ドイツ通信第166号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(14)
- 2021年 1月 21日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
- メディアでは、スピードテストの確定率が60%位だとの定期的な記事が書かれます。しかし実際には90%が可能で、この確定率は検査のやり方に依るというのが連れ合いの反論です。チュービンゲン市で検査を実際に監督・指導した女医も、90%以上を確言しています。
- 追及された保健大臣(CDU)は、〈在庫が不足している〉というような回答をしていましたが、ここには、春先のマスク不足と同様な論理が使われています。これを解釈すれば、〈品がないから役に立たない〉。
- 医院・医療関係者での使用が可能になれば、PCR検査でオーバー・ワークになっている試験室の負担が軽減されます。では、なぜそれができないのか。ここに実は、このシステムの弊害が癌のように細胞内に増殖している現実が認められるのです。
- スピードテストが一般に使用されれば、試験室の検査数が減少します。それは収益の激減を意味します。30ユーロ位、あるいはもっ安い手数料でスピードテストを提供する医院が増えてきました。PCR検査料金は、夏の段階で250―100ユーロだった記憶があります。現状は、まだ把握していません。そこで、夏頃から流された記事の裏が取れてきます。試験室は、スピードテスト使用に、猛烈に反対したと伝えられています。
- では、解決の可能性は? PCR検査とスピードテスト(Antigen Test)との併用です。高々単価8-10ユーロのスピードテストで老人ホーム、介護センターそして学校の一斉検査を実施し、陽性結果に関しては、引き続きPCR検査を行えば、少なくとも試験室の負担は軽減され、面会の安全性が保障されるはずです。誰がその検査を実施するのかは、医院及び施設の医療関係者と連携すれば、経費的かつ人材的にも、そしてシステム的に効率があると思われるのです。これが、少なくとも、私たちの周りでの議論の一端です。
トランプ派による国会議事堂突入の画像をTVニュースで見ながら、2020年8月末ベルリンでの「反コロナ規制」派デモ・集会と国会突入の姿が重なりました。この2つの潮流に見られる思想と運動構造には何の違いも認められません。
あえて一つの違いを挙げるとすれば、アメリカのファシスト、極右派が公然と武器を所持しているのに対して、ドイツでは武器を隠匿しながら非公然の地下武装化を進めてきている点でしょう。それがアメリカのようにいつ、どのように公然化してくるのかは、とりわけコロナ感染対策の進展にかかっていると思います。
もう一点見逃せないのは、アメリカとドイツの国会突入の画像が、はたして偶然の一致だったのかという点です。国会突入を扇動し、組織したのは人種主義者、極右派(ファシスト)、謀略論者‐反ユダヤ主義者、QAnon等の密教・神秘主義者であることは確固たる事実でしょう。ここに見られる潮流は、ドイツの「反コロナ規制」運動にも認められることから、相互に密な連携とネット・ワークができ上っていることが伺われます。そしてそれは、この二国に限らず世界に張り巡らされていることは、彼らのヨーロッパにおけるこれまでの公然・非公然の動きを見れば明らかなところです。
そこで見逃せないのは、人種主義者、極右派が先鋭化し武闘行動に入れば、バイデン新大統領、ハリス副大統領等の要人暗殺が十分に考えることです。過去に、ケネディー暗殺も事実ありました。
「そこまでは!」といわれかねないですが、例えば、2015年の難民問題に際して、国境を解放し、「人権・難民(権)擁護」を訴えたカッセルの県知事(CDU)が、極右派のメンバーによって射殺されました。ひるがえってトランプの4年間を顧みると、南アメリカからの難民を封鎖し、メキシコ国境に壁を築くことから始まっています。排外主義と人種主義はここから始まり、それが民主主義原理を破壊することになっただろうと考えられるのです。
そのトップにいるのがトランプだとすれば、ドイツの「反コロナ規制」派の問題点は、その人格的代表が今のところ見つけ出されていないことでしょう。
現在の動きを1919年のワイマール共和国成立から30年代のナチ支配に至る経過と比較される政治議論もあります。議論は今に始まったことではなく、既に1990年代の初め、同じく難民問題とネオ・ナチの台頭してくる過程で取り上げられていました。
この議論はしかし、ナチの成立経過のみならず「黄金の20年代」という問題意識と関連付けられています。
「黄金の20年代」に関しては、以前フランクフルトの展示「ワイマール共和国100周年」に触れて紹介したところです。ナチ支配成立に向かう社会・文化生活に見られる解放とデカダンス、自由と犯罪、富と貧困、歓楽と堕落、女性の権利とセックス、資本と労働等々、多面的でダイナミックにかつそれらが入り交わる様子が複合的に描き出され、ワイマール共和国をめぐる政治対立が浮き彫りにされていました。
