対話空間における間テクスト性と解体構築
- 2021年 5月 14日
- 評論・紹介・意見
- 子安信邦髭郁彦
二月二十六日に発刊された『対抗言論』第二号に掲載された子安宣邦氏へのインタビュー記事(「特集1:差別の歴史を掘り下げる」)である「江戸思想史とアジアの近代―日本人と差別の歴史」(以後サブタイトルは省略する) は、子安氏の思想的変遷を知るために大いに参考になるテクストである。もちろん写真なども含めて三十ページ程という短い紙面の中で子安氏がこれまで積み上げてきた複雑で多方面に亙る思想的変遷が語り尽くされている訳ではないが、それでも変遷のアウトラインが明確に提示されている。また、ヘイトについて考える雑誌という特質上、こうした問題と子安氏の思想を無理に連関させているという問題点が存在している点は否まれない事実であるが、それでも子安氏の思想全体を見渡せる一つの見取図が示されていることの意義は極めて重要であると考えられる。
私はこのインタビューの聞き手である杉田俊介氏のように子安氏の著作すべてを読んだ訳ではない (三十冊あるという氏の著作の中で読んだものは、『「大正」を読み直す [幸徳・大杉・河上・津田。そして和辻・大川]』と『「維新」的近代の幻想:日本近代150年の歴史を読み直す』(以後これらの著作のサブタイトルは省略する) だけである)。更に、私の専門はフランス言語学をベースとした記号学であり、子安氏の専門である日本近代思想史とは遠く離れているだけでなく、日本近代思想史の知識も満足なものではない。それゆえ、私がここでこのテクストに対して行うことが可能なアプローチは、非常に限定的なものにならざるを得ない。
しかし如何に探究すべき対象に関する知識が少なくとも、探究対象との接点が少なくとも、ミハイル・バフチンが語っているように対象との対話関係を構築することは不可能なものではない。たった一つのテーマ的な接触であっても、語りのスタイルの類似性があっただけでも、歴史的にも、空間的にもかけ離れた二つの言説 (discours) の間に対話関係を築くことはできるのである。私が「江戸思想史とアジアの近代」というテクストに対して、ここで行おうと思う対話的試みは、主に、子安氏の分析アプローチに関係するものであり、すなわち、氏の用いている探究アプローチの中に存在する解体構築 (déconstruction) としてのポリフォニー (polyphonie) 的側面を見つめようとするものである。
対象を見つめる眼差し
今年の1月に『「維新」的近代の幻想』関する書評を書いたとき、私はスラヴォイ・ジジェクの「斜めから見る (looking awry)」という分析方法に基づき、このテクストとのポリフォニックな関係性を展開していった。もちろん、「江戸思想史とアジアの近代」に対しても、同様のアプローチは可能であろう。だが、ここでは壮大な対話的地平を持ったミハイル・バフチンの対話問題探究視点に加えて、ポリフォニーという問題を発展継承したジュリア・クリステヴァが提唱した間テクスト性 (intertextualité) という概念を一つの分析装置として、また、間テクスト性におけるテクスト接近方法の一つである、先程指摘した解体構築というアプローチ方法も分析装置として、更に、ヴァルター・ベンヤミンの弁証法理論の再解釈を通してジョルジュ・ディディ=ユベルマンが語っている時代錯誤という意味では全くないアナクロニズム (anachronisme) という概念も分析装置としてこのテクストと向き合っていこうと思う。
何故なら、この三つの分析装置を用いることで、子安氏の思想において中心的役割を担っている「言説論的転回」、「方法論としての江戸」、「方法としてのアジア」、「鬼神」といった大概念の綿密な検討ができないまでも、これらの概念の背景となる基盤性を浮かび上がらせることができると思われるからである。それゆえ、ここで検討する問題はテクスト解釈を通して子安氏の思想の中核的問題を探究するものではなく (前述したように氏の思想に対して真正面から挑む能力も知識も私にはない)、氏の探究方法とそのアプローチに語り掛けることによって、ポリフォニックな対話を行おうとすることである。
