ドイツ通信第165号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(13)
- 2020年 12月 26日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
「コロナ感染を過小評価していた…」
ドイツのコロナ感染の現状を言葉で書き表わすのは困難です。そこでアメリカと数字的に単純に比較すれば、ドイツで何が、どう進行しているのかを、明確に理解できるのではないかと思います。
ドイツの人口は8千万、アメリカが3億で、感染者数と死者数を人口比率で計算すれば、ドイツはアメリカと同じような状況に陥ったといえるでしょう。
それに直面した首相メルケルの12月9日(水)国会演説でした。メルケルはすでに9月29日の記者会見で、コロナ感染の指数関数的な拡大に警告を発し、〈このまま進めば11月、12月には1日2万、3万の感染者数が見込まれる〉と予測していましたから、12月に入って1日の死者数が590名に達した段階でドイツは緊急対策の必要性に迫られたことを意味します。
ロックダウン強化です。学校が閉校され、小売り・個人経営が閉鎖されました。加えて希望がもたれていたクリスマス期間中の社会的対人関係の規制緩和が取り消され、会合人数が制限されました。当然のことですが、それまでの経過を振り返り「コロナ感染を過小評価していた」という州首相の反省の声が聞かれるようになりました。
ここにあるいくつかの問題点を以下に整理してみます。
【1】政府のコロナ対策本部と各州の意見対立です。
メルケルの警告と緊急の訴えは、誰もが批判できないところです。ロックダウン強化への市民の同意、支持率は70-80%を示し、ではなぜ、土壇場までズルズルときてしまったのかというのが、議論のポイントになるでしょう。
死者数の急増を止めるためには、強硬な手段が打たれなければならないというエモーショナルなアピールは政党を越えて市民にも届きました。それは納得できます。しかし、それ以上でも以下でもないのです。
市民の求めているのはコロナ下での家庭、教育、労働の在り方です。コロナ禍の後に来る 新しい生活様式です。元に戻ることではないのです。そんなものは絵に描かれた想像の世界でしかないのは、誰もが気付いているところです。ここで密接に市民の声を聞きつけ、要求を迫られる各州には、感染条件の違いによって異なる対策が考えられるのは、これまた当然のことです。
しかし、それが機能しなくなったとき、つまり功を奏しなくなったとき、それに代わる対案が出されなければなりません。「ロックダウンの強化」だけでは、将来が見通せません。中央と州の意見対立のあったときに、この政府対案を突き合わせドイツ全体の合意と統一対策をめぐる活発な、市民を巻き込んだ議論が可能であった、あるのではと考えられるのです。
それができなかった結末が、メルケルの国会演説の一つの背景でしょう。
【2】同じ経過は、とりわけ「ギリシャ・ユーロ危機」「難民問題」の際にも見られます。
土壇場の、しかしまったく道徳的で、ヒューマンな訴えにもかかわらず、「だから、どうすればいいのか」への回答が見つけ出されないことです。これをメルケルは「選択肢のない(altanativlos)」と表現しました。
この用語の持っている危険性は、〈討論を封殺〉してしまうことです。選択肢の自由がない状況では、議論の余地は残されていないという認識です。
ここに若手の女性政治学者の書いた1冊の本(注)があります。
(注)Der Sound der Macht von Astrid Seville Verlag C・H・Beck
メルケル「選択肢のない」論理を〈TINA〉修辞法だと喝破していきます。元イギリス首相サッチャーが使い始めたThere is no alternative のメルケル版だと言うのがこの本のテーマで、それによって新自由主義が世界を席巻し、必要な民主主義討論が封殺されてきた経過を分析しています。結果的に、市民の政治離れと、選挙棄権者数の増加を生み出し、社会、労働分野での公共(公民)の保健・保障制度が解体されてきたことは、われわれが肌身で体験してきたところです。
それに代わる新しい可能性は、ウイルス研究者、学者から出されていると思いますが、それは次回に詳しく検討することにします。
ここでは「選択肢のない」、言ってみれば議論の封殺された土壇場の決定に対して注意を払いながら、そのなかでなおかつ、人間の社会生活の能う限りの可能性について意見交換と討論が深められていく必要があると思います。社会の対人関係は制限されましたが、多様な人間関係は封殺されることはないと思います。それをむしろ追求しなければならないでしょう。
日々の私たちの活動動機は、ここにあります。
【3】もう一つメルケルの国会演説で注目される点は、自分の出生に踏み込んで政府決定?ロックダウン強化を防衛していることです。