戦争(第一次世界大戦)が終わり、戦時規制、報道管制が解かれ、さらにスペイン・インフルエンザから立ち直り、個人の自由、表現の自由が取り戻され、それによって市民に一番必要とされていた個人の人間的欲求が解放されたことになります。自由経済が活動し始めるとともに、収入に伴って消費が増え、飲食店(バー、レストラン、ナイトクラブ等)、モード、劇場(レヴュー等)、映画等――芸術・文化、歓楽に人の波が押し寄せます。その時のベルリンの状況が、「火山の上のダンス」(注)と表現されるように、社会のマグマ(火山)がいつ爆発するかわからず、どこか危なっかしいのです。しかしそれは、徹底的に規制されてきた人間の、当然の反応と理解できるのです。
(注) “Tanz auf dem Vulkan“
タガが外れた!ともいえるのです。別の面はしかし、規制――それがどのような性格を持っているとしても、例えば、戦時規制、またはコロナ規制があるとしても、抑圧、閉鎖状況に陥れられた人間は、外的な強制に対して精神的(内面的)な創造性を必ず働かせ、新しい世界を展望、準備するということを証明しているように思われます。
「黄金の20年代」といわれる議論の核心は、実にこの点にあるといっていいでしょう。 コロナ感染の後に、「黄金の20年代」が再現されることへの希望と展望です。
しかし、舞い踊る足元の〈火山の爆発〉も予期しなければならないでしょう。極右派・ファシストの動向です。浮かれている足元で、彼らがどんな蠢動を開始しているのかという問題です。
一冊の短編―『クモの巣』(注)が手元にあります。ヨーゼフ・ロート(Joseph Roth)というユダヤ人作家が書いたものの一作で、丁度、ワイマール共和国100周年に当たり彼の著作が再出版され、20年代の社会・政治面を知る上での貴重な記録といっていいかと思います。
(注) ”Das Spinnennetz“ 1923
題名からして、ファシスト勢力がワイマール共和国の中で、どのような〈クモの巣〉――ネット・ワークを張り巡らしてきたのか、その実情を知ることができます。
ドイツの敗戦にもかかわらず、皇帝派、軍事エリート、保守派、貴族たちは、伝説的な謀略論――「背後からの一刺」(注)の元に勢力を再結集させ、ワイマール共和派に対抗しようと蠢き始めます。
(注) “Dolchstoss“ まだまだ軍事力も戦闘意思もあったドイツ皇帝軍を敗戦に導いたのは、ユダヤ人、共産主義者、社会主義者の背後からの裏切りがあったからだという謀略論。
ミュンヘンに拠点をつくり、そこからベルリンに部隊を派遣し非公然な扇動、政治工作、挑発、襲撃を繰り返し、社会の中に不安定な混乱状況がつくり上げられていきます。市民の目は、この裏の活動にではなく、〈自由と解放を謳歌する〉表に向けられています。自由な選挙があり、共和国の将来に向けた革命議論が社会を覆っています。市民各自は、〈表現・発言の自由〉を獲得して政治決定に参加していきます。これがワイマール共和国のダイナミックな政治的流動性をつくり上げたことは、議論の余地がないでしょう。
この時、皇帝の戦争責任問題がどこまで議論されたのかという疑問が残ります。保守派、皇帝派の「謀略論」に対して、どういう反論がなされたのか、それを知りたくて100周年の展示を4か所、ベルリン、カッセル、ワイマール、キールと見て回りましたが、回答を得ることはできませんでした。展示では共産主義者、社会主義者の革命的行動がドキュメンタリ―で記録されている一方で、ユダヤ人の戦前―戦中―戦後の社会的役割と実生活に関した記録と展示が皆無だったことに、その一端が見てとれます。
ただカッセルの展示で、「ドイツの母へ」と題した「ユダヤ人前線兵士=RjF(注)のビラ」1920年の解説が唯一のものでした。これについては、いつか触れる機会があるだろうと思います。
(注) Reichesbund juedischer Frontsoldaten
戦争がドイツ―ヨーロッパ市民に何をもたらしたのか、どのような犠牲を強いたのか、戦争責任問題での政治的意思一致が追及されれば、共和派の革命・政権議論は、全く別の方向に向かったのではないかと思われてなりません。そして、ファシストは共和派のこの対立を衝いたように思えるのです。
ストライキ、騒乱、流血の街頭闘争が全ドイツを席巻し、他方で極右派・ファシストが「謀略論」によってさらに社会を不安定、騒擾状態に陥れ、こうして社会と市民の亀裂、分裂、対立が先鋭化していきます。
1920年3月ベルリンのカップ一揆、そして23年11月8-9日ミュンヘン一揆によって保守派、極右派、ファシストがその輪郭を表面に浮かび上がらせました。
極右派、ファシストのクーデター的な陰謀から引き出される社会的不安、騒擾に対して、中間派の動揺のなかで共和派は右―中間―左に戦線は分かれていきます。
ベルリンの展示で見られる1919年1月15日ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの虐殺からは、以上のような政治的かつ社会的背景が浮かび上がってきます。
これは、誰もが知っている歴史です。それを個人的な仮説から再現しただけで、未整理の部分があるでしょうが、現在の問題は以下のところにあります。
ちょうど3年前、100周年を期に2人の虐殺に関してSPD 党員ノスケの責任問題が議論されたとき、追及された当時の党代表アンドレア・ナーレスは、2018年11月には、「“たぶん”関与している」と回答していましたが、その後、「決定的な証拠はない」と言質を変えています。