前置きが長くなってしまったが、それゆえ、ここでは子安氏が用いてきた探究のための分析装置の持つ独自性、開在性、可能性を、日本近代思想史という地平から見るのではなく、バフチン的な対話空間という角度から見ていきたい。また、この視点は先程指摘したクリステヴァの間テクスト性との連関性を有するだけではなく、ベンヤミン弁証法におけるアナクロニズム的側面とも連関していると私は考える。この概念的展開図は子安氏の日本近代史に対する解体構築作業が、過去を過去としてのみ捉えているのではなく、過去を未来として捉える、言語学で言うところの歴史的未来 (futur historique) の射程を持ったものであるからである。ただし、それは言語学という学問のカテゴリー内での単なる時制問題なのではなく、思想史上の論争的実践である点を注記しなければならないが。
間テクスト性の広がり
上記したように間テクスト性はバフチンのポリフォニー理論を進展させた概念であるゆえにテクスト間の関係を対話的なものとする色彩を強く帯びている。だが、対話的な側面と言っただけでは大きな意味を示すこととはならない。ラウル・ペック監督の映画「マルクス・エンゲルス」には、ピエール=ジョセフ・プルードンが演説の中で「所有は盗みである (La propriété, c’est le vol)」と語った言葉に対して、カール・マルクスが「如何なる所有か (Quelle propriété)?」と反論するシーンがあるが、この反論のように単に「対話」ということだけを述べても、それは抽象論で終わってしまう。「如何なる対話か?」と問わねばならないのだ。
子安氏のテクストすべてを読まずとも、「江戸思想史とアジアの近代」を読むことで子安氏の間テクスト性の方向性を知ることはできると私は考える。何故なら、氏が自らの思想的変遷をこのテクストの中で簡潔に語っており、その変遷を追うことによって氏の思想的展開の詳細な布置ではないにしろ、見取図を見ることが可能であると思われるからである。では、氏の探究の基礎部分を構成するアプローチ方法とは何であろうか。先ずはこの点について語る必要があるだろう。
子安氏はインタビューの中で『本居宣長』を書いた時期の言説論的転回について、「たとえば神についての問題を宣長の内部に求めるのではなく、宣長が神についていかに語ったか、その語り方の問題、言説の問題を論じることにした。それが私にとっての方法論的な転回。すなわち「言説論的転回」です」と述べているが、この言説論的転回によって獲得された方法とはどのようなものであろうか。例えば、子安氏は荻生徂徠の思想を解読するために対象とする徂徠のテクストとのみを探究するのではなく、丸山眞男の徂徠論を媒介項として徂徠のテクストを解体構築している。より正確に言うならば、徂徠の原テクストをテーゼとして、それに対するアンチテーゼとしての丸山のテクストを対立させ、その二つのものをジンテーゼによって総合化すること=止揚する (aufheben) ことを通して、つまりは、弁証法的な展開を構築することによって徂徠のテクストの解体構築作業を行うことに対して、子安氏は「言説論的転回」と述べていることが理解できる。
今指摘した方法は徂徠のテクストを動態的に解釈可能なものとする道を開くものであり、それだけではなく、重層化した間テクスト性によって、ポリフォニックな声の重なり合いがシンフォニーを奏でるように響き渡るものである。そして、それが新たなテクスト解釈の方向に向い、対話が対話を生んでいく。子安氏の間テクスト性は対話関係を停止し、固定化するものなのではなく、テクスト空間の更なる広がりに向って前進していくものであることが、言説論的転回を巡る問題を考察しただけでも了解可能であるように私には思われる。
解体構築としての対話
子安氏の解体構築的テクスト解釈のアプローチ方法は「言説論的転回」以外にも、「方法論としての江戸」や「方法としてのアジア」という分析的概念の中にも存在している。対象となった問題やテクストを解体し、その解体を通して見えなかった視界が広がっていく方法論的な実践がこうした分析装置の中にもはっきりと見出せるのだ。「方法論としての江戸」や「方法としてのアジア」に関する分析を私は『「維新」的近代の幻想』の書評の中ですでに行っているが、ここでは別な視点からこの二つの方法について考えてみたい。
