『「維新」的近代の幻想』を読む
- 2021年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 子安宣邦髭郁彦
去年の11月21日、社会批評研究会の懇親会の席で、会のあるメンバーの方から2020年9月30日に発刊された子安宣邦氏の『「維新」的近代の幻想――日本近代150年の歴史を読み直す』(以後サブタイトルは省略する) を頂いた。この本が近代日本思想史を考える上で極めて重要な著作であることは読む前から判っていた。だが、その時、私は日本の戦争画の展開における月岡芳年と藤田嗣治との関連性に対する拙論を書くための文献を読み漁っていた。それは思っていたよりも面倒で、手間のかかる作業であり、その作業に追われていた私は子安氏の本と向き合う十分な時間を取ることができなかった。
『「維新」的近代の幻想』は容易に読み進めることができるような本ではない。熟読し、理解するためには相当の奮励を要する。それだけではなく、この本を読めば何かを書きたいと思う、いや、正確には書かなければならないと思うに違いないという予感もあった。その予感があったゆえに子安氏の著作を開く勇気がなかったことも事実であった。12月の半ば過ぎ、戦争画関係の拙論を書き終えた私はやっと『「維新」的近代の幻想』を読み始めた。
予感は当たった。だが、私が書きたいと思ったことは、この著作に対する専門的で、厳密な書評といったものではなかった。私は、近代日本思想史の根本問題を探求しようとするこの著作と真正面から対峙する知識もなければ、能力も有してはいない。ここで行おうと思うこと、それは子安氏のテクストを斜めから見つめること (looking awry) である。斜めから見る方法はスラヴォイ・ジジェクが提唱している記号学的な変形によってテクスト解釈を行おうとする考察アプローチであるが、それはヴァルター・ベンヤミンのミクロロジー (Mikrologie) とも、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが主張した横断性 (transversalité) という概念とも通底する概念であり、テクストを解明するための一つの大きな分析装置となり得る探究方法である。
この方法を用いることによって、ここでは子安氏のテクストの地平を近代日本思想史の枠組みから拡大していき、このテクストの中でスポットライトが当てられた思想史的側面とは別な側面に光を当てることで、解釈空間を、あるいは、ポリフォニー空間を広げていきたいと私は考えたのだ。しかしながら、この短い書評の中で多岐にわたる問題領域を取り扱うことは不可能である。ここでは「知識人」、「他者性」、「天皇制」という三つの問題設定、あるいは、分析課題に焦点を絞り、探究対象をクローズアップしながら、記号学的アプローチも取り入れつつ、考察を行っていきたいと思う。
分析基軸
子安氏は『「維新」的近代の幻想』の最終章である「「日本近代化」再考 北京大学・講演 (二〇一九・五・二五)」で、「私は九〇年代から日本近代史、すなわち日本近代政治史・思想史・宗教史・言語史などなどの批判的読み直しを始めました。その時私は日本近代を<外部から見る>という方法論的立場をとりました。その立場とは「方法としてのアジア」であり「方法としての江戸」です」と述べているが、この二つの分析軸の導入は、研究の導き糸として『「維新」的近代の幻想』において基盤的な役割を担っている。
二つの軸は明治期を中心点とした日本近代という分析対象において、その中心点から伸びる縦と横の軸として中心対象を貫き、その対象を厳格に、更には、的確に究明するための主要分析装置である。そして、この二つの基軸を用いることはフェルディナン・ド・ソシュールが『一般言語学講義』において展開した二大分析視点である「共時態 (synchronie)」と「通時態 (diachronie)」と同様のアプローチ方法と見做し得るものである。何故なら、「方法としてのアジア」は日本と他のアジア諸国との連関性を、すなわち、同時代の横の関係図を見つめることによって、近代日本の特質を明らかにしようとする視点だからである。「方法としての江戸」は明治に先行する江戸という時代を通して近代における歴史的な展開を、すなわち、縦軸としての関係図を見つめることによって近代日本の特質を明らかにしようとする視点だからである。更に、歴史的変遷を追おうとする分析基軸は「方法としての江戸」だけではなく、子安氏の2016年の著作である『「大正」を読み直す』では明治に後続した大正という時代から見た考察、つまりは、「方法としての大正」が用いられていたが、この視点は「方法としての江戸」と同質の分析方法であった点も注記しておこう。
