押し合いと譲り合い
- 2021年 1月 8日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
「被告代理人」の続きです。
http://chikyuza.net/archives/107915
たまにアメリカかぶれとか似たようなことを言われることがある。かぶれ?よしてくださいよ。いったい何をみて?ご冗談でしょうと、いってもしょうがないことを思う。経験や視野が違の違いから、そうみえることもあるんだろう。アメリカのいいところは努めて吸収しようとしてきたが、付き合いが長かったこともあって、うんざりさせられたことも多い。アレルギーなのかたまにかぶれて、痒くてしょうがないことがあるが、おっしゃるようなかぶれは罹患しても大事に至る前に矯正してきた。なにが起きても努めて冷めた目でみて、足抜けできないほどはまったことはない。アメリカについては、しばし見たくもないものを見せられて、ほんの少し気がつくかつかない程度のことで、何が分かっているとも思わない。アメリカも日本もそのほかも、いいのわるいではなく、できるだけいろいろな視点からみようとしてきた。その上っ面をみてかぶれているといわれると、あの人たちと似たような人たちなのかと精神的な距離をおかずにはいられない。
英語でいえばSuperiority complexとInferiority complex。日本語では優越感と劣等感になるが、日本とアメリカでは本質的なところで違う。日本で目にする優越感や劣等感には、厚い薄いの違いがあっても日常的にはしっかりカバーがかかっているし、海外のものを受け入れ続けてきた歴史に培われた特異な受容性がある。そこから生まれる文化的抑制のおかげで、あれっと思うことがあっても、ことさら問題にすることでもないしとやり過ごす気持ちの余裕のようなものがある。アメリカにいったからといって、その余裕のようなものを失うわけでもないが、思いもしないところで多人種多文化のいざこざが起きると、よけきれないことがある。当事者でもなし、ゴタゴタに引きずり込まれて怪我もしたらたまらない。どうしても受けて立たなければならないことでもなければ、一歩後ろに引くようにしてきた。
アメリカ人の多くが持っている劣等感は、複雑な歴史と人種や家族構成からくるもので、しばしそこまでねじれているのかとびっくりする。それが事を進める上で邪魔になることは滅多にないが、優越感には何度も往生させられた。些細ことでも毎日にように降りかかってくると、ちゃちな優越感なんか心の金庫にしまっておいて、金貰ってしている仕事を優先しろと怒鳴りたくなることがある。アメリカ人と一緒に仕事をすると、日本にいては想像のしようもない、呆れる程単純な思い込みから生まれる優越感をどういなしてあしらってという余計なことに神経をすり減らさなければならなくなる。その思い込みをアイデンティティだと言われると、奇抜なファッションで売ってるタレントと五十歩百歩、あんたのアイデンティティってのは、その程度のものなのかと笑い飛ばしたい誘惑にかられる。
仕事で付き合ってきた経験からでしかないことを一般化するのもどうかと思うし、してはならないことであることぐらい分かっている。それでも、何度もしないほうがいい経験をさせられて、そこから得た教訓めいたことからの一言二言、許していただきたい。
アメリカ人の多くは、ここまで単純な高等生物もいるのかと呆れる単純な人たちで、しばし世界には自分たちのやり方しかない、あるいは自分たちのやり方が圧倒的に一番いいと信じている。
同僚の一人にブラウン大出を鼻にかけたエリートだと自任しているのがいた。何かのたびに、まるで新興宗教の教義かのように繰り返し言っていた。
「日本人だって、中国人だって、ヨーロッパからの人たちだって、みんなアメリカでアメリカのやり方で仕事してんだから、アメリカのやり方が世界共通のグローバルスタンダードなんだ」
日本支社に赴任して一年以上過ぎてもSuperiority complexが邪魔して、普通なら気がつきそうなものも受け入れられない。
「日本には日本の歴史に培われた商習慣もあるし、それは中国でもドイツでもフランスでもそうだろう。同じようにアメリカにはアメリカのやり方がある。ただそれはアメリカのやり方で、世界中のいろいろなやり方のうちの一つでしかない。その一つにすぎないアメリカのやり方をそのまま日本にもってきて機能するか? 目の前の現実を見ろ」