今述べた書評においてこの二つの方法は日本の近代化が起きた明治と大正に対して江戸という参照軸を対峙させることによって、あるいは、日本に対してアジアというより大きな視点から見ることによって、考察対象となる明治や大正という時代、または、(近代)日本はこの解体構築としてのアプローチ以前には見ることができなかった様相を呈するものとなる。それを私は垂直方向の分析軸と水平方向の分析軸と名付けたが、この分析軸の違いは、解体構築の方向性の違いである。
子安氏は「江戸思想史とアジアの近代」において「方法としてのアジア」に関して、「実体としてではなく、方法的な世界として「アジア」を設定することで初めて儒学のあり方も多様化されていく。中華帝国中心的な、一元的に閉じた儒学を、そうした方法によって多様性へと開いていく」と語っている。問題は儒教ならば儒教という学説には一つの絶対的な言説があるのではなく、ある言説を巡る解釈視点も、対話空間も閉じられ、固定化されたものではなく、常に新たな広がりを持つ開在性を持つものであるということである。ある学説に多様性がなければ、その学問は単なる化石としての意味しかなく、一度その学説の学的意義が決定してしまえれば、後に残るのは、ドイツの言語学者ウヴェ・ペルクゼンの主張している言葉を用いれば、歴史を喪失した語としてのプラスチックワード (plastic word) が羅列された言説を確認する作業しか残らないことになってしまう。解釈空間の閉鎖である。それは学説の完成ではなく、学説の死滅への道を示すものである。
それゆえ、子安氏の主張している日本、台湾、韓国といったアジア諸国にある一義化されない儒教のポリフォニックな言説を衝突させることで、硬直して、死に絶えてしまいそうな学説に、大きな動態的なショックを与える分析アプローチが「方法としてのアジア」であると述べ得るのではないだろうか。これは水平的分析軸としての解体構築の方向性であって、垂直的な分析軸による解体構築方法は別に存在している。それが「方法論としての江戸」である。だが、この方法の解体構築性についてはここではこれ以上行わず、次のセクションで改めて詳しく考察することとする。
アナクロニズム
過去は過去であって過去以外の何ものでもなく、過去について語ることが過去への郷愁以外の何ものでもないならば、ジグムント・バウマンが主張したレトロトピア (retrotopia) しか、過去への接近方法はなくなってしまう。だが、過去を過去とすることのみで捉えようとするのではなく、過去を救済することで、そこに未来を見ようとするベンヤミン弁証法が存在する。その根底にあるものはディディ=ユベルマンが語っているアナクロニズムである。それは過去を多様化し、時間性を直線化せずに、拡大する時間論的超越の試みが見られる概念である。
子安氏は『「大正」を読み直す』や『「維新」的近代の幻想』の中で、「方法としての江戸」という分析軸を使うことで、明治や大正といった日本の近代が開始され、確立していった時代をよりはっきりと浮き彫りにしている。それだけではなく、日本にとって前近代とは何であったかという点に関しても解明することを可能としている。氏は「江戸思想史とアジアの近代」において、「中国ではあくまで儒学は科挙のもの、つまり官僚制度のなかでの士大夫の学問だったのです。だから江戸社会で町人の子弟が小さい頃から漢籍を学んで、きちんとした手ほどき、指導を受けられたということは、すごいことなのですよ。私が「方法としての江戸」と江戸からの近代の見直しをいったりしますが、その江戸とはこういう時代なのです」と語っているが、こうした角度からの考察が可能となったのも垂直方向の分析軸が設定されることを通した解体構築作業が行われたからである。
この方法は丸山眞男が徂徠論で用いた方法とは根底的に異なるものである。何故なら子安氏は、「「作為」というのは、(…) 国家など法制度体系を自然をこえる人為的・精神的作業を経たものとしてみる見方、考え方です。これを丸山は「近代的」見方、考え方とするのです」と述べ、丸山が近代からの眼差しという方向性のみに注視した点を指摘している。更に、「作為」という視点を徂徠がいち早く注目した点を強調した丸山に対して、「(…) 日本の近代化過程はそれとは真逆の実体主義的な国家、丸山が「超国家主義」と呼ぶ天皇制的な国家論的な国家を作り出していきました。丸山の「作為」論は戦後この「超国家主義」と呼ぶ実体主義国家を批判として展開されます」と述べているように、丸山の示した徂徠の思想の解釈は、近代思想を無理矢理投影したディディ=ユベルマンが主張したベンヤミン流のアナクロニズムからは遠く離れたものであった問題点の大きさを子安氏は注記している。