こうした視点はソシュールの共時態、つまりは、各言語が持つ同時代における音韻体系、語彙体系、統辞体系といったそれぞれのレベルが密接に関連し合って、ある言語が形作られている構造を究明する分析軸と「方法としてのアジア」という分析軸とは明らかな類縁性を示している。また、各体系レベルは密接に係わりながらも、レベルごとに歴史的変遷を繰り返しているが、それは通時態の問題であり、それを考察する通時言語学は歴史的変化を追おうとする「方法としての江戸」という分析軸に通じる考察アプローチである。
子安氏が提唱した二つの分析基軸によってアジアという地域内での日本と他のアジア諸国との結び付きと差異とが明確化でき、更には、江戸、明治、大正と続く近代の時代的流れの中で、如何なる要素が連続し、如何なる要素が変更したのかを明確化できる。ディスクールの動きを連続性と変更性という二つの側面から分析しようとするアプローチは、フレデリック・フランソワが長年行っていた対話分析方法であるが、子安氏のアプローチもフランソワのものと同様に、連続する要素と変更する要素がはっきりとピックアップでき、考察対象の特質が系統的に、また、端的に解明できるようになるアプローチである。
子安氏が提示した二つの分析基軸に沿って『「維新」的近代の幻想』を読み進めていくことは正当な方法であり、重要なテクスト解読法の一つであることは疑い得ない事実である。だが、ここではこの接近手段を尊重しつつも、上記したように、それとは異なるものを用いようと思う。何故なら、ここで用いようと考えている「斜めから見る」という方法によって、これから検討する「知識人」、「他者」、「天皇制」という問題が近代思想史という枠組みからだけでなく、言語学や記号学という地平からも考察可能になると思われるからである。
知識人
子安氏の著作の前半部分で検討された横井小楠、鈴木雅之、梅岩心学、大熊信行といった思想家たちは、彼らが生きていた時代の公的な知の最前線からは遠く離れた周辺部で活動していた知識人たちである。周辺部という問題は時代精神を考える上で大きな意味を持つように考えられる。周辺部の知識人であったからこそ、彼らの思想や行動を追跡することで、彼らの思想史的方向性を解明することができるだけではなく、彼らの言説の対極にあった同時代の主要な知的趨勢を照らし出すことが可能となるのである。また、彼らの言説と行動は公的な権力を支えた当時の中心的イデオロギーとは何であったかかを間接的に教えてくれるという側面も有している。こうした観点から見て、前半部で取り上げられている知識人たちの考えはこの本の展開における省略不可能な最初のステップであると私には思われる。
一例を挙げよう。第3章「「維新」的近代は何を忘れ、何を失ったか」において、子安氏は鈴木雅之の思想に関して、「生成の道の根元性をいい、地上の生活者をその生活による道の遂行者だとする雅之の日本思想史に稀有な思想と言語とを確かに読めば、日本近代がなぜ雅之を忘却のままに埋もれさせてきたかの理由も自ずから知るだろう」と述べている。鈴木雅之の哲学原理においては、生活することの中にこそ思想が存在する。思想とは上から与えられたものではなく、与えられることなど不可能な民衆の中の日々の生きた経験から生まれ出るものである。だが、近代日本の支配権力とそれを支えた知識人たちは雅之のこの考えを完全に抹殺していった。子安氏は「国家神 (現人神) の原理によって丸ごと造り上げていった近代日本は、雅之の「生成の道の根元性」をいう人=生活者の思想を埋もれさせることによってその国家的運命を遂げていったのである」と語っている。この言葉は明治期を中心として展開した近代日本国家体制が、徹頭徹尾上からの改革であり、民衆一人一人を主体としてはまったく見做しておらず、機械の部品のような消耗材と見做していたことを正確に言い表している。それは雅之の哲理というフィルターを通してはっきりと浮かび上がってくる近代日本国家の政治イデオロギーの最も基底的な特質である。
