ミャンマー/国軍の残虐非道な弾圧―「人道に対する罪」を許さず、ただちに国際社会の介入を!
- 2021年 3月 13日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
ようやく国連安保理事会は、10日ミャンマー情勢に関し「抗議者への暴力を強く非難する」とする議長声明を出した。中国、ロシアの反対を見越して、法的拘束力のある「クーデタ非難決議」や制裁の発動にかかわる文言は声明に盛り込まれなかった。中国、ロシア、インド、ベトナムの四か国が、決議や制裁に後ろ向きだったこと、権威主義的な傾向のある国家が足を引っ張ったことが銘記されるべきであろう。これでは国軍の残虐非道に歯止めをかけることはできない。中国やロシアを後ろ盾に、国軍は反クーデタ運動を圧殺するまで弾圧の手を緩めることはけっしてないだろう
3/11現在で推定でも80名近くが死亡、しかも日に日に犠牲者は増え続けている。平和的にデモをする市民に対して軍隊や警察が無差別に実弾発砲して多数の犠牲者を出すなどとは、現代社会であり得ることとは到底思えない。第一次ロシア革命の引き金となった、「血の日曜日」事件を起こした帝政ロシア並みの残忍さと時代錯誤を思わせる光景である。ミャンマー国内や国際社会からの非難に対して、まるで挑戦するかのように、国軍の弾圧の手口は残酷さを増している。アムネスティ・インターナショナルによれば、戦場で使われる狙撃銃や軽機関銃が市民に対して使われている。88年を経験した邦人の方々も、当時はデモ隊にばかりでなく、通りに集まってみていた一般群衆に向かってさえ機関銃が発砲されたと証言している。フランスのLe Monde紙によれば、自衛隊にも国軍士官が研修に来ているそうだが、彼らには技術的な訓練より、なによりも人権と民主主義の研修が必要であろう。
いまのところ、国連の声明もモラル・サポートの域を出ていない。アメリカのバイデン政権も、追加でクーデタ首謀者の息子二人への制裁を発表したものの、いぜん抑制の効いた反応しかしていないし、日本政府の二股外交もほころびを露呈している。欧米や日本の繰り出す経済制裁も、そんなものは意に介しないと、軍事政権の中枢はうそぶいているのだ。国際社会は、実質国軍に手を貸す中国やアセアンの「内政不干渉」主義を理論的実践的に打ち破り、反クーデタ運動への支援を強化しなければならない。
以下、いつものように重要と思われる内外の出来事・事件をいくつか拾い出したうえで、国内政治の動向を占い、かつまた支援強化の方向性を見定めていきたい。
3/8 ミャンマー北部カチン州ミッチーナにて、治安部隊にデモ参加者を傷つけないよう
に懇願するカトリック尼僧。少数民族地域では、新旧キリスト教が支配的である。AFP通信
同じ日、ミッチーナで2名が射殺された。尼僧の願いは無視されたのである。7day news
<Pick Up ここ一週間の動き>
●3/3に射殺され、埋葬されたマンダレーのチェーシンさん(19)の遺体が5日、国軍関係者によって勝手に墓地から掘り起こされた。国軍は検視の結果、銃弾は国軍の発射したものではないことが判明と発表した。無防備の市民を射殺し、かつその墓を遺族に断りもなく暴くなどということは、人道に対する犯罪である。恐るべき国軍の感覚で、それはナチズム、日本のミリタリズムの非道さに匹敵するものだ。当時の画像を精査した仲間たちは、弾は彼女がたまたま後ろを振り返ったとき、後頭部に命中したものだと公表した。
●3/8駐ミャンマー丸山大使、首都ネーピードウに国軍が新たに任命した「外相」と会談。スーチー氏らの解放と市民への暴力の停止、民主的な政治体制の早期回復を求めたとする。しかしこれには反クーデタ国民運動はこぞって猛烈に反発―インドネシアやマレーシアなどのアセアン諸国すらクーデタ軍を政権と認めておらず、そこにはしたがって「外務大臣」という役職も存在しない。ところが日本は、自らのこのこと出かけて行って、政権の存在を認める行動をした、というのである。ミャンマーに「精通した」はずの全権大使の限界を暴露する結果になった可能性がある。現在なお国連は、クーデタ軍事政権を正式な政権と認めていないし、国連大使もスーチー政権の指名したチョーモートン氏の受任が失効したとはしていない。「アジア的価値観」を標榜する日本政府の国際感覚とのずれは座視できない。