それゆえ、「(…) 大事なことは明治の天皇制的国体論的国家は制作されたものだということです。制作されたものは、再制作することができるということです。この「制作」の意義を見失ったものとして、丸山徂徠論の過誤がもつ罪はきわめて重いといわざるをえません」という言葉にあるように、丸山は徂徠思想の一面だけをクローズアップさせ、近代的枠組みの中に押し込めようとした。そこには解体構築によるポリフォニー的展開はなく、過去に映し出された現在があるだけで、過去の持つ混在したテクスト的意味の多重性は一義化されている。それとは真逆の位置にある子安氏の解釈的アプローチが「方法としての江戸」であるのだ。そこには対象とする分析テクストとの様々な対話関係が展開されているのである。
歴史に向けられた眼差し
このセクションに先行する二つのセクションで、子安氏の間テクスト的、解体構築的なアプローチについて検討したが、ある概念の持つ多様性と過去と現在の時間的な相互コミュニケーションの様態を、端的に、氏が探究しているものが「鬼神」に対する分析であるように思われる。「鬼神」という複雑な概念を専門家でもない私が厳密に明確化することなどはできないが、子安氏がこの概念に対してどのようなポリフォニー的分析方法による接近を行っているかを明らかにすることによって、この概念に対する原初的な意味と時空間を超えた広がりを見ることが可能であるように思われる。それゆえ、ここではこの側面からの考察を行ってみたい。
鬼神は先霊や死霊を示す言葉であると氏は述べ、この概念が朱子の思想の中心概念であることを強調している。ここで検討しているインタビューの中で、先ずは徂徠の鬼神論を取り上げ、「(…) 鬼神が有りということは、われわれの人間共同体は祭祀対象として鬼神をもつことだということなのです。ですからこの徂徠的有鬼論は祭祀的国家としての国家的な始まりをいう言説であり、さらに祭政一致的国家をいう国家神道的言説に大きな関わりをもつものでもあるのです」という指摘を行い、更に、朱子やその学派の人々の考えを「朱子たちにとって死や死後の世界は生と生前世界と同じく知ることのできる、あるいは知ることが必要な世界であるのですね。朱子は死と死後の世界を知ることは祖霊祭祀の重要さを知るためだといっています。こうして死と死後世界の問題は鬼神論として朱子学大系の重要な部分を構成すようになるのです」という指摘を行っている。
つまり、子安氏は徂徠の鬼神論には超国家主義的制作概念が存在し、朱子の鬼神論宇宙論的な展開が存在している点を重視し、徂徠と朱子のそれぞれの思想の中核に鬼神という概念があったたことを明確に提示している。だが、徂徠の超国家主義の中核としての鬼神を理解すること極めては困難なことであるとは言えないが、朱子の宇宙論的鬼神論は非常に難解な理論である。朱子のこの理論をどう解釈すべきであろうか。
宇宙論とは何であろうか。それは広大な空間性を表し、時間的な無限性を表してはいないだろうか。それだけではない。子安氏が語っている朱子の鬼神を巡る宇宙論には言説空間における宇宙論がある。このことを私なりに解釈すれば、それはポリフォニックな広がりと、過去の対話を通して開かれる過去への硬直した解釈を打ち破り、過去の先人の言説を救済すること、あるいは、ベンヤミンがパウル・クレーの天使像に対して述べたアナクロニズム的展開による後ろ向きの弁証法的展開であるように私には思われる。それゆえ、そこにあるポリフォニーは多様なる声の響き、時空を超えた対話空間であるように思われるのだ。だが、この点に関してここではこれ以上検討せずに、後続するセクションで改めて考察する。
記号の持つ多様性
ここで記号学的視点を導入して別な角度から上記した考察を見つめていくことも無駄なことではないだろう。何故なら、ここで取り上げようと思う「漢字」という考察対象は思想史上の考察対象であるだけではなく、記号学と深く係わる問題だからである。より正確にこのセクションで探究しようと思うことについて提示するならば、それは記号の持つ歴史性あるいは始原的意味、痕跡として残る意味の問題である。
