半藤一利さん、下馬郁郎の名で短歌も詠んでいた
- 2021年 5月 6日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子半藤一利
4月30日の、鈴木竹志さんのブログ「竹の子日記」を読んで、驚いた。半藤一利さんの短歌が、下馬郁郎の名で、『昭和萬葉集』に収録されている、という。鈴木さんは、『週刊文春』最新号の座談会で知ったという。早速、『昭和萬葉集』を調べた結果も書かれていた。
半藤一利さんの短歌
http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-entry-1134.html
(2021年4月30日)
実は、旧拙文(「皇室報道における短歌の登場はなにをもたらしたのか―昭和天皇病状報道・死去報道を中心に(『風景』1995年2月初出、『現代短歌と天皇制』2001年2月収録)において「天皇の短歌作品を中心した、歌人などの追悼文」10点のうちの一つとしてあげていた文献の執筆者が「下馬郁郎」だったのである(上記『現代短歌と天皇制』117頁)。
(8)下馬郁郎「御製にみる陛下の”平和への祈り“」『文芸春秋・大いなる昭和』特別増刊 1989年3月 712~716頁
当時、執筆者として岡野弘彦、辺見じゅん、窪田章一郎らと並んでいた「下馬郁郎」が何者?であるか、わからずじまいのままであった。ところが、今年の2月、WAM(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)で「歌会始と天皇制」について話をする機会があって、あらためて準備を進めている中で、半藤さんの「昭和史」について調べていると、ネット上で「下馬郁郎(=半藤一利)」の記事に出会った。が、まだ半信半疑であった。さらに、半藤さんは、昭和天皇死去当時1989年、『文芸春秋』の編集長であることがわかった。編集長自らの名前で、記事を書く躊躇いがあったのか、「歌人下馬郁郎」の名で残しておきたかった記事だったのか、いずれにしても、「下馬郁郎=半藤一利」を確信するに至った。今回の『週刊文春』の記事で裏付けられたし、下馬郁郎がかつて『青遠』という結社で短歌を詠んでいたことが『昭和萬葉集』で明らかになったのである。当時、「下村郁郎」という歌人の名は聞いたことがない、などと私は思ってきたのだが、「歌人」に限らず、広く市井の歌詠みの短歌の集成でもある『昭和萬葉集』の「人名索引」を確認することをなぜしなかったのだろう。『昭和萬葉集』編纂時には『ポトナム』の選歌を担当した者として、そこに気づかなったし、調べもしなかったことには忸怩たる思いもある。史実の検証の難しさを知り、思いがけない展開もあることを知った。
WAMでの私の話では、天皇の短歌で読む「昭和史」の危うさの例として、半藤一利、保坂正康両氏の著作をあげたのだったが。以下の当ブログ記事をご参照ください。
2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(1)
(2021年2月25日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/02/post-39aa28.html
なお、上記の拙ブログのほかに、『WAMだより』47号(2021年3月)には、要約版が掲載されています。併せてご覧いただければとと思います。
初出:「内野光子のブログ」2021.5.5より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/05/post-8eabe0.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10838:210506〕
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