一言だけ触れておくが、日本政府はミャンマー国軍に独自のパイプを持つという世評(吹聴)には、多少のいかがわしさが付きまとっている。2000年代の初めの頃にも、日本はミャンマー国軍と独自のパイプがあると言われていたが、実態は秘密警察トップのキンニュン(最初SPDC第一秘書の肩書、のちに首相)との回路だけであったのではないか。独裁者ネウィンの「お稚児さん」と呼ばれ、ネウィン子飼いの秘密警察エリートだったキンニュンは、日本とのパイプを大事にしていると私は聞いていた。軍事政権内の改革派と言われていたキンニュンだが、彼は陸軍士官学校出でもなく国軍本体には属しておらず、情報部や内務省―警察・行政機関を掌握しているだけであった。2004年に彼が失脚するや、おそらく国軍関係とのパイプは切れ、情報も入ってこなくなったのではないか。当時宮本大使が沖縄担当大使に転任されて以降、何人かの日本大使の話しぶりの変化から、私はそう推測した。軍政の動向や見通しについては、もう誰もふれなくなっていたからだ。
また今日の状況であるが、「国軍とのパイプ」は過大評価できないと思う―特にいい方向で日本政府の言うことを聞かせられるという意味において。ミャンマーのリベラル派ジャーナリストであるアウンゾー氏は、日本政府とミャンマー国軍をつなぐ役割を演じる人物、つまり日本政界のフィクサーとして名高い笹川陽平についてこう言っている。「クーデタ・メーカーのミンアウンライン最高司令官も、日本財団の笹川陽平会長と親密な関係にあります。 彼は、ミャンマーの国民和解のための日本政府の特使を務めています。クーデタ以来、将軍は彼との連絡線を開いたままにしていたと考えられています」。戦争中の日本旧陸軍、戦後賠償に始まるODAを通じた独裁者ネウィンと日本の最も保守的な政界とのつながり、近年では安倍晋太郎元外相、安倍晋三首相・昭恵夫人にいたるまで、直接国軍とではないにせよ確かにパイプはつながっているのであろう。余計なことかもしれないが、笹川氏はミャンマーの少数民族和平問題担当の政府代表となっている。政府代表とはいえ、民間人である笹川氏が日本財団の力で国軍と少数民族組織とを取り持つことに一抹の危惧を禁じ得ない。なぜなら内戦にかかわる問題は高度に政治的であり、かつ他国の主権と内政にかかわる問題だからである。
ヤンゴン、国軍・警察の襲撃に備えバリケードを築く若者たち。ヘルメットは
業者が君たちの命を守るためならいくらでも寄付するとして提供されたもの。
●NLDの党員活動家ら、不当逮捕後死亡相次ぐ。
国軍は昼の街頭デモの鎮圧だけでは反クーデタ運動を圧殺できないとみて、深夜に標的の活動家や政党人の自宅を急襲、不当逮捕し以後失踪や死亡になる事件が頻発している。
3/6にNLD地区責任者でイスラム政治家であるキンマウンラット氏(58)は、自宅で夜襲を受け逮捕され、拷問を受けその日に死亡、遺族は翌朝遺体を引き取ったが、全身血まみれだったという。また3/9にNLD党員であり、「スー職業研究所」の責任者だったゾウミヤリン氏は、逮捕されたが翌日午後、遺体確認のため軍病院に来いと言われて行ったが、本人が逃亡しようとして事故死したと告げられたという。戦前小説家小林多喜二は築地警察署で即日拷問死したが、同じ事例が大規模に行われようとしている。
ヤンゴンで亡くなったNLDのムスリム政治家キンマウンラット氏の葬式 DW
●3/8月曜日に、情報省は、理由を説明することなく、7Day News、Myanmar Now、Mizzima、DVB、およびKhit Thit Mediaの発行ライセンスを取り消した。それと同時に治安部隊は当該メディアの事務所を破壊し、パソコンなどの備品や必要書類を持ち去ったという。