アイヌ語学者の知里真志保は『和人は船を食う』の中で、北海道、千島、樺太ではアイヌ語の単語がしばしば変わることがあるが、日本語の「水」を表す語は今挙げたすべての地域で「ルプ」と言うだけではなく、「このルプは実はすなわち「とけるもの」という意味で、これによって彼等 [*アイヌ人のこと] は氷をノーマルなスタンダードな状態と考えていたことが明らかになるし、氷をノーマルな状態と考えることは、彼等が永く酷寒の地に住みなれて、北方人の心になりきっていたことを示すものであります」と語っている。知里のこの発言は、語には民族的・歴史的な背景があることが的確に言い表されている。このことは言語記号が共時的な意味を持つだけのものではなく、歴史的な変遷を受けながらも、根源的な意味の痕跡を内包し続けていることを示している。
漢字という文字記号についても同様のことを述べることができる。日本、中国、韓国、北朝鮮といった東アジア文化圏の国々は漢字という書記体に依拠したエクリチュール (écriture) を展開してきた。各国で、あるいは、各時代で漢字の意味は変化することがあり、それによって漢字の多義性が豊かになるが、変化があったとしても原初的なものとしての原基音素 (protophonème) 的と呼び得る機能を漢字は常に持っている。子安氏は、「「一元多様」的なアジア的世界を成り立たせているのは漢字であると、私は思っています」と語っているが、様々に変遷してきた歴史性や意味的多様性を内包しながらも、漢字はその原基音素的な核を維持し続け、それがあるゆえにアジアにおけるエクリチュールの言説的展開における中心的役割を担う一元的多様性を有しているのではないだろうか。
漢字が記号的に言説の多様性を支えるものであるからこそ、漢字は日本語の中にも完全に根付いていった。「(…) 大事なのは、われわれがものを考えるためには、つねに漢字という他なる言語が不可欠だったということです。借り物である漢字を排除すれば純粋な日本の大和言葉と大和心を取り戻せるという考え方は言語論的な錯覚です」という子安氏の言葉はそのことを正確に表している。漢字が記号として多様性を内包しているゆえに、漢字は中国語のみならず、日本語においてもその中核的役割を果たすものとなっているのである。
コナトゥスとしてのポリフォニー
「鬼神」という概念の持つ始原的力、あるいは、「漢字」という文字の持つ始原的力は、ポリフォニー空間の開在性のベースとなる重要な要素である。子安氏の思想を上記したものとは別な角度から見ていくと、氏の思想の中にアントニオ・ネグリやマイケル・ハートが提唱しているマルチチュード (multitude) への道を切り開くためのポリフォニー装置が存在していると考えることが可能である。マルチチュードについて、ネグリとハートは『マルチチュード〈帝国〉時代の戦争と民主主義』の中で「マルチチュードはあくまで多数多様なものであり、内部に差異をはらみはするものの、ともに行動することができ、それによって自らを統治することができるのである。マルチチュードは、指令を下す一者とそれに従うその他大勢からなる政治的身体ではなく、自己を統治することのできる生きた〈肉〉なのだ」(幾島幸子訳:強調訳者)と書いているが、ここで二人は政治的側面からマルチチュードの特性を示しているが、それは政治的側面に対してのみ言い得ることなのではなく、社会、思想、文化的側面に対しても同様に言い得るものである。そして、こうしたマルチチュードを可能とするポリフォニックな言説の基盤を形成することができる概念装置として、子安氏は「鬼神」や「漢字」という考察対象を分析していると私には思われる。また、現在、子安氏が市民講座という実践的マルチチュードの試みを行っている点も、一言、注記しておく必要があるだろう。
だが、このマルチチュードとしての形態が何故ポリフォニー空間を開くのかという問題について詳しく語らなくてはならない。マルチチュードという概念を最初に用いたのはバールーフ・スピノザであると上記した二人の思想家は述べているが、スピノザはマルチチュードがそれを実現する力としてのコナトゥス (conatus) を有していると考えていた。コナトゥスとは事象が持っている自らが存在し続け、その存在をより高めようとする力である。それゆえ、コナトゥスを活動力としてより大きく、より広く多方向に展開しようとする拡大するエネルギーがあってこそ、マルチチュードはその多様性の勢いを増していく。そして、その勢力は停滞し、硬直し、化石化しようとする衰退するエネルギーにカンフル剤を注入し、新世界への出発の鐘を鳴り響かせる。このように考えて行くならば、解体構築という作業を可能にするもの、それはコナトゥスであると述べることができるのではないだろうか。
