助けて、助けて」とも言わない。どんなに社会が煽ったとしても「今のままで良い」と言う。そして、限られた条件の中でも、身体が動く限り、雑仕事がある限り、淡々と生きる道を選らび、身体が動かなくなったり、病気にでもならない限り、公的な施策を選択はしない。それまでは「共助」で、仲間や、支援者と共に、助けあいながら生きている。
淡々と、そしてしっかりと社会を見つめているおっちゃん等に乾杯である。
そんなおっちゃん等と冬越し、年越しを今年もまた、静かに行う。コロナに勝つぞ、などと出来もしない勇ましいことは何一つ言うつもりはない。
時の流れに、身を任せである。 (了)
初出:「新宿連絡会NEWS VOL79」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
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〔eye4794:201211〕
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