ここで知識人ではなく、民衆自身はどうであったのかという問題を考えることも無駄なことではないであろう。日本の近代国家体制は前述したように、上から作られた国家であった。別な言い方をすれば、大きなものだけが優先される国家体制であった。「富国強兵」と「殖産興業」という二大スローガンの下で明治維新による国家体制が完成していったことは、歴史的事実として中学校の社会の教科書にも書かれていることであるが、この二大スローガンが顕示しているものは、大きなものの優先、あるいは、大文字の概念の優先である。大きなもののために小さなものは犠牲にされても許され、そうすることが当然とされるシステムの下で日本近代国家は幕を開け、その方向性だけを目指して突き進んでいったのである。日々の生活を慎ましく生きる民衆は、些末的な存在であり、近代国家内では部品としかにしか見做されなかったのだ。明治以降の天皇を中核とする支配権力及びそれをサポートした知識人においては、確実にそう考えられていた。皇国史観を大々的に唱え、昭和前期の日本史学会に君臨していた平泉澄は、「百姓に歴史はありますか。豚に歴史はありますか」と発言していたと日本史学者の中村吉治は語っているが、この平泉の発言には支配権力側のイデオローグであった知識人の基本的な考えが端的に表されている。それは鈴木雅之の思想の真逆にある考え方である。
私はかつて「ある詩人の肖像」という拙論の中で、フランスの小説家ジベール・シヌエが彼の小説『息子へ:三千年紀の夜明けに (À mon fils, à l’aube de troisième milliénaire)』の中で引用していたインドの小説家であるアルンダンティ・ロイの「ひょっとしたら、大きなものの解体、それは21世紀に、確かにわれわれに用意されているものであるかもしれない。大型爆弾、大規模ダム、大イデオロギー、大矛盾、大国、大戦争、大人物、大間違いの解体。21世紀、多分、それは小さなものの世紀になるだろう。今、この瞬間にもわれわれの願いを実現しようとする小さな神が天上にいるかもしれない」という言葉を再引用しながら、小さな小さな一人一人の民衆のかけがえのない存在性について論述したことがある。歴史を刻んでいくのは権力者だけでもなければ、知識人だけでもない。小さな小さな一人一人の民衆の生活の積み重ねが歴史を生んでいくという側面があることを忘れてはならないのである。それはベンヤミンが提唱したミクロロジー (些少事学) へとも繋がる問題である。近代日本において、この重大な事柄を権力者や知識人が無視し続け、歴史は自分たちに従属するものであると考えていた。それゆえ、鈴木雅之の主張した生活者の思想の意義は反権力思想として、民衆の力として極めて注目すべき考えなのである。
他者性
言語学と記号学を学んだ私にとってこの本の中で最も強く感心を引いた問題は、第12章「「漢」の排除と一国家主義――津田左右吉『シナ思想と日本』の再読 二」に書かれている「他者」としての中国の問題、特に、「シナ文字」つまりは漢字を巡る問題である。それは言語学や記号学と深く係わる問題であるだけではない。そこで語られた「他者」という語の概念も、非常に大きな探究課題である。何故なら、私が言語学の枠組み内で考察してきた最大の関心事は「対話」という言語行為だからである。つまり、それを考えるためには「私」という存在だけではなく、「他者」という存在も絶対的に検討せざるを得ないからである。
子安氏はこの章で、津田左右吉の『シナ思想と日本』において展開された「日中同文」批判、特に、漢字使用への批判への厳密な検討と、そこから導かれた日本語にとっての他者としての漢字という問題に対する非常に興味深い考察を行っている。それは、先程も述べたように、言語学や記号学といった様々な学問分野の究明と関連するあまりにも複雑な探究課題である。子安氏は津田の漢字排斥論の中にあった「排斥されねばならないのは、わが内なる支那、すなわち漢語・漢文であった。漢語の削減と漢文的拘束からの離脱が国語独立の前提であった」という考えの特異性を指摘し、『漢字論―不可避の他者』のあとがきに書かれている「漢字とは排他的に自己を生み出すための異質的他者でもなければ、受容者の自言語意識が負い続けねばならないトラウマとしての異質的他者でもない、それは日本語の成立と展開とにとって避けることのできない他者である。漢字は日本語にとっての不可避の他者である。それは自言語がたえず外部に開かれていくことを可能にする言語的契機としての他者である」という言葉をこの章の中で再掲載しているが、この他者性とは何かということが私にとっては以前からの最重要探究課題であったのだ。