まったく歩く利口バカの見本のようなヤツだった。アメリカのやり方そのままで、にっちもさっちもいかなくなっている現実に溺れそうになっているのに認めようとしない。それどころか、それは日本人の仕事の仕方が間違っているからだと言い張っていた。日本に来たら、ハンドルは右側に付いていて、左側を走るしかないだろう。それが間違ってる?お前、まさか右側を走る気か?言葉を変えていくつもの具体的な例を持ち出して散々説明してみたが、頭の中の配線がずれていてどうにもならない。
世界には自分たちとは違う習慣や文化があるということ、そしてどちらの文化が上だとか進んでいるということでもない。どちらも歴史に育まれた文化で、相互に尊重しあわなければならないものだということを理解できる人は驚くほど少ない。教育レベルの高い人たちで、リベラルな社会認識を持っている人たちでも、人種や文化の平等ということについては、表向きの演技をしているようにしかみえないことがある。その後ろには無意識に近い抜きがたいSuperiority complexが居座っているとしか思えない。調子のいいときは表向きですむが、込み入った話で利害の衝突や立場の違いから、上っ面を取り繕っている余裕がなくなれば、あっけなく本心が露呈する。
彼らにとって、交渉とは表面上はどうであれ、相手の利益や立場など気にすることもなく自分の利益だけを考えて、「英語」でお互いに主張しあうものでしかない。この「英語」でというだけで自分たちがどれほど有利に、相手がどれほど不利な立場に立つことになるのかを想像できるアメリカ人には会ったことがない。アメリカではみんな「英語」でやってんだから、日本にきてもアメリカにいるときと同じように「英語」でを当たり前だと思っている。
彼らの文化では、相手の立場も考えて「あんたの言うのも分かるが、……」とでも言おうものなら、「分かってんなら、オレの言っていることで」という話になる。相手の立場を一切考えないで押して押して押しまくるのが交渉だと思っている。
これはトランプのやり方そのもので、トランプはアメリカの単純な文化の見本の感がある。アメリカ人と交渉するときは、日本では当たり前の相手の立場も考慮にいれての姿勢は、一方的に譲歩を強いられる不毛なものにされる可能性がある。
その単細胞の社会観を、タイの巨大財閥の形鋼一貫圧延ラインプロジェクトに応札したときに、イヤというほど見せられた。客はタイの王室までがからんだ巨大財閥が五十一%、日本の電炉メーカが四十九%の合弁会社で、日本の電炉メーカからの技術供与だった。数年前に、アメリカで日本の電炉メーカとアメリカの電炉メーカの合弁会社でほぼ同じ規模のプロジェクトをヘトヘトになりながら完遂した。そのプロジェクトの実績をもとにタイのプロジェクトを懲りずに取りに行くことになった。そこでの役回りは応札雑務の窓口担当で客とパートナーと事業部の要望や思いやらからはじまって、はては文句の言い合いを取り次ぐ受(は)け口だった。
タイの財閥の主要制御設備はドイツに本社を置く巨大重電エンジニアリング会社のものだった。極端な言い方をすれば、そこはヨーロッパの植民地のようなもので、製造設備の規格も仕様も、操業体制も保守体制も全てドイツを手本としていた。それはその財閥だけでなく、タイは国をあげて鉄道も発電もその他の都市インフラもドイツの重電エンジニアリング会社のショールームの体をなしていた。
日本の電炉メーカは金に汚いと言っても失礼にはならないどころか、まだ言い足りないところだった。タイの財閥に任せておけば、動力系も制御系も実績のあるドイツの会社が無風で受注することになる。セメントや他の製造設備との共通部品も多いから保守部品の管理も楽だし、保全部隊も扱いにはなれている。そこに、値切ってベンダーを叩くのが習い性になっている電炉メーカがドイツメーカの採用になったとしても、価格交渉を有利にするために日本の動力系とアメリカの制御メーカをタイに引っ張りだした。
日本とアメリカ勢の構成は大まか次の通りで、絵に描いたような混成部隊だった。圧延ラインの主モータ制御系を担当した日本の重電メーカは、アメリカ支社の副社長(重電出)がリーダで、日本の重電事業体の営業と技術陣、土木工事は子会社。電気制御系を提供するアメリカの制御機器メーカは、ドライブシステム事業部のDirectorが率いた技術陣、日本支社の営業、アプリケーション開発の下請けとしてインド支社の技術陣、クエートに永住のつもりだったのが、数週間前の中東戦争でタイのバンガロー(別荘?)に避難したままタイ支店を開設することになったイギリス人。日本とアメリカプラスアルファの構成だが、多少アメリカ人になりすぎてしまった感のある日本の重電メーカのアメリカ支社の副社長とアメリカの制御器メーカのDirectorが個人的に親密な交流もあってアメリカ流二人三脚でチームを引っ張った。
