今あらためてマルクスを問い直すことの意味
- 2021年 3月 18日
- スタディルーム
- 高橋順一
*これは早稲田大学教授・高橋順一氏の3月10日の最終講義を編集し、許可を得て掲載したものです。そのために準備された論文『転回点―「三・一一以後」の世界と<市民社会の弁証法>の行方 ―』が下敷きになっています。(編集部)
講義の総タイトルは「アドルノ・マルクス・ヴァーグナー -<近代(モデルネ)>の根源史」です
今あらためてマルクスを問い直すことの意味
私たちはマルクスの議論を中心に資本とは何かを追ってきた。そこから見えてきたのは、資本による自然や労働の包摂の結果隠蔽/消去され不可視化されてしまった非対象化的かつミメーシス的なものの契機を、人間の身体やその属性としての「生きた」労働、あるいは個々人の自由で自発的な結合体としてのアソシアシオンに残存する契機を通して復元、再生させるという課題であった。この非対象化的かつミメーシス的なものの契機の復元と再生という課題は、資本主義的生産様式の下で、対象化の論理と自己‐物‐化の論理にのっとったかたちで行われる資本と自然および労働のあいだの交換(生と死の交換=質量交換)のメカニズムを、ミメーシス的なかたちに向かって脱構築的に編成替えするという課題へもつながっていく。そこには同時に、資本が解き放った巨大なエネルギー、Force(力)、をソフト・パスのような技術概念の転換を通じて人間や自然にとってふたたび制御可能なものに変えていくという課題も含まれるであろう。これらの課題こそ、私たちの世界を真の意味で生きることの出来る世界へと変えるという「解放的関心」の中心的要素なのであり、同時に今後私たちの社会や文明が存続しうるためにももっとも重要な鍵ともなるのである。すでに見てきたような、労働や生活の現場において非人間化がとめどなく進行する現状に対して歯止めをかけるという意味でも、またさらには原子力技術の深刻な脅威によって全地球上の自然=生態系が「死」の恐怖にさらされている「三・一一以後」の状況に真の意味でピリオドを打つという意味でも、これらは極めて切実な課題というべきである。それにしても資本主義はなぜこのような世界を私たちにもたらしたのだろうか。
『要綱』のなかでマルクスは「資本の文明化作用」という言葉を使った。このときマルクスは、たぶん二つの問題を考えていたに違いない。一つは巨大な生産力の解放によってもたらされた資本主義社会とそこに内在する富(商品)の猛烈な膨張・発展をどう受け止めるのかという問題である。たしかにそれは古い生産関係や社会関係を破壊し、個々人をそうした関係の軛から解放した。その結果個々人は資本の作り出した社会空間のなかで「自由な労働者」となったのである。同時にこのことは、モノだけでなく人間もまた労働力という名の商品となったことを意味する。このことも含め、しゃにむに世界全体を商品=貨幣の力によって地ならしし均質化された社会空間を生み出していく資本のこうした巨大な力は世界を大きく変え、新しい文明のかたちである近代産業文明を出現させたのだった。これがいわゆる「豊かさ」の実現に寄与したことは間違いない。だがそこには同時に二つ目の問題が生じることになる。それがこの「豊かさ」の逆説である。それは、資本が「豊か」になればなるほど労働者の「貧しさ」が反比例的に増大するという逆説であった。このことにマルクスが気づいたとき、資本主義の核心的な秘密な一気に明らかになったのである。ただしこれをいわゆる「窮乏化理論」というかたちで理解してはならない。マルクスが気づいていたのはもう少し別なことだった。
たしかに資本が「豊か」になれば労働者も相対的には「豊か」になる。だが問題はその速度や比率にある。資本の「豊か」になる速度や比率は必ず労働者の「豊か」になる速度および比率を上回るのである。逆になることは絶対にありえない。そんなことが起きれば剰余価値生産は不可能になるからである。その結果労働者は、かりに自分自身のなかで、たとえば給与が上がるというかたちで相対的に「豊か」になったとしても、資本の「豊かさ」と比較した場合には、つねに相対的に「貧しい」状態に置かれるのである。しかも労働者は、自らが置かれている生産関係のなかで、すでに見たようにその精神や身体が断片化されたモノにならざるをえないような運命を負わされている。それが、機械と人間の同位性の次元へと進化した資本にとって「豊かさ」の増大のためにどうしても必要だからである。マルクスが気づいていたのはこうした事態であった。マルクスはすでにそれを機械労働の意味を通して認識したのである(25)。重要なのは、労働者がこうした過程において自らの労働力の所有者としての位置さえも最終的には失っていくという点にある。マルクス自身、「私的所有の諸法則は ―― 自由・平等・所有 ―― 、すなわち自己労働にたいする所有とそれの自由な処分とは、労働者の所有喪失と彼の労働の放棄とに、彼が自分の労働にたいして他人の所有にたいするしかたで関わることに、またその逆に、転回する」(26)といっている。マルクスの機械労働観の真意はここにあったといわねばならない。しかもそれは「アソシアシオン」という労働の結合関係の成果が資本によって簒奪されることと、この結合関係が資本の強いる価値形態の下で物象化されることの同時的な生起をも同時に伴っているのである。あらためて『資本論』第一巻の末尾の文章を見ておこう。マルクスは次のようにいっている。
「資本主義的生産および蓄積様式は、したがって資本主義的な私的所有は、自分自身の労働に依存している私的所有の破壊を、すなわち労働者の収奪を条件としているのである」(27)。
ではこうしたことから見えてくる問題は何だろうか。私はマルクスが『共産党宣言』のなかで次のようにいっていることを思い起す。
「ブルジョア的な生産および交易関係、ブルジョア的な所有関係、このような巨大な生
産および交通手段を魔法で作り出した近代的ブルジョア社会は、自らが呼び覚ました冥界の力をもはや制御することができない魔法使いに似ている。ここ数十年来工業および商業の歴史は、ブルジョアジーが、さらにはその支配が生きのびるための条件である近代的な生産関係や所有関係に対して近代的な生産力が反乱を起こしてきた歴史にすぎない。それは商業恐慌を挙げるだけでも十分明らかになる。商業恐慌はその周期的な繰り返しによってブルジョア社会全体の存立を絶えず脅かしているのである。商業恐慌によって、今までに産出された生産物の大部分ばかりか、すでに生み出された生産力の大部分までもが規則的に破壊される。恐慌においては一種の社会的な疫病が発生する。それは、ブルジョア社会以前のあらゆる時代においてありえないことと思われていたであろう過剰生産という疫病である。社会は突然、自分が一時的に野蛮な状態に戻ってしまったことを知る。つまり、飢饉やあらゆるものを破壊してしまう戦争が社会から全生活手段を奪いとってしまったように思われるのである。工業や商業も破壊されてしまったように思われるが、それはどうしてなのか?社会が過剰な文明、過剰な生活手段、過剰な工業、過剰な商業を抱え込んでしまっているからなのだ。社会が自由に使うことの出来る生産力は、ブルジョア的な所有関係を促進させるためにはもう役に立たない。それどころか、生産力はこの所有関係にとって巨大になりすぎており、こうした所有関係によって生産力がさまたげられてしまっているのである。そして、生産力がこの障害を克服するとすぐに、たちまち全ブルジョア社会は無秩序のなかへとたたき込まれ、ブルジョア的所有の存在が危うくされてしまうのである。ブルジョア的な諸関係は狭くなりすぎてしまって、自分が産み出した富を受けとめることが出来なくなったのである。――どうやってブルジョアジーはこの恐慌を乗り越えるのか?一方では、大量の生産力を無理やり破壊することによってであり、他方では、新しい市場を獲得し古くからある市場を徹底的に搾取することによってだ。結局どういうことか?つまりこうだ。恐慌の克服が可能になるとすれば、ブルジョアジーが今までよりもさらに全面的で凄まじい恐慌を準備し、恐慌をあらかじめ防止するための手段を減少させることによってなのだ。ブルジョアジーが封建主義を打倒するために使った武器が、いまやブルジョアジー自身に向けられている」(28)。
