自民党よ、節度を守れ!
- 2011年 6月 17日
- 評論・紹介・意見
- 公債特例法案田畑光永自民党
異論珍説メモ(105)
今の政界のことは本気で書きたくない。あまりにむき出しに欲望をぶつけあう姿は見るものに目を背けさせる。そこで前回はこちらもつい「お化け」の騒ぎなどと茶化してしまったのだが、その後の経過を見ていると、菅首相の退陣表明でお互い冷静さを取りもどすどころか、自民党はますますつけ上がるし、首相は首相で一寸延ばしに椅子にしがみついていようとするしで、何事も進まず、政治はなきに等しい。
どっちもどっち、ですませれば、コトは簡単だが、それにしても、どちらがより責任が重いかは明かにしたほうがよい。私は今の事態は明かに自民党の責任が重いと考える。
菅直人という人物はよほど人望がないらしい。だから自民党の常軌を逸した個人攻撃が世間の批判を受けないでまかり通っているのだろう。好ましく思えない人間には早く引っ込んでもらいたいと感じるのは人の常ではあるが、それをいいことに、あるいはそれに便乗して、保持すべき最低限の節度をもかなぐり捨てて、野党が首相を個人攻撃するのは政治を底知れず貶めるものだ。
具体的に言おう。民主党内の造反をあてにして出した内閣不信任案が採決される前日の今月1日に行われた党首討論で、自民党の谷垣総裁は「菅首相がやめれば、幅広い協力体制がすぐにでも出来る」と公言した。つまり菅首相と組むのは、あるいは菅首相を助けるのはいやだから、政府の邪魔をしているというわけだ。そして2日、首相の一応の退陣表明で不信任案が否決されると、より具体的に首相には第二次補正予算の編成はさせないとか、首相が辞めなければ公債特例法案を成立させないなどと言いだした。
出てきた補正予算案を批判するのではない。この首相には案も作らせない、というのだ。公債特例法案も他の人間が首相なら賛成する、というのだ。これは政治論争ではない。ただのけんかだ。野党の権利をけんかに使っているのだ。これが政治を貶めるものでなくてなんであろう。
予算案にしろ法律案にしろ、国会で審議すべきはその内容であって、誰が出したかではない。人間どうし好き嫌いは免れないから、あいつが出したものは成立させたくないと思うこともあろう。それを理由に反対するのは理屈に合わないが、それでも反対したいなら、あくまで政治的に成り立つ論理で反対しなければ政治とはいえない。それをあいつがいやだからと口に出したり、実際にそのように行動したりするのはもはや政治ではない。国民はそんなけんかをさせるために年間2,000万円以上も払って国会議員を養っているわけではない。
まして公債特例法案は予算案と一体のもので、予算成立後にそれを野党が否決できるというのは制度的な欠陥だ。公債を出すことがいいというわけでは勿論ないが、これまで膨大に赤字国債を発行してきた自民党が首相を代えなければ国債を出させないなどと頑張るのは、まったく理屈も筋も通らない恥知らずの言分だ。
12日のテレビ番組で、「菅ではだめだ」という理由を問われた自民党の菅義偉元総務相は、「大震災後に自民党は500項目を超える要望を政府に提出し、その第一は『担当大臣を置け』というものだが、それがいまだに実現していない。だから瓦礫の処理も進まない」ということを言っていた。
担当大臣を置けば物事が進むというのはいかにも自民党らしい。おそらく阪神大震災後の小里担当相のことでも考えてのことだろうが、担当大臣を置く置かないなどは大した問題ではない。瓦礫の処理にしろ、被災者の救済・支援にしろ、このような膨大な作業と費用をともなう仕事を政府がやるとなれば、役所の縄張り争いや仕事の押し付け合いは避けられない。まして末端の行政組織そのものが被害を受けているとなれば、被災民の要求と実際の進捗が乖離するのはやむをえない。
しかし、人間、ともすれば現状の不満を誰かの責任にしたいから政府、とくにその最高責任者である首相に批判が集中するのも自然の成り行きだ。それは責任者であることの税金みたいなものだ。それを与党内の反菅勢力も野党も鬼も首でも取ったように、さも重大事であるかのように言い立てるのは政治のレベルの低さの証明にすぎない。
私は誰が首相であったとしても、三ヵ月後の今の状況はそう変わらないだろうと思う。首相の個人差によってこの三ヶ月間の国の行政がそれほど変わったものになったとは思えないからだ。
私は菅首相を擁護するのではない。私自身はべつに好きでも嫌いでもないが、与野党を問わず周りの人間に人望がないとすれば、それは彼自身の責任である。こういう時期に遭遇したのは、彼自身も言うように運命だから、ここまで来たら言葉のあやで一寸刻みに延命を図ったりせずに、潔く辞めた方がいい。
ただ、自民党の今のような節度のない攻撃で辞めさせられるのはいかにも業腹であろうから、せめて「公債特例法案を成立させたら、辞めてやめる」とでもはっきり言って、本気で次に引継ぐ用意をすべきだ。どうも菅首相を見ていると、ここまで来てもまだなにかの風の吹き回しで延命の余地があるのでは、と望みをつないでいる節がある。それではだめだ。
堂々と辞めることで、自民党の節度のなさを広く印象づけるのだ。
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