タイの財閥側の担当者と日本の電炉メーカの担当者の間には埋めようのない溝があった。資本構成では四十九%だが、電炉操業ノウハウを提供するという上から目線でタイ側の自由にはさせないという姿勢を固持していた。タイ側にしてみれば、ドイツに任せて問題なくきているのだから、今回もドイツに任せればいい。余計な口出しは無用と日本の電炉メーカを押し返そうとしていた。金に汚い電炉メーカは、任せるのはいいが、言い値をどれだけ叩いて安くできるのか? タイの技術陣では技術上の問題を持ちだされてはぐらかされたあげくに、高い買い物をさせられるのではないかと思っていた。
ドイツの重電メーカはタイ側から取り込もうと、合弁企業の上から下の担当者も含めて、何度もドイツ工場視察付き観光旅行にお連れしていた。ドイツで何があったのか日本の電炉メーカの担当技術者から逐一リークというより対抗策の要望がでてくるが、アメリカ企業では接待や饗応は固く禁じられていて受けきれない。
そこに日本の電炉メーカ内の役員とプロジェクトマネージャとその配下の実務担当者の間で人柄まで絡んだ確執や利害の交錯がこっちにまで飛び火してきた。役員にはアメリカのプロジェクトの時の貸しがある。ケチが高じて自業自得――個々の担当者しか置かず、プロジェクト全体を見る人と組織を置かなかったためプロジェクトがぐちゃぐちゃなった。人払いまでして収拾を頼まれて走り回った。今回も似たようなもんで、担当技術者と蜜に情報を交換してプロジェクトとまとめてもらいたいと、当たり前のように言ってきた。
電炉メーカのプロジェクトマネージャにはほとほと手をやいた。圧延ラインは当時世界の製鉄業界の雄だった製鉄会社のプラント事業部が受注することになっていた。プロジェクトマネージャは何年か前に、その製鉄会社をレイオフされて、電炉メーカに拾ってもらった経緯のある人だった。コンプレックスもあったろうし、嫌な思いもあったと思う。同情までいかなくても気持ちを察するくらいの気持ちはこっちにもある。ただ、度が過ぎる。まるで江戸の敵を長崎での見本のような振る舞いに終始した。まとめようとする以上にベンダーを叩いて、困らせて己の得た権力がどのくらいのものかをかつての同僚(レイオフされた自分を見下した連中)に見せつける方に気がいってしまって、やっと合意にと思ったら、よこから重箱の隅をつついて、どうでもいいことを持ちだしては話を振出しに戻そうとした。
それも英語がほとんどできないから、英語で話しだすと何を言いたいのか想像がつくまでに時間がかかった。後になって思えば、寂しい人だった。
値切られ値切られ、譲歩に譲歩を重ねて、理不尽な要求も何とかパートナーと一緒に吸収する算段をしながら半年以上に渡ってTechnical Reviewとは名ばかりの四日間程度のミーティングを繰り返した。タイの財閥側の人たちには標準はドイツのシステムで、これに比べてどうなんだという質問に応えるかたちでミーティングが進む。
タイ側が訊く、日米側が応える。アメリカ人にも日本人にもタイ側が受け入れているように見える。見えるのだが、答えた内容はタイ側が期待している内容ではなく、タイ側は全く納得していない。彼らの穏やかな話し方、態度、全てから見たところは納得しているようにしか見えない。
日本の電炉メーカの技術担当者から毎晩ホテルの部屋に電話が入る。タイ側が繰り返している要求がまったく満たされていない、明日のミーティングではきちんとしてほしいと言われる。重電メーカの副社長と営業課長に部屋に来てもらって、対策を話し合うが、副社長はもうほとんどアメリカ人になってしまっていて、話がかみ合わない。
最終的には、お互いに合意事項としての議事録にサインして四日ほどのミーティングが終わる。ところが二週間もしないうちにまたTechnical reviewの案内が届く。内容は前回、前々回と何も変わらない。まるでレコードの針が飛んだかのように、同じところをぐるぐる回っているだけだった。
似たような事が何度も繰り返されれば、いつものアメリカ人相手とは何か違うと感じてもよさそうなものなのだが、アメリカ側は「世界標準のやり方」で、前回のミーティングで合意して双方がサインしたのだから、プロジェクトの受注は間違いないと信じている。合意してサインしたのに発注しないというのが彼らの常識では考えられない。