近代市民社会(ブルジョア社会)は封建社会の内部において封建社会を宿主として形成され、やがて内側から自らの宿主を食い破りながら発展を遂げていった。それと同じ構図が今繰り返されようとしている、とマルクスはいうのである。すなわち資本を司る階級であるブルジョアジーはひたすら資本の成長・発展とその拡大を求めてしゃにむに活動してきたが、そのことによって今や「ブルジョア的な諸関係は狭くなりすぎてしまって、自分が産み出した富を受けとめることが出来なくなった」のであり、その結果「たちまち全ブルジョア社会は無秩序のなかへとたたき込まれ、ブルジョア的所有の存在が危うくされてしまう」危険性、可能性にさらされているのである。ブルジョアジーが特異なのは、それが自らの作った世界の没落と解体の契機・要素を自分自身のうちに抱え持っており、したがってシステムや社会に対してその契機・要素を植えつけてしまうということである。いわばブルジョアジーは自らの没落と解体のためにせっせと活動していたということになるのであり、マルクスのそうしたブルジョアジー観に触れると、近代以降の歴史がなぜあのようなかたちに成ったのかの根本的理由が分かるような気がする。
とくに近代の歴史が、二〇世紀に入って革命と戦争を繰り返したあげくにその最終場面において手の施しようがないほど過激でアナーキーな暴走を始めてしまったこと、そしてその結果私たちの世界と文明はその存続そのものが問われざるを得ないぎりぎりのところまで追い込まれたことの意味ならびに理由が、このマルクスの見方を踏まえるならばよく分かるはずである。問題はまさに資本主義がもたらしたあの「豊かさ」の逆説にあるのである。資本主義の「豊かさ」は、じつはそれが増大すればするほど逆説的に世界を、自然を、社会を、そして人間をも本質的な意味での「貧困化」「窮乏化」へと追いやっていくという宿命を負っている。労働者の相対的「貧困化」もその現われに他ならない。資本主義は創造と破壊の二面神(ヤウス)なのである。繰り返しになるがこの「貧困化」「窮乏化」は資本主義の体現する「豊かさ」なしには絶対に生じえないからこそ、「豊かさ」(創造)と「貧しさ」(破壊)とは互いに依存しあいながら敵対するという根源的矛盾にさらされており、このことによって資本主義は、あるいはそれによって稼働してきた近代市民社会は内側から崩壊せざるをえない宿命を抱えているのである。ちょうど封建社会がブルジョア社会によって内側からくい破られていって最終的に崩壊したのと同じように、である。ここにこそ、本書のなかでもうすでに幾度となく言及してきた、二〇〇一年の「九・一一」、二〇〇八年の経済危機、そして二〇一一年の「三・一一以後」の状況の本質が見出されるといってよいだろう。
おそらくマルクスのなかには、資本の文明化作用とこの「貧困化」「窮乏化」とのあいだの関係をどう評価するかについて微妙な揺れが存在していたに違いない。マルクスもまた一九世紀の子として、ダーウィンとともにどこかに進化や進歩を諾う心情を抱えていたはずだからである。だが革命家マルクスは、思想家マルクスの根源にある自然の根源性・自己産出性のモティーフを通して、この微妙な揺れを踏まえつつも、最終的には資本の文明化作用を否定したのである。言い換えれば、歴史の進歩が資本の文明化作用によって裏づけられるという見方を克服したのである。それを可能にしたのが、マルクスのなかのスピノザ的側面に他ならない、自然の根源的な非対象性の契機 ―― これがマルクスのいう「生きた(lebendig)」という言葉の本質である ―― の復元と再生への志向であり、それを支えている、自然の根源性・自己産出性こそがこの世界の本当の意味での「主体(=実体)」であり、神も、人間も、まして資本も決してそうした「主体(=実体)」にはなりえないという認識、確信であった(29)。私は、これこそがマルクスの思想の核心であると考える。だとすればマルクスにおいても、前章の3でアドルノの思想を読み解くなかから抽き出された「支配なきミメーシス」への道という課題が問われていることになる。私はそのことを、とりわけ『経済学批判要綱』の議論から読み取ることが出来た。もちろん『要綱』から読み取られた内容はふたたび『資本論』の側に投げ返されねばならないのだが。そしてもう一点、先ほど引用した『共産党宣言』の末尾の文章である「ブルジョアジーが封建主義を打倒するために使った武器が、いまやブルジョアジー自身に向けられている」という言葉の意味もまたこうした方向から理解されねばならないことにあらためて気がついたのだった。
周知のようにマルクスは、資本主義が「豊か」になればなるほど「貧困化」「窮乏化」を強いられる ―― 何度もいうようにこれは、正統派マルクス主義がいう様な経済的貧困化だけを単純に意味しているわけではない ―― 労働者(プロレタリアート)にこそ、ブルジョアジー自身がその「豊かさ」の実現ゆえに逆説的に桎梏・軛と化してしまっているこの世界を根本的に変革するという使命が委ねられるべきであると考えていた。それは、ちょうどブルジョアジーが封建社会の内側からその軛を食い破るようにして登場してきたように、今度は毀損され不可視化されてしまった自然の根源性・自己産出性、すなわち非対象性の契機の再生の担い手である労働者が、ブルジョアジーの世界、つまり資本主義の世界を内側から食い破るものとして登場してこなければならない、ということを意味する。これがマルクスの「市民社会の弁証法」の認識の核心に他ならないのである。そしてこの認識はマルクスの時代以上に、今近代が終わり文明の臨界点と崩壊が訪れようとしているこの世界にこそ当てはまるように思われる。今この世界においてマルクスが資本主義世界の終焉の使命を託した労働者に相当するのは、プレカリアート/マルチチュード/エスニック・マイノリティである。したがって現在求められているのは、毀損され蹂躙された自然、生命、労働の根源的再生を目ざす全世界的規模でのプレカリアート=マルチチュード=エスニック・マイノリティによる資本主義の、より正確にいえば資本主義的生産様式によって基礎づけられてきた近代世界システムの最終的な掃討戦であるということになるだろう。もちろんそこに至るまでのあいだにはまだ様々な紆余曲折が存在することは間違いないが、私たちの地球環境の存続可能性のためには、歴史は確実にそうした方向へと向かわねばならないのである。
「社会主義」の崩壊からすでに二〇年以上が過ぎたが、私たちにはもう一度資本とは何かをめぐってマルクスのテクストを、社会主義という当為やイデオロギー的立場抜きに検討してみる必要があると思われる。本書はそのささやかな試みの始まりでもある。なおマルクスについてⅦ章であらためて再検証を行う予定である。
(25)『資本論』第一巻第二篇第一三章「機械と大工業」参照。ただしマルクスはすでに一八四九
年に「新ライン新聞」に発表した『賃労働と資本』のなかで、この問題に気づいていた(Marx:
Lohnarbeit und Kaptal. In: MEW. Bd. 6 1961. マルクス『賃労働と資本』長谷部文雄訳 岩波文庫 1968)。
(26)『資本論草稿集』Ⅱ 445頁
(27)DK. 1 S. 802(ここのみ拙訳)
(28)Marx: Manifest der kommunistischen Partei. In: MEW. Bd.4. S.466f.
