『産経』が新たに「沖縄戦」歪曲の言説の展開に着手?
- 2021年 3月 31日
- 評論・紹介・意見
- 高嶋伸欣
皆さま 高嶋伸欣です。
1 3月28日の『産経』がオピニオンのページに、添付のように編集委員・川瀬記者によるコラムを掲載し、沖縄戦学習での新たな「お勧めしたい『平和学習』」なる提案をしています。
2 現在も沖縄では編纂を継続している市町村史や字(あざ)史の中の沖縄戦体験談から、戦闘激化以前に駐屯日本兵と住民との和気あいあいとした頃の様子を拾いだしています。
3 そうした状況にあった兵士たちがやがて戦死したことで「戦争は悲惨だと、心から思う。そんな平和学習が、あってもいいのではないか」という結論に導いています。
4 極めて感情的なままで掘り下げがなく、小学校低学年レベルの認識にみえます。軍国主義・忠君愛国の精神で「動物的愛国心」一色に沖縄県民が染められていたことへの目配りだけでなく、沖縄戦の構造についての認識がまるで伺えません。
5 それに、通信兵が激しく殴られた背景には、「軍隊では日常茶飯事」という面だけでなく沖縄戦独特の事情があったことが、沖縄戦研究の場では常識です。
6 その事情の一つが、牛島司令官が沖縄駐屯の日本軍全軍に「日本兵の前で沖縄方言を使う者は、今後スパイとみなして厳しく処断せよ」という意味の指示を出し、日本軍の中に県民をスパイ視する状況が広がっていたということです。
7 それだけに、とりわけ機密を要する通信室に沖縄県民を入れたことに対する処罰の意味を込め、上官が厳しくその兵士を殴り続けたのだということが読み取れます。
8 けれども、川瀬記者はそうした沖縄戦独特の実態に読者が気付き難くなる「軍隊では日常茶飯事」ということに、話題を変えています。
「住民スパイ視」の指示が、沖縄戦での日本兵(皇軍)による住民虐殺を誘発させた要因の一つだったことは、早くから指摘されています。川瀬記者のこの論旨は、新たな沖縄戦歪曲事例であるように見えます。
9 『産経』はかつて、「集団自決」が日本軍による強制というのは眉唾ものだ、という藤岡信勝氏たちのキャンペーンを積極的に支援する報道を続けていました。それ等に同調した政治家の一人が下村博文議員で、第1次安倍政権で官房副長官に任命された同氏など自民党タカ派議員たちの圧力が文科省に加えられます。圧力に屈した文科省によって、引き起こされたのが2007年のあの「集団自決」歪曲検定事件です。一気に日本軍に責任はないとの記述に改変されたのでした。
10 その後に、沖縄県民保革一致の厳しい抗議などによって、文科省も「集団自決」に日本軍の事実上の強制があったとする記述の復活を認めるに至っています。けれどもそうなるまでには、多大な労力と時間が必要でした。
11 そして今、3月末です。まもなくの年度末に今年度の高校教科書の検定結果が公表されるはずです。そこに含まれる新科目「歴史総合」などで沖縄戦がどのように記述されているかで、沖縄戦についての議論が起きることが予想されます。
12 それに、高校教科書の検定は2年間に分けて実施され、この4月には2年目分として、「歴史探求(通史)」の検定が始まります。それらの検定の際に、『産経』のこのコラムが悪用されないとも限りません。
13 何しろ、現在の萩生田文科大臣は、下村氏に負けず劣らずに「自虐的歴史教科書排除」を急先鋒で主張してきた人物なのですから。
14 そこで、この川瀬記者の「コラム」を振りかざしたら、歴史修正主義者が赤恥をかくことになるくことになる、という指摘を今のうちにしておこうと思います。
15 添付資料の左上Bのイラストを見て下さい。その下の説明にあるように、これはインドネシアの高校歴史教科書に掲載されていたものです。日本軍政時代の記述部分にある唯一のイラストで、日本兵が住民にビンタをしているところです。
