ミナミノシマナノダイオーワー~♫~伊藤アキラさん、さようなら
- 2021年 5月 26日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
「南の島の大王は その名も偉大な ハメハメハ ロマンティックな王様で~~ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハ」は、私の子育ての時代で、忘れることのできない歌だった。保育園の送り迎えの乳母車で、保育園のすぐ近くに転居した後も、行き帰りに娘とよく歌った歌だ。
私の新しい歌集に、当時のことを思い出して、2017年に詠んだ一首がある。
・保育所より布団持ち帰る週末を幼と歌うハメハメハーの王
「晒の襁褓」『野にかかる橋』
「南の島のハメハメハ大王」は伊藤アキラ作詩、森田公一作曲である。調べてみると、NHK「みんなのうた」で初めて放映されたのが1976年4月だった。その年の6月には、「山口さんちのツトム君」(みなみらんぼう作詞作曲)と一緒にレコード化されている。「ハメハメハ」の方は、1970年代後半には何度か放映されていたし、保育園でも歌われていたのだろう。まさに、娘の保育園時代と重なっていた。作詞家の名は、聞くには聞いていたのだろうが、そのときは意識していなかった。何がきっかけだったのか忘れたのだが、伊藤アキラさんが、大学同期の、あの伊藤さんと知ったのは、ずいぶんと後のことだった。当時、私の通っていた大学の文学部に国文や英文と並んで、経済学、社会学、法律政治学専攻というコースがあって、それぞれ一学年15人程度のコースであった。私は法律政治学専攻だったが、伊藤さんは社会学専攻だったのである。教養課程の科目ではもちろんだが、語学の授業などでは、顔を合わせることは多かったと思うが、一度もことばを交わしたことはなかった。いつも、穏やかで、にこやかな少年のような面影が印象に残っている。60年安保のさなかであったが、ウィキペディアによれば、在学当時から三木鶏郎に弟子入りしていたらしい。
追悼の記事によれば、その作品の数はおびただしく、有名なCMソングも歌謡曲も数多く手掛けていて、歌を聞いたら思い出すことも多いのだろう。そういえば「かもめが翔んだ日」(1978年)の渡辺真知子の歌声だけは私も覚えている。娘の保育園、小学校低学年時代、よく一緒に見たテレビといえば、「まんが日本昔ばなし」(1975年1月~1994年3月)、「一休さん」(1975年10月~1982年6月)、「Drスランプアラレちゃん」(1981年4月~1986年2月)など思い出す。また、短い期間だったらしいが「魔法少女ララベル」(1980年2月~1981年2月)もよく覚えている。その挿入歌も伊藤アキラさんの作詩だったらしい。いずれも、夕方の、7時前後からのゴールデンタイムであったのだから、その曜日は、夜のNHKニュースは聞いていないことになり、現在のように、まるで国策報道じゃないかと腹を立てつつ見ていることもなかったのだろう。現在、この時間帯のどの局の番組を見ても、純然たるアニメは、なくなってしまっているのではないか。いまは、週末の朝9時前後に、アニメ番組が集中しているようにも思える。
5月20日、NHK放送研究所から「国民生活時間調査2020」が発表され、10代20代の半分近くがほぼテレビ見ていないという結果が発表された。調査の対象は10歳からなので、幼児の生活時間はわからないが、どうなっているのだろう。『放送研究と調査』最新号5月号には、阿曽田悦子「調査研究ノート・幼児のコンテンツ視聴の実態を把握する新たな試み~2020年6月WEB幼児視聴率調査から~」という記事もあるらしい。
いまは離れて住む娘の部屋に残された教科書類の中に、通った学校の副読本だったのだろうか、『新版みんなのうた』(千葉県音楽教育研究会編 光文書院)、『新訂中学生の愛称歌集』(千葉県音楽研究会編 教育芸術社)を見つけたが、いずれにも「南の島のハメハメハ大王」は収録されていた。
私の子育て時代に、子どもとともに耳にしていた伊藤アキラさんの歌、なつかしく思い出しながら、ご冥福を祈るばかりです。
初出:「内野光子のブログ」2021.5.24より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/05/post-9a0a92.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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