(29)こうしたマルクス思想の根幹をもっとも直截的に浮かび上がらせてくれたのは何といってもエルンスト・ブロッホ(Ernst Bloch 1885-1977)であった。マルクス思想を自然哲学の観点から解釈しようとするブロッホの思考の痕跡はその著作の様々な個所を通して辿ることが出来る( Vgl.Bloch: Geist der Utopie. Suhrkamp Taschenbuch Wissenschaft 1980. ブロッホ『ユートピアの精神』好村富士彦訳 白水社 1998 Ders.: Prinzip Hoffnung. Bd.1-3 Suhrkamp Taschenbuch Wissenschaft 1982 同『希望の原理』山下肇他訳 全三巻 白水社 1982)。そうした自然哲学の根拠をマルクス自身にそくして見出そうとするとき、真っ先に想い浮かぶのは先に引用した部分を含む『ゴータ綱領批判』の最初の文章である。ここではマルクスの原文から見てみよう。「『1.労働はあらゆる富と文化の源泉であり、そして有用な労働は社会の中で、社会を通じてのみ実現可能なのである。労働の成果は縮減されることなく、平等な権利にしたがって社会の全構成員のものである』。パラグラフの前半は『労働はあらゆる富と文化の源泉である』となっている。〔だが〕労働はあらゆる富の源泉ではない。自然は労働と同程度に使用価値の源泉なのである(というのも実在する冨もまたおそらくそれから成り立っているからである!)。そして労働はそれ自体自然の力である人間の労働力の表現にすぎないのだ」(Marx: Kritik der Gothaer Programm. In : MEW Bd.19 S.15 傍点筆者)。マルクスは人間の富の源泉を、労働をも含む自然の根源的な産出性・創造性に求めようとしたのである。ここでマルクスの「資本の文明化作用」の捉え方は決定的に旋回する。マルクスを労働中心主義であるとか生産力至上主義であると貶めようとするような見解がいかに錯誤に満ちているかは明らかであろう。マルクスは決して労働価値説論者ではない。
イントロダクション ―― 今あらためてアドルノ・マルクス・ニーチェを問う
これまでアドルノ、マルクス、ニーチェを主要な参照点としながら、近代市民社会の歴史過程に潜む啓蒙の弁証法のあり様、より具体的には「啓蒙」と「神話」の両極のあいだで跛行的かつ両義的な運動を繰返してきた啓蒙の弁証法の近代ヴァージョンとしての市民社会の弁証法のあり方を、その契機や構造、運動過程、そしてそこの生じる屈曲や偏差、凹凸を通じて検証してきた。ようやくそれらの作業に一つの区切りがついた今、私は次に、一九八九年以降の、東ヨーロッパ社会主義体制の崩壊に伴う冷戦の終焉とグローバル化のプロセスとともに生じた時代状況および思想状況の変化、さらにはそうした変化に促されて生じた世界認識や理論構成の変容を踏まえながら、アドルノ、マルクス、ニーチェの思想やテクストに関する読解、分析、再解釈の諸成果を検証する作業に取り掛かりたいと思う。この作業が三人の思想家の思想・理論に関する解釈史=作用史の稠密な捉えなおしを目ざしているのはいうまでもない。だが同時にこの作業は、社会主義崩壊と冷戦終焉後のグローバル化の進行過程のなかで影響力を増していった新自由主義/新保守主義イデオロギーやアドミニストレーション・システムによって、あらゆる「批判」や「反省」の機能が奪われていった一九八九年以降の思想・理論状況を、いわば彼ら三人の思想を合わせ鏡にしながらクリティカルに問い直すという意味も持っている ―― この<クリティカル>には「批判的」の意味と同時に「危機的/臨界的」の意味が含まれている ―― 。そしてそこからは、本書のタイトル「転回点」という言葉の裏側に潜んでいるはずの私たちの「現在」の深い危機の様相もまた浮かび上ってくるはずである。
今私たちは、市場ビジネスモデルを至上化する功利的発想やアドミニストレーション・システムにのっとった支配=管理的発想だけが我がもの顔に横行し、そうした発想からはみ出してしまうような問題、言い換えれば現状をけっして自明化することなく批判的・反省的に捉え直そうとする姿勢や、原理的次元にまで遡って「思慮する(bedenken)」「熟考する(nachdenken)」姿勢が求められるような問題、たとえば「なぜこの世界には暴力や差別・抑圧が存在し続けるのか」「正義とは何であり、その根拠はどこにあるのか」「権力とは、国家とは、支配とは何か。そこにはたして正当性(正統性)が存在しうるのか」というような、データや情報のレヴェルでは決して答えることの出来ない社会哲学的な問いが、有害無益なノイズとして容赦なく議論の場から斥けられてしまうという状況のなかにいる。そこでは、効用・効率の追求と結びついたプラグマティックな現実主義や機能主義の論理だけがまかり通っていくのである。こうした不毛な思想状況をもたらしているもっとも大きな要因の一つが、そうした現実主義や機能主義の論理を自在に ―― じつは自分に都合よく ―― 駆使することを「正義」と称して憚らない「強者」たち、すなわち国家権力や企業=資本を操る「エグゼクティヴ」たちの存在であることもまたいうまでもない。逆にいえば現実主義や機能主義の論理が「強者」たちの自己正当化とそれに基づく支配の正当化の論理として有効だからからこそ、それは「正義」として通用しているのである。そしてこうした傾向は今やますます強大になりつつあるといわねばならない。
はっきりいっておくが、彼らが現実主義や機能主義の論理をふりかざすのは、その裏側にはりついている夜郎自大な私益エゴイズムのゆえである。この私益エゴイズムがあるからこそ「強者」たちは、搾取や簒奪の対象となることによって貧困や飢餓に苦しむ人々、つまり「弱者」がこの世界にたえず生み出されているという事態を、さらにはそうした事態によってもたされた「強者」と「弱者」のあいだの格差や差別、不平等を、つまりは支配するものと支配されるものの非対称性を、この世界、この社会が存在する限り決してなくなることのない必然性として、というより「弱者」の側へと転落した者たちが当然にも味あわなければならないある種の「報い」として正当化しようとするのである。なぜか。「強者」たちにはそうした事態が、彼らの私益を拡大し、より裕福に、より強大になるためにどうしても必要だからである。「弱者」から「強者」へと富が移転され、その結果「弱者」が敗者として、負け犬として打ち捨てられ貧困や屈辱にさらされることは、「強者」が豊かであること、より豊かになることにとって必要不可欠な条件だからである。構造的な貧困や格差こそ「強者」たちが金儲けを行い利潤を獲得するための絶対的な前提条件なのである。それは、二〇〇八年の経済危機の引き金になったサブプライムローンにおける貧困層からの狡猾な収奪のしくみを考えればよく分かるだろう。
こうした「強者」の発想、論理は、すでに見たように冷戦終焉後の世界において、グローバル化と結びついた新自由主義/新保守主義というかたちで世界中へと野放図に拡がっていった。第二次大戦後福祉国家を目ざしていた先進国もいっせいに新自由主義/新保守主義路線に舵を切っていった。それに加えて冷戦終焉後の世界においては、「社会主義」の消滅も一因となって、一九世紀以来「強者」の論理に対する異議申し立て、抵抗・反抗の役割を担ってきた労働運動や社会運動、さらにはそれと理念的に支える社会主義やコミュニズムの思想・理論、さらには社会への異議申し立ての役割を果たしてきたモデルネ以降の芸術・文化までもが、その潜勢力も含めてほとんど消滅するか、無力化されてしまった。このことは同時に、「強者」によって支配され、抑圧され、蹂躙される「弱者」たちの声を世界に伝えるための回路が失われていったことを意味する。そしてもし「弱者」たちの声が世界に向かって伝えられることなく社会の底辺部へと沈んでいってしまうならば、そして「弱者」の存在が社会の実定性の枠組みから排除されて完全に不可視化・非在化されてしまうならば、「強者」の論理が誰はばかることなく跋扈、跳梁するのを止めるすべはなくなってしまうだろう。批判的言説の衰退と平行するように、世界中でこうした事態が加速度的に進行・拡大していった事実を、今私たちはあらためて見据えておかねばならない。
それにしてもなぜ今、そうした状況を多くの人々がおかしいと思わずに無条件に肯定してしまっているのだろうか。私はそうした状況に深い危機感を覚えざるをえない。こうした状況が示しているのは、私たちの世界がひょっとすると、ナチスの掲げた、いっさいの異質性を排除することによって社会内部の完全な同一化・同質化を図ろうとする「強制的画一化(Gleichschaltung)」という目標を、ナチス時代よりはるかに巧妙なかたちで達成しつつあるということなのではないだろうか。もしそうだとすればこの世界には、あのナチスがユダヤ人、スラブ人、ロマ、身体や精神に障害を負う人々、同性愛者らに対して加えたのと同じ暴力がすでに回帰してきていることになる。そしてその回帰には、ナチスの暴力を多くのドイツ人が文字通り画一的に肯定し礼賛したのと同じ状況が伴ってくるはずである。「強者」の自己正当化のみが大手を振ってまかり通る状況が示しているのは、じつはこうした事態なのかもしれない*。