子安氏の日本近代思想史に対するアプローチには解体構築という方法論的装置が存在しているということはすでに指摘したが、この解体構築を展開するためにはコナトゥスというエネルギーが必要となる。何故なら、垂直的な広がりに向かうにしても、水平的な広がりに向かうにしても、動態的な展開を可能にするには多様性を持ちながらも一つになり、新たな道を切り開くマルチチュードとしてのポリフォニーが必要となるからだ。それが子安氏の解体構築的アプローチであると私は考える。
ここまで、「江戸思想史とアジアの近代」というテクストに示された子安氏の探究方向性と探究方法に関する検討を行ってきたが、このテクストがインタビューであるゆえに、最後にインタビュアーとしての杉田氏の問いかけについても一言述べておかなければならないと思われる。ヘイト問題について考える雑誌という枠組みがあるにも拘らず、杉田氏は子安氏のこれまでの探究を的確に理解しようと努力し、氏の考察を多角的に検討するための問いかけを行っている。その点は高く評価される。だが、「漢字をたんなる記号的な文字として、エクリチュールとして捉えるべきではない」といった言葉や、「『漢字論』はたとえばベンヤミンやデリダ的な「翻訳論」であり、「アジア的翻訳論」であるのでは」といった言葉にはかなり大きな問題がある。最初の言葉にある「エクリチュール」という語が「レットル (lettre)」であるならば、理解できるが「エクリチュール」であるゆえにこの文は意味の判らないプラスチックワードによって語られたものとなっている。二番目の言葉もベンヤミン的な翻訳論とは何か、デリダ的な翻訳論とは何かがまったく説明されずに唐突に提示されているために、この指摘もプラスチックワードの羅列に等しくなっている。
今述べた問題点は子安氏のテクストの理解を助けるのではなく、かえって氏のテクストの方向性や方法論を不透明なものにしてしまっている。氏の思想の射程と広がりを明示するためには、論理展開を深めるために用いる概念の厳密性とカテゴリー的正確さ、更には、慎重さが必要になる。パリ第5大学で言語学を学んでいたとき、私の指導教官であったフレデリック・フランソワを始めとする教授陣の誰もが研究対象を分析するためのコーパス (corpus) は重要であるが、単に多くのコーパスを通して分析すればよいのではないことを何度も繰り返し語っていた。問題は如何にコーパスが少なくとも、その分析対象をどのような分析装置を使って、どのような方法によって、適切に考察していくかということである。
私がこのここで行った子安氏の思想展開に対する探究は、氏の思想を緻密に、的確に捉えているとは言えないであろう。しかしながら、ここで行った考察によって、氏の思想が日本近代思想史というカテゴリー内に留まるものではなく、新たな多方面での対話関係を構築するための光源として存在するものであることを示すことができたと私は考えている。ポリフォニー、解体構築、間テクスト性、マルチチュード、コナトゥスといった概念の導入によって、氏の思想の解明と氏のテクストとの対話関係をどれだけ築けたかは疑問が残るが、それでも何らかの探究の形が提示できたと考える。ここで私が行った試みは横断的な解釈学的な一つの試みであるに過ぎない。だが、この試みが更に開かれた探究の道への第一歩となることを祈ってこのテクストを終えたいと思う。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
宇波彰現代哲学研究所 対話空間における間テクスト性と解体構築 (fc2.com)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10871:210514〕
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