7Day News以外は、民主主義と人権のための闘いでニュースを報道し続けると発表した。2月22日以来、ミンアウンライン最高司令官は、軍の国家行政評議会を「軍事体制military regime」とか「軍事政権junta」と呼ぶと、発行ライセンスが取り消されると繰り返し警告していた。正当性、合法性に欠ける政権と定義されるのを嫌がっているのである。しかし我々が日々ミャンマー現地の状況を知ることができているのも彼らのお陰である。イギリスの植民地だった過去からの英語文化が生きている。イラワジ紙の創立者アウンゾー氏は、獄中で英語を勉強し始めてマスターしたという。そこが英語の通じない隣国タイと違うところである。
●軍事政権は、街頭での若者ら大衆行動、(軍関係企業従業員含む)公務員らの市民的不服従運動CDW、一般住区での住民の反抗・抵抗運動といった三つの領域での闘争に直面している。おそらく一番攻めあぐねているのが、貿易、銀行、輸送システム(ヤンゴン―マンダレー間不通など)といった経済中枢を停滞に追い込んでいる公務員のCDWであろう。CDMの主力である国鉄労働者への攻撃が、この3/10から始まっているという。
全国に3万人いるといわれる国鉄労働者は、その90%が2月初旬以降職場放棄しCDMに参加して、鉄道輸送をストップさせている。これに窮した軍事政権は、多数の治安部隊を出動させて、マンダレーやヤンゴンに数か所ある国鉄労働者の官舎地区をいっせいに包囲封鎖し、発砲して活動家を逮捕したリ、ヤンゴン・タムエにある官舎地区のように、1000名にもなる労働者や家族を強制的に立ち退かせている。老人や子供を抱えている家族は、行き場がなく窮しているという。ただし硬軟の使い分けであろう、この3月、2月分の給与は国から振り込まれているという。
<喫緊の国際社会の強力支援・介入の論拠―R2Pについて>
この間ミャンマー情勢について分析・論評した多くの記事のなかで、すぐれた視点や見解、提言を示しているものが少なくない。ただし紙幅の関係から、本日は「R2による国際社会の介入」を訴えたものを紹介しておこう。
かねてよりクーデタに揺れるミャンマーへの国際社会の介入の必要性は、指摘されていた。本来 はミャンマーが自国内で解決すべきものという意見(シンガポール)もあるが、インドネシア紙のジャカルタ・ポストは、国内だけで解決させられるはずはなく、民主的に選ばれた政権を転覆させた国軍クーデタは容認できないものの、解決のためには両者と話の出来る仲介者が必要であり、インドネシアはその任を買って出るべきだとする社説を掲げた。その後大規模な抗議行動や抵抗運動は規模を大きくして持続し、それに伴い治安当局の弾圧で死者はうなぎのぼりでとどまることを知らない。人道的な観点からいえば、即時介入を期待するところであるが、そのためにはミャンマー国内だけでなく、なにより国際社会の同意を得られる政治的法的正当性が必要である。
そこで紹介したいのは、3/10イラワジ紙に載ったアシュリー・サウス「ミャンマーを救う責任と機会」と題する論評である。(イラワジ紙によれば、サウス氏は、東南アジアの政治と人道問題を専門とするチェンマイ大学のリサーチ・フェローとある)