一時の年間三万人を超える数からは少し減少したとはいえ、経済的困窮や病いなどの理由でいまだ二万人近い人たちが自殺している日本社会で、あるいは子供の貧困率(年収一一〇万円以下の家庭に属する子供の割合)が一四.六パーセントにも達する(二〇一〇年のOECD調査)日本社会で、この現実に対し大多数の日本人が何の声も上げることなく沈黙してしまっているのはなぜなのだろうか。多くの人々がこの国ではまともに生きられないことに絶望しているにもかかわらず、相変わらず「お上」に逆らうことを極度に恐れるかつての日本人そのままに沈黙と現状肯定を続けているのはなぜなのか。「三・一一以後」の状況についても同じことがいえる。あれほど未曾有の災厄を経てもなおこの国の人間たちに巣くう無気力で自堕落な現状肯定意識が変わらないのはなぜなのか。ひょっとするとそれが、この国の社会のなかに働いている「強制的画一化」の力、「強者」の論理の正当化メカニズムへとこの国の人間たちが我さきに同化しようと血まなこになっていることの現われなのかもしれない。だとするなら私たちは、まずこのことをきちんと見据え、そこに働く残忍で酷薄な力、メカニズムの正体を明らかにしていかねばならないであろう。これは何も抵抗のための抵抗や批判のための批判の呼びかけなどではない。そうした認識のための努力を怠るとき、私たちの社会はいちばん深いところから腐敗し始め最終的には崩壊してしまうからである。そして今その危機が深くこの社会の根底で進行しているのだ。それが本書に「転回点」というタイトルをつけた理由だったことはすでに述べた通りである。
今私は、こうした状況に対して異議申し立てを行うためのもっともラディカルな武器を提供してくれるのがアドルノ、マルクス、ニーチェという思想家であることをあらためて強く感じている ―― 本当はここにスピノザの名前も付け加えるべきかもしれない ―― 。彼らは思考者として、近代世界を支配する「強者」の側が前提としてきたものの見方や意味・価値の準拠枠を根底から揺さぶり、ついにはそうした枠組みのなかで成立する世界観や認識の構造を転覆・解体にまで突き進んだのである。そうした意味でアドルノ、マルクス、ニーチェは、近代以降の社会を支配する「強者」たちにとってもっとも「危険な」思想家たちであった。私はそうした彼らの思想の持つ意味が現在も決して色あせてはいないと確信している。「強者」が我が物顔に跋扈する九〇年代以降の状況のなかでこそ、彼らの思想・理論の持つ意味が問われねばならないのだ。それは何よりも冷戦終焉後の世界において、人間の尊厳、自律の証しである「批判」や「抵抗・反逆」の営為を忘れないためである。そしてそれはじつは「強者」たちの瞳の奥にゆらめいている深い不安や恐怖の兆候をしっかりと見据えるためでもあるのだ。
いうまでもないことだが、九〇年代以降の不毛な時代が彼らの思想の読み直しにとって著しく不利な状況をもたらしたことは否定しえない。たとえばアドルノに関しては、すでに一九八〇年代あたりから、彼が残した仕事の意味を徹底的に脱政治化し批判性を脱色した上で、保守化する現代社会とも折り合いがつくようたんなる美学的目ききという立場へと押し込んでしまうような解釈が見られるようになった(1)。もっともこの傾向がアドルノ以上に明瞭に現われているのは、こじゃれた都市文化(アーバニズム)の理論家というイメージが定着したベンヤミンかもしれない(2)。マルクスに関しては、エンゲルスからレーニンへと至る硬直した教条的解釈の系譜を下敷きとして、二〇世紀の全体主義現象の一変種に他ならないスターリン主義というモンスターが生み出されてしまったことがなんといっても致命的だった。この忌まわしい過去のために、ソ連をはじめとするソ連・東欧社会主義体制が崩壊すると、この体制の御用イデオロギーにすぎなかった「マルクス=レーニン主義」理論はあっというまにその根拠を失って瓦解し、それに伴って、マルクスの思想自体の忘却もまたとめどなく進んだのである。そしてこの忘却が、新自由主義/新保守主義という、自由主義政治体制および資本主義経済を最悪のかたちで正当化しようとするイデオロギーの野放図な跳梁を許す最大の要因になったことは間違いのない事実である(3)。また一九四五年以前のドイツを中心に保守派やナチスによってニーチェの「超人」や「金髪の野獣」といった概念が歪曲されたかたちで改釈され、それに基づいてニーチェ思想の恣意的かつ政治的な利用が横行した苦い過去があるため、ナチス・ドイツが崩壊した一九四五年以降ニーチェにはつねに隠微な「タブー」のヴェールがまとわりつくことになった。あからさまなかたちでニーチェをナチズム/ファシズムとつながる反動哲学者として断罪するような議論も登場した。あのルカーチによって書かれた著作『理性の破壊』(4)のなかのニーチェについての記述などはその典型である。そこではルカーチによって、ニーチェが帝国主義時代において非合理主義的な思考を促進させた思想家として厳しく断罪されている。こうして戦後世界においては、ルカーチが属していた左派陣営を中心に、ニーチェを剣呑な存在、厄介な存在としてタブーのなかへと封印してしまう時代が続いたのである。
そうした状況を大きく転回させたのは、フランスを中心に行われた大胆なニーチェの再解釈の試みであった。それが結果的にはポスト・モダニズム=ポスト構造主義の登場を促すスプリングボードとしての役割を果たしたことは周知の通りである。一九六四年に開催されたロワイヨモンのニーチェ・コロックにおけるドゥルーズやフーコーのニーチェ再解釈の提案はまさにその嚆矢となったのだった(5)。だがその一方でこうしたニーチェ復権には、「ポスト・モダニズム」のなかでニーチェが空疎なファッションと化していく危険性も伴っていた。それがニーチェを過去の歴史的文脈から切り離して無害化するプロセスと並行していたのはいうまでもない(6)。こうしたことはニーチェ思想の本質と何の関係もない。悪魔払いもファッション化もどちらもニーチェの思想との真の対決からの逃避の産物にすぎないのだ。
しかし私は、こうしたある意味絶望的とさえいえる状況にあってもなお、彼らを埋葬や忘却の淵から救い出しつつ、彼らの持っている思想的可能性の深部へと大胆に分け入り、そこからこの私たちの世界を根底から揺さぶるような批判的潜勢力に満ちた思考の種子を持ち帰ろうとする真の意味でラディカルな読解・解釈の試みは可能であるし、可能でなければならないと信じている。実際、不毛な、と形容した一九八九年以降の状況のなかでもアドルノとマルクスに関する優れた再解釈の試みは途切れることなく続けられてきている。この後私は、彼らの思想の意味、可能性の再検証作業を、そうした最近の再解釈の試みの内容の検証も含めながら行っていきたいと考える。ニーチェについては少し視点を変えて、二〇世紀の前半期から始まったニーチェ解釈の変容の歴史、とくにハイデガーのニーチェ解釈に焦点を当てつつ再検証を行いたいと考えている。このニーチェ解釈の変容の歴史こそ二〇世紀思想史の震央の一つだからである。ここで生じた激震抜きにはドゥルーズやフーコーの思想はありえなかった、という事実だけでもその証明になるだろう(7)。
*本書を書き進める過程において、二〇一六年七月二六日、相模原市の障害者施設津久井やまゆり園で、「障害者には生きる権利も意味もない」という戦慄すべき「思想」に基づいて同施設の元職員植松聖容疑者が障害者19人を殺害するという事件が起きている。また同じ二〇一六年に当選したアメリカの大統領ドナルド・トランプ、ロシアに強権体制を敷くプーチン、中国共産党の一党独裁体制のトップである習近平、二〇一七年の大統領選挙に出馬したフランス国民戦線の党首マリーヌ・ルペン、やはり二〇一七年に行われたオランダ議会総選挙で第一党目前までいったオランダ自由党の党首ヘルト・ウィルダース、ドイツの「ドイツのための選択(Alternative für Deutschland)」を始め、私益エゴイズムによって排他主義や弱者差別を正当化し、異民族やマイノリティへの差別や抑圧を当然のように推進する一方、自分に都合の悪い議論や報道を虚偽(フェイク)や偏向を口実に抑え込み自由で公正かつクリティカルな討議を封じ込めようとするような、「強者」の論理を一層過激化させる反民主主義的権威主義者や極右ナショナリスト・ポピュリストが世界中で台頭してきている。私はあえていうが、彼らの主張し行おうとしていることは、植松容疑者の行った犯罪行為や自己の行為を正当化しようとする言説と何ら変わらないと考える。なぜなら植松容疑者も、上に挙げた権威主義者や極右ナショナリスト・ポピュリストも、程度に差はあれその発想、行為において共通の起源を持っているからである。いうまでもなくヒトラーとナチスのやったユダヤ人・ロマ・スラブ人虐殺や精神障害者や身体障害者の「安楽死」という名の殺戮、そして一切の自由も人権も認めない残虐な独裁統治の手法である。