本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(297)
- 2021年 3月 3日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
権力の暴走からマネーの暴走へ
1月に報道された「文在寅大統領による対日宥和政策への転換コメント」には驚かされたが、この背景としては、米国を始めとして、世界的な「権力暴走の終焉」が指摘できるものと感じている。具体的には、「非理法権天」という言葉のとおりに、「コンプライアンス(法律順守)の時代」の後に、「権力暴走の時代」が到来した状況のことだが、現在では、すでに、「天地自然の理が働く時代」へ移行し始めているものと想定されるのである。
より詳しく申し上げると、「西洋の時代(西暦1200年から2000年)」の末期に誕生したのが、いわゆる「資本主義の時代(西暦1800年から2000年)」であり、このことは、「お金(資本)が、最も大切なもの(主義)である」という「人々の認識」を表していた時代だったのである。しかも、「1971年のニクソンショック」以降は、私が提唱する「信用本位制の時代」となり、この時には、「デジタル通貨、そして、デリバティブ(金融派生商品)が大膨張した時期」だったことも見て取れるのである。
つまり、「西洋の時代」においては、「唯物論」という言葉のとおりに、「物質面における成功」を追求することが「合理的な考え方や行為」であり、その結果として、最後の段階では、「究極の物質」とも言える「マネー(お金)」が、史上最大規模の大膨張をし、結果として、世界的な超低金利状態が発生したことも理解できるのである。別の言葉では、「大膨張したマネー」が「政治的な権力」を生み出し、その結果として、「市場のコントロール」という「大きな歪み」が発生した状況のことである。
しかし、今回の「米国大統領の交代」、そして、「文大統領の豹変」が象徴することは、前述のとおりに、「権力の暴走」が終焉し、「天地自然の理」や「大自然の摂理」が働き始めた状況のようにも感じられるのである。つまり、「人類は、大自然を支配すべきである」というような「人類の奢り」が、「異常気象」や「コロナ・ウイルス」などを発生させたものと思われるが、このことは、「人類が大自然から淘汰される時代」の始まりを意味している可能性も想定されるのである。
別の言葉では、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊」と同様に、「西洋の時代から東洋の時代への大転換」が発生している状況のことだが、この点に関して注目すべき事実は、「海中のビーチボール」に例えられている「現在の市場コントロール」だと感じている。つまり、大きな力で抑え込まれていた「世界の金利」が、今後、急上昇する可能性であり、実際には、「紙幣の大増刷」が引き起こす「マネーの暴走」のことである。(2021.1.21)
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100歳の挑戦
2001年2月の「えひめ丸事件」は「同年9月の9・11事件」に関する予兆的な出来事だったものと考えており、そのために、今回も「2月に、どのようなことが起こるのか?」に注目している状況である。そして、この候補となりそうな出来事として挙げられるのが、「100歳の挑戦」で知られる「トム・ムーア氏の逝去」とも思われるが、彼は、「100歳の誕生日に向けて、自分の家を100週回り、医療従事者に向けて1000ポンド(約14万円)の寄付を集める」という「小さな行為」の実践者である。
ただし、この結果として集まった金額は、「約3279万ポンド(約47億円)」という巨額なものであり、この事実は、「現代社会の象徴」であるとともに、「未来社会への希望」を象徴した出来事だったようにも感じられるのである。つまり、「西洋の物質文明」が終焉し、「東洋の精神文明」が始まる状況に関して、大きなヒントを与えてくれている可能性のことだが、具体的には、「一人ひとりが、自分の可能性にチャレンジし、実践をはじめた時に、世の中が、大きく変化する可能性」のことである。
より具体的には、「自分の利益のために物質文明を発展させて、お金儲けを企てる」という行為が、典型的な「西洋の価値観」だったわけだが、この結果として発生したのが、現在の「マネー大膨張」であり、また、「地球環境の破壊」だったのである。そして、現在では、徐々に、この点に対する反省が、世界的に広まっている状況でもあるが、この点に関して最も必要な行為は、やはり、「一人ひとりが、他人のために、自分ができることを実施する」ということのようにも感じられるのである。
つまり、「一灯照隅」という「伝教大師最澄の言葉」のとおりに、「本当の宝物は金貨などではなく、他人のために、自分の周りを明るくする人々の存在である」という認識のことだが、現在では、「1600年前の西ローマ帝国崩壊時」と同様に、「パンとサーカス」の生活に明け暮れるとともに、「デジタル通貨」という「影も形も存在しない現代の通貨」に頼り切っている状況とも言えるのである。
そのために、私自身としては、「リュウグウからの玉手箱」が開かれる瞬間、すなわち、「金融界の白血病」という「大量に発行された紙幣が、コンピューターネットワークの中を流れることができずに、価値が失われていく状況」を危惧しているが、一方で、この時の希望としては、やはり、「全ての人に、驚くべき才能と可能性が秘められている」という「人生の神秘」ようにも思われるのである。(2021.2.6)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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