今年の「歌会始」から見えてくるもの~私たちは祈ってばかりいられない
- 2021年 3月 29日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子歌会始
3月26日、約2カ月遅れで、延期された「歌会始」が開催された。“伝統ある古式に則った”宮中行事というけれど、テレビ中継で何度みても、まず、そのドレスコードというか、和洋混在の正装の人々の違和感が先に立つ。会場の男性はモーニング姿、入選者の高校生は制服か。皇族の女性たちはロングドレス?入選者の女性たちは和服である。それに、今年は、全員白いマスクを付け、披講の人たちは、さすがにフェイスシールドであって、席はアクリル板で仕切られていた。入選者の一人はオンライン参加という、どこか奇妙な光景であった。異様といえば異様で、これほどまでして、開催すべきものであったのか。
もっとも、新型ウイルスの感染状況が、第四波か第四波の入口かと言われているさなか、「聖火」リレーをスタートさせる国である。辞退者が続出し、途中で火が消えたり、スケジュール通りに繰り上げスタートさせたりと、つながらないリレーに、いったい何の意味がるのかとも思う。政府は、非常事態宣言を解除しておいて、あとから、弥縫的な感染防止や補償、救済策しか出さず、国民の生命と生活はどうにでもなれ、と放置されたようなものである。その一方、この新型ウイルス感染対策費とは桁が違う、防衛費5兆円以上を、マイナンバー普及だけにでも1000億円以上の予算を組む国でもあったのである。そもそも、2021年3月までに、19年度補正予算、20年度本予算で、デジタル関係予算は1.7兆円にもなっていたのである。
さらにいえば、折も折、政府は、3月16日に「『退位特例法の付帯決議』に関する有識者会議」の設置とそのメンバーを発表し、23日には、初会合を開いた。「付帯決議」の主旨は、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題を、先延ばしすることなく、速やかに、全体として整合性が取れるように検討」することだったのだが、菅首相は、会議の冒頭「議論してもらうのは国家の基本にかかわる極めて重要な事柄であるので、十分に議論して、さまざまな考え方をわかりやすい形で整理してほしい」旨の発言をし、いわば論点整理までを、当面の目標にしているようであり、メンバーから見ても、結論ありきの先送りということで決着するのではないか。
たしかに、今年の歌会始の皇族の参加者を見ると、高齢の三笠宮妃、常陸宮夫妻は欠席、三笠宮家の孫にあたる内親王の一人も欠席、歌も発表されていない。当然のことながら、成人の男性は、天皇以外、秋篠宮一人であって、秋篠宮の長男が成人になるまでは、こんな光景が続くのだろう。このままでは皇位継承者が細る危機感が、政府に足りないという指摘があるけれども、家を継ぐ者がいない、ということは世の中によくあることだし、天皇家が途絶えたとしても、国民はどんな不利益を受けるだろうか。将来、夫婦別姓選択が可能になれば、家名を残すなどということは、あまり意味がないし、第一、皇族には名字がというものがない。天皇家の存続の有無が「国家の基本にかかわる極めて重要な事柄」という認識にこそ、私は危機感を覚えるのだった。
話を、「歌会始」に戻せば、今年の一般からの応募歌数は、平成以後、1991年以降の30余年の推移の中で、最も少ない1万3657首であった。選者は、2015年以降、内藤明、今野寿美、永田和宏、三枝昻之、篠弘と変わらず、2万前後を推移していた。平成期のピークは2005年「歩み」2万8758首であり、昭和期のピークは、1964年「紙」4万6908首であった。これは、皇室への関心、歌会始への関心、短歌への関心が薄れていることの反映のようにも思える。相乗的なものでもあるかもしれない。
いわゆる「新聞歌壇」においても、投稿者の常連化、入選者の固定化、選者と入選者の個人情報が行き交うサロン化などを垣間見ることができる。歌会始の場合、長年の応募の努力が実って入選したとか、多くの入選者を出す学校には熱心な指導者がいるとか、選者や入選者と皇族にこんな交流があったとか、歌を通じて、国民と天皇・皇族とが織りなすエピソードが喧伝され、天皇や皇族の歌のメッセージを読み解く新聞や短歌雑誌はあとを絶たない。「新聞歌壇」は、往々にして、時事的な、政治的なテーマで盛り上がることもあるが、「歌会始」では、おのずと「わきまえられて」排除されることになるだろう。
短歌という文芸におけるジャンルの一つとして、あってはならないことではないのかと。
大正天皇の短歌の資料がないので、取り急ぎ、歴代四人の天皇の歌に頻出する「祈る」「願う」「思う」にかかる類似性に着目してみた。「平和」とはやって来るものではなく、私たち自身が、多くの犠牲と弛まない行動によって勝ち取るべきものなのではないか。
徳仁天皇
人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到るを祈る
(2021年歌会始「実」)
明仁天皇
波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ
(1994年歌会始「波」)
平らけき世をこひねがひ人々と広島の地に苗植ゑにけり
(1995年「第四十六回全国植樹祭 広島県」)
国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ
(1995年「戦後五十年 遺族の上を思ひてよめる」)
昭和天皇
あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
(1933年歌会始「朝海」)
さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわが願ひなる
(1960年歌会始「光」)
この旅のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとする
(1964年「オリンピック東京大会」)
明治天皇
よものみなはらからと海思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
(1904?「四海兄弟」)
神がきに朝まゐりしていのるかな国と民とのやすからむ世を
(1904年「神祇」)
あさなあさなみおやの神にいのるかなわが国民をまもりたまへと
(1907年「神祇」)
初出:「内野光子のブログ」2021.3.28より許可を得て転載
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〔opinion10690:210329〕
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