16 証言としてあるように、インドネシアではマレー半島やシンガポールほどには住民虐殺が多発はしていなかったようなのですが、日本軍の軍政下でことある毎に日本兵にされたビンタの悔しさを、人びとは戦後も忘れずに語り継いでいるのです。
17 日本兵にとっては、ビンタなど軍隊内の「日常茶飯事」でした。けれどもイスラム教世界では、”肩から上を人前で叩かれることは死に勝る恥辱”なのです(もちろん今もです)。
18 ところが、軍政下で日本兵は街の出入り口や軍などの主要施設の前で警備に立っている際に、それ等兵士への最敬礼をいちいち強制していて、それを実行しない住民は呼び止めて叱り、言葉も十分に伝わらないこともあってか、ビンタを他人のいるところで加えるのが日常だったのだそうです。
19 日本軍がその弊害にいつ気づいたかは不明です。
手がかりとしては、中国戦線から生還した元日本兵の証言があります。かつて川崎市の市民学習会で私がこのことを説明した時です。質疑の時間に元日本兵の方が「中国戦線にいた我々にも『今後、住民に罰をあたえる際は、肩から上を叩くことはするな』という指示があった。昭和18年の後半ごろだったように思う」と体験を述べられたのを聴き、「そのように遅かったのか」と驚いたものでした。
20 こうした情報を得て新たに納得した事柄がもう一つあります。
マレー半島での日本軍による住民虐殺など弾圧の主たる対象は、母国の国難を救おうと募金活動や援蒋ルートのトラック運転手などを送り出していた中国系住民(華僑)でした。それなのに、戦争の進展とともに抗日組織にマレー系住民の参加が続いていました。その理由が一部判明したということです。
21 マレー系の人々は、華僑弾圧の派生効果で不動産の安価な入手や商売の参入機会獲得などもあって、抗日の動きに当初はほとんど加わっていません。現在もそうした状況に便乗した人たちの多いマレー系住民は戦時中の侵略行為の解明や継承に消極的です。
けれども、その一方で占領の継続と共に、抗日組織に参加したり支援したりするマレー系住民の数が増えていたのです。どのような理由だろうか、と疑問をもっていました。
22 それが、このビンタの話で、「マレー半島やシンガポールでもやっていたのだ」という話と結びついて、理由の一つが分かり、納得がいったという次第です。
23 シンガポールでは、中国系の人の体験談ですが、「最敬礼をしなかったら、背中に火のついたタバコを放り込まれた」という証言もありました。
煙草を吸っているのであれば、警備勤務中とは思わずに最敬礼をしないで通り過ぎても良いようですが、それを日本兵は許さなかったという理不尽さです。
24 ともあれ、沖縄県民をスパイ視していたからこその激しい殴り(殴打)を処罰ではなく「日常の茶飯事」の私的制裁にすり替えるという小細工のようなことを、今後も続けならこういく指摘ができるのです。
殴り(殴打)・ビンタという日本軍の悪弊のことを、いかにも軽いことのように不用意に持ち出すと、さらに次々と日本軍の悪行に話題が及ぶことになるというわけです。
25 そうした、言わば「藪蛇」の状況を創り出すのに向けて、我々は準備万端整えていますよ、と川瀬記者・「産経新聞」やその同調”文化人”や歴史修正主義の政治家たちに伝えておきたいという思いがこのメールにはあります。
26 最後に、添付にあるカラー写真についての説明です。
マレーシアのペラ州北部の草地の名から、私たちが偶然見つけだした「華印巫三族<中国系・インド系・インドネシア(マレー)系の三民族抗日英雄墓」の、発見当時とその後に地元の人々が整備した様子を示しているものです。
抗日活動は中国系の人々だけでなかったことを証明するものの一つです。
以上 長くなりましたが、すべて髙嶋の私見です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10698:210331〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。