社会主義は未来像にはなりえない
- 2020年 12月 22日
- 評論・紹介・意見
- ソ連社会主義阿部治平
――八ヶ岳山麓から(327)――
毎年12月になると東欧諸国に続いてソ連が瓦解した、あの冬のことを思い出す。1991年12月、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの首脳がソ連から脱退して独立国家共同体を設立すると宣言し、ソ連を構成していた民族共和国もつぎつぎ独立を宣言し、ゴルバチョフがソ連大統領の地位から去った。
私は「これは革命だ、社会主義の歴史は終わった」という激しい感情にとらわれた。そしてともに社会主義とマルクス主義についてくり返し討論をしていた友人Lが、これを見ずに亡くなったことを心から惜しいと思った。
それから30年、かつてソ連を構成していたロシアをはじめとする国家のほとんどは、専制国家のままである。議会制民主主義国は、東欧ではバルト3国、ウクライナにとどまり、ザ・カフカス諸国の状況ははっきりとはわからないが、中央アジア諸国は全くの専制国家である。ソ連圏とか衛星国といわれたモンゴルや中欧諸国には不安定な国もあるが、とりあえずこれらは議会制国家といえよう。中国やベトナムは、一党専制のまま市場経済への転換という「上からの革命」を遂行した。
もし私がいまも高校教員だったら、この政治地理を生徒にどう語るかときどき考えることがある。なぜかつてのソ連構成国の大部分がいまだ独裁政治のままなのか、なぜこんな分布になったのかと。
50年前、社会主義の定義は、プロレタリア―ト独裁と生産手段の社会化、それによる計画経済というものだった。
生産手段の社会化は、国有化とほとんど同じことと理解されていた。友人Lと私は議会を通した平和的手段では国有化は到底実現できない、断行するには軍や警察などの強制力が必要だと結論した。
計画経済については、まず消費の計画化を前提とした生産計画が必須だと考えた。当然生産から消費まで何兆という生産物のコスト計算と、国民全員の好みの調査をしなくてはならない。このためには極端な中央集権化と空想的に高度の計算能力、超強権を持った官僚制度を必要とする。さらに国際貿易を考慮すると、一国だけではもう計画経済は到底実現できないと考えた。
問題は、プロレタリアート独裁だった。当時マルクス主義の通説では、国家はある階級が他の階級を抑圧する機関として生まれたものであり、それは「階級対立の非和解性の産物」であるとされていた。国家とは旧支配階級を弾圧する機関である。そこで行われる階級独裁は旧支配階級から権力を奪い、反革命を殲滅する任務を持っている。実際、レーニンは、旧支配者・資本家だけでなく、人を雇っているという理由で、手工業者・弁護士・職人などからも選挙権を奪った。
ブルジョア独裁である西欧民主主義国家が、敵対する労農人民にも参政権を与え、政権交代をあり得ることとしたのに対し、レーニンのプロレタリアート独裁国家では政権交代はあり得ないことであった。それは反革命に他ならないからである。
またレーニンは自らが領導するボリシェヴィキ内の分派を禁止し、少数は多数に下級は上級に全組織は中央の指導に従うという民主集中制を定めた(現代中国憲法では官僚組織にこの原則が規定されている)。
スターリンは、レーニンのプロレタリアート独裁と民主集中制とテロを武器として、トロツキーをはじめとする党内の競争者をすべて追放し、収容所列島をつくりあげた。「レーニンは正しく、ソ連の専制政治はスターリンがつくりあげた」というのが、左翼のあいだの通説だったが、Lと私は、1970年代の後半には、ソ連の専制国家としての基本構造は、はじめからレーニンの国家論によって方向づけられており、スターリンはそれを粗野な手段によって肉付けしたと結論付けることができた。
私は長い間レーニンのプロレタリアート独裁の理論は、マルクスとエンゲルスの二人によるものと思い込んでいた。だが事実は、レーニンはエンゲルス晩年の国家論を継承したのである。私にこれを気付かせたのは、大藪龍介氏の「プロレタリアート独裁」論であった(『マルクス・カテゴリー事典』青木書店 1998)。さらに大藪氏は近著において、エンゲルスからレーニンへ継承された国家論とブルジョア民主主義の関係を明らかにしている(『マルクス主義理論のパラダイム転換へ』 明石書店 2020・11)
さらにいうと、社会主義国の専制政治は、革命前の伝統的支配体制に支えられてもいた。ロシアや中国、中央アジアでは、皇帝や君主の長年にわたる専制支配が続いていた。国民には基本的人権もなく、議会制度の経験もない。レーニンのプロレタリアート独裁は、この社会になじみやすいものだった。毛沢東が「私は秦始皇にマルクスを加えたものである」と公言したのもゆえあることであった。
ソ連をプロレタリアートの祖国といっていた時代から今日まで、既存の社会主義国に基本的人権や自由がないという非難に対して、日本の左翼党派やマルクス主義者はたえず弁解し続けた。社会党が壊滅し、新左翼各派が雲散してから、日本で社会主義をめざす政党は日本共産党だけになった。
1977年に日本共産党は「社会主義生成期論」を発表した。これは「ソ連や東ヨーロッパ、中国などの社会主義は、世界史的に見れば生成期にあり、その現実から社会主義の将来を云々するべきではない」というのである。これだと国民の大量餓死も政治反対派の粛清も「生成期なんだから」と弁明できる。あまりに便利のためか、権威あるマルクス主義学者までがこの「生成期論」に追随するのには大いにがっかりした。
その一方で共産党には反省というものがなかった。ソ連が瓦解したとき、共産党の指導者宮本顕治氏は、堂々と「巨悪の崩壊を歓迎する」という趣旨の発言をした。
さらに東欧ソ連瓦解から10数年たった2004年には、党綱領で中国やベトナム、キューバは「社会主義をめざす新しい探求が開始」された国であると規定した。私は当時中国にいたが、市場経済のもと急成長を遂げる中国が社会主義になるとは到底考えられなかった。
今年1月共産党は、こんどは党綱領を改定して「社会主義への新しい探求が開始された国」という表現を削除した。中国は2008年、09年ころから大国主義・覇権主義国としてふるまうようになったからだという。そして真の社会主義は地球上には表れなかったという弁解に変わった。
こうした努力にもかかわらず、社会主義・共産主義という言葉の持つ陰惨・冷酷の印象はなかなか払拭できない。だがそれは日本共産党の罪ではない。既存の社会主義に問題があったからだ。
地球温暖化など深刻化する環境問題をとらえて、友人Lは「経済成長を抑制し、生活の簡素化を図り、自由と競争の原理を抑制して平等の実現を図るといった新しい価値観を社会に定着させなければならない」と自説を唱えた。
この論理を延長するなら、とりあえず人類が到達しうる比較的住みよい社会とは、議会制民主主義を前提とし、市場経済のもつ欠陥を修正する高度の社会福祉国家だということになろうか。
現在の日本においては、急激な体制変革を求める革命思想は現実的有効性を失い、次代を担う若者の関心をひかなくなっている。西欧同様日本でも、共産党が国会で多数を占める見通しは少ない。これに代わるものは、マルクス主義や社会主義思想に依存しない、勤労者の権利と利益を守る構造改革を実現する政治綱領である。
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〔opinion10396:201222〕
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