国防大臣SPDノスケと極右派の参謀将校パブスト(Waldemar Pabst)の電話でのやり取りは、その解釈をめぐって歴史学者の間で、今なお意見が分かれているといいます。(注)
しかし、この取り合わせこそがワイマール共和国の問題点であっただろうと思われるのです。
(注) Der Spiegel Nr.3/12.1.2019
理屈っぽく書いてしまいましたが、アメリカとドイツの極右派・ファシストの国会突入の画像を見ながら、そしてコロナ感染下での規制された市民生活を体験し、そこに単なるウイルス問題だけではない実に大きな、重要な課題の隠されているのが見えてきます。
上に記したことは、その点に関してワイマール共和国議論に絡んだ私なりの問題意識です。
ここでもう一度、実生活に目を向けてみます。
皆さんもそうでしょうが、日に日に新しい情報が入れ替わり立ち替わり届けられ、その処理に多大のエネルギーを費やしていることだろうと思います。誰の、何を信じていいのか分からない情報に溺れそうな混乱した状況が各個人に襲いかってきます。どこで、どう情報を処理すればいいのか。しかし、対人関係は規制されています。
規制されているとはいえ、限られた範囲での人間関係の再生は可能です。こうして私たちは、クリスマス、年末、そして新年に入ってからも休むことなく、いろいろな多彩な職業の友人、知人と会って食事をしながら歓談し、議論し、会話を楽しんでいました。見方を変えれば、誰もが他人とのコンタクトを必要としているということでしょう。
テーマはもちろんコロナ感染ですが、その下での仕事、子ども、年配の両親等々、個人的な悩み、課題を提供しながら意見を交換します。それによって、虚偽の情報の入り込む余地がふさがれます。
同じく定期的に森、公園の散歩に出かけます。春と違って冬の寒さはこたえますが、雪に覆われた森の中をギシ、ギシと雪を踏みつけて歩く音を聞きながら散策する感覚には、特別なものがありました。通りには、子どもたちが作ったのでしょう、大小の雪だるまが立てられていました。
以下に、話しあったいくつかのテーマを整理してみます。個人的な領域に限定されますが、全体の流れを十分に反映していると思われます。
年齢的にも、両親が老人ホームで生活している友人が多いです。面会に行きます。事前のスピードテスト(Antigen Test)を受ければ面会はできます。それはそれで大きな前進と言えますが、
仕切り板を挟んで、しかもそこから双方が数メートル離れて会話することになりますから、マスク着用で話し声が理解できず、加えて手さえ握ることができず、それは「まるで刑務所の面会のようだ」と、友人は悲しそうに語ります。だから「もう面会をしたくない!」とまで言います。
他方で、面会のできない家族もいます。事前のテストが受けられないからです。
問題は施設内及び訪問者のテスト体制が確立されていないことです。また、施設内生活者、関係者へのワクチンの重点接種が呼びかけられ大きな希望がもたれていましたが、ワクチン購入が滞り、計画通りに進んでいないことが、一番の原因です。
一方で、「年配者の安全を!」、「死者数の減少を!」と呼びかけられながら、現実には現場の混乱が際立ってきていることは、担当する医者たちからも聞かれます。ワクチン接種にどれだけの期間を必要とするかは、誰も明言できません。
物理学者の友人の試算では、このままではすべての接種が終わるまで2年近くかかると見積もり、その間、感染と死者数は増えていきます。それに、コロナ変異ウイルスが流行し始めました。
この状況を一言で要約すると〈ロックダウン下での指数関数的感染爆発〉と表現できるでしょう。緊急事態の緊迫性は、この矛盾する表現に現れている通りです。イギリスにその兆候が既に認められます。
ここまでは議論され、課題が明らかになっています。では、なぜそれ以上の現実的な対応が取れないのかという問題です。
結論から言えば、医療・介護施設で新自由主義システムの弊害が暴露されながら、そこから抜け出せず同じシステムで問題を解決していこうとしているからです。
キーポイントは、今でこそ徐々に一般化しつつあるスピードテスト(AntigenTtest)の使用認可が遅滞してきたからだというのが連れ合いの見解です。
9月にはすでにチュービンゲン市(市長・緑の党)で老人・介護ホームの感染数をゼロに抑えた経験がありながら、やっと12月に入ってこのテスト使用が一般に認可されました。この間、医者からも認可を求める声が上がってきていました。
議論の要点を以下に書きます。
「健康、命の重要性」が語れらながら、システムとしては製薬会社・医療制度の利益回収メカニズムに変質してしまっていることです。これが、新自由主義の弊害を新自由主義によって克服しようとしている矛盾の根源です。
ワクチンの到着を何もせず待ち続けるよりは、はるかに効果的であるように考えるのですが。
次に、学校問題について書く予定でしたが、長々しくなったので次回に回します。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10490:210121〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。