主要な論点は二点ある。ひとつは、国際社会の介入の根拠を、2005年に国連世界サミットの成果文書にある「保護する責任」(R2P=the Responsibility to protect its populations)の原則に求めていることである。R2Pとは、国際社会において各国は、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪から人々を保護する責任を負うというものである。国際社会の介入にあたって当該国の国家主権や内政不干渉原則と国際法上の折り合いをつけ、介入の基準をより明確にして実効性あるものにするためのものと理解する。ミャンマーのように自国民のほとんどを敵視し、自国民の保護という最低限の国家の基本的な義務を果たす意思のない軍事政権に対し、国際社会が国民の人命、人権の保護のため責任を負う以上、経済制裁の必要性を越えてより強力な手段を行使することも議論の対象となるであろう。ただサウス氏の指摘するように、「R2Pの原則は、国際法上は国連安全保障理事会によって開始された活動にのみ関連している」とすれば、またしても安保理の壁にぶつからざるをえない。今のところバイデン政権が、対中政策全体の戦略的見定めもなしにただちに介入を先導するとは思えない。R2P原則をどう活用して、ミャンマーへの支援ないし介入を具体化していくのか、我々にも問いは鋭く突き付けられている。
サウス氏の論点の二つ目は、武力を有する少数民族組織と反クーデタ運動との連携をはかることの意義である。少数民族組織は辺境地域に本拠地があるので、実際的に武力によって都市部や平野部農村の運動を防衛する機会はほとんどない。カレン民族同盟/カレン民族解放軍の兵士が、3月8日、南部のダウェイ地区の村で反クーデタ派に安全を提供したという例はないわけではないが、まれであろう。サウス氏が強調するのは、反クーデタ運動において、民主派と少数民族組織が連携していくことの運動上の意義である。それは内戦終結・恒久和平達成のためだけでなく、2008年憲法を破棄し民主的な連邦国家を建設するための重要な一里塚になるであろうということである。
「現在の危機には、物語を変え、ミャンマーをイメージし直す機会を生み、軍事政権との闘いにおいて相異なるコミュニティ間の関係を変革する可能性がある。抗議行動によって、NLDメンバーと活動家、少数民族の個人やグループ、および『Z世代』の若者の間の、重要で新しい同盟関係ないし連合が出現してきている。軍事評議会(SAC)による人々の抑圧の結果は、それが人々に共通の経験を提供することによって、連帯の絆に基づき、ミャンマー社会のさまざまな要素を新しく創造的な方法で結び付けたことである」と、サウス氏は論評を締めくくっている。
ロヒンギャ問題という爆弾をかかえているだけにそう簡単ではなかろう。軍事政権に立ち向かう同じ世論が、日本政府のロヒンギャへの1900万ドルの緊急援助には反対するのである。しかしそのことを考慮しても、なお民主化過程とともに始まった自由に向けての人々の意識の解放と進化は不可逆的であり、
その意義はいくら強調してもしすぎることはないであろう。国軍のクーデタは、愚かにも民主化過程を制約していた2008年憲法の枠組みをみずから吹き飛ばすことによって、宗教・民族・人種・地域・経済格差によって分断されてきたモザイク国家を揺り動かし流動化させて、市民革命に必要な社会連帯の条件をつくりつつある。
しかしながら市民革命という見地からみたとき、軍事政権との対抗権力としての臨時政府を確立するための課題は多い。社会的諸勢力、諸民族、諸政党政派の連帯なり同盟を促進するうえでも、NLD=CRPH(ミャンマー連邦議会代表委員会)を中心としながらも、今回の反クーデタ運動の参加者から構成される強固な指導部の形成が急がれる。スーチー政権においても、少数民族組織との交流や連帯の動きはなく、そのことが少数民族組織の幻滅感をつくりだしていた以上、アウンサン将軍に倣って大胆なイニシアチブが必要である。そして対抗権力である以上、政府組織や中央―地方へいたる行政組織の確立も急がれる。民主的な連邦国家の建設という共通目標で団結しながら、中短期の政策マニフェストを至急練り上げる必要があるだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10638:210313〕
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