これまでメルケルは、むしろ東ドイツ出身であることを表に出さないで、言ってみれば「統一ドイツの首相」として振舞ってきたように思われるのです。しかし現実には「統一」のなかに東西の諸問題が浮き彫りにされてきました。それを最初の女性で、東ドイツ出身の首相として個人史とともに語れば、統一ドイツをめぐる議論はもっともっと活発になり、統一の意味も深められただろうと思われます。このとき、なぜ東西ドイツ市民からそういう声が起こらなかったのかというのが、私の正直な疑問です。市民のなかに〈統一〉への自分で描いた理想イメージが強く焼き付いていたからかと考えてしまいます。
国会議論でAfDは、実にこの点を突いてきているように思うのです。
統計に認められる感染者数と死者数を強調し、それ故にロックダウン強化への政府決定を訴えるメルケルは、数字のもつ意味を強調します。それが、物理学を選んだ一番の理由だと自身の個人史を振り返ります。
SED(ドイツ社会主義統一党=東ドイツ) 支配の下では、自由な学問というのは不可能で、イディオロギーに拘束されています。真理はイディオロギーにではなく、自由な学問からもたらされるものであるからというのがメルケル演説の意味したところです。
4期目の首相就任後、メルケルが自分の出生を語る機会の増えてきていることが認められ、今回の国会演説は、SED支配を直接批判したという意味で、段階を画しているように思われます。
物理学者としての判断から、続いて政治がどうあるべきかを聞きたかったですが、上記【2】のテーマに堂々めぐりするほかはありません。
以下は個人的な感想になります。メルケルは高校生のころから物理学への興味をもち、その当時から大学生までFDJ(Freie Deutsche Jugend自由ドイツ青年団)のメンバーとして情宣部、すなわちプロパガンダ部を担当していたといわれます。本人は文化部担当と反論していますが、FDJはSED路線に忠実な青年組織ですから、そこで〈イディオロギー教育〉と〈学問の自由〉の相反する2つの世界が成立し、対抗することになります。ここでの苦闘と格闘がさらに語られれば、AfD等の批判を十分に粉砕でき、そしてドイツ統一への議論に貢献できたはずです。
12月14日ロックダウンが強化されてから、ホットスポットの全貌が明らかになりつつあります。それまでは、高齢者の「リスク・グループを護ろう!」との訴えが行われてきました。これは老人ホーム、介護センターを外部者の感染から防ぐというように理解されがちで、その結果、家族の訪問が厳しく規制されました。それによって高齢者の孤独と孤立が進みます。言ってみれば社会から隔離された「リスク・グループ」の囲い込みのような状態がつくられたことになります。
しかし、12月17日付日刊新聞FAZ(注)の一面を使った記事には、各州、町の施設での感染状況が数字と統計で詳しく示され、ここで内部感染の実態が浮き彫りにされてあります。
(注)Frankfurter Allgemeine Zeitung Donnerstag, 17.Dezember 2020
すべての情報を掌握することは不可能です。私の見落としのあることは承知のうえで、しかし、個人的にこれほど詳しい内部状況を伝えた記事を入手したのは初めてです。それと同時に他のメディアでも、施設の「ホットスポット化」が公然と語られるようになってきました。「聖域」が崩れたことを意味します。
状況が、確固とした事実を突きつけ、ウヤムヤにすることを許さなくなっているということです。
ここに見られる問題は、
【1】それまでの「リスク・グループを護ろう!」の意味が、実は、感染対策を施設運営の単独責任に任せきりにし、政府はそれを含む全体的な計画、方針を持ち合わせなかったことを語り、
【2】その結果は、「リスク・グループ」を隔離する結果を招いてきたという事実です。言葉の裏に隠されていた問題点を暴露することになりました。
それを思うと、なんとも痛々しい思いがしてなりません。同じことは、学校についてもいえます。では、どんな可能性が残されているのか?
【1】例えばバイエルン州で行われてきた全住民への無料のPCR検査は、むしろ集中的に、戦略的に方針転換して老人ホーム、介護センターの住人および関係者にこそ向けられるべきだと、私たちは考えています。それが「連帯し、護る」という意味でしょう。
【2】もう一つの可能性は、私たちの友人の娘さんが製薬会社で仕事をしていて、9月未ころからスピード・テスト(Antigen Test)の使用が可能だとの情報をもらい、早速、入手して連れ合いは、同僚や必要な施設でのワークショップを開いて、検査方法を伝えています。医者あるいは医療関係者による15-20分のテスト時間ですから、PCR検査と組み合わせれば、それによって試験室のオーバーワークは軽減されるはずです。
ジレンマを解決する可能性は十分だと思われるのです。
以上が、私たちの近況です。とにかく元気にしています。
12月27日から、全ドイツでのワクチン接種が始まります。連れ合いは自主志願して、接種勤務に加わる方向性で準備しています。詳しいことは、年明けにでも報告できるでしょう。
どうか皆さんも体に気を付けて、希望のもてる新年を迎えてください。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10411:201226〕
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