子安氏が指摘した漢字の他者性とは、ジャック・ラカンならば「大文字の他者 (grand Autre)」と呼ぶであろうものであると私には思われる。ラカンは『精神病』(小出浩之ほか訳) の中で「(…) 一度象徴の遊びの中に導き入れられたならば、あなたはいつも或る一つの法則に従って行動するよう強いられるのです」という指摘を行っているが、この何らかの法則に従うように強制する力を発動する根源的存在が大文字の他者である。それは、具体的には法律や、言語体系 (ラング) や、夢の規則いったものとして、われわれに強制する力である。日本語というラングのカテゴリーにおいて、漢字は大文字の他者を形成している。何故なら、現在の日本語の書記法は漢字、片仮名、平仮名の三つの字体を混合し、単語ごとに分ち書きせずに表記するものである。もしも漢字を使わずに片仮名と平仮名だけで日本語文を表記した場合、読んで理解するスピードは恐ろしく遅くなってしまう。漢字があるからこそわれわれはスピーディーに文章を読み書きできるのである。それはまさに漢字が日本語における大文字の他者の働きをしていることを明白に提示している。
この書かれた言表の理解のための本質的な機能を担っている漢字を放逐したならば、現在の日本語システムは破壊されてしまうことは容易に理解できるだろう。漢字が消滅すれば、現在の日本語システムは維持不可能となり、日本語は解体し、新たな言語Xが誕生する。それゆえ、漢字は日本語の語り手であるわれわれにとっては日本語以外の言語から借用した文字ではあるが、それはすでに日本語の書記システムの中核として機能しているもの、すなわち、大文字の他者なのである。だがもう一つ付け加えなければならない根本的な問題性が存在している。それは大文字の他者は日常生活下にある主体がその存在をまったく意識せずに、そのシステムに従って生活を送っているものだという点である。それは対峙すべき他者、対話すべき他者ではなく、われわれをそう意識させることなく、命令し、従属を強いている他者であるのだ。この支配は絶対的なものである点も、忘れずに注記しておく必要性がある。
天皇制
大西巨人が長編小説『神聖喜劇』の中で書いている「(…) その統帥大権者が、完全無際限に責任を阻却せられている以上、ここで責任は、最終的に雲散霧消し、その所在は、永遠に突き止められることがない (あるいはその元来の不在性が、突き止められる)。……それならば、「世世天皇の統率し給ふ所にぞある」「わが国の軍隊」とは、累累たる無責任の体系、厖大な責任不存在の機構ということになろう」という有名な言葉を、私はすでに他のいくつかのテクスト内で言及したことがある。そうしたテクストにおいて私が最も多く論及した問題は、「責任主体」という事柄である。近代以降の西洋思想が最も重視したものは、自由で、自立し、自らの行動は自らが引き受けると他者に断言できる主体の責任という問題であったが、天皇はこうした主体の存在論的範疇で語り得る存在であるのだろうか。この問に答えるための考察を私は行ったのである。
子安氏は第6章「「国体」の創出――徂徠制作論と水戸学的国家神学」において、明治期から太平洋戦争敗戦期までの日本の国体の中心である天皇制が祭政一致の政治体制であったことの根本性を主張している。明治期、政府は日本を近代国家として強化するために早急に是非とも必要であった国家的中心理念=イデオロギーを創出しなければならなかった。当時の権力者及びそれを支えた知識人は、この大問題を解決するために荻生徂徠の制作論に基づく水戸学派のイデオロギーに注目した。子安氏は水戸学派の会沢正志斎の『新論』を詳細に分析し、祭政一致国家確立を目指した会沢の思想に対して、「祭祀的国家とは、祭政一致的体制をもった国家である。すなわち、政治的国家が同時に祭祀的な体制を統合的基盤として要求する国家である。水戸学が再構成する新たな「天祖」概念がそうした祭政一致国家の構想を可能にするのである」と述べ、更に、「始原的中心としての天祖を「敬神崇祖」の念をもって仰ぐ祭祀的国家にして初めて「億兆を一」にした人民の統合を可能にすると『新論』はいうのである。その人民はすでに国民を先取りしている」と述べているが、この水戸学派の唱えた考えこそが戦前の天皇制の中核理念であったのだ。
