ナチスを批判、ビラをまいて処刑されたゾフィー・ショル~生誕100年
- 2021年 5月 19日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
5月14日、朝日新聞の「世界発 2021/<白バラ>のゾフィー 再び光」(野村淳)の欄で、久しぶりにゾフィー・ショルの名に出会った。
(参照)朝日デジタル「反ナチス「白バラ」の若き女性 ブームに陰る等身大の姿」ダッハウ〈ドイツ南部〉=野島淳2021年5月16日 10時15分
第二次大戦中、ナチス批判や反戦を非暴力で訴えていた「白バラ」の一員で、1943年2月に処刑されたゾフィーは1921年生まれ、5月9日は、生誕100年にあたる。それを機に、ドイツでは、ゾフィー・ショルが再評価されて、ブームのようになっているという。ところが、右翼からも左翼からも英雄視されはじめたことに、かつてのナチス政権下の恐怖と現代の民主的な社会での政府への抗議とは比較にならず、神格化することで、彼女の本当の姿が認識できなくなるのではないか、との危惧を覚える人たちもいることを伝えていた。
ドイツ郵便が発売したゾフィー・ショル生誕100年記念切手、上記朝日デジタル記事より
2021年5月9日、ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所跡に建つ教会で記念の催しが開かれ、牧師は「彼女が自信と他者を幸せにした理由や方法について考えたい」と語り、14歳の少女は「ゾフィーは命を危険にさらしても不正に立ち向かい、ナチスの犯罪を公にする勇気を持っていた。私たちはいま、自分の意見を公然と言える国に住んでいる。白バラの目標は現実のものになった」と演説したという。
私が、最初にゾフィー・ショルの名を聞いたのは、地域のミニコミ誌を発行していた頃、友人の映画評論家、菅沼正子さんが寄稿された「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」の映画評であった。
(参照)「菅沼正子の映画招待席NO.16」『すてきなあなたへ』44号(2006年1月20日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatano44.doc
長い間、見たいと思いながらも機会がなかったが、思いがけず、知人から、その映画のDVDをお借りすることができた。2013年、2度目の出会いであった。そのときの感想は、このブログにもしたためている。
(参照)猛暑の夜だが、映画「白バラの祈り」を見る(2013年7月15日)
「白バラの祈り ソフィー・ショル、最後の日々」(ドイツ 2005年)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/07/post-6185.html
映画は、1943年2月、ヒットラー政権に対して、非暴力で抵抗する組織、ミュンヘン大学の「白バラ」に、兄の医学生とともに参加していたゾフィー・ショルが、ミュンヘン大学構内でのビラまきで逮捕され、処刑されるまでの5日間を実話に基づいて描かれたドラマである。キリスト教の精神と倫理観に裏付けられた学生たちがやむに已まれず、抵抗を呼びかけるべくパンフレットを街角やキャンパスに置いて回るというささやかな行動をもゲシュタポは許さず、執拗な取り調べが続き、5日後の1943年2月22日には、形式的な裁判によって即日死刑に処せられるという過酷な運命をたどるストーリーであった。
ゾフィーの姉による『白バラは散らず』(内垣啓一訳 未来社 1964年)は東西ドイツの時代にも、よく読まれたという。C・ペトリによる『白バラ抵抗運動の記録』(関楠生訳 未来社 1971年)によれば、「白バラ」の学生たちが配布したパンフレットの末尾には、必ず「できる限り多くの複写を、広く配布を」の文字があったという。現代でいえば、ネット上の「拡散」の願いではあるのだけれど、命をかけたビラ配りであったことをつくづく思う。
そして、三度目に出会ったのは、映画を見た翌年、2014年10月のドイツ旅行の際、立ち寄ったベルリンのドイツ抵抗運動博物館の展示だった。この博物館は、かつての陸軍最高司令部で、その中庭は、1944年、ヒトラー暗殺計画に関与した軍人たちが銃殺されたという惨劇の場でもあり、現在は、その追悼碑と中央には男性立像のモニュメントがある。博物館の展示は18室に分かれ、さまざまな抵抗運動への弾圧事件や犠牲となった人たちをテーマにまとめられていて、第7室は、たった一人でヒトラー暗殺を試み、未遂で終わったゲオルク・エルザーがテーマであったし、「白バラ」関係は第15室だったのである。
ベルリン、ドイツ抵抗運動博物館、第15室の展示、下記の手前がゾフィー・ショル、隣が兄ハンス・ショル
2018年5月、ドイツ旅行の際、ミュンヘンに4泊して、ミュンヘン大学近くにも出かけたのだったが、白バラの展示室やモニュメントのことを知らないまま、向かいの英国公園の方へと急いでしまったのだった。
つぎの写真は、上記、朝日デジタルからと2015年に大学を訪ねた方の「例によって目が覚めた夜明けの晩」ブログから、写真を拝借させてもらった。
上記は、ミュンヘン大学構内のビラを模したモニュメント、その周辺に、ビラが埋め込まれているらしい
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生誕100年記念の集会が開かれたダッハウ強制収容所の点呼広場
2018年5月、訪ねた折の拙作二首(歌集『野にかかる橋』より):
ダッハウの強制収容所の扉にも「FREI(自由)」の文字残しいて
ダッハウの空は分けても澄みわたり点呼広場に見学者の群れ
初出:「内野光子のブログ」2021.5.18より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/05/post-37c420.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10894:210519〕
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