STOP 改憲!
- 2021年 5月 13日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘憲法
韓国通信NO668
憲法制定から74年。憲法をめぐる動きが活発だ。
平和主義、国民主権、基本的人権を定めたこの憲法のどこに問題があるのかさっぱりわからない。「新時代にふさわしい憲法を」という表現自体、陳腐でいかがわしい。犯罪常習者が自分の都合に合わせてルールを変えたいと言い出したのに似ている。
アメリカの独立宣言(1776)の起草者トーマス・ジェファーソンは「権力を託さなければならない人々を制約的な憲法によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来する。それゆえ、人に対する信頼に耳を貸さず、憲法の鎖によって、非行を行わないように拘束する必要がある」(ケンタッキー州議会決議1798)と述べた。つまり、どんなに好ましい人間でも信頼するには値しない。だから疑ってかかれと。国会議員を始めとする公務員は必ず権力を濫用する。彼らは憲法にもとづき仕事をする主権者(国民)の公僕に過ぎない。わが国の憲法にも貫かれている立憲主義である。
その召し使いたちが数を頼みに勝手に憲法を解釈した挙句、憲法まで変えようとしている。本末転倒というほかない。
現憲法は戦争の反省に立って新しい日本が進むべき道として歓迎された。天皇主権から国民主権へ。平和と民主主義を基本とする憲法は水や空気のように当たり前のことになったが、戦争の反省も不十分な旧勢力が 息を吹き返し、憲法にいいがかりをつけ続けてきた。彼らは侵略から日本を守るために日米軍事同盟の強化をさかんに主張する一方で中國と北朝鮮の脅威を喧伝して改憲と軍事拡張に利用しようとしている。
憲法が命じた使命をさぼり、公僕が都合のいい憲法を求めるとはクーデターみたいなもの。「変化が大きい時代だからこそ」と、3日付読売新聞の社説は、速やかな憲法改正の提案を立法府に求めた。時代の変化が大きいのは今に始まったことではない。へ理屈だ。
<私の憲法9条>
私が小学5年生の時、教室で自衛隊が話題になった。出した結論は憲法違反だった。今どきの小学生も同じ結論を出すはず。憲法を読めば一目瞭然だからだ。私たちは半世紀にわたって自衛隊と憲法についてごまかしを続けてきた。憲法違反だから憲法を変えると言ったら子どもたちはびっくりするに違いない。それでいいのか。私たちは「正義」と「教育」について深刻な問題を抱えている。
自衛隊のために改憲をすれば矛盾は解消されるように見えるが、その後の日本の姿は想像するに難くない。既に憲法違反の集団的自衛権の容認と安保法制によって戦争のできる準備はできている。改憲によってお墨付きを得た軍隊は、歯止めのかからない軍事予算を背景に堂々と世界に進出することになる。公然たるアメリカの傭兵化は目に見えている。
最近「抑止力」という言葉を耳にすることがとても多くなった。敵に負けないために軍隊をいくら増やしてもきりがないのは小学生でもわかる。疑心暗鬼になれば、自衛のためには先制攻撃も必要となる。
政府とメディアは軽々しく周辺国の脅威を語るが、戦争を甘く見てはいないか。一旦戦火を交えるなら全面戦争も覚悟しなければならない。近隣有事となれば沖縄どころか日本全土が戦場になる。こんなわかり切ったことを今さら書くのも話すのも情けない気がする。
「二度と戦争はしてはいけない」。親や祖父母たち、教師たちが理屈ではなく経験から私たち子供に口癖のように語ったのを思い出す。戦争体験のない私たちは、聞かされた悲惨な戦争に対する思いを「体験」として次の世代に伝えていかなければならない。他国の脅威と憎悪を煽ることで戦争を正当化した歴史を学んだ私たちは政治家を信用しない。他国と仲良くするためには武器は持たないほうがいい。「ケンカハ ツマラナイカラ ヤメロ」。宮沢賢治が今ほど心に響く時はない。
<コロナと憲法>
コロナ感染が止まらない。感染者は60万人、死者は1万人を越した。患者は溢れ治療もできない。戦時の野戦病院を思わせる。経済も科学技術も文化もスポーツも「一流」と思っていた先進国として考えられない事態だ。医療体制の不備を棚に上げて「自粛」と手洗いとマスク着用を求める政府。緊急事態宣言を出したり引っ込めたり、「マッチポンプ」のような政府の姿勢に不信と怒りが渦巻いている。オリンピック実施か中止かを巡り泥沼化。原子力緊急事態宣言とウイルス感染症緊急事態宣言のなかを走る聖火リレー。まるで悪夢を見ているようだ。
国民の生命の尊重(13条、25条)義務をさぼる一方、憲法に「緊急事態条項」を加え国に国家緊急権を与える動きがある。不安のさなかのデジタル化とともに「火事場ドロボー」みたいなもの。国民は管理されるために存在しているのではない。ワクチンに期待を持たせたあげく、入手もままならず、接種率1%という現実は、政府の怠慢の動かぬ証拠だ。現行憲法が「不都合」などと政府に言わせてはならない。公僕にまず憲法を守らせることだ。
5月2日 「憲法を考える市民の集い市民の集い」(我孫子市)主催の講演会に参加。水島朝穂氏の講演から刺激と元気をもらった。国の主人公は国民。憲法は国民が守るものではなく、権力者に守らせるもの。
5月3日 我孫子駅前で3人の仲間とスタンディング。掲げたプラカードは「放射能汚染水で海を汚すな」「9条壊すな」「終わっていない福島原発事故」「安保法制反対」
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10866:210513〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。