しかし、祭政一致とは如何なるシステムであろうか。子安氏は会沢を始めとする後期水戸学派の思想基盤とは、「死後の魂の鎮まるところ、すなわちそれぞれの死が究極的に帰着するところが明らかであれば、死者も静まり、生者も安らかであろうというのである」と語り、それゆえ、会沢の考えには「国家が人民にそれぞれの死の帰するところを明らかにし、死後の安心を人民に与えることは、彼らの心底からの国家への統合を可能にするはずだ (…)」という原理がある点を強調している。しかし、この考えは宗教的理念を表してはいるが、近代国家システムの理念とは相容れないものではないだろうか。主権者の自由と平等という前提に立った西洋の近代国家理念では、自由や平等という基本原理と対立するものとしての宗教理念は排除され (その最もよい例がフランスの非宗教性 [laïcité] を謳った国家体制である)、政教分離が根本原理として唱えられたのである。何故なら、近代国家にとって最重視されるべきものは死後の世界でも、始原的な崇拝の中心でもなく、今、ここで、現実を生きている国民の中で展開する国家システムだからである。この観点から見れば、祭政一致の政治システムはあまりにも旧態整然としたものであるだ。
日本の天皇制の問題点はそれだけに止まらない。主権者によって選ばれた近代国家の指導者は、国民一人一人が国家に対して義務を担っていると同様に、国家に対して強い責任を担っている。だが、このセクションの最初で引用した『神聖喜劇』に書かれている大西巨人の言葉は天皇が指導者としての政治的責任をまったく有していないことをはっきりと示している。それは近代国家の一般的なシステムの外部に天皇という存在があり、近代的民主主義体制とはまったく相容れない存在であることを明示している。国家神道的という視点から見れば、天皇は神聖で根源的であり、日本国民の死後の世界を保証するものであるのかもしれない。だが、それはあくまでも宗教的な側面での機能を表すものであり、政治的にその実像を捉えたならば、反民主主義の権化とも述べ得る存在となる。それゆえ、子安氏が第16章「「天皇の本質的意義に変わりはない」――和辻哲郎『国民統合の象徴』を読む」で強く批判している内田樹の「(…) 天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、五十年前には誰一人予想していなかった。そのことに現代日本人はもっと「驚いて」いいんじゃないですか」という発言は、子安氏の指摘通り、近代民主主義にとって、あまりにも危険で、民主主義システムを曲解している言説であるのだ。だが、この問題は極めて複雑であるゆえに、このセクションではこれ以上の考察は行わず、後続するセクションで改めて詳しく論及する。
近代日本国家システムの問題点
ここで今迄検討してきた事柄を総括するために、前のセクションで探究した天皇制と深く関係する「支配と教育」と「神聖さと暴力」という問題を検討したいと思う。この二つの側面からの検討を実施することで、子安氏が『「維新」的近代の幻想』の中で行った探究地平と私が従来行ってきた記号学的地平とを横断し、交差させ、深化させることが可能になり、日本の近代支配システムの明瞭なシルウェットを浮き上がらせることができると考えられるからである。
第一の点に関しては以下のことが述べ得ると思われる。『「近代」の意味――制度としての学校・工場』において社会学者の桜井哲夫は西洋諸国の近代の教育システムと工場内での労働システムの変化についてフランスの分析を中心とした非常に興味ある探究を行っている。この本の中で、桜井は民主化というスローガンによって登場した大衆の平等という欲求の強大化についての考察を行い、「(…) 「民主化」という現象の根底にあるものは、いうまでもなく「平等」への欲望ということである」と語っている。自由と平等は民主主義システムの基本概念であるが、桜井はトクヴィルの思想に触れながら、「(…) 平等が確立されていても、政治的な自由というものが存在しないという状況もありうるのだ。皆、同じ消費生活を楽しみながらも、政治にはかかわりがないという場合である。あるいは、政治的自由がなくても、その政治の世界に平等が存在するという場合もあるだろう。つまり、皆平等なのだが、そのうえに絶対的に君臨する専制的な支配者がいて、彼がその権力の代理人を被支配者のなかから平等に選びだすという場合である」という考えを示し、それに加えて、「こうして考えてゆくと、自由を好もしいと考える気持と平等にひかれる気持とは、別々のものであって、民主的な国民のなかではつりあわないとさえいえるかもしれない」という注目すべき指摘を行っている。近代民主主義体制を維持するためには、あるいは、発展させるためには、自由と平等という二つの理念が同時に必要不可欠である。片方だけでは民主主義というシステムが機能不全に陥り、崩壊してしまう。民主主義とはそうした政治装置なのである。
