緊迫の春
- 2021年 4月 2日
- 時代をみる
- ホームレス笠井和明
桜も咲き、穏やかな日が多くなったというのに今年も、怯えながらの春のようである。
年末にかけ、「第3派」のピークを迎え、年明けには新宿など繁華街の「夜の街」をターゲットに「緊急事態宣言」が発令され、それが延長、再延長と、まあ、こんな時は、誰かを敵にしなければやってられないのであろうが、それにしても、今の社会の「正義」は、頭でっかちで、我々には良く分からない。
そんな中、新宿では、いつものよう冬の取り組みが淡々と行われていた。ウィルスよりも冬の「過酷さ」。「どちらも」が、普通なのであろうが、我々は優等生にはなれず、どうしても一つの方を優先してしまう。
この季節の中、かつても、そして、今もなお、多くの生命が路上で消えて来たことを知っている身としては、どんなことがあろうとも、この「冬将軍」とはたたかわねばならない。底辺下層の宿命と云えば、それはそれで格好良く映るかも知れないが、現実はとても痛々しく、そして敵も味方もないような、生々しい「生」の営みでもある。
どう支えるのか?否、支えようなどありはしない。
支えられると、ただ、思い込んでいるだけであり、偽善と云われれば偽善であることくらい、やっている者達が一番良く分かっている。「能書き」を言いたい奴が勝手に「あーだこーだ」を言っているに過ぎない。
けだし、見守ることだけは出来る。都市下層を見守り続けて来た人は、これだけの人口を有する都会の中でも、そうはいない。
見つめても、いつの間にか去っていくのが常でもある。家族でもないのだから、じっと見つめていて気持ちの良いものでもない。何らかの「義務感」「使命感」などは、一時的なもので、そう長くは続かない。
見守るだけの冬は、早27年目
同じ冬はなかった。その都度、状況は変わり、行ったり来たり、揺り戻しもあった。そして、時代も変わり、我々も歳を重ねた。
今年はどんな新宿の冬になるのか?何かに期待しながらではなく、冬の悲劇を見続けて来た者だけが知っている「怯え」を振り払おうと踠いている内に、いつの間にか冬が来てしまう。
結論から言うと、今年の冬は、まあ「大丈夫」な冬であった。
皆、マスクをしているよう、また、注意深く生活する習慣ももともとついていた。寒暖差はあったものの、日本海側の気候とは違い、東京は暖冬の部類に入る程の気候で、例年であると一番厳しい月が「観測史上最も高温な」2月となり、また「非常事態宣言」のおかげで、終電を乗り過した酔客との深夜のトラブルも少なくなり、人通りも落ち着いて、寝れる場所での睡眠時間も少しは延びた。
「コロナ渦」のせいか、個人や小さなグループが寝床に食料などを置いてくれる僥倖も増えた。同じく「コロナ渦」のせいか、役所もちょっとは優しくなったような感もある。
オリンピック前に「排除」やら「なんちゃら」と云う「噂話」や「作り話」は良く聞くが、行政は「特別清掃」だけはするが、追い出すことまではしないので、そんな「噂話」を良く喋るおっちゃんは、肩透かしを食った感があり、安心してるんだか、残念がっているんだか……。
「訪日観戦客」が入ってこないのなら、そこまで見てくれを奇麗にすることもないだろう、と公園行政も道路行政も、コロナ対策で、そこまで手が回らないと言った感である。
そして、「コロナ渦」の現れ方は、人それぞれである。かつて「坩堝」と言われた新宿場末である。皆が困っているかと云えば、そうでもなく、そもそも不安定であることで成り立っているのが、この世界、不安定には慣れきっているのかも知れない。
役所を信じる訳もなく、学者を信じる訳もなく、誰かを信じる訳でもなく、何かを信じる訳もなく。
「コロナ渦」での新宿路上への流入は、かつての経済危機に比べると、極端に少なくなっている。
これもまた変な「噂話」が年末にかけ飛び交っていたが、決してそんなことはなく、こちらはいつものメンバーで、ちょっとは静かになった新宿で淡々と暮らしていただけである。
飲食店の若者系や、インフォーマルな職業系などの人々は影響が大きいのであろうが、彼、彼女らは路上に出ることなく、国策化された様々な協力金等を使ったり、使わなかったり、転職を模索したりで、何とか凌いでいるようである。
「コロナ」のせいと言えば、何かと世間は同情をしてくれるので、人手不足の産業では、若いと云うだけで引く手あまたである。
東京、新宿に来ると云うことは、コロナの感染リスクがあると云うことでもあるので、地方からの「圧力」もほとんどなかったが、「非常事態宣言」が解除されるようになった3月になって、それも緩み始めたのか、ちらりほらりとそんなケースも見受けられるようになったが…。
私たちが出会えた仲間の数でも、それははっきりとしている。年末から厳冬期にかけ、おにぎり配布活動、医療相談巡回活動、一般巡回活動で、出会った仲間の数は、昨年とほぼ同様であった。数字上は若干増えているが、とりたて騒ぐ程のこともなく、それも誤差の範囲内。
東京都の最新路上生活者概数調査では新宿区は、この夏、久しぶりに100名を切っており、全体としても「減少傾向」なのであるが、夜間新宿駅を軸にして、終電間際、ゆっくり歩いてみると、160名位の仲間の「生存確認」が出来てしまう。
都市公園のテントが減り、住宅地の中の公園などのテントも減り、ターミナル駅での流動層もまた都心の再開発の中で減り、残るは河川敷系の固定層が主流になりつつある東京の路上生活者状況の中、新宿だけは、未だ、これだけのまとまった仲間と出会うことが出来る。
区立新宿中央公園や、都立戸山公園のテント村がなくなってからかなり立ち、今や昼間の定住者は少なくなり、大半は目立たぬよう、あちこちに散らばるが、夜になれば、それぞれの寝床に戻る。新宿の街の中に溶け込むかのように。
そして、この構造は、まるで太古の昔からそうであったかのよう、ビクとも動かない。
もちろん個別には、多少なりとも動いてはいる。歳を取れば病気にもなるし、怪我をしたらば病院には行く。もう、ここは嫌だと思えば、他所に行ったり、福祉にも行く。また、不幸にもここで亡くなる仲間も居る。それはあるのであるが、その都度、何故か、何処からか補充され、何となく代が変わり、全体としては同じように見える。
まあ、これは新宿と云う街の「不思議」の一つであるが、「コロナ渦」でも、「オリンピック」でも、それが変わらないのであれば、もはや、それはそう云うものであると考えるしかあるまい。それは、この街の「宿命」なのか「呪い」なのか。
その昔、「お前らが甘やかすから、みんな集まってくるのだ」と散々、世間から言われていたが、それは逆なのであろう。みんなが集まるから、そこに何かを求めて、見守り人も集まる。そして、「群れる」と云うだけで、そこに何らかの希望を見いだそうとする。そして、いつしか、「仲間」になる。まあ、そうやって「呪い」は更なる「呪い」をかけられ、「解ける日」は、あるのか、ないのか?
そうであったとしても、何とか生きていければ良い。
一人では生きていけなのであるから、仲間を作り、仲間と共に、支えあい、助けあい、時には仲たがいをしながらでも、お互いを認めあい、利用するものは何でも利用し、そして、生きて行けば良い。
冬は、そう云うたたかいである。炊き出し(飯)だけでなく、着る物も、寝具も、寝る場所も、仕事も、日常生活の総てを、誰かに独占させるのではなく、共有し、分配していかねば、生きてはいけない。
それだけ冬の路上は過酷である。いくら暖冬になってもである。
少しだけ想像すれば、そんなことは誰だって分かる。分かっていながら、自業自得と目をつぶるのが、この社会。
「都市封鎖」も辞さず、子供や中間層を守れと云う、一連の「コロナ」騒動とは大違い。
分断なんてのは最初からある。
同化なんかされてたくもない。
仲間が居る限り、俺らは俺らでやっていこう。
そんな、冬の取り組みを細々と続けました。いつもの年と同じく、いつもの面々で、あまり代わり映えのしないいつもの仲間達と共に。
「成果」は死なずに、生きたと云う、ただそれだけ。 それだけで良い。
そして、春である。 (了)
初出:「新宿連絡会NEWS VOL80」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
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