我が国で在日攻撃のヘイトスピーチやデモを行っている日本会議や在特会も植松容疑者と同じ発想を共有している。福島第一原発事故避難者に対するいじめを行う者たちも同じである。相模原の障害者殺人と、自由な言論や批判の抑圧と、ヘイトスピーチに象徴されるような異民族や異文化に対する差別や抑圧、そして事故の影響に苦しむ弱者である被災者へのいじめ行為のあいだには、その発想において本質的には何の違いも存在しないのであり、彼らはみな、異質な他者の存在を認めない潜在的な「全体主義者」、それどころか虐殺や「テロ」を平然と敢行する植松のような確信犯的テロリストの予備軍である。そしていちばん肝心なことは、どのようなイデオロギー的美辞麗句や正当化の言葉を費やしようと、彼らの本音が「自分(たち)だけがよければ他人などどうなってもかまわない」という私益エゴイズムの擁護と正当化にしかないということである。彼らの「国家のため」とか「民族のため」という常套句が、じつは「自分の利益のため」「カネのため」「弱い自分に対する不安をまぎらわすため」というホンネの言い換えでしかないことを見抜けば、彼らの空疎な言辞に惑わされることなどないはずである。実際、過去に「国家主義者」や「極右民族主義ナショナリスト」が金にまつわる不法行為を頻々と繰り返してきている事実 ―― 日本の右翼国家主義者の代表と見なされてきた児玉誉士夫がアメリカ・ロッキード社のエージェントを務め巨額のリベートや裏金を得て私利のためや政界工作などに使っていたことなどはその象徴的な例である ―― だけでも十分に証明されるであろう。これがすでに見てきたように一九九〇年代以降跋扈してきた自由主義や者新保守主義者と完全に同じであることは明白である。
(1)管見の限りでだが、その一例として、Klaus Baum: Die Transzendierung des Mythos. Zur Philosophie und Ästhetik Schellings und Adornos. Königshausen und Neumann. 1988. を挙げておきたいと思う。ただしここで論文の質そのものを問題にしているわけではない。
(2)これも評価ではなく、あくまでそうした傾向の例として挙げておきたいだけなのだが、私は、わが国における多木浩二、伊藤俊治、湊千尋らの写真論やデザイン論、都市論の文脈のなかでのベンヤミンの扱われ方に、ベンヤミンの非政治化の傾向を感じずにはいられなかった。彼らのベンヤミン解釈からはベンヤミンのなかのマルクス主義的要素や歴史の救済=革命の問題が見えてこないからである。鹿島茂『『パサージュ論』熟読玩味』(青土社 1996)などにもそうした傾向が感じられる。そうしたなかでもとくに強く思い起されるのが、『ベンヤミンの仕事』1・2(岩波文庫)の訳者であった野村修とともに日本におけるベンヤミン紹介と翻訳の先駆者でありながら、ベンヤミンの政治的コンテクストに強い関心を抱いていた野村とは対照的に、ベンヤミンのテクストから徹底的に政治的要素を排除した上で、ベンヤミンの仕事を純粋に文学的コンテクストへと還元しようとした、ドイツ文学者であり文芸批評家でもある川村二郎のベンヤミン解釈である(同『アレゴリーの織物』講談社 1990など)。ただしこのことは、川村のベンヤミン解釈が非常に優れたものであることと何ら矛盾しない。私は、多木のベンヤミン解釈もまた極めて優れた仕事であると確信している。
(3)ある意味平凡な例だが、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』(上・中・下 渡辺昇一訳 三笠書房知的生きかた文庫 1992)のなかの社会主義・コミュニズム解釈を読むとやはり彼ら、すなわち冷戦終焉後に自由主義の勝利とグローバル化を声高に叫んだ連中の頭のなかがどうなっていたのかがよくわかる。ようするに彼らは自由主義=資本主義(市場経済)が社会主義に勝ったといいたいだけなのだ。なぜ戦後多くの国々が社会主義と競うようにケインズ型経済政策を採用し福祉国家路線を推進したのかといった問題は完全に忘れ去られてしまっている。もっともフクヤマの本は一九九〇年の湾岸戦争の勃発でたちまち馬脚をあらわし真っ先に忘却の対象になっていったのだが。そしてフクヤマ自身もその後姿勢を変えている。最近ではトニー・ジャッド『失われた二〇世紀』(上・下 河野真太郎他訳 NTT出版 2011)のなかに入っている「空虚な伽藍 ― アルチュセールの『マルクス主義』」を読んで唖然とさせられた。マルクスの理論も、アルチュセールの理論も何一つ理解しようとしないまま、私怨の爆発に近いような人格攻撃をアルチュセールにぶつけているジャッドの姿勢からは、明らかに精神を病んだアルチュセールに対する偏見や差別の意識とともにマルクスおよびマルクス主義への生理感覚に近い拒絶の意識が窺える。どうやら彼はマルクス、あるいはアルチュセールの思想・理論を思想・理論自体のレヴェルで扱うということの意味が分らないのか、分かりたくないと思っているようなのだ。だがこれは断じてフェアな態度ではない。というのも問題はマルクスに対する態度だけではないからだ。およそその思想・理論を問おうとするとき、その対象がホッブズであっても、ウェーバーであっても、ハイエクやミルトン・フリードマンのような連中の場合でさえも、その思想や理論をまずそれ自体として内在的に理解しようとする努力が求められるである。これなしには、いかなる思想や理論の解釈作業も、その結果を歴史的に検証しようとする思想史的作業も不可能だからである。私は本書で立場の違いや批判の有無は別として、取り上げた思想家や理論家に対してはそうした姿勢で接してきたつもりである。思想は思想として扱われてはじめてそこに潜むプラス・マイナスすべてを含む可能性や潜勢力が明らかになるのである。あえてこんな分かりきったことをいうのは、アングロサクソン系の自称「リアリスト」たちのなかに、実際には自分の作り上げた妄想世界に閉じこもっているだけのファンタジスト、空想家にすぎない人間が多数いるからである。彼らは自分の妄想に合わせて世界を捏造しそれを基準にして思想や理論を裁断するのである。ジャッドなどはその手合いの一人に他ならない。かつてブッシュのアフガン・イラク戦争に番犬のように尻尾を振って追随したイギリス首相トニー・ブレアなどもその典型例である。私はこのようなアングロサクソン系の自称「リアリスト」たちの妄想と徹底的に戦わなければならないと思っている。
(4)Georg Lukács: Die Zerstörung der Vernunft. Aufbau Berlin. 1954 (ルカーチ『理性の破壊』『ルカーチ著作集』12 上下巻 生松敬三他訳 白水社 1968~69)。この本に関しては、アドルノが、「ルカーチの『理性の破壊』において極めて明瞭に示されているのは、ルカーチ自身の理性の破壊である」(Adorno: Erpreßte Versöhnung in Noten zur Literatur. In Gesammelte Schriften. Bd.11 S.252 「無理強いされた和解」 『文学ノート』1所収 313頁)といっているのが思い起される。なおニーチェがいかに歪曲されたかたちで受容されてきたかについては、マンフレート・リーデル『ニーチェ思想の歪曲』(恒吉良隆訳 白水社 2000)を参照してほしい。(5)ドゥルーズ『ニーチェと哲学』、フーコー「ニーチェ・系譜学・歴史」(『パイデイア』11号所収)、ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』(兼子正勝訳 哲学書房 1989)など
を参照。
(6)かつて『超訳ニーチェの言葉』(白取春彦編訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2010)のベストセラーから始まったニーチェ・ブームなどもその例といえるだろう。
(7)Ⅳ章補論Ⅰ参照
あとがき
本書を書き始めたのは、本文のなかでも述べたように二〇一二年の一一月頃だったと思う。それから約七年、今ようやく本書を書き進める作業に一つの区切りをつけることが出来てほっとしている。書き始めた頃予想していたよりはるかに執筆期間が長くなり、それにともなって原稿の量も膨大になってしまったのだが、本書を書き始めたときから私がたえず念頭に置いてきた三つの課題は最後まで変わることはなかった。
私がもっとも強く心に刻み続けてきたのは、二〇一一年三月一一日の東日本大震災、そしてそれに伴って発生した福島第一原発事故という<黙示録的>な出来事とどう向き合うべきかという課題であった。じつは三月一一日当日私はドイツにいて、直接この出来事を体験してはいない。その私がこの出来事と向き合い、その意味を考え始めたのは、約二週間後に帰国したときからであった。今ふり返るとそれは、いつもに比べ異常に空いているミュンヘン発の飛行機で日本に帰りついた瞬間最初に感じた、日本の日常から、あの慣れた ―― 狎れた、という字のほうが相応しいかもしれない ―― 雰囲気が、そこに含まれていた色調やニュアンスもろともすっかり消えてしまっていることへの衝撃とともに始まった。三月一一日の後の日本は、まるでカラー映画の画面が突然白黒映画の画面に切り替わってしまったようにあらゆる<色>を失っていた。私は、三月一一日の出来事によって何か取り返しのつかない喪失がもたらされたことにそのとき気づいたのである。