日本の近代国家体制に目を向けよう。明治以降の国体である天皇制に自由と平等という二大原理が存在しているであろうか。少なくとも明治から第二次世界大戦終了以前には国体維持のために名目上存在していただけに過ぎなかったのではないだろうか (戦後の新憲法下の体制での天皇制においてこの二大装置が間違いなく作動しているかどうかという問題については後述する)。政教分離の下で自由と平等という大原則を前提として近代民主主義は成立するものであり、この前提に反する祭政一致を根本とする天皇制は近代の第一原理を真っ向から否定するからである。天皇制という政治システムに内在するものは社会学者のジグムント・バウマンの用語に従えば、レトロピアであり、太古の理念への後退に立脚した国家体制である。天皇制はまさに反近代精神を表明するシステムであるのだ。そして、日本においてはこの反近代精神を国民一人一人に植え付けるために明治期に確立した教育制度が用いられたのである。
第二の点への考察に移ろう。国体としての天皇制を作動させるために用いられたものが祭政一致という国家システムであるが、天皇制は宗教的な側面と政治的側面がキマイラ化した支配体制であるゆえに、明治憲法において天皇という存在は神聖で犯すことができないシステム内の中核であった。政治的に主権者でありながら、宗教上の中心存在でもあるために政治体制上の責任は回避される。政教分離を大前提とした近代国家において、神聖さはまったく必要性のない理念である。神聖さとは宗教的側面で要求される特質である。だがもしそれがある国家内で現実に作動したならばどうなるであろうか。ジャン=リュック・ナンシーは『無為の共同体――哲学を問い直す分有の思考』の中で、「ある意味では、共同体とは抵抗そのものである。つまり内在に対する抵抗だ。それゆえ共同体とは超越性である。だが、「聖なる」意義をもはやもたない「超越性」は、まさしく内在への (全員の合一への、あるいは一人ないし幾人かの排他的情熱への、要するに主体性のあらゆる形態、そのいっさいの暴力への) 抵抗以外の何ものも意味しない」(西谷修、安原伸一朗訳) という主張を行っている。ナンシーはここで、単に「共同体」と述べているが、厳密に規定するならば、それは一般化された共同体ではなく、近代以降の西洋型の共同体である。すなわち、彼はジョルジュ・バタイユの至高性という概念を詳細に分析しながら、神聖さの中にある暴力に反抗するものとしての西洋型の近代的共同体の意義について語っているのだ。
神聖なるものは至高性を有するものである。それはその聖性ゆえに、あらゆる問いかけを拒否することも、理不尽な要求を行うことも、責任を担うことを拒否することもできる存在である。神聖さは神々しさの裏面に暴力を隠し持ったものなのだ。「神聖にして犯すべからず」と定義された天皇の存在も同様に機能するものである。上記したように荻生徂徠の思想に基づき構築された水戸学派の国体論は、天皇を日本という国家の絶対的始原と位置付けた。それゆえ、それはその存在性に疑問を投げかけることも、あらゆる側面でその責任を問うことも決してできない存在を中核に置いた国家システムである。それは、先程指摘した近代以降の西洋型の共同体すなわち近代民主主義体制に徹底的に反する、真逆のシステムである。天皇制は祭政一致の理念がその根本にある限り、近代民主主義を排斥してしまうシステムであり、近代民主主義を根付かせるためには天皇制がどのような形であり存続することは許されないものなのである。天皇制において天皇の始原性は絶対であり、不変である。それは戦後レジームの下の現在の日本という国家においても変わっていないのだ。いや、正確に言うならば、戦後レジームを破壊する暴力性を内包した呪われたシステムとして今も存在しているのだ。そうであるからこそ、第16章に書かれている和辻哲郎が終戦後に述べた「天皇の本質的意義に変わりはない」という驚嘆すべき言葉に対する子安氏の「これは恐ろしい天皇をめぐる歴史解釈の言辞である。それは十五年戦争の惨苦と犠牲の結果というべき日本国民の主権性を再び天皇に取り戻してしまうのである」という発言はわれわれの耳に重く響くのである。