タイ側にしてみれば、サインしたのはミーティングで話は聞きましたという事実の確認だけで、聞いた話に納得などしてないし、何も決まっていないと思っている。
会議をすれば、アメリカ側がアメリカ側のロジックで主張する、タイ側はそれを受け流す。相手の言い分を穏やかに聞く。決して相手を押し返さない。相手はそう思っているのだと理解はしましたよって感じなのだろう。ミーティングは一日に何度も暗礁に乗り上げる。バイヤーもセラーも一枚岩ではない。バイヤーはタイ側と日本側で常に利益が一致しているわけでもないし、セラー側も日本の本社の立場とアメリカ支社の立場がある。そこにアメリカの制御機器メーカも入って、何かあるたびに誰が負担すべきなのかという押し付け合いが始まる。
そのうちこのまま続けてもしょうがないと、誰かが部屋を出て廊下でタバコを吸い始める。そこに関係者が集まってきて、廊下のあちこちで立ち話の個別ミーティングになる。日本支社の営業マンとして、あっちの個別ミーティングの要求をこっちの個別ミーティングで話して、それなりの案が固まったらあっちのミーティングへと行ったり来たりしていた。三十分もすれば、個別ミーティングもそこそこ合意に達して、合意を基に会議室で全体会議になる。そして、また一時間もしないうちに空中分解して、廊下でタバコを吸いながらの個別ミーティングになる。
タイ側は決して言葉を荒げない。何時も相手に対して気を使う。気を使いすぎではないかと思えるほどに、こっちのことを考えて、色々してくれる。変な比喩になるが、こんな感じと思えばいい。
ここに、疲れきった二人がいる。椅子は一つしかない。アメリカ流の交渉では、相手の状況など気にすることもなく、自分がいかに疲れていて椅子に座る権利と理由があるかを主張して相手を押し込んで、同じように相手に押し込まれて、押して押されてバランスしたところが合意点になる。タイでは、自分が座らなければならない理由ではなく、相手が座らなければならない理由を主張する。相手も同じでこっちが座らなければならない理由を主張する。ちょうど引いて引かれてバランスしたところが合意点というアメリカ人には到底理解できない文化がある。
アメリカ側は交渉で相手を説得した、勝ったと思っている。そこへ、日本の電炉メーカの担当技術者から実情のリークが入ってくる。内容をアメリカ人とアメリカ人に近くなってしまった日本人に伝える。交渉は「押すもの」としか考えられない彼らには実情を説明しても分かってもらえない。もらえないどころか、お前は何を言ってると何度も叱責された。
日本支社の社長になんども交渉は崩壊状態であることを説明したが、アメリカの事業部から来月にも受注という話を信じて、実情を報告してくる自分の部下を信用しなかった。自分たちがアメリカではなく、日本でもないタイという譲り合いの国にきていることを理解できない人たちだった。
最後は、タイのコングロマリットの人たちと、ほとんど話ができない状態にまで関係が悪化してしまった。多分、こっちの顔は二度と見たくないと思っていたと思う。それでも、最後に別れる時にタイ側の人たちの本当にしか見えない微笑みと次のプロジェクトでは一緒に仕事をしようと、しっかり握手して……。 アメリカ人は狐につままれたような顔をして、こっちはそういうことだと何度も反芻して、巨大財閥を後にした。
半年以上も事業部と日本支社の社長に叱責されて、パートナーのアメリカ支社副社長と日本本社の営業課長からはご指導を頂戴して、電炉屋の課長からは苦言たらたらを聞かされた。身内から小突き回されるなかで、タイの人たちの、かたちながらとは思えない温かい姿勢に助けられた。押すしか能のない人たち、いつになっても自分たちの文化の欠陥に気づくことはないだろう。自分たちの社会を築いてきた、それなしでは社会が成り立ち得ない本質的な価値観の欠陥にもし気づいたら、その社会では生きてい行くのが難しい。その気づかない人たちに阿る、ときには真似までする日本人をみると、情けないやら恥ずかしいやら、いったい何を考えて生きてるんだろうと思いだす。
2018/8/12
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10451:210108〕
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