だが一年経った頃から日本の社会のなかでははやくも震災や事故の記憶が薄れ始めていた。あんなにも痛切であった傷みや悲しみが次第に薄らいでいき、あたかも<以前>と変わらぬ日常が戻ってきたかのような気分、雰囲気が広がり始めたのだった。いつのまにか私自身もそうしたや雰囲気に呑み込まれていたのかもしれない。ちょうどその頃だった、私が、生命の危機というべきからだの変調と生活の激変に見舞われたのは。その結果、今度は私自身が自分のなかで<以前>を決定的なかたちで失うことになった。そしてこれが、あらためて私に「三・一一」の出来事を想起させ、その意味を問い直すように促したのである。
私は、体調が少し落ち着くと、何かにせき立てられるようにして本書を書く作業を始めた。最初私はそれを、これまでの自分を見つめ直すための主観的な作業だと考えていた。ところが書き進めるうちにそれは間違いであることに気づいた。私に書くことを促していたのは、たとえ直接のきっかけが私のなかの主観的な契機であったとしても、本当はもっと深いところから来るもの、つまりたんなる主観的なものだということがわかってきたのである。そしてそれが、「三・一一」によって失われもう二度と帰ってくることのないもの、しかもそのままにしておいたら忘却のなかで記憶すら消えていってしまうもの、そうであるがゆえに決して忘れてはならないものであるということも。その中核をなすのが、二万人を超える「三・一一」の死者・行方不明者たちの存在、その記憶であることは、さらにはその存在と記憶にまつわる膨大な哀しみや傷みの感情であることは明白であった。そのとき私はようやくはっきり自覚したのだった、今表面的にはどんなに記憶が薄らぎかけているように見えようと、この失われたもの、二度と帰ってこないものをめぐって、癒えることのない苦しみを、悲嘆を自分の内部で反芻し続けている人たちが無数に存在するのだ、ということを。この自覚によってようやく私は、自分が今なぜ書こうとしているのか、いったい私は何を書くべきなのかをはっきり理解した。そこから本書を書く作業が本格化していったのはいうまでもない。そして私は書きながら絶えず死者からの促しを感じていた。それはあえていえば、かつてプリーモ・レーヴィを、エマニュエル・レヴィナスを、さらにはベンヤミンやアドルノを、原民喜を、吉本隆明をつき動かしていたものと同じであった。私もまた、彼らがアウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキの死者たちの存在とその記憶と向き合おうとしたように、「三・一一」の死者たちと向き合い始めていたのだった。そのとき私は、かつてクロード・ランズマンの映画『ショアー』から教えられた、ホロコースト=ショアーの死者たちは黙したまま決して戻ってこないという事実を、したがってその不在、その空隙が埋まることは決してありえないということを、だからこそ死者を忘却してはならず、死者たちのために<証言>を続けなければならないのだということを痛切に思い返していた。「三・一一以後」を生きる私たちもまた死者たちを決して忘れないために、死者たちの名をいつまでもこころにとどめ続けるために、あの出来事について考え続け、<証言>し続けることを止めてはならないのだ。これが、「三・一一以後」の状況のなかで本書を書き続けてきたことの第一の、もっとも根本的なモティーフであった。
第二に挙げなければならないのは、私たちがこの<以後>という状況のなかでどう生き続け、どのように未来を切り開いていくのかという課題である。私たちは、<以前>にはもう二度と戻れないという喪失の哀しみと傷みを抱えつつ、<以後>にとって本当にふさわしい生のかたちや文明のかたち、さらにはそれを明らかにしてくれる<思想>を模索し続けなければならないのだ。このときあらためて本書に「転回点」というタイトルをつけたことの意味が問われることになる。「三・一一」はその<以前>と<以後>をはっきりと分断した。より正確にいえば、私たちに対しこの分断をみずから引き受けることを促した。考えてもみてほしい、「三・一一」に起きた事態をもっとも本質的に表現しているフクシマの事故を引き起こしたのは「三・一一以前」の世界そのものであったのだ。フクシマは、この<以前>の世界を形づくってきた私たちの生や文明や思想そのものによって、より端的にいえばそこに潜む根本的な病理によって生み出されたのである。私たちは、たとえ<以前>へとどんなに強い憧憬を抱いていたとしても、その<以前>がはらんでいた、福島第一原発事故を引き起こし、被災者に塗炭の苦しみを味あわせたその根本的かつ構造的な病理を決して許容することは出来ない。私たちが求められているのは、その病理の要因を容赦なく明るみに出し、二度と「三・一一」が繰り返されないようこの病理の根を断ち切ることである。私たちは、アドルノが「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮だ」といったのと同じ意味で、狎れ親しんだ<以前>を懐かしんだり、そこへ戻りたいと簡単に思うわけにはいかないのだ。それは文字通り<野蛮>でしかないからだ。私たちに求められているのは、<以前>が不可能となったことを真の意味で引き受け、<以後>が真の意味で可能となる臨界点、クリティカル・ポイント、つまり<以前>からの真の転回点を見極めることである。これが、生き残ったものの死者に対して果たさなければならない責任であり、だからこそ私は本書に「転回点」というタイトルをつけたのである。
この<以前>に潜む病理の根を絶つという課題に取り組むためには、福島の事故をもたらした原発を含む科学技術やそれと通して形成された産業文明とは何であり、さらにはそれを稼働させてきた<近代>という時代、その歴史性や構造がどのようなものだったのかを根底から捉え返す必要がある。この捉え返しは、「三・一一」に対してばかりではなく、その十年前の「二〇〇一年九月一一日」の、あの<同時多発テロ>と呼ばれた出来事に対しても、さらにはアウシュヴィッツや、ヒロシマ・ナガサキや、ポル・ポト時代のカンボジアやユーゴ内戦など幾多の戦争や内戦、それに伴う大量殺戮を生んだ二〇世紀、さらにはそれを準備した産業資本主義と国民国家、さらには帝国主義の始まりの世紀としての一九世紀という時代に対しても向けられなければならないはずである。この、「三・一一」から始まって、一九世紀および二〇世紀の歴史が体現する<近代>の根源にまで遡っていくこの捉え返しの作業が本書の第二の課題である。この課題に、本書の副題に含まれる「市民社会の弁証法」が対応する。
ではどうやって具体的に<近代>を問い直すのか。そこで浮上してくるのが、<社会主義>消滅後の一九九〇年代に著しく影響力を失っていったマルクス主義を含む人文・社会科学の理論・言説の遺産である。
私はあの<一九六八年>の反乱の季節に十代の終わりを迎えた。私の自我形成や思考することへの目覚めはあの時代とともにやってきた。それは、あの時代に噴出した、二〇世紀に至る<近代>に対してラディカルな否(ノン)を突きつけ、<近代>を支える産業社会や産業文明に対しても、その基底をなす資本主義経済システムや国家‐政治システム、さらにはその文明のかたちを含めて厳しい批判の刃を突きつけようとする多様な運動が、自分の思考の原点であり起点であることを意味する。しかもその運動は実践としてだけではなく、その運動の基底や背景をなしていた人文・社会科学の理論や言説、さらには文学作品や芸術作品を通しても私たちに大きなインパクトを与えたのであった。それに加えて、私たちの直截的な感性や肉体の感覚、感情や情念さえもがあの運動によって深く揺さぶられた。