日本における近代という時代は明治の国家体制を中心として語られる。その中心性は間違いのない事実である。だが、明治という枠組み内で、明治について論述するならば、強固な権力体制である国体=天皇制の実像にはフィルターがかけられ、曇らされ、その像は曖昧なままにわれわれに映し出される。『「維新」的近代の幻想』の中で、子安氏は「方法としてのアジア」と「方法としての江戸」を用いて、祭政一致という天皇制の持つキマイラ的本質とパラドックス性を視覚化し、その支配構造を緻密に分析し、その全体像を明確化している。近代日本思想史研究にとって、その意義は極めて大きい。この著作で探究された地平をしっかりと見つめることで、われわれが明治という時代のより多くの側面を捉えられるようになるのは確かなことだからである。
子安氏がこの本の中で強調していた国家体制としての天皇制の異様さという点に関して、最後にもう一度検討し、このテクストを終えたいと思う。ジジェクは『斜めから見る:大衆文化を通してラカン理論へ』の中で「国家的〈大義〉とは、究極的には、ある民族の民が民族的神話を通して集合的享楽を作り上げる、そのやり方である。民族間の緊張においてつねに問題になるのは国家的な〈物自体〉の所有である」(鈴木晶訳) という指摘を行っているが、この言葉は国家体制とは国民に従属を強要する大文字の他者であることを端的に表現している。あらゆる国家体制は大文字の他者である。だが、国民を従属させる方法と強制力は国家システムによって異なる。近代西洋国家においては、この権力が増殖し過ぎ、暴走するのを抑制するために国民による抵抗権の必要性が叫ばれ、この権利が定着していった歴史的経緯がある。
だが、近代日本国家体制においては、国体=天皇制が祭政一致システムであり、天皇の存在の始原性を根本原理としたために、このシステムは変更することが不可能で、神聖不可侵な反近代的な構成体となってしまった。神聖さという名の下に、国民に絶対服従を要求し、発展し、変更可能であるという動態的政治システムである民主主義を真っ向から否定する制度、それが天皇制である。ナンシーは前述した本の中で、「共同体とは有限な存在者たちの共同体であり、それ自体がそのようなものとして有限な共同体である。言いかえれば、無限で絶対的な共同体と比較して限定された共同体ということではなく、有限性の共同体なのである。なぜなら、有限性こそが共同体的「であり」、それ以外の何ものも共同体ではないからである」と主張しているが、この共同体は西洋近代の中で展開した共同体である。天皇制はそれとはまったく異質な、あるいは、それを後退させるレトロピア的システムである。何故なら、始原的存在である天照大神の子孫である天皇が永続的に存続することによって成り立つ政治宗教国家体制だからである。このことを『「維新」的近代の幻想』は細かく入念に解明している。
われわれ日本人は進歩的な民主主義システム社会の中で生きていると思い込んでいるが、子安氏が語っている声に注意深く、じっと耳を傾けよう。その始原性を根拠として、無限に続くように日本国民一人一人の心に植え付けられた神話。それが天皇制であることを子安氏は暴き出し、それが近代民主主義のアンチテーゼであることも明確に提示した。近代民主主義という共同体は天皇制の上に構築することなど不可能なシステムであるのだ。子安氏は終章で、「歴史修正主義は戦前と戦後日本との連続性に立って、戦後日本の戦前日本との国家的断絶を否定します。「明治維新一五○年」を言い立てる言説とは、近代日本の連続性を祝祭する言説です。それはアジアという他者あるいは隣人から見ることもせず、江戸という他者あるいは先人から学ぶこともしない、一国主義的な独善の言説です」という復古主義者のイデオロギーへの告発を行っている。われわれはこの告発に真摯な姿勢で向き合わなければならないのではないだろうか、何故なら、そうすることによって初めて、近代への多元的アプローチが可能となり、現代という時代へ前進するためのステップを一歩踏み出すことができるからである。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-371.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10448:210106〕
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