4月28日に思い起こす沖縄県民の「屈辱」とは?
- 2021年 4月 29日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
(2021年4月28日)
1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効によって、日本の本土は連合軍の占領から「独立」した。しかし、沖縄・奄美・小笠原は切り離されて、引き続いての米国の占領下に置かれた。以来本日は、本土では祝うべき「主権回復の日」であり、沖縄では祝うべからざる「屈辱の日」である。
下記の、2013年3月29日付沖縄県議会「抗議決議」は、本土が4月28日を「主権回復の日」と位置づけて祝賀式典を企画したことに対して、沖縄は「屈辱の日」を祝うことはできないとの抗議の意思の表明である。沖縄の人々の心情をよく表している。
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4・28「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に対する抗議決議
3月7日の衆議院予算委員会において、安倍晋三首相はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開催する考えを表明し、3月12日の閣議で決定した。
日本は1951年9月8日にアメリカ合衆国を初めとする連合国諸国との間でサンフランシスコ講和条約に調印し、翌年4月28日に発効した同条約第3条によって北緯29度以南の奄美・沖縄・小笠原は日本から分離され、米国の施政権下に置かれた。
安倍首相は国会でサンフランシスコ講和条約の発効で我が国の主権は完全に回復したと述べているが、その日をもって日本から切り離された沖縄はその主権下になかった。
ゆえに4月28日は、沖縄の人々にとって「屈辱の日」にほかならないのである。
沖縄は、去る大戦で本土防衛の捨て石とされ、二十数万人余のとうとい命が奪われた。
戦後も新たな米軍基地建設のため、銃剣とブルドーザーによる強制接収で米軍基地は拡大され、1972年の本土復帰後も米軍基地は存在し続けている。県民は今日なお、米軍基地から派生する騒音問題や米軍人・軍属等による事件・事故等により、日常的に苦しめられ、さらには県民総意の反対を押し切る形でオスプレイ配備、辺野古基地建設に向けた手続が進められている。
政府がまず行うべきことは、沖縄における米軍基地の差別的な過重負担を改めて国民に知らしめ、その負担を解消することではないか。
沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」に、「主権回復の日」としての政府式典を開催することは、沖縄県民の心を踏みにじり、2度目の沖縄切り捨てを行うものであり、到底許されるものではない。
よって、本県議会は、今回の政府の式典開催に反対し、強く抗議する。
上記のとおり決議する。
平成25年3月29日
沖 縄 県 議 会
内 閣 総 理 大 臣
内 閣 官 房 長 宛
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鉄の嵐と形容された凄惨な沖縄地上戦は、1945年の4月から6月にかけてのこと。この戦いは、沖縄が本土の「捨て石」にされた時間かせぎ作戦であった。その7年後沖縄は、再び本土から切り離され捨てられた。またもや沖縄を日本の「捨て石」として切り離したのは、戦後なお、新憲法下で越権の政治介入を試みた天皇(裕仁)の意思が働いていた。
本日の琉球新報社説は、そのことに触れている。
4・28「屈辱の日」 自己決定権を誓う日に
4月28日を迎えた。サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)によって日本の独立と引き換えに、沖縄は日本から切り離された。米国統治が始まった日である。沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んできた。
米国統治によって沖縄は人権より軍事が最優先される「軍事植民地」のような状態に置かれた。講和条約調印(51年9月)から70年たった今も、米軍は駐留し続け、事件事故、環境汚染などで県民の人権と安全が脅かされている。
日本は自国の安全を米軍の抑止力に頼り、基地負担を沖縄に押し付けている。沖縄には自らの将来を自ら決める権利がある。今年の「4・28」は「屈辱の日」を返上し、自己決定権の確立を誓う日としたい。
「屈辱の日」の源流に二つの提案がある。サンフランシスコ講和条約が締結される4年前、昭和天皇は沖縄を「25年ないし50年、あるいはそれ以上」米軍に提供したいと提案した。「ソ連の脅威」に対抗するためだ。沖縄を日本から切り捨てることに等しい。
講和条約第3条によって、米国は他国から干渉されず、沖縄基地を自由使用する権利を手に入れた。日本政府も同意している。
1972年の施政権返還の際もこの構図は繰り返される。米国は日本に沖縄の施政権を返したが、日本政府の同意の下で基地の自由使用権は手放さなかった。
沖縄返還から半世紀。この間、米軍は沖縄から海兵隊の撤退を検討した時期もあったが、日本政府に慰留されとどまっている。
その結果「一つのかご(沖縄)に、あまりにも多くの卵(米軍基地)を入れている」(カート・キャンベル元国防次官補代理)現状がある。
基地の整理縮小の目玉として日米は、米軍普天間飛行場の移設を合意した。ところがふたを開けると、名護市辺野古への新基地建設であり基地機能の強化だった。
かつて昭和天皇が理由とした「ソ連の脅威」は、今や「中国の脅威」に取って代わり、日本政府は米軍が駐留する理由を正当化している。沖縄に米軍が駐留する必要性は変わらず、むしろ大きくなっているという言説が広がる。
日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が来ているのではないか。
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沖縄の味わった「屈辱」の実体とはなんであったろうか。「日本民族から切り離されて異民族による支配下に留め置かれた」というナショナリズム的心性ではないように思われる。何よりも、「軍事植民地支配」における自治権のないことであったろう。琉球新報社説の言葉を借りれば、「自己決定権」を剥奪された状態が「屈辱」なのだ。
本土は、日本国憲法が保障する民主主義と自由の国になった。「自己決定権」を取り戻したのである。沖縄を犠牲にして。犠牲にされた沖縄は、本来もっているはずの「自らの将来を自ら決める権利」を認められなかった。本土との対比によって、沖縄の「自己決定権」の喪失は際立つことになった。これが、「屈辱」の実体ではないか。そして、その「屈辱」は今に至るも影を落としているという。
香港の市民も、ウイグルの回教徒も、内モンゴルのモンゴル族も、そして軍政下のミャンマー国民も、「自己決定権」を剥奪された「屈辱」の状態にある。全ての人々に、「自らの将来を自ら決める権利」が認められなければならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.4.28より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16754
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10806:210429〕
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