私自身の体験にそくして例を挙げるならば、丸山眞男の『現代政治の思想と行動』『日本の思想』、大塚久雄の『共同体の基礎理論』『近代化の人間的基礎』、埴谷雄高の『死霊』『鞭と独楽』『幻視のなかの政治』、吉本隆明の『自立の思想的拠点』『共同幻想論』、竹内好の『魯迅』『近代の超克』、谷川雁の『工作者宣』「原点が存在する』、村上一郎の『日本のロゴス』、桶谷秀昭の『土着と情況』『近代の奈落』、磯田光一の『パトスの神話』などであり、さらには宇野弘蔵の『経済原論』『経済学方法論』、平田清明の『市民社会と社会主義』、廣松渉の『マルクス主義の成立過程』『マルクス主義の地平』『世界の共同主観的存在構造』などであった。これらの著作と著者のなかには、<一九六八年>の反乱の季節のなかで厳しい批判や糾弾の対象になったものも含まれているが、あえてそれも含めこれらの著作が、戦後日本の歴史が紡いできた人文・社会科学や文学思想の成果のうちの最良の遺産であったことは間違いないであろう。とはいえ一九六〇年代の後半から七〇年代にかけて青年時代を迎えようとしていた私の精神を激しく揺さぶり触発したのはこれら戦後日本の思想家や文学者だけにとどまらなかった。デカルトの『方法叙説』『省察』、パスカルの『パンセ』、ルソーの『社会契約論』、カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』、ヘーゲルの『イェーナ草稿』『精神現象学』『法の哲学』、マルクスの『経済学批判要綱』『剰余価値学説史』『資本論』、ニーチェの『道徳の系譜学』『善悪の彼岸』、フロイトの『精神分析入門』『自我とエス』『性欲論三篇』、ソシュールの『一般言語学講義』、フッサールの『デカルト的省察』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、エルンスト・ブロッホの『ユートピアの精神』『希望の原理』、ベンヤミンの『暴力批判論』『ドイツ悲劇の根源』『パサージュ論』、アドルノの『啓蒙の弁証法』『美学理論』『否定弁証法』、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』『見えるものと見えないもの』、レヴィ=ストロースの『野生の思考』、アルチュセールの『マルクスのために』『資本論を読む』、ラカンの『エクリ』『セミネール』、フーコーの『言葉と物』『知の考古学』『性の歴史』、デリダの『声と現象』『グラマトロジー』、ジル・ドゥルーズの『差異と反復』『アンチ・オイディプス』(フェリックス・ガタリとの共著)『ミル・プラトー』(同前)、柄谷行人の『日本近代文学の起源』『マルクスその可能性の中心』『探究』、今村仁司の『労働のオントロギー』『暴力のオントロギー』など、一九世紀から二〇世紀にかけてのヨーロッパを中心に産み出されたドイツ観念論、マルクス主義、現象学、構造主義、記号学、精神分析、批判理論、ポスト・モダニズム=ポスト構造主義などの諸分野にまたがる広汎な人文・社会科学の遺産もまた私に強いインパクトを与えてくれたのである。これに寺山修司、唐十郎らの演劇、土方巽の暗黒舞踏、横尾忠則のデザイン、さらにはザ・クリームやピンク・フロイド、ジョン・コルトレーンらの音楽を加えてもよいだろう。
こうしたあの時代の遺産は、少なくとも私にとっては、時代について考え、時代と対峙し、それを通して自分自身の生きる意味や方向性を模索していくための不可欠な糧であった。こうした私的なエピソードを仰々しく物神化するつもりはないが、重要なのは、第二の課題において浮かび上がってきた<近代>との根源的な対決という問題にこれらの人文・社会科学の遺産が深く関わっていること、というよりこれらの遺産なしに<近代>を根本的なかたちで捉え返すことなど不可能だということである。私個人に即していえば、これらの遺産の見直しを通して<近代>を問うという課題は、一九八八年に書いた『市民社会の弁証法』という著作において、<近代>をアドルノ・マルクス・ニーチェという準拠点に基づいて検証するという視座へと結実していった。そして「二〇一一年三月一一日」はあらためてこの三人を準拠点としつつ<近代>を問い直すという課題の持つ根源性を私に突きつけたのである。
なぜ<近代>の見直しにとってこの三人の思想家が準拠点となるのか。それは、彼らの思想が<近代>との対決において飛びぬけてラディカルかつ批判的(クリティカル)だからである。そしてこのラディカルな批判性が、「二〇一一年三月一一日」以後の状況のなかであらためて大きな意味を帯びてくることになるのだ。今振り返ってみるなら、「三・一一以後」の状況のなかで、本当はもっとも忘れてはならない死者や被災者の傷みや悲しみが置き去りにされる一方、浮薄極まりない経済復興や経済成長をめぐる議論だけがむやみに強調されていった。「三・一一」の意味についての真摯な思索や反省は一向に進まなかった。そしてそのことと照応するように、「三・一一以後」の世界では、震災も原発事故もなかったかのように、新自由主義/新保守主義イデオロギーとIT革命によって突き動かされるグローバル資本主義が<以前>と変わらず暴威を振るっていったのである。それと並行して際立つのは、エグゼクティヴたちが支配=権力連関の要として駆使するアドミニストレーション・システムが「三・一一以前」にもまして高度になり、支配される側の人間たちが自覚しないままに支配=権力連関の網の目へと組み入れられていく自発的服従のメカニズムがますます精緻になっていったことである。その結果権力の共犯者へと仕立て上げられていく人々のなかで、まともにものを考えることをやめ、ゲームやSNSのような電子メディアのもたらす刹那的で扇情的な情報やメッセージにうつつを抜かすような、一種痴呆的ともいえるような思考停止状況が蔓延していったのである。それが、上記に掲げた人文・社会科学の遺産によって育まれてきた、世界についてラディカルに思考し認識し、それを通して世界とラディカルに対決しようとする発想や姿勢、それに基づく政治的・社会的実践が死滅していくことを意味したのはいうまでもない。それは、「三・一一」が突きつけた課題が忘却されることでもあった。
「三・一一以後」の、私たちが本当は目ざさなければならなかった方向とは正反対の方向へと驀進しようとする状況のなかにあって、こうした状況と対峙し、それを打ち破っていくためには、このまさに<以前>の再帰というべき状況の根底にあるものを正確かつ原理的に見極めなければならない。そのためには今まで以上にあの人文・社会科学の遺産から学ぶ必要がある。ところがそれとはむしろ逆に、現在人文・社会科学の遺産は危機的な状況にあるといわねばならない。イギリスやアメリカ、日本などで文教政策の当事者のなかから、もはや大学教育に人文・社会科学分野はいらないという愚劣極まる議論が出てきたことは記憶に新しい。そうした議論の背景にあるのは、現代社会を支配するエグゼクティヴたちのなかで、新自由主義/新保守主義的な自由=資本主義が支配的となった一九九〇年代以降急速に強まっていった、被支配者である民衆自身が自分自身の頭で自立的に思考するようになることへの嫌悪、憎しみ、さらには怖れの感情である。そうした感情の裏に、新自由主義による収奪の限りを尽くした民衆に無条件の服従を一方的に求める欲望と、それが失われることへの恐怖が張りついているのはいうまでもない。そしてこの欲望と恐怖の循環が現在世界を席捲する権威主義的傾向を増大させているのである。残念ながら民衆自身のなかにも、トランプや各国の極右政党の支持者のように、こうした権威主義を新たな希望であるかのように錯覚してそれへと軽薄に盲従しようとする傾向が存在する。これがポピュリズムの病理の起源に他ならない。私が、アドルノ・マルクス・ニーチェという参照点に基づきつつもう一度、上記で挙げたような人文・社会科学の遺産の見直しを行い、併せて九〇年代以降の新たな成果の検証も踏まえながら本書を書き進めてきたのは、こうした状況と正面から対決するためであった。さらにいえば、民衆を自分たちの支配の道具ぐらいにしか考えていない連中(エグゼクティヴ)に、彼らのもっとも恐ろしい敵が、思考すること、批判すること、反省することを、さらにはそれらを育む揺籃としての知性の力、精神の力を身につけた民衆であり、それを具体的に養い鍛えてくれる人文・社会科学の言説や理論の遺産であることを思い知らせてやりたいからである。思考停止のもたらす危機が深まるなか、批判的知性育む人文・社会科学の遺産の再生を図ることが本書の第三の課題である。
今述べたこととも関わるのだが、今世界は目を覆うような精神的愚昧、怠惰や怯懦、迷妄への退行が蔓延し、人間を人間たらしめる根拠である理性が、正義の感覚が、人間の尊厳や自由・自立を守ろうとする意志が、そして苦しみのうちにある人々への共感や連帯の感情といったものが、文字通り存亡の危機に瀕している。トランプのアメリカ、習近平の中国、プーチンのロシア、モディのインド、エルドアンのトルコ、アサドとISのシリア、ネタニヤフのイスラエル、ムハンマド皇太子のサウディアラヴィア、ボルソナーロのブラジルなどはその実例に他ならない。これらの国々で、居丈高な権威主義、それを補完する陋劣な極右ポピュリズム、両者の結託から利益を得ようとする恥知らずなグリード・マンモニズム(強欲拝金主義)などによって社会の分断・分裂が進行し、それに煽られるように冷酷な殺人や暴力行為、もっとも弱い難民やマイノリティ、社会的弱者などへの差別や侮蔑に基づく攻撃が頻発していることは周知の通りである。そして権威主義的な指導者たちは今いったような攻撃をむしろ煽ることによって自らの権力の維持を図ろうとする。その結果、今世界では正義も民主主義も自由も人権も死に瀕しているのである。ネット上で「死ね」という愚劣なフレーズが平然と使用され、在日アジア人たちへの差別行動や脅迫行為を公然と繰り返す在特会や歴史(リヴィ)修正(ジョ)主義者(二スト)集団日本会議、N国党などが我が物顔で跋扈する日本の状況もまたこうした傾向の現れといってよい。まさにこうした時代だからこそ、真の意味での知性 ―― 理性といってもよい ―― に根ざした思考の力、批判や反省の力が求められるのである。平凡ないい方に聞こえるかもしれないが、正確な認識や冷静で正しい判断を得るためには、上っ面の情報、一時の感情や情念の暴発、偏狭なイデオロギー信仰、あいまいな輿論への付和雷同などではなく、上記のような人文・社会科学の遺産から粘り強く持続的に学ぶことによって自らの思考、精神を鍛え、それを通じて自分自身の真に自立した思考力を、判断力を、そして自己に対する自律を維持し続ける強靭な意志を育むことが必要である。それが同時に、人文・社会科学の遺産へと新しい命を吹き込むための努力であり試行錯誤であることはいうまでもない。念のためにつけ加えておけば、今はやりのビジネス・テクノロジー理論や経営・マネージメント理論を学ぶことは知性を鍛えるためには何の役にもたたない ―― 近頃増えている情報だけにたよってまったく紙媒体を通した勉強をしようとしない輩などは最初からまったく論外だが ―― 。それどころか有害ですらある。二〇〇八年の金融危機を引き起こし、世界を塗炭の苦しみの淵へと追いやったマイロン・ショールズのデリヴァティヴ理論などその最たるものである。「三・一一」や「九・一一」の死者たち、さらにはアウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキの、沖縄の死者たち、さらには戦争と大量虐殺の世紀としての二〇世紀が生んだ膨大な犠牲者たちが私たちに求めているのは、二度と自分たちのような犠牲を出さない社会を作ることであろう。彼らの死を繰り返さないためには、今一度人類が伝えてきた叡知を傾注して、世界を覆いつつある無知、愚昧・蒙昧、迷妄と対決しなければならない。
そのためにこそ私たちは死者の声、促しに耳を傾け続けなければならないのだ。そしてそれは、現在の世界のなかでそうした暴力や殺戮にもっともさらされやすい人々の声に耳を傾けることをも意味する。彼らの声は、夜郎自大な権威主義を振りかざす政治的エグゼクティヴたちの声高なアドミニストレーション言語やむきだしのグリード・マンモニズムを恥じとも思わない経済的エグゼクティヴたちの喧しいビジネス言語の洪水に比べればあまりにもか細く、ともすればかき消されがちである。だが彼らは日々命と生活の崖っぷちに立たされながらまぎれもなく生き続けようとしているのである。その苛酷な生存状況のただ中から発せられる彼らのか細い声に耳を傾け続けることは、「三・一一以後」の世界のもっとも大切な倫理の基準といわねばならない。そしてこの倫理は、世界をエグゼクティヴたちのうす汚れた手から、貧しくても苦しくても誠実に生きようとする人たちの手へと取り戻すことを促すのである。あらゆる人々が人種、地域、性差、障害や疾病の有無、思想や宗教の違いなどによって差別や迫害を受けることなく、それぞれの人生を全うすることが出来る世界を実現しなければならない。もちろんそれは容易なことではない。そのためには、したたかに、柔軟かつ変幻自在に、しかも原理的な課題を決して忘れることなく、この世界のあらゆる不正や非道を正すための戦いを辛抱強く続けることが必要である。死者に対して私たちが負っている責務は、同時にこの世界で呻吟する多くの人間たちに対して私たちが負っている責務でもある。この世界において暴力や貧困、差別に晒されている人々は、いわば私たちの現在が抱えている死者たちなのだから。(2019年10月)
【追記】
「三・一一」から約十年、今再び私たちは破局的な事態に直面している。covit-19、いわゆる新型コロナウィルスの感染(パンデ)爆発(ミック)が全世界を奈落の底へと追いやったのである。社会生活や文化活動の維持はおろか、人類の生存そのものの維持に必要不可欠な活動さえもが途絶しつつある。私たちは今再び、2011年3月11日に<以前>を失ったのと同様、新型コロナウィルス以前の世界を決定的なかたちで失おうとしているのである。だが思い起こしてほしい、この失われようとする<以前>の世界が、「三・一一以後」にもかかわらず何事もなかったように<以前>へと舞い戻ったつもりになっていた世界であったことを。それは、人類がいかに「三・一一」から何も学ばなかったかということを示しているといってよいだろう。すでにあとがきのなかで私は、「今世界は目を覆うような精神的愚昧、怠惰や怯懦、迷妄への退行が蔓延し、人間を人間たらしめる根拠である理性が、正義の感覚が、人間の尊厳や自由・自立を守ろうとする意志が、そして苦しみのうちにある人々への共感や連帯の感情といったものが、文字通り存亡の危機に瀕している」と書いたが、今回の事態はまさにその証明といえる。「三・一一」から何も学ばなかったことと、こうした愚昧、迷妄とは明らかに表裏一体の関係にあり、そこに今回の事態のもっとも本質的な意味が現れているのである。
今一度東日本大震災と福島第一原発事故の関係をふり返ってみよう。東日本大震災を引き起こした地震そのものは自然災害であったが、それによって引き起こされた福島第一原発事故はたんなる自然災害ではなかった。原子力という人間の作り出した技術が引き起した人為災害であった。それと同様に、新型コロナウィルスそのものの存在はありふれた自然現象の一つに過ぎないとしても、感染爆発に伴って生じた破局的事態は人為的災害といわねばならない。なぜならこの事態は、グリード・マンモニズムに彩られたグローバルな自由=資本主義が、森林・ジャングル伐採や湿地の干拓、里山環境の破壊などの人間の活動域の自然界内部への野放図な拡大を通して自然界の生態系と人間界の社会システムとのあいだの均衡関係を壊してしまったことや、社会システム内部において社会生活の維持のためのセーフティネットというべき医療・教育・育児・介護や環境保全などの分野を容赦のない市場=資本主義化によって劣化させ、あげくの果てにそうした分野そのものが切り捨られていった結果生じた事態だからである。もし世界が「三・一一」から学んでグローバルな自由=資本主義、さらにはその前提となる一九世紀以来の近代産業文明/社会(=ツリー型社会)の病理を根底から見つめ直していれば、もしもより多中心的・離散的で、部分=下位システムのそれぞれの単位が生産‐消費‐廃棄物処理‐再生産をつかさどる自律的な循環システムを備えつつ緩やかかつ横断的に結び合うようなセミラティス=リゾーム型の社会システム、言い換えれば循環‐持続型の社会システムへと移行していたならば、さらにはそこに収奪や占有に代わり友愛と贈与によって支えられる相互扶助ネットワークが組み込まれていれば、こんなひどい事態は起きなかったであろう。今起きているのは、エグゼクティヴたちのグリード(強欲)を満たすために膨張していったグローバルな自由=資本主義のネットワークによる画一的で一元的な支配 ―― それを支えているのが原子力技術でありIT・AI技術である ―― のもたらした事態に他ならないのだ。そうしたネットワークが全世界におけるほとんど同時的な感染爆発を生んだことは、このネットワークの牙城であるアメリカにおいて世界最大最悪の感染爆発とそれに伴う恐るべき死者数の増大という事態が起きていることからも明らかであろう。繰り返しになるが、東日本大震災という自然災害に連動するかたちで福島第一原発事故が引き起こされてしまった状況と今の状況は極めてよく似ている。結局「三・一一」と同様の破局(カタストローフ)がまたしても繰り返されたのである。
もうこれ以上愚かな誤りを繰り返してはならない。そのためには成長、膨張、巨大化、効率化、管理の一元化、選択と集中といった発想と根本的に訣別しなければならないのだ。そしてとめどなく拡大する格差の下で貧困や疾病、災害などに無防備なままさらされる弱者を社会の連帯の輪のなかに迎え入れない限り、さらには蹂躙される自然を根本的に再生させない限り、破局は何度も繰り返され、ついには地球生態系そのものの破壊に行きつくであろう。グローバルな自由=資本主義が、そしてそれと表裏一体の関係にある「精神的愚昧、怠惰や怯懦、迷妄への退行」が、そして「理性が、正義の感覚が、人間の尊厳や自由・自立を守ろうとする意志が、そして苦しみのうちにある人々への共感や連帯の感情といったものが、文字通り存亡の危機に瀕している」事態が克服されない限り、必ずやそれはやってくるであろう。グローバルな自由=資本主義の担い手である「強者(エグゼクティヴ)」たちよ、驕ることなかれ、迫りつつある破局に、そしてその犠牲となるであろうもっとも弱い人々に目を向けよ、彼らが生き延びられなければあなた方自身もまた滅亡することになるのだ。それを逃れるためには、あなた方自身の発想の根本的な転換が求められるのだ。それが可能となったときはじめて未来への希望が生まれるであろう。さしあたり具体的な提案をひとつだけしておけば、そろそろベーシック・インカムの導入が真剣に検討されなければならないのではないだろうか。十万円の特別給付金はその始まりといえるだろ。(2